懐かしい香り2
ーー連れ去ってあげようか?
謎の少女は私の手を取って言ってのけた。整ってはいるが特別な美人というわけでもないのに、どこか惹き込まれるものを感じて言葉につまる。
そんな私に少女はフッと笑った。
「なあ〜んてね!一回言ってみたかったんだこの台詞〜。ねえ、マリー、どうだった?かっこよかった?攫われたい?」
「ハル、あんたそんなんだからフィーから女ったらしって言われるのよ」
なんと少女が話しかけたのは肩に乗っている黒猫だ。それだけでも驚きなのに、なんと猫が喋ったのだ。
「フィーってばマリーにまでそんな事言ってるの?私はフィー一筋の紳士なのに」
呆気に取られた私を気にせずに少女は唇を尖らせる。しかし黒猫をひと撫ですると、視線を私に戻した。
「桂木桜さん?」
確信めいた問いかけにドクンと胸が鳴った。先ほども呼ばれた、私の名前だ。
「は、い…。私は桂木桜です」
言いながら目が潤んだ。懐かしさに胸が潰されそうだ。
彼女とは初対面なのに、日本の空気を感じて息が苦しい。
「良かった。さすがマリーだね。一発でご本人様に辿り着いちゃった」
「私を誰だと思ってるの?時空の魔女マルヴィナ様よ!このくらい息をするのと同じだわ!」
ホーッホッホッホ!と黒猫が高笑いをする。
猫がである。
この世界に来て魔法を知ったし、言葉を解す魔物もいたが喋る猫は初めてだ。
脳裏に幼い頃に見た魔女のアニメが蘇る。あのアニメの猫も黒猫で喋っていた。
しかし会話からすると、この黒猫の方が魔女らしい。先ほど現れた暗闇はこの猫が作り出したのだろうか。
様々な疑問が湧いたが、大事なのはそこではない。
「なぜ私の名前を知ってるの?」
私は彼女を知らないし、恐らくそれは彼女もだろう。だけど、名前は知っている。
問われた少女は優しく笑った。
「桂木真司さんの依頼がありまして。娘の桜をどれだけお金も時間もかかっていいから見つけてほしいと」
「あ…」
その、名前に。
私の目から涙が溢れた。足に力が入らなくて、ふらふらとベットに腰をかけた。
「とう、さまが?」
「はい」
私は両手で顔を覆った。父の名が出るとは思わず、酷い郷愁に駆られる。ホームシックにも似た感情が濁流のように押し寄せる。
しばらくして気持ちがおさまって顔を上げると、少女はまるで騎士のように床に膝をついて私を見上げていた。
その顔は笑ってるようでもあり、困っているようでもある。
「私は女性の笑顔が天使みたいで好きなんですけど、そうやって泣いてる姿も色気があっていいと思うんです。でも泣く時って大抵悲しい時でしょう?それは紳士を志す者としては見逃せない。その涙を喜びの涙に変える幸福を頂いてもいいですか?」
桜は今まで襲っていた激情を忘れてポカンと口を開けた。先ほどから、台詞は聞こえてるのに頭に入ってこない発言が多い。
「気にしちゃダメよ。ハルは自分も女のくせに、女に紳士を謳うナンパ野郎なのよ」
「人を節操ないみたいに言わないでよ!まあ、話も進まなくなるしその問題については後で話し合おうかマリー。マリーの中の私に大いなる誤解があるみたいだからね!」
宣言すると、少女は改めて私に向き合った。
「私は宮城春矢といいます。どうぞハルとお呼びください。まあ見た目の通り私はピッチピチの普通の女子高生ですが、ちょっと変わったバイトをしてまして。えーと、心霊現象とか、超能力を扱う探偵事務所、ってところですかね」
「日本にそんなところがあるの?」
「ごく一部にしか知られていないですけどね。世間的には一般的な探偵事務所ですから。そっち系はツテとか口コミになります。3ヶ月くらい前に、真司さんが事務所にいらっしゃいました。あなたを探してほしいと」
再び胸が疼いたが、私はこくりと頷いた。
「それでうちの優秀な人探しのプロが探索をかけたんですけど、あなたはどこにもいませんでした。ーー地球上の、どこにも」
私は息を呑んだ。日本に住んでいてこんな話を聞けば荒唐無稽と笑うような話が、現実を帯びて語られる。
「それでなんていうか、うちの事務所は異空間になると専門外なんですよね。あくまでも地球上の不思議を取り扱ってるというか。そこで私の友人のツテで、マリーにあなたの捜索をお願いしたんです」
少女ーーハルは先ほどから毒舌の黒猫をずいっと差し出した。黒猫は美しい毛並みと体をしならせて踏ん反り返っている。
「このマリー、見掛けはただの黒猫ですが、実はこの世界より上の次元にいる超上級魔女マルヴィナなのです!!」
ドンドンパフパフとハルが言えば猫はしゃなりしゃなりと私の前を歩いて再び踏ん反り返った。
「私に不可能はないわ!」
やはりホーッホッホッホ!と高笑いをする。どうやらここまでがセットらしい。
「ーーとまあ、こんな感じでですね、マリーに探ってもらったらこの世界に飛ばされてることがわかって、今に至ったわけです」
凄まじく掻い摘まれた気がしないでもないが、私にとって大事なのは一つだけだった。
「私は日本に帰れるの?」
「帰れますよ、望むなら」
喜びと混乱がない交ぜになって、咄嗟に返事ができなかった。するとハルが首を傾げる。
「その前に一つ確認をしていいですか?あなたはここに来てどれだけ経ちますか?」
「だいたい四年弱よ」
「じゃあ時間の経過の仕方は同じなんですね。こっちでも四年経ってます」
違う場合があるとかと問おうとしてやめた。今は時間が惜しい。
「日本ではあなたは四年行方不明でしたので、恐らく好奇の目に晒される可能性があります。桂木財閥のお嬢様ですから」
言われて、そうかもしれないと思い至る。でも好奇の目に晒されることにはもう慣れた。
「それは気にしないわ。それにしても父さまが依頼を出してたなんて…」
私の知る父は、心霊現象などを信じているようには思えなかった。それほどまでに思ってくれていたのだろうか。
するとハルが不思議な事を口にした。
「二年くらい前に、弟さんの前に現れませんでしたか?」
「え…?」
「朝食を食べていた時、あなたの声が聞こえたと弟さんが言っていたらしいです。なんでも、この世界じゃないとこに捕まってる、助けてほしいと」
ピンとこずじっと過去を振り返ると、記憶の中にそれらしきものに思い至る。
「夢なら見たわ。やけにリアルで…」
「たぶんそれね。気持ちが強いと時空を越える事があるのよ。強く帰りたいと願ったから、魂だけ行ったのね」
解説してくれたのは黒猫マリーだ。ハルもそれに頷いた。
「そう、弟さんは半信半疑だったけど、どうしても気になって真司さんに相談したらしいんです。それでありとあらゆるツテを使って、うちの事務所に辿り着いたんです」
「そうだったの…」
あの時の必死の呼びかけが伝わっていたと知り、胸が暖かくなる。家族は今でも私を待ってくれている。
それは私を勇気付けた。
「それで、どうします?今すぐ帰ります?」
「今なら無料で高速プランよ」
ちょっとその辺に御飯行きません?みたいなノリで聞かれて私は脱力した。
先ほどからこの1人と1匹は真面目な空気が長続きしないのだ。
こう軽いと、ヒョイっと帰っていい気もしたが、流されてはいけない。
どう考えても、今消えるわけにはいかなかった。恐らく今自分が消えれば国際問題に発展する。
「それがちょっと、困った事になってるの」
「女性の話を聞くのも紳士の嗜みです。聞きましょう」
「ハルってほんとに馬鹿ね。でも私も興味があるわ。異世界に飛ばされた人間の話なんて面白そう」
話は長くなるだろう。いつまでもハルを床に跪かせておくわけにはいかない。
私は彼女たちをテーブルに案内した。相変わらず室内は暗いが、テーブルにはちょうど月明かりが灯っている。お互いはよく見えた。
話をしようと記憶を掘れば、マクシミリアンの事が浮かんで胸が痛む。驚きの連続で忘れていた哀しみが蘇り、深呼吸を繰り返した。
「私がこの世界に来たのは、国を救う聖女として召喚されたからなのーー」
シリアスになりたくてもブーメランのように戻ってきてふざける1人と1匹が登場したため、物語の雰囲気が多少変わっていきます。




