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ハグルマナ  作者: コハタヤスマサ
6/7

第5話

 日が落ちて城下町の家々にも明かりが灯り始めた頃、『修理屋エマ』では台所の食卓にて緊急家族会議が開かれていた。

 議題はもちろん、ドリスが連れてきた謎の男についてである。


「……お前、名前は?」


 頭にタンコブを生やしたチャーリーは胸の内で煮えたぎる怒りを必死に抑え、あくまで冷静を装いながら質問した。だが果たして、この発問は何度目になるのだろうか。

 チャーリーの対面に鎮座するその男は、静かに燃える蒼い瞳でチャーリーを睨みつけるばかりで、一向に口を開こうとしないのである。身動きどころか瞬きすらしないその男は、まるでよく出来た彫像のようであった。

 そんな男の態度に、チャーリーの我慢も限界を迎えようとしていた。どんな事情があったのかは知らないが、娘の部屋へ親の許しもなく勝手に侵入したあげく、この失礼極まりない態度である。ドリスを番猿から救ってくれたと聞いて少しは大目に見ようと考えていたが、次第に増していく怒りでそんな考えは消え失せていた。現に、チャーリーの貧乏揺すりはテーブルの下で激しさを増すばかりである。


 そんな父親の明らかな苛立ちを感じたドリスは、男の隣で苦笑いを浮かべて焦っていた。

 質問が飛ぶたびに男の足を蹴ってみたり、肘で男の脇を小突いてみたりしたものの効果はない。この不穏な空気を回避するためあえて人質にされた件は伏せ、夕食時に合わせて男を連れてきたと言うのに、その努力が全て水の泡である。


「あ、あのねお父さん! さっきも話したけどこの人は――」

「ドリスは黙ってろ」

「……」


 何とかこの状況を変えようとドリスが声を上げるも、チャーリーがそれを一蹴(いっしゅう)する。今までに見たこともない鬼気迫るチャーリーの雰囲気に、ドリスは言葉を飲み込むしかなかった。どんなに仕事が立て込んでいても苛立ちを見せたことがなかったあの父親が、こんな声で自分を制するとは思っても見なかったのである。

 こうなってしまってはドリスもチャーリーの言葉通り黙るしかなく、初めて自分の父親に恐怖を覚えたのだった。


「……いい加減にしろよ、小僧。このまま何も喋らないってんなら、お前を番猿につき出してやるからな。それが嫌なら、さっさと自分のことを話しやがれ」

「…………」

「……フリート、こいつ殴っていいか?」

「ま、まあまあ、落ち着いてください親方」


 台所からスープのおかわりを運んで来たライオンの獣人フリートが、青筋を立てて怒りを露わにするチャーリーを焦りながらなだめる。その巨体に似つかわしくない柔和な重低音が、スープから立ち昇る湯気のように揺らめいて食卓に広がった。


「さ、さあ親方。スープのおかわり持ってきましたよぉ。お話しは後にして、今は夕食をしっかり食べましょうよ」

「そんなことしてる場合じゃないだろうが! こいつは――!!」

「食事と睡眠を(ないがし)ろにする奴は職人失格だ! って、いつも親方が言っているじゃないですか。今はその食事中ですよ?」

「……」

「ですから、ね?」

「……フンッ!!」


 チャーリーはフリートの言葉に眉をひそめたが、突然拗ねるようにスープの皿を受け取った。そして、いまだあふれ出る怒りをその身に滲ませながら、黙々と食事に手をつけ始める。ドリスやフリートに口うるさく教え込んできた自らの信念を持ち出されてしまっては、さすがのチャーリーもこれ以上話を続けることができなかった。

 そんな父親の様子をドリスはいまだ緊張の面持ちで眺めていたが、チャーリーの後ろに佇むフリートから送られたウィンクを見て、ようやく胸を撫で下ろす。根本的な解決にはなっていないが、フリートのおかげでチャーリーの爆発はとりあえず回避できたようだった。

 すると、フリートがいまだ沈黙を守る男にスープの満ちた器を差し出した。


「さあ、あなたもどうぞ。今朝方イザベラさんから頂いたお野菜で作った、具沢山のミネストローネです。体が温まりますよ」

「……」


 にっこりと微笑み、男にスープを勧めるフリート。

 男は湯気越しに色とりどりの野菜が浮かぶ真っ赤なスープを見た後、その視線を少しだけ動かしフリートをじろりと睨んだ。温かいスープを一瞬で凍らせてしまいそうなその蒼い瞳で、隣に佇む巨体を威圧して見せる。

 ともすれば殺気すら感じさせるその鋭い視線に、フリートは体をびくつかせて小さな悲鳴を上げる。蒼い瞳に射抜かれ串刺しにされたフリートは、体の自由を奪われ竦みあがったまま硬直してしまった。

 だが、何があったのか、フリートは数秒もしないうちに体の硬直を解き、くすりと笑い出した。その様子に、男が初めて顔を歪ませる。


「……何故笑う」

「あっ、ごめんなさい。ちょっと、僕が初めて親方に会った時のことを思い出してしまって」

「……」

「……親方も、そうやって僕を睨んだんです。誰もが僕を怖がって逃げていくのに、親方だけは僕を真っ直ぐ見てくれて、受け入れてくれました。そして、ドリスさんも僕を怖がらなくて、それどころか笑ってくれたんです。この町で僕を怖がらない人に出会ったのは、それが初めてのことでした。だから、あなたで三人目だなと思って」

「……」

「その……あなたにどんな事情があるのか、僕にはよくわかりません。でも、親方とドリスさんはとっても親切で優しい人です。そんな二人があなたを(かば)ったのですから、僕もあなたは悪い人じゃないと思っています。だから――というのも変な話ですけど、良ければあなたのお話しを聞かせてもらえないでしょうか?」


 そうして、フリートはまたにっこりと男に微笑みかける。その穏やかで優しい低音が、男の鼓膜を震わせた。


「……」


 と、男がおもむろに木製のスプーンを手に取った。

 そして、ゆっくりとスープをすくい上げ、顔を歪めたままそれを口に押し入れる。血のように赤いスープがほのかな酸味と共に咥内に広がり、細かく刻まれた様々な野菜がうま味を滲ませながらそれに溶けていく。心地よい熱が喉を潤し、内側から優しい温もりを伝えていた。

 それは、まるで錆びた歯車を復活させる潤滑油のように、男の体内に染み渡って行ったのだった。


「……ベッセルだ」

「え……?」

「……俺の名だ。あんたらが聞いてきたんだろう」


 ぶっきらぼうにそう吐き捨てる、蒼い瞳の男。

 その態度は相変わらずで、歪んでいた顔も元の無表情に戻っている。だが、スープを口に運ぶ手は止まらずに動き続けていた。

 その様子に、ドリスとフリートは顔を見合わせ微笑みを交し合う。一方、黙って食事を続けていたチャーリーは、ムスッとした表情でベッセルを睨みつけた。


「……俺じゃなくフリートの説得に応じるとは、良い度胸だな小僧」

「勘違いするな。あんたらや獣人を信用した訳じゃない。俺は情報が欲しい。そのために、まずはこちらの情報を開示しただけだ」

「ハッ! かくまってもらった上に情報をよこせたぁ、ずいぶんと虫のいい話をしやがるじゃねえか」

「俺をここにつれてきたのはあんたの娘だ。かくまってくれと頼んだ覚えはない」

「ちょっ!? 何よその言い方! 私はただ、あなたが怪我をしていたら大変だと思ったからつれてきたのよ! 助けてくれたお礼も兼ねて!」

「……俺は気にするなと言ったはずだ」

「またそれ!? そうやって子供みたいに卑屈になるのやめてよ! 本当にそういうのキライ!」

「別に好いて欲しいと頼んだ覚えもない」

「はぁ!? 誰があなたのことを好きだなんて言ったのよ!」

「ちょっと待てドリス! お前こいつに惚れてるってのか!? そんなこと、俺は絶対に許さないからな!」

「お父さんまで何言ってるのよ!? 勘違いしないで!」

「お、親方もドリスさんも少し落ち着いてください!!」


 話しが脱線し暴走し始めたところで、フリートが慌ててブレーキをかける。控えめながらも雄たけびに似た声を轟かせ、全ての音をなぎ払った。それは、正にライオンの咆哮そのものであった。

 食卓に静寂が訪れる。瞬間、フリートはらしからぬ声を上げたことに気づき、すぐさま両手を口に当て息をのんだ。なるべく(おもて)に出さないよう気をつけていた獣としての本性が漏れ出てしまい、冷や汗をかきながら周りの様子を伺った。

 だが時既に遅く、ドリスもチャーリーも身を乗り出したまま動きを止め、口をポカンと開けていた。ベッセルは相変わらず微動だにしていなかったが、代わりに鋭い視線をフリートに差し向けていた。


「ご、ごめんなさい……僕、ひどい声を……」

「あ、いや……いいんだフリート。悪いのは俺達だ。すまなかった」

「ごめんねフリート。私もつい熱くなっちゃって……」


 そう言って、ドリスとチャーリーは気を削がれたかのように着席し、申し訳なさそうな表情を浮かべる。フリートも背中を丸めて俯き、すごすごと近くの椅子に腰を下ろした。

 先ほどの騒々しさから一転、微妙な気まずさが食卓に広がる。

 だが少しすると、チャーリーが大げさな咳払いをして、ベッセルに話の続きを促した。


「まあ、お前が自分のことを話すってんなら情報をやらんでもない。だが、俺は見ての通り修理屋だ。一体、何が聞きたいってんだ?」

「正確に言えば、あんたではなくそこの獣人から情報が欲しい」

「えっ!? ぼ、僕ですか!?」

「……俺は、ベリルの森に住むと言われている伝説の魔法技師に会いに行く。そのために、城から脱走してきた。

 俺の――人間の体を取り戻すためにな」

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