第4話
「隠してもためにならんぞ? チャーリー技師」
「……」
数人の番猿に囲まれた修理屋エマの店主チャーリーは、話しかけてくるその男を黙って睨みつける。
静まり返った店内に嫌味な声を垂れ流すのは、腫れ上がった頬が見るからに痛々しい、番猿の隊長チョップである。右手に持った特別製の拳銃で自分の肩を叩きながら、気色の悪い視線でチャーリーの全身を舐め回していた。
「……何度言われても、知らんものは知らん」
「そうか……しかしな、チャーリー技師。こちらには目撃情報が入っているのだ。貴様の娘が、奇妙な男と一緒にここへ入って行った、と言う情報がなぁ」
「……」
「もちろん、その男が我々の追う第一級犯罪者かどうかはわからぬ。貴様の娘と恋仲にある、どこぞの馬の骨かもしれぬからな。だからこそ、捜査をもってして疑いを晴らしてやろうと言っているのだ。わざわざこんな辺鄙で何もない町外れに足を運んでいるのだぞ? こちらの苦労も汲みとって欲しいものだが――まあ、これ以上そのような態度を続けるのであれば、あの柱のように貴様の体も風通しがよくなるだけだがなぁ」
「……帰ってきたのは娘だけだ。男など、知らん」
「……フンッ。愚か者めが」
チョップが眉をひそめ、拳銃を持つ手に力を込めた。
「ちょ、ちょっと! 何であいつらが!? って言うか、あの嫌味で気持ち悪くて偉そうなのに怪我してる奴誰よ!?」
扉の隙間から階下を覗くドリスが、自分の真下で同じように覗き見している男に勢いよく囁いた。男はドリスの言葉に答えぬまま、家中に響き渡る耳障りな声に顔を少し歪めて見せる。
「チッ、もうここまで追ってきたか」
「ちょ、ちょっと待って! 私達、一度も見つかってないじゃない! どうやって追って来たって言うの!?」
「さあな。近くの住民が通報でもしたんだろ」
「そんな訳ないわ! うちのご近所さんが、そんなことするはずない!」
「……どうだかな」
「何よその言い方! エドワードさんもイザベラさんも、家を番猿に売るような真似は絶対にしないわ!」
「……銃を目の前に突きつけられてもか?」
「――ッ!?」
男が静かに放ったその一言で、ドリスは言葉を飲み込んだ。
この男と出会った補充屋での出来事が脳裏を過ぎり、あの時の恐怖がじわりと指先に這い寄ってくる。
「番猿ってのは、平気でそういうことをする。奴らは、女王の命令を成し遂げるためなら何だってやるんだ」
「そ、そんな……でも! お父さんはそんなこと――」
『待てと言っているだろ!!』
勝手に階段を上ろうとしたチョップに、雷鳴のような怒号が飛んだ。
建物が崩れてしまいそうな程に轟いたその声に、チョップは驚きのあまり尻込みし、持っていた拳銃を反射的に構えてしまう。その銃口が捉えたのは、弾丸よりも鋭いチャーリーの視線であった。
脅しに全く屈しないチャーリーを捨て置き、チョップがドリスの部屋に踏み込もうとした瞬間の出来事であった。
「それ以上階段を上がってみろ、お前の命はないと思えこの腐れ猿が!」
「き、貴様! 私に向かってなんと無礼な!」
「無礼だぁ!? 無礼なのはどっちだ! 挨拶もなしに入ってきたと思えば、今度は娘の部屋に上がりこもうとしやがって! 俺の目が黒いうちは、テメェのような腐ったバナナに娘はやらんぞ!」
「な、何を言ってるんだ貴様は! これは捜査で――」
「そもそもなぁ! そんなヒョロイ体で俺の娘が抑えられると思ってんのか!? うちのジャジャ馬をナメんじゃねえよ! 俺もこの前、勝手に部屋に入って木槌でぶん殴られたんだぞ! しかも、女とは思えない馬鹿力だ! さすがの俺も一歩間違えばあの世行きだったんだからなあ!」
チャーリーは銃を向けられている状況も忘れ、怒りに任せてまくし立てた。後半は単なる愚痴と思えなくもないが、愛する娘を脅かす存在を目の前にしては、冷静さなど保ってはいられなかったのだ。
「ええい、黙れ黙れ! 黙らんか! 貴様等親子の技師認可を、この場で取り消してやってもいいのだぞ!」
「なっ――!?」
好き勝手に喋り続けるチャーリーに業を煮やしたチョップが、拳銃を突き出しながら叫び声を上げた。
ヒステリックな声が放ったその言葉に、一瞬にしてチャーリーの動きが止まる。口封じの魔法でもかけられたかのように黙り込み、悔しそうに歯噛みしながらチョップを睨みつけることしか出来なくなっていた。
「はっ! 技術者共は扱いが楽で助かるよ。技師認可がなければ、貴様等などガラクタ同然なのだからな。いいか! 女王陛下によって生かされている己の立場を忘れるな! そして、私の言葉は女王陛下のそれに等しいと思え!」
「――くっ!」
「ふふん、悔しいか? 悔しいのか? 反抗しても構わんのだぞ? 文句を言ってもいいのだぞ? その瞬間にこの店は看板を失い、親子共々機械に触れることも許されず、路頭に迷う哀れな捨て犬と成り下がるがなぁ!」
チョップの高笑いが店内に反響する。手も足も出ないチャーリーを蔑み、罵ることがどうしようもなく愉快で、笑わずにはいられないようであった。その声は聞くもの全ての気分を害し、部下の番猿ですら微かに苛立ちを覚えるほどである。自分以外の国民はすべからく愚か者であるという考えが透けて見えるような笑い声であった。
しかし、その笑い声をある物音が遮った。木板の床に厚めの鉄板が落ちたような、重くけたたましい金属音。それは、一階奥にある扉の向こうから聞こえたものだった。
「……調べろ」
その音に愉快な気分を邪魔されたチョップは、すぐに部下の一人を奥の扉へ差し向ける。命令を受けた番猿は、小銃を構えながら扉へと駆け寄った。
「両手を上げて出て来い! 抵抗するならば発砲する!」
扉に銃口を向けた番猿が、その先にいるであろう人物に向かって声を張り上げた。小銃のボルトハンドルを引き、銃弾の装填を済ませてから相手の返答をじっと待つ。
しかし、返ってくるのは静寂のみ。まるで反応がなく、一向に扉が開く気配がない。
「これが最後だ! 両手を上げて出て来い!」
語尾を強めながら、再度の通告をぶつける。
だが、やはり扉の向こうからは何も聞こえてこない。
痺れを切らした番猿は、鉄製の取っ手に小銃の先を引っ掛け、そのまま勢い良く扉を引き開いた。そしてすぐさま体勢を立て直し、開いた扉の先へ突入しようと足を一歩踏み出した。
だが、急に番猿は凍りついたかのように動かなくなってしまった。視線が目の前に釘付けとなり、手にしている小銃がカタカタと揺れ照準が乱れ始める。動作不良を起こした機械のようになった番猿は、明らかに尋常さを失っていた。
「ええい、何をやっているか貴様! さっさと中に踏み――ッ!?」
その様子に苛立ったチョップが、怒声を響かせながら番猿に歩み寄り扉の中を覗き込んだ。
途端、チョップもその番猿と同じように動きを止め、見開いた目がそこから離れなくなってしまった。金魚のように口をパクパクさせ、言葉にならない声が口から漏れ出て行く。
それは、圧倒的な恐怖。
チョップや番猿が持つ凶器ですら抗えない、巨大な恐怖がそこにあった。
両腕で顔を隠すように身を縮める、二メートルを越す巨体。
その手足には鋭く伸びた爪が光り、右手にはルビーのような赤色を放つ肉塊が握られている。鉄板でも入っていそうな厚い胸板に、黄金に煌く鬣。腕の隙間から見える口元からは、獣のような牙と鋭い眼光。そしてその足元には、斧にも似た大きな包丁が床に重々しく転がっていた。
獣人。
それも、町の南にあるベリルの森にしかいないとされている、ライオンの獣人だった。
獣人自体はさほど珍し種族ではない。レッドブリックにも様々な獣人が往来しており、国民として生活している者もいる。法律を犯した獣人を取り締まるのも、チョップや番猿達にとっては日常の一部だ。
だが、そんな彼等も、ライオンの獣人には出会ったことがなかった。普段からこんな町外れなど気にもかけていなかった番猿達は、この店にライオンの獣人がいることなど知る由もなかったのだ。獰猛かつ凶暴と噂されているライオンの獣人。初めて目にするそんな怪物を前にして、チョップ達が平然としていられる訳がない。蛇に睨まれた蛙、改めライオンに睨まれた猿であった。
「ご……ごめん、なさい……う、撃たないで――」
「ぎゃああああああああああ!!」
そのライオンが低く震えた声を漏らすと同時に、番猿達が隊長であるチョップを置き去りにして、悲鳴を上げながら一目散に逃げ出していった。
「ま、待て貴様ら! 私を、私を置いていくんじゃなぁい!」
その後を追うように、チョップもおぼつかない足取りで壁や扉にぶつかりながら店を飛び出していく。もはや自分達の任務など忘れ、チョップ達は脅えながら走り去っていったのであった。
「はっはっはっー! 見ろよフリート、いい気味だぜ! 二度と来んなこのクソ猿がぁ!」
「う……うぅ……」
逃げ出すチョップを見て爆笑しながら、チャーリーは獣人の隣へとやって来る。フリートと呼ばれるその獣人は、今だ大きな牙を剥き出しながら脅えていた。嗚咽にも近い擦れた声を漏らし、釣りあがった目元には薄っすらと涙が浮かんでいる。激昂しているようにしか見えないが、フリートは心の底から番猿の脅しに恐怖していたのだった。
「いつまで怖がってんだよフリート。もう大丈夫だっての。まったく……いつもながら怖がってんのか怒ってんのかわかんねえな、お前は」
「す……すみま、せん、親方……」
「ま、何はともあれお前のお陰で助かったよ。その泣き顔が役に立ったってのは、なかなかの収穫じゃねえか。自信持っていいぜ」
「……そんな自信、いりませんよ」
「なんだよ。どんなふざけた自信でも、積み重ねていきゃあそれなりになるんだぜ?」
「……そんなものですかね?」
「そんなもんだよ。俺が言うんだから間違いないさ。んで、今日のメニューは?」
「……アスパラの豚肉巻きです」
「おお、そりゃうまそう――」
ゴンッ――と鈍い音が響き、白目を剥いたチャーリーがゆっくりと床に崩れる落ちる。
チャーリーが倒れるのと同時に、床に鈍く光る橙色の物体も落下し、フリートが頭から水浸しになっていた。
上空より飛来したその橙色の物体は、ドリスが男の治療用に湯を張っていた銅の桶。状況を察したフリートが二階に目をやると、顔を真っ赤にしたドリスが投てき後のフォームで、倒れたチャーリーを睨みつけていた。
「誰が馬鹿力だ、このクソ親父!」