懐かしい香り
本日3回目の更新になります。
久しぶりに彼を見た気がした。
公務で会っていたとはいえ、まともに目も合わせていなかったからだ。
「久しぶりだね、サクラ」
「そうね」
「君と話がしたかったんだ」
「そう、私もよ」
いつものように微笑むマクシミリアンに、私は力無く笑った。そんな私に、マクシミリアンの表情が陰る。
「サクラ、君は誤解している」
なぜ避けているのかとは問われなかった。さすがにマクシミリアンの耳にも噂は入っているのだろう。
しかし、彼の言葉に私の胸はきしりと痛んだ。
「誤解じゃないわ」
「いや、誤解している。私の気持ちは変わっていない」
真摯な表情のマクシミリアンに私は唇を噛んだ。怒りなのか、哀しみなのかわからない。プツリと音がして血の味がする。強く噛みすぎて切れたのだろう。
だって、あまりにもではないか。
あまりにも、彼は私をバカにしている。
「変わってるはず、ないでしょう」
強く握った拳が震える。
「貴方はそもそも私を愛していなかった。いえ、愛情はあったわ。でもそれは家族愛でしょう?だから変わってるはずがないのよ」
今、自分はどんな顔をしているのだろう。嫉妬で醜い顔をしているのかもしれない。だが止まらなかった。
「私への思いは変わらなかった。だけど…だけど、マリアへの想いは変わったはずだわ。私がわからないわけないじゃない!私は貴方を好きだったんだもの!」
「サクラ!私は彼女とは何もないんだ!」
「そんなの知ってるわ!!でもだからなんだというの!」
私がかつてオリヴァーにした問いかけだ。
「裏切ってないなら、それでいいと思うの?私が愛されないまま、貴方達二人を引き裂いて、笑いながら生きていけるとでと思うの!?バカにしないで!!私にも矜持はあるのよ!!」
マクシミリアンを無理やりにでも繋ぎ止める事は、やろうと思えば出来るのだろう。
優しい二人は、私を裏切れない。仮にマリアが王妃になってもそうなったはずだ。
だけどその優しさが憎かった。いっそ裏切ってくれたなら、嘆いて詰って怒って責めることができた。
「義理堅くて結構だわ!貴方達は結局私を道化に仕立て上げるだけなのよ!」
怒りで涙が溢れる。マクシミリアンは驚愕したように動かない。
「貴方は確かに愛してくれたわ。でもそれが偽物だったと、貴方が一番知ってるじゃない!それを誤魔化さないで!」
言いきって嗚咽が漏れた。
恋した分だけ強くなったと思っていた。
なのに今はこんなにも自分が脆い。
沈黙が室内を支配する。私の嗚咽だけが響く中で、マクシミリアンが口を開いた。
「すまない」
「それは、何に対しての謝罪なの?」
「君の言う通り、私はマリアを…愛している。彼女の美しさではなく、志に惹かれてしまってるんだ」
マリア、と呼んだ彼に胸が軋んだ。呼吸の仕方がわからない。誤魔化すなと言ったのに、違うとも言われたかったなんて、なんて自分勝手なんだろう。
「彼女に惹かれる度に君が浮かんだ。いけない事だと分かっていた。誓いだって立てたのに、私はそれを破ったんだ」
苦しげに懺悔するマクシミリアンを、私は空虚な瞳で見つめた。
涙の跡が残る醜い顔で、睨む力も怒鳴る力もなくただ見つめた。
「君を守りたい感情が恋なんだと思ってたんだ。守りたいと言ったのは嘘じゃない。今だって、そう思ってるんだ」
俯く彼におくる言葉は見つからない。
「もう、いいわ。もうここには来ないで」
「サクラ」
「今は貴方の顔は見たくないの。お願い、消えて」
酷い言葉をぶつけてしまう。けれどマクシミリアンは私を責めずに静かに退出した。
手のつけられていない冷めた夕食を見つめながら、私はこれからの事を考える。
あの時だって絶望した。だけど未来は自分次第で繋がった。
どうやったって、また立ち上がるしかない。
だけど今はどうしようもなかった。
虚しくて消えたかった。
マクシミリアンが退出した事で、マーガレットが顔を出す。私の様子には触れずに自室へと連れて行ってくれた。
部屋で一人、立ち竦む。窓から月明かりが見えて暗い室内を照らす。
聖女と呼ばれて4年が経った。
私は一人、どうしてこうなったのだろう、と月を見上げる。
どうして、どうして。
最近は、その言葉ばかりが浮かんでくる。
ーーどうして、私ばかりがこんな目に合わなきゃいけないのーー
こんな感情は嫌いだ。自分に酔ってるようでやりきれない。だけどどうしても浮かんでくる言葉に唇を噛む。切れた場所は麻痺していて、痛みはもうわからない。
その時だった。ふっと違和感を感じた。
月を見上げる私の目の端がキラリと光る。
すると一瞬で異質な空気が部屋を覆った。これに似た感覚を私は知っている。魔法だ。
誰かがこの部屋に魔法をかけている?戸惑いながら扉に向かおうとした瞬間、目の前に大きな暗闇が現れた。
驚きすぎて声が出ない。私は目を見開いて暗闇を見つめるしかできなかった。ーー足が震えて動かなかったのだ。
次の瞬間、暗闇がぐにゃりと歪んで、何かが勢いよく飛び出してきた。
「ーーーっ!!!?」
「はあー!やあっと抜けたあ〜!」
飲み込んだ悲鳴とは真逆の呑気な声音がして、私は目をパチクリと見開く。
出てきたのは、私より年下であろう少女だった。背が高く、手足がスラリと長い。肩口で切り揃えられた薄茶の髪と瞳がにんまりと私を見つめる。しかも何故か肩に綺麗な黒猫を乗せていた。
しかし、重要なのはそこでは無かった。
彼女が着ている服だ。自分が一生着ることが無いと思っていたもの。
懐かしい故郷を思わせるもの。
「あなたは、桂木桜さん、であってるかな?」
心地よい声音だった。そして聞きなれた言葉で、私は呆然と彼女を見上げる。
少女が来ていたのはセーラー服で、話したのは日本語だった。
「噂どおりの可愛いお姫様だね。ねえお姫様、私が連れ去ってあげようか?」
少女が不敵な笑みをつくる。それはどこか、悪戯めいたものだった。




