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婚約者は人間を食べる  作者: 伯灼ろこ
第一章 物語を集める
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 4節 人喰いの伝承

 このバルバランの大陸には、古くより”人喰い“の伝説がある。約1000年前より伝わるものであり、あまりに古い為か今では神話のような扱いと成り下がっているが、一部の町や村では今も事実として信じられている。

 つい先日のことである。マルゲッタ町の闘技場の見せ物であるヨーゼフが錯乱して命令を無視し、町人たちを喰い殺すという事件が発生した。死人は20余名にのぼり、普段は一番の賑わいを見せる闘技場には静かな”死“のみが残されていた。

 原因は明らかではないが、事件を目撃した者の話によれば、ヨーゼフが錯乱した際の餌は赤髪の少女であったという。この目撃談の何が問題なのかというと、餌が赤髪の少女という部分ではなく、赤髪の少女が”生きた状態で提供されていた“という点である。

 バルバラン大陸において赤髪という髪色は不吉の象徴とされている。何故なら、伝承にこうあるからだ。


”髪が赤く生まれた女は、10歳になるまでのあいだにグールにさらわれ、食べられる“


 バルバランを住処とする人喰い――グールは、人間の中でも特に赤い髪をした幼女を好むとされている。だから髪が赤く生まれた女は、必ず違う色に染める風習があるのだ。

 なのに、である。

 髪が赤く、明らかに10歳を超えている少女が生きているなど、バルバラン大陸においては絶対にあってはならない事実なのだ。運良く助かったのだろうと安易に考えてはならない。髪が赤いのに未だ生きながらえている少女こそがグールなのだと――そう判断して然るべきなのだ。

「だからオレはよぉ、あのとき餌である赤髪の女と本物のヨーゼフを見た瞬間に逃げ出したわけだ。おかげでホラ、頭から足の爪先に至るまで無傷で助かった」

 夜、マルゲッタ町の酒場で、無精髭を生やした男が隣りに座る金髪の青年に対してそう話していた。

 最近のマルゲッタ町の話題は専ら闘技場での事件のことばかりであり、大声で町長を非難する発言をしても誰も咎めなかった。

「呪われた伝承に関してはなぁ、マルゲッタ町には赤髪の女がこれまで生まれたことがないから、皆きっと気にしてすらいなかったんだろう」

「確かにマルゲッタには、赤髪の女性はおろか、男性にも赤髪の方はいらっしゃいませんね。……あと1つ、質問があります」

 空になったグラスにウイスキーを注ぎ、青年は男の自慢話の中で気になる点を引っ張りだす。

「貴男は、闘技場で飼い慣らされているヨーゼフとリグリが偽物であることに気付いていらっしゃったのですか」

「ん? おお、良いところ突いてくれるねぇ。うん、ありゃ同じ肉食獣でも、猛獣使いになら調教が可能なライオとトライだ。見た目はちょっとばかしヨーゼフとリグリに似てるが、バルバラン大陸には棲息していない種だ。きっとセンフェロン大陸から捕ってきたんだろうな。見慣れないライオとトライをヨーゼフとリグリだって偽っても、バレないって戦法さ」

 ウイスキーを全て飲み干し、空になったグラスを男性がテーブルに置いた隙を見計らって青年は次のウイスキーを注いだ。

「いいか、ヒック……。ヨーゼフとリグリってのはなぁ、人間には絶対に懐かないし従わない。ヒック。理由は、やつらの補食対象が人間だからだ。人間以外は徹底して食べない。たとえ赤ん坊の頃から大切に育てたとしても、1年後には育ての親は喰われる。ヒック……だが、その2匹を飼い慣らせたと公表したら、しかもショーまで開催するとなったら――集客数は膨大なものとなる。ヒック」

「町長なりにマルゲッタの経済について真剣にお考えになられた結果だったのでしょうね、非人道的な闘技場の運営も」

 それが神に悪と判断されたのかはわからないが、町長は本物のヨーゼフに喰い殺され、悲惨な最期を遂げた。事件後のマルゲッタ町には観光客はおろか商人すら寄り付かず、通常の町の運営すら危ない状態だ。

「皆、町長を恨んでる……ヒック。闘技場の経営が上手くいっていた頃はあんなに町長を持ち上げてたのによぉ……今、その家族は町を追われて離散した。ったく、都合の良い話だよなぁ……ヒック。……しかし……ヒック……ライオは一体、誰がヨーゼフとすり替えたんだろうなぁ……だって……ヨーゼフは……人間には調……教……でき……な……」

 グラスを握りしめたままカウンターに突っ伏し、いびきをかいている男性に酒場のマスターが話しかける。

「ああっ、またルドンさん! 今晩もここで夜を明かす気ですか? 娘さんが心配してるんですから、早く帰ってあげてくださいよ!」

 困ったもんだ、とマスターは肩をすくめる。そして隣りに座る金髪の青年へと視線を滑らせた。

「ははは、このお客さんはね、それと同じ話を他の方にもされてるんですよ。よほど気に入ってらっしゃる自慢話なんでしょうねぇ」

 マスターは苦笑いを浮かべ、男性の丸まった背中を叩く。

「私が彼を家まで送りますよ」

 青年がそう申し出ると、マスターは少し頬を綻ばせた。

「え? そんな、ご迷惑では」

「いえいえ。とても面白い話を聞かせて頂きましたし。それに娘さんを心配させるわけにはいきません。父親は早く帰って、愛する者と過ごす時間を大切にするべきです」

「そうですか……ではお言葉に甘えて。ルドンさんの家は、そこの前の道を真っ直ぐ南へ下がり、闘技場があった場所から西へ入るとすぐです」

「ありがとうございます」

 でっぷりと太った男性の重そうな身体を青年はヒョイと軽く持ち上げ、酒場の扉を開く。

「お客さんにもお子さんがいらっしゃるのですか?」

 それは扉を閉める直前にマスターから投げられた、特に意味の無い質問。青年はにこやかに頷く。

「ええ。私にも娘が……1人」

「そうですか。娘は可愛いですよね。どこの馬の骨かわからない男になど渡したくないものです」

「……渡しませんよ。他の男になど、絶対」

「ははは、その意気ですよお父さん!」

 青年は頭をさげ、扉を閉めた。

 外へ出ると、街灯の少ない町ではあるが月の光が異様に眩しく、青年は思わず目蓋を閉じた。

「しかし見た目に反して、この男はなかなか鋭い」

 ズルズルと男性の身体を引きずりながら、青年は呟く。声色こそ穏やかだが、表情からはそれまでのにこやかな笑顔は消えている。右頬に刻まれた十字傷が疼くのか、ときおり右手の中指で掻いている。

「昔は見た目が秀麗なものばかりを好んでいましたが、最近は中身というか……才能というものを重視するようになりましてね、私」

 感情の起伏無く、青年は淡々と語る。話しかけるというよりは、自問自答をしているようだ。

「……へえ……そうなのかい……。え? なに? 好きな女の話……?」

 青年の左肩に身体を預けながら、男性は低く曖昧に返事をする。

「食べ物の話ですよ。貴男は無骨な見た目に反し、なかなか美味しそうです」

「はははぁ……ありがたいねぇ」

「疑問に答えてあげますよ」

「……?」

「あの日、闘技場でライオを本物のヨーゼフにすり替えたのは私です」

「……。はは、そりゃいいや」

「さすがに肉食獣であるライオとトライの警備は頑丈なものでしたが、ヨーゼフの手にかかれば数秒で胃の中です。ヨーゼフの補食対象は人間のみですので、ライオとトライは野に放っておきました」

「へぇぇ」

「私の補食対象も人間のみでしてね」

「ふーん」

「生まれたときから人間しか食べられないこの身体を呪ってはきましたが、人生とはおかしなもので、今ではこの身体に感謝しています。何故なら」

 右頬の十字傷が熱を帯びる。青年は暗闇の向こうを見据え、ふぅ、と力を抜くように息を吐いた。

「――セゥノの為ならば、私はなんでもします。事実、なんでもしてきました。そう、なんでも、手段を選ばず。そしてこれからも……」

 通りの向こうで、こちらへ向かって走りながら片手を振る女性の影が揺れる。「お父さーん」と呼び声が響き、次第に意識を明確にし始めた男性は青年の身体を離れる。

 女性と男性が合流した地点で口喧嘩がはじまる。だが、あくまで微笑ましい内容である。こちらへ向けて頭を下げる2つの影。青年も軽く会釈を返し、来た道を戻った。

 町を出る。岩陰に隠れていた巨大な獣――体長およそ5メートル――がのっそりと起き上がり、青年を見下ろす。漆黒の体毛に覆われ、ギラリと鈍く光る黄色の眼と鋭く尖った牙が禍々しい。獣は頭身を下げ、青年が背に跨がったことを確認すると立ち上がり、野を駆ける。全身の筋肉がしなやかにうねり、無駄な動きを全て省いて走ることだけに徹する。人前を通過したとしても存在は認知されない――そんな速度である。

 この獣が主食とするのは人間であり、それ故に人間には従わない。しかし今、獣が青年に対して取っている行動は主従関係以外のなにものでもない。考えられることは、青年が獣にとっての補食対象から除外されており、その理由が人間ではないからと仮定するならば――。

「マルゲッタでは情報集めだけでした。すみませんね……アガレス。今晩は冷蔵庫の餌だけで我慢してください」

 アガレスという名のリグリの頭を撫でると、ゴロゴロと鳴る喉を指先に感じた。


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