終節 僕のお願い
危惧していた薔薇丘蘭人による追撃が結局行われないまま明くる朝を迎えた世ラたちは、予定通りチャーター機に搭乗することに成功する。
あの頃は失敗ばかりを繰り返していた逃亡劇が、今回はすんなりと進んでいる。世ラは、目の前でパイロットの男性にあれこれと指示を出している弟の背中を眺めながら、素直に感心していた。
目的地はどこだろう。滑走路を飛び立ち、飛行が安定した頃合いを見計らって世ラは紫ヲに尋ねた。
「――パリ。あそこの文化がね、センフェロン王国にそっくりなんだ。あくまで500年くらい昔の話だけど……歴史的な建造物とか当時のまま残っているし、世ラもきっと楽しんでくれると思うんだけど」
世ラは隣りに座る伊邑とたまに視線を交わしながら、わざとらしく頷いた。
「へー、紫ヲはフランスの歴史を見てきたの?」
「世界中、あちこちの歴史を見てきたよ。世ラが目覚めたときに、色々教えてあげたくて」
「あら。それは嬉しいけど、私がいなくてもシォハは随分と充実した人生を送っていたようね」
「やめて、その言い方。確かに大忙しな人生だったけど、鉄格子越しに君とお喋りをしていた時代の方が楽しくて、懐かしかった。不自由だったけど、好きな人が隣りにいる人生ほど幸せなものはないと……知ってるから」
話が長くなればなるほど、声が小さくなってゆく。世ラは肩を震わせ、口元を手でおさえた。
「笑うな」
低く絞り出された言葉はあまりに効力が弱く、世ラは散々に笑い転げたあと、有り難みに欠ける礼を述べた。
「なんだか今回の逃亡生活は順調そうだけど、食事は? そっちも順調なのかしら?」
世ラは、紫ヲと伊邑の2人の顔を同時に指差す。
「俺は、人喰鬼なのだろうか」
自身の存在について悩む伊邑に、人喰鬼である紫ヲが今朝の出来事を問いかける。
「でも、君はホテルで出された人間用の朝食を食べてたよね」
「ん……ああ、これまで25年間普通の食事をしてきたから、今まで通りの食生活をすることは難なく可能であると思う。だが、人間を喰べようと思えば……喰べられる」
「そう。じゃ、半人喰鬼ってやつかな? 新種だからわからないけど、人間と人喰鬼のハーフで」
「ハーフか……」
「ちなみに僕はパリに着いたらあのパイロットを頂こうと考えてるんだけど、厄も一緒にどう?」
あからさまに表情を変える伊邑に紫ヲは意地悪く笑いながら「冗談だよ」と言う。
「でもパイロットを食べようと考えてるのは事実。どのみちリヒテの為にも人間を狩らないといけないし……あ、警官である君の前でこれ喋っちゃうのマズい?」
伊邑は首を振るが、もとよりの警察官としての癖がここで現れる。
「月世野市内において、ここ数週間のうちに連続で発生していた人肉食事件の犯人だが……まさか、貴男なのか?」
否定も肯定もしない紫ヲの様子は、あくまで穏やかだ。
「どう思う? 君の自慢の推理では」
伊邑は両手の平をすり合わせ、息を吹きかける。
「……犯人の人喰鬼は、月世野市出身ではない。つい最近になって引っ越してきたという印象だ。何故なら、月世野市内においてこれまで食人事件は発生していないからな。ゆえに貴男は犯人から除外された……な。良かった。かといって薔薇丘が犯人だとも思えない。やつは、世ラと接触をはかる前に自分の存在を示唆するような真似はしないだろうからな」
「ふうん」
伊邑は人肉食事件からはじまる、これまでの情報や何の変哲もない日常の出来事まで満遍なく整理し、ふと、思い当たった。
「戸須田遥……」
人喰鬼であったトレジャスの生まれ変わりだと推測される彼女は、今年になってから伊邑の班に配属された。引っ越してきたかどうかなんてプライベートな会話はしたことがないため結局わからずじまいだが、伊邑はそこで推理することを止めていた。
「トレジャスの生まれ変わりだからといって、彼女も人喰鬼だとは限らない。けど、覚醒してからの彼女の身体能力はあきらかに常軌を逸していたよね」
推理を止めた伊邑の代わりに紫ヲが続ける。
最期はすっかり様変わりしてしまっていた戸須田遥だが、それでも自身の部下を信じてあげたいと伊邑は考えていたのだろう。彼にしては珍しく結論を出すことを放棄し、自分の膝に頭をうずめて眠っている世ラの髪を撫でた。
「イーヴォとお話したのは初めてだけど、なかなか面白かったよ」
上機嫌となった紫ヲに、「やっぱり君にもパイロットの肉片を分けてあげよう」と耳打ちをされ、伊邑は口端を無理やりに吊り上げながら頷いた。
日本からパリへのフライト時間が12時間であると知らされた途端に眠りに落ちていた世ラは、気まぐれに目覚めた時に紫ヲの姿が無いことに気がついた。膝を枕として借りていた伊邑も静かな寝息を立てており、起こさないように離れる。
パイロットに紫ヲの行方を訊ねてみると、貨物倉庫にいるとのことであった。ルマン=リヒテが隔離されているその場所で、主人に対して甘えた声で鳴くリディックの姿を見る。
とても薄暗い部屋で、真ん中に檻があり、ルマン=リヒテは鉄格子の間から紫ヲの身体に大きな頬を擦り寄せていた。極めて既視感のある光景であり、世ラは知らぬうちに眉間に皺を寄せていた。
「リヒテさんは相変わらずシォハ一筋ね」
生まれ変わった自分をかつての主人が探しにきてくれるなんてロマンチックなシチュエーションであるし、世ラも同等の待遇を受けている。だからこそ、嫉妬のような感情が芽生えるのだろう。
その心中を察してか知らずか、紫ヲは意味深く微笑みながらこちらを振り返る。
「そう言う君は僕一筋じゃないの? ちなみ僕は君一筋だけど。2万年から、ずっと変わらず」
ギュッと強く結ばれていた口元は緩み、そんな表情を引き締めるために世ラは視線をそらした。そこで気がついた。
「そういえば、髪、切ったのね」
セゥノの記憶にある限りのシォハの髪は背中につくくらい長く、それを青色のリボンで束ねていた。今の紫ヲの髪は、耳にかかる程度の短さになっている。
髪の話題について紫ヲは、少し不満げな表情になって答えた。
「君が死んじゃってからの話だけど……僕、よく女の子と間違われたんだよね」
理由を聞き、世ラは勢いよく息を吐き出した。
「あははっ、そりゃそうよ。私だって、シォハが妹だと信じて疑わなかったもん。私に似て綺麗だし、長い髪を束ねているものは、そう……リボンなんだから」
「うるさいな。長い方がセゥノとそっくりだし、鏡を覗けば君に会える気がしたからそのままで放置しておいたんだよ。けど、これじゃあ逆にセゥノに会える日が遠くなるような気がした。事実、セゥノが死んでから世ラが生まれるまでに2万年を要したし。だから近代に入ったときに、思い切って短くした」
自分が知らないシォハのその後の人生を想像し、世ラは即座に口を開いた。
「ずっと待っててくれて、ありがとう」
遠い昔に交わした約束だが、今でも色褪せることなく有効のままだ。今世も一筋縄ではいかなかった運命は、しかし最後はきっと微笑んでくれるはず。――そんな確信がある。
「イーヴォちゃ……違った。えっと……伊邑ちゃんとも再会できたし、リヒテさんは相変わらず紫ヲ一筋だし、なんだか、一気に家族が戻ってきたみたいで私、幸せだわ」
世ラは伊邑のあだ名を決めたようだ。まだ本人には伝えていないが、首を傾げながらも甘んじて受け入れようとする伊邑の姿を思い浮かべて紫ヲは苦笑した。
「そう……戻ってきた、か。ねぇ世ラ、これ、お願いしてもいいのかどうかわからないんだけどさ……」
紫ヲはルマン=リヒテの額を撫でていた手を離し、世ラの身体を引き寄せる。
「お願い? なに? 言ってご覧なさい」
世ラは目をぱちくりとさせている。その、まるで検討もつかないという表情が可笑しく、紫ヲは悩みつつ口を開く。
「――喋り方」
「え?」
「覚えてる……でしょう? かつての君の喋り方。今はすっかり普通の女の子になってしまったけど、昔はすごく独特な口調をしていたんだよ」
「……ああ……それがどうしたの?」
「あの喋り方がとても可愛くて、大好きだったんだ」
紫ヲが何をお願いしようとしているのか――把握した世ラは懐かしげに答えた。
「それ、他の人にも言われたことあるの」
「へえ? それは誰なのかな?」
明らかに声のトーンが落ち、また、誰であるかはおおよその検討をつけながら問う紫ヲの顔を見上げながら、しかし世ラは首を振る。
「誰だっていい。だって、すんごいお人好しだから、きっとまた世話を焼きに現れると思うし」
「僕的には二度と現れないでほしいな」
世ラは、憎まれ口を叩く紫ヲの頬を抓る。
そして強く叱責した。
「そんなこと、言うなであります!」
end.
閲覧頂き、ありがとうございました。
本編は本日で完結です。
日を置きまして(置くんか)、本編の『解説』と、ランス・メルローズ伯爵の過去編(セゥノ・ラトアニェ時代)を掲載しようと考えております。
まだもうしばらくお付き合い頂きたいです。(だが断る)




