2節 私の妹、僕の姉様
「――と、言うことなのですよ! これでしばらくマルゲッタ町での殺戮ショーの開催は不可能です。見せ物であるはずの獣が観客を襲ったなど、これ以上ない不名誉でありますよ! 町の信用を取り戻すことは、むこう30年は不可能だとお父様が言ってました!」
セゥノ・メルローズが住む屋敷は、バルバラン大陸の中央に位置する深い森の中に在る。父親であるランス・メルローズ伯爵の親子2人と2人の使用人だけで住んでいるのだが、実はランスにはもう1人、娘がいた。
「初めての人間の味はどうだった?」
メルローズ家の屋敷が建つ同じ敷地内には、古びた塔がある。高さは50メートルで、おそらく1000年以上昔からここにある。セゥノは家出から帰宅したあと、必ず最初に塔の最上階へ立ち寄る。そこはとても暗くて冷たい場所で、円形の部屋を真二つに区切るようにして何本もの鉄格子が差し込まれている。いわゆる牢屋のような部屋の奥にいる少女へ、セゥノは自分が見てきた物語を身振り手振りに話すのだ。
「あれれぇ? シォハはどうして私が人間を食べてみたことを知ってるです?」
セゥノは首が折れそうなほどに曲げ、問い返す。
「だって、君、言ってたじゃん。お父さんと同じ食事をしてみたい――ってさぁ」
鉄格子越しにセゥノへ言葉を返すのは、見た目も声もセゥノそっくりな少女だ。しかし綺麗に着飾っているセゥノとは違い、もう1人のセゥノは髪は伸び放題でぼさぼさ、服はセゥノが闘技場で餌扱いを受けていたときと同等の布切れである。痩せっぽちの青白い身体が痛々しい。
「そっかぁ、シォハは勘が良いですねぇ。ハイ食べてみましたよ眼球をね、カジッと。でも味は……想像していたのと違って……この世の地獄を味わったようでしたよ……」
がっくりと肩を落とすセゥノへ、冷めた笑いが降りかかる。
「あははは、当然だよ。むしろ、人間を極上の食べ物として扱っている君のお父さんが変人なんだよ」
「私たちの! お父様ですよ!」
どうもランスが自分の父親としての認識が薄い妹、シォハ・メルローズがこのような発言を繰り返すたびにセゥノも修正を繰り返している。
「でも……ありがとう。セゥノがこうやって家出をしてくれているお陰で僕は、塔から一歩も外へ出ない身でありながら世界のことを知ったような気でいられる」
シォハはセゥノからの話を聞くとき、必ずノートとペンを持ってメモをしながら聞いている。これまで50話にのぼる物語をまとめたノートは分厚い本となり、シォハの隣りに大切そうに置かれている。
前触れなく礼の言葉を述べられたセゥノは唇を薄く開けたまま、長い前髪で隠れたシォハの顔を見つめる。少しの間を置いたあと、顎をしゃくり、口角を吊り上げた。
「ふふーん、エライですか? 私ィ。ではご褒美のキスをしてください!」
前髪をセンターで分けた額を指差し、セゥノは請う。シォハは首を振る。
「まだ駄目だよ。君が僕のことを妹ではなく、弟と認めてくれることが条件だ」
セゥノはきょとんとする。
「なに言ってるですか。シォハは私の妹ですよ、お父様の娘ですよ」
「なにを根拠に?」
「だって、シォハは女子である私とそっくりです。妹に決まってます」
「その論理には決定的な欠損があるよ」
「ケッソン? そんなの、無しです」
「いいや、ある」
「無しですよ。……うう、もう! シォハはいつも理屈っぽいです、言ってる意味が難しすぎて意味がわかりませんであります! お父様なら、すぐにキスをしてくださるのに!」
セゥノの最後の言葉が、シォハのそれまで落ち着いた雰囲気を明らかに乱しはじめた。前髪に隠れた目は鋭くなり、それまで気分良くあがっていた口元はへの字に折れ曲がる。
「……君のお父さんは、君を愛しているよ」
「当たり前ですよ! あと、私たちのお父様です!」
シォハは吐き捨てるように笑う。
「はっ、なんにもわかってないんだな、オマエ」
「……なにがですか」
「まぁその方が良いのかもしれない。その方が、まだ少しこの幸せは続けられる……」
「シォハ?」
シォハはノートを抱えて立ち上がり、牢屋の奥へと消える。最後にお礼の言葉を残して。
「今日はありがとう。また新たな物語を期待しているよ……僕の愛する姉様」