第3話
「次は南側のゲートだ! 急げ!」
「……」
町中を走り回る番猿の足音は、巨大なゴミ収集庫が設置してある路地裏にまで聞こえていた。しかし、それらは大通りであるレンガ道を駆けて行くのみで、路地に侵入してくる気配はない。今も三人の番猿達が声を張り上げ、忙しそうに走り去って行ったばかりだった。
「ねえ、いつまでここにいるの?」
ゴミ収集庫の中で身を縮ませているドリスが、隣で蓋の隙間から外の様子を窺っていた男に小声で文句を言う。それを聞いた男は蓋を閉じて中に戻ると、狭い空間で密着しているドリスの顔も見ずにボソボソと呟いた。
「……勝手にどこへでも行け。もう、お前に用はない」
「はぁ!? あなたが強引に連れてきたんじゃない!?」
「お前を放り出す時間がなかっただけだ。今のお前に人質としての利用価値はない。あの場から逃げ出す手段でしかなかったお前を、これ以上連れまわすつもりもない」
「何よそれ!? じゃあ、私が番猿に捕まっても良いって言うの!?」
「俺には関係のない話だ。それに、番猿達はあの局面で躊躇わずに撃ってきた。既にお前など眼中になく、案外気にも留められず無事に逃げられるかもな」
「――ッ!?」
男の言葉で、ドリスは先程の光景を思い出す。
男の言う通り、番猿達はドリスが人質となっているにも関わらず、何の迷いもなく一斉に発砲した。この男が逃げ出さなければ、自分はあの時に死んでいたかもしれないのだ。
「って、ちょっと待って! そう言えば、あなた大丈夫なの!?」
「……何の話だ」
「何の話だって、銃で撃たれたのよ!?」
「……お前が気にすることじゃない。俺は、人間じゃないんだ」
「……何それ? どういうこと?」
「……」
男は、何も答えない。じっと身をかがめ、わずかに差し込む日の光を見つめるだけであった。
ドリスは、男の言っている意味がさっぱりわからなかった。
だが、人質にされたとは言え、結果的に命を救ってもらったことになる。命の恩人に対してお礼の一つもしないのはドリスの流儀に反するし、あれだけの銃撃を受けて無傷である訳がない。そんな男を放って自分だけ逃げ出すなど、ドリスに出来るはずがなかった。
「まあいいや! とりあえずこっち来て!」
ドリスは男の手を掴むと、ゴミ収集庫から飛び出した。男は考えに耽っていたのか、ドリスに引っ張られるままに立ち上がるが、すぐにその手を振り払う。
「……何のつもりだ」
「いいから来なさいよ! 早く治療しなきゃ傷口が化膿しちゃうでしょ!」
「俺は気にするなと言ったはずだ」
「もう! 命に関わることを放っておける訳ないでしょ!」
そう言うと、ドリスは再び男の腕を掴んだ。男はその手から逃れようと腕を振るが、ドリスの手は吸盤で吸い付いたかのようにびくともしない。掴まれていない手で指を引き剥がそうともしてみたが、どうやってもドリスの指は動かなかった。
「ほら! 急いで!」
「ちょ、ちょっと待て! 離せ、おい!」
ドリスは男の声になど耳を貸さず、腕を掴んだままレンガ道に躍り出る。そして番猿達に注意しつつ、もがく男を引きずって、ざわめく町並みを縫うように走り出していた。
* * *
ドリスの家は修理屋を営んでいる。
エメラルドに溜まったマナを使って魔法を発現させ、そのエネルギーを機械の動力として作動させる『マナ機関』を専門とした修理屋だ。ドリスの父親であるチャーリーは、そのマナ機関を扱う職人『魔法技師』であり、仲間内では知らぬものがいないほどの名匠である。チャーリーに直せないマナ機関はないと評判で、町の外れにあるにも関わらず、客足は耐えない有名店であった。
ドリスの行き先は、その有名店でもある自宅だった。男の手を引き、番猿達の包囲網を掻い潜りながら進んでいく。男も初めは抵抗していたが、途中で観念したのか的確な判断と卓越した身体能力でドリスの先導をサポートした。
そして自然と協力体制になった二人の連携は冴えに冴え、一度も番猿に見つかることなく町の封鎖を抜け、ドリスの家『修理屋エマ』に辿り着いたのだった。
「お父さんただいま!」
ドリスは男の手を引いたまま店の入り口を走り抜けると、声を上げながら加速し、父親の真横を通って二階へと続く階段を駆け上がった。溶接面越しに飛び散る火花を見つめていたチャーリーが顔も上げずに「お帰り」と返答する頃には、男と一緒に自室に駆け込んでいたのだった。
「……」
チャーリーは溶接機を止め、面の下から顔を覗かせる。職人と言うよりは研究者に近い穏やかな顔つきを歪ませて、短い無精髭を擦りながら丸メガネ越しに周囲を見回し、ドリスの姿を探した。
「ドリス! 帰ったのか!?」
反射的にお帰りと言ったもののドリスの姿は見えず、確認のため二階の部屋に向かって声を張り上げる。しかし、店内にはチャーリーの声が木霊したのみで、愛娘の声色は轟かなかった。
「フリート! 今、ドリスが帰って来たよな!?」
今度は一階の奥にある扉に向けて声を送る。するとその向こうからは、重低音で雄々しく応答する男性の声が聞こえてきた。
「階段を上がる音が聞こえたので、帰ってきてるんじゃないですか? 何やら足音が多かった気もしますけど」
「足音が多かった!? どう言うことだそりゃあ!?」
「そんなこと聞かれても、僕は見ていないのでわかりませんよ――ああ、もう! 親方が話しかけてくるから落としちゃったじゃないですか!」
扉の向こうからは、それ所ではないといった返答が聞こえてきた。チャーリーはその声にむっとして、再び二階へと視線を送る。
「むぅ……」
言いようのない不安に駆られたチャーリーは、革製のエプロンを勢いよく脱ぎ捨てる。そして、シャツの袖を捲り上げながら、階段に足を一歩踏み出した。
「勝手に入ったらまた怒られますよ。先週、やっと許してもらったばかりじゃないですか」
「……」
扉の向こうから呆れたような低い声が響き、それを聞いた途端にチャーリーの足は動かなくなってしまった。
ドリスの部屋に招かれた男が目にしたものは、部屋中を埋め尽くす機械や図面の山々だった。
一目見ただけでは用途がわからないモノばかりで、完成しているのか未完成なのか、それすらも判断がつかない。天窓から差し込む日の光を受けて、そこかしこから煌く橙色や白色が乱反射している。どこかの機械室に迷い込んだ気分で、あどけなさが残る少女の自室とは到底思えなかった。
「そこに座って。今、救急箱を出すから」
ドリスは男に、入って正面にある作業台の椅子に座るよう促すと、近くの棚を漁って救急箱を取り出した。そして、作業台にあったポットから銅の桶に湯を注ぐと、自分も近くの椅子を手繰り寄せ男に向かい合って腰を下ろした。
「まずは背中を見せて。あれだけ動けるんだから酷くはないんだろうけど、化膿したらいけないわ」
「……必要ない。背中に銃弾は受けていない」
「またそうやって……あれだけの銃撃で、一発も当たってない訳ないじゃない」
「全て防いだ」
「え? 防いだって、どうやって?」
「……」
男は答えず、じっとドリスを睨みつけた。
だがドリスは、睨まれていることよりも男がどうやって銃撃を防いだのか、それが本当のことなのかという疑問にしか意識が向かなかった。
ドリスはそれを確認するため、男の背後に回ってみた。見ると、男の大きな背中を包む臙脂色のトレンチコートには、穴も空いていなければ血も滲んでいない。銃撃を防いだかどうかは別として、怪我をしていないのは本当のようだった。
「じゃあ、右腕を見せて。ボロボロに破けてるし、その感じは擦れて出来たものじゃないでしょ?」
ドリスの言う通り、トレンチコートの右腕部分には幾つか穴が空いていた。前腕に小さな穴が二つと、肘の辺りに内側から破裂したかのような大穴が空いている。ドリスはその穴を数えながら男の手を取り、傷を確認するためトレンチコートの袖を捲り上げようとした。
しかし、男は触れられること自体を拒否するかのように、その手をすぐさま振り解いた。
「……俺に触るな」
「――ッ!」
その言葉で、ドリスの我慢メーターは遂に限界値を振り切った。
怒りに染まった顔は昇ってきた血液でピンクに色づき、釣りあがった目はそのまま上空に飛び立ってしまいそうだった。もしドリスの頭に煙突があったのなら、盛大に蒸気を噴出していたかもしれない。
「さっきから何なの!? 例え掠り傷でも、放っておいたら病気の原因になるのよ!? 傷口から菌が入り込んで、手足が動かなくなることだってあるんだから! わかったらさっさと右腕を見せなさいよ!」
ドリスは怒りをぶちまけながら、問答無用で男の腕を掴む。だが、男は尚も抵抗し、迫り来るドリスの腕から逃れようとした。
「だから、やめろと言って――」
しかし、一瞬動き出しが早かったドリスの手がトレンチコートの袖を捕らえる。男はその手を再度振り払おうとするが、ドリスの手は固く口を閉じ、やはりどうあっても離れなかった。結果、ドリスと男は、無言でコートの引っ張り合いを始める。
そして数秒の攻防戦を繰り広げた後、耐え切れずに音を上げたのはトレンチコートだった。
大穴が空いた肘部分から繊維達の痛烈な悲鳴が響き、ドリスが引く方へと引き裂かれていく。
「きゃあ!」
遂に分裂したコートの切れ端を手に、支えを失ったドリスは床に転げ落ち尻餅をついた。
「イタタタ……もう! そんな事するから破れちゃった――」
痛むお尻を押さえながら立ち上がったドリスは、露になった男の右腕を見た途端、言葉を失い固まった。
本当であれば、思いっきり叱ってやるつもりだった。
被弾した男の腕を掴み――ほら見なさい! 怪我人なんだから強がるのもいい加減にして!――そう、言い放とうと思っていた。
しかし、それが出来なかった。
それは、男の怪我が予想以上に酷かったからではない。
男の怪我が、予想以上に軽かったからでもない。
目の前にある男の腕が、“見た事もないモノ”を携えていたからだった。
男の腕には、黒くて太い一本の溝が走っていた。そして、その溝の中には綺麗に並んだ幾つもの歯車が鈍い光を灯していたのだった。
「そ、それって……」
普通の人間には絶対にあるはずのない奇妙なモノ。ドリスには、それが鎧や手袋と言った防具の類でないことが見ただけでわかった。それは、完全に男の体の一部として埋め込まれている。この男の腕には、元からあったかのようにそれが存在しているのであった。
「……だから言っただろ。俺に治療は必要ない。俺は、人間じゃないんだ」
男はそう言って立ち上がると、蒼く光る瞳でドリスをきつく睨んだ。
「……」
男の目に映ったドリスの顔には、驚きと恐怖が色濃く現れていた。
仕方のないことだ。
男の周りでは、よくある出来事の一つ。男も、もう慣れていた。
誰だって、こんなおぞましい物を見せ付けられれば同じ反応をする。
別にいい。
自分は機械なのだから、気にする必要はない。
男はあれ以来、そう思って生き続けてきたのだ。
「――じゃあ、治療じゃなくって修理が必要ね!」
「……は?」
ドリスの意外な一言に、思わず腑抜けた声が漏れた。
先程までの表情とは打って変わり、ドリスは期待と興奮で目を輝かせている。男の腕を高価な宝石でも扱うかのように優しく持ち上げ、まじまじと、うっとりと見つめていた。
「そんな回りくどい言い方しないで、最初から義手だって言ってくれればいいのに」
「ま、待て。お前は勘違いをしている。これは義手じゃなく――」
「それにしても、かなり精巧な義手ね。本物の腕かと思ってビックリしちゃった。ああ、この質感素晴らしいわぁ」
「だから待て! これは義手じゃないって言っているだろ!」
愛おしげに自分の腕を見つめるドリスに言葉にならない恐怖を覚えた男は、逃げるように後ずさった。
ドリスはそんな男の様子を気にもせず、それどころか満面の笑顔を花開かせて男へ押し迫る。
「え!? じゃあ、本物の腕に機械を埋め込んでるの!? 何それ、すごい技術じゃない!」
「お前! 少しは話を――」
「誰が作ったの!? どんな技術!? 体への負荷は!? 神経系はどうなってるの!?」
「や、やめろ! ちょっと!」
「見せて! 教えて! 触らせてー!」
「おわっ!?」
興奮するドリスの勢いでバランスを崩した男は、迫り来るドリスに圧し掛かられたまま背中から倒れこんだ。二人が倒れた勢いで床に散らばった図面が巻き上がり、派手な音を響かせながらドリスの部屋が揺れる。
「ご、ごめん! 私、つい興奮しちゃって……」
図らずとも男を押し倒す形になってしまったドリスは、顔を真っ赤にしながら体を起こす。
だがその時、張り詰めた表情で部屋の扉を睨む男の顔が視界に入った。その鬼気迫る雰囲気に、ドリスの興奮が一気に覚める。
「どう、したの?」
「……銃声だ」