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婚約者は人間を食べる  作者: 伯灼ろこ
第四章 幸せな目覚めのその先で
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 5節 伊邑 厄

 目覚めるというよりは無理やりに目蓋をこじ開けた。長きに渡る過去の旅から解放された瞳は、めまぐるしく変化する事象の波に飲まれ、今にも悲鳴をあげようとしていた。

 誰に何を訴えても信じてもらえず、向けられる視線は”同情“と”軽蔑“。次第に唇を閉ざしていった少女は、伊邑厄と名乗る若い刑事の前で再び顔を高く上げていた。

「随分と、お久しぶりですね。セゥノ」

 だが、とある人物との”再会“により――高く上げた顔は硬直をし、少女から表情を消し去った。

「人……違い、では。私の名前は凜堂世ラです……」

 真実で対抗をしてみるも、長い金髪をなびかせる男性の前では寝言も同然であり、ひどく動揺をしている胸の内を瞬時に見抜かれていた。

「恐れているのですか? 私を」

 男性は落ち着いた口調で、どこか悲しげに問いかける。少女――世ラは答えない。答えられない。

「私は人間ではありません。しかも、人間を主食とするバケモノです。だから、恐れているのですか? 違いますね。貴女は、”私に愛されること“が怖いのでしょう? それは――とても悲しいことです。

 愛を受け入れてもらえないどころか、拒否を叩きつけられることは辛く、胸が痛みます。だから私はその事実を認められないままに貴女を追い求めているのかもしれない。そのうえ、本来あってはならない禁断の愛に染まるあなた方を――放ってなどおけるものですか。

 私が貴女を愛した日、愛した理由をご存知ですか。それはもう気が遠くなるほど昔のお話です。

 その当時、貴女の名前はセゥノ・ラトアニェといいました。ラトアニェ公爵の愛娘で、世間を知らない典型的なお嬢様でしたね。世界にはびこる悪を、憎しみを、悲しみを、なにも知らないで育った真っ白な貴女。――美しかった。メルローズ伯爵家に生まれたバケモノなど、その視界に入れることすら罪だと思われました。

 真っ白な貴女は、真っ赤に染まった私を見て、なにを言ったか覚えていますか?

 ――それ、食べても身体に悪くないのですか?

 貴女は、そう言ったのです。今、まさに人間のはらわたを喰い千切っていた私に向かって。

 私が人間しか食べられない体質であると知った貴女は、いつも独りきりで食事をしていた私と共に並ぶべく、人間の指を口にしてくださいました。まぁ……当然、吐き出していましたけどね。ふふふ。

 なににも染まっていない真っ白な貴女は、優しく、気高く、眩しかった。だから……」

 穏やかに、昔話を懐かしく語って聞かせていた薔薇丘の口調は次第に乱れ、呼吸が荒くなった。世ラはビクリと両肩を震わせ、座っていた椅子から転げ落ちた。

「だから、弟と恋に堕ちた貴女を心底赦せなかった!!」

 腰と足に力が入らない。怖い。目の前の、昔となにひとつ変わらない姿をしている――婚約者にして父親のランス・メルローズが、怖い。

 世ラは何度も滑りながらも地を蹴り続け、背後へ逃れる。

「ねぇ、セゥノ、どうして? 貴女は言ってくれたではありませんか。私が可哀想だと、いつでも一緒に食事をしてあげると。どうして、その瞳には弟しか映らなくなったのですか? あの! セゥノそっくりの憎たらしいクソガキ! どうして生まれ変わる度にあの男は付いて回る? 貴女と弟はそれほど固い絆で結ばれていると――豪語するつもりか!!」

 もう、限界だと感じた。意識を手放しかけたとき、轟音と共に建物が揺れ、誰かの悲鳴が響き渡った。その数秒後だと思う。伊邑厄が部屋へ飛び入り、世ラを抱きしめた。

 消えかけた意識は繋ぎ止められ、自らの足で立ち上がる力を取り戻す。

 なにも考えずに走り出したわけではない。ランス・メルローズから逃れることはもちろん、自分のせいでこれ以上の被害を出さないため、そして、大好きな弟を探すため。

「……伊邑さん」

 後ろを、まるで護るように付いてくる若き刑事に呼びかける。

「なにも喋るな! 走ることだけに専念をするんだ!」

 この男性はまさか身を賭して自分を逃がしてくれるつもりなのだろうか。今日会ったばかりの、縁もゆかりも無い女を。

 馬鹿馬鹿しいと、世ラは嘲笑った。

「伊邑さん、薔薇丘がハンデを与えたとか言ってましたけど、あれ嘘ですよ。そんな話、私は聞いていませんし。だから、すぐにリディックによる追跡が開始されるはずです。お人好しの伊邑さんには死んでほしくないので、ここでサヨナラしましょう」

「ああ、その提案は受け入れられない」

「どうしてです? あなたはもう十分に私を助けてくださいました。御伽噺のような話を真剣に聞いてくれたし、逃げる力も与えてくれた。十分すぎる」

「いいから黙れ! 生きて、そして弟に会いたいなら俺を踏み台にして逃げのびろ!」

 世ラは我が耳を疑った。伊邑(この人)は、なんてことを言うのだと――。

 世ラは立ち止まり、後ろへ振り返る。憤怒に様変わりにした感情を顔いっぱいに乗せて。

「私はねぇっ……私を護ろうとして死ぬお人好しが大っっっ嫌いなのよ――!!」

 世ラが立ち止まった場所は、月世野警察署のちょうど裏口にあたる部分であった。外で待ち構えていた獣――リディックは、世ラを無事に確保するべく、その妨げとなる存在を容赦なく排除するために鋭い爪を振り上げた。

 このとき世ラが目撃した光景は、眼前をすり抜けた獣の太い腕と――その攻撃をかわすことなく片手で受け止めていた伊邑厄の姿である。

 キョトンと目を丸くしたその一瞬の時間に、伊邑は全身の力を振り絞って獣の腕を捻り――千切り捨てた。

「あ……え?」

 人間の頭が吹き飛ぶのとは段違いの血液がほとばしる。獣の断末魔が聴覚を奪い、しばらくの無音世界をみせる。音の無い世界の中で、あとずさりを始めたリディックに代わり、戸須田遥と名乗っていた女性が現れる。獣に負けず劣らず、人間技とは思えない動きと僅かにも見せない躊躇で伊邑へ襲いかかる。部下に対して躊躇を見せないのは伊邑も同じであった。銃を使用する戸須田の攻撃全てを確実に避け、回し蹴りの一撃でその胴体を半分に分離させてみせた。

 呻き声と悲鳴を発しているのか、戸須田がしきりに唇を動かしている。それを見下ろす伊邑の瞳が――緋色に変色していた。

「あ……」

 音の世界が津浪のごとく舞い戻る。いや、舞い戻ったのは聴覚だけではない。――記憶。遥か昔……どれくらい前なのか知るよしもないが、愛する者を失ったとき、悲しみに打ちひしがれている自分につぎはぎだらけの弟が言ってくれた言葉の記憶がある。



『本当にさ、僕らが昔話の中の双子の生まれ変わりなら、きっと「  」とも、またどこかで会えるよ。それがどんなかたちであれ』



 壊れた壁にこびりついていた肉片を視界に入れた伊邑は、戸須田の上半身を跨いで近づき、まじまじと見つめたあとに人差し指で取り除いた。赤黒く弾力のあるそれは、戸須田のものではない。薔薇丘が警察署に侵入する際に、邪魔者を排除した――その残りだろう。

「なんだろう、不思議だな。いつもなら、こういったグロテスクなものの処理に関しては全て鑑識に頼るんだが、自分で摘んでしまった。しかも素手でだ。それどころか今は、味わってみたいとさえ感じている。笑えるだろう」

 身体が真っ二つに裂けているにも関わらず未だ意識のある戸須田の目の前で、伊邑は肉片を口の中へ入れ、ゆっくりと味わってみせた。

 噛み心地、溢れ出す肉と血の味――

「ん……上手い。どこだかの名産品と名高い高級な肉よりも柔らかく、ジューシーだ。少しクセがあるが、これはこれでやみつきになりそうだ。ヤバいな、これで俺も人喰鬼の仲間入りではないか――」

 自嘲気味に笑う伊邑の瞳の赤みは増し、黒い髪の毛も灰色に染め落ちてゆく。

「ん? どうした、凜堂。お前はこんな俺を恐れるか?」

 極度の緊張状態なのか、頬を紅潮させている世ラの姿に気がついた伊邑は、徐々にバケモノと化してゆく自身の身体を嘲笑い、またその理由すらどうでもいいと感じ始めている心理状態を嘆いていた。

 世ラは顔を大きく左右に振り、伊邑の言葉を否定する。強く否定する。熱く、煮えたぎるような涙が流れた。叫びたい言葉を邪魔するように肥大化する喉を必死に震わせ、世ラは空気を飲み込み――吐き出した。



「イーヴォちゃん!!!!」



 凜堂世ラは思い出していた。

 思えばあの子は、いつも自分の後ろを付いてきていた。

 思えばあの子は、いつも自分を助けてくれた。

 思えばあの子は、自分の子供のように可愛い存在だった。


 伊邑厄は思い出していた。

 自分には母親のように温かい存在がいた。

 母親は自分のために危険な真似を繰り返し、餌を狩り与えてくれていた。

 母親は自分を子供のように可愛がり、いつも一緒にいさせてくれた。だからどこへ行くにも、母親の後を追った。

 母親を助けられず、愚かに死んでいった自分を呪っていた。

 そんな自分をずっと抱きしめてくれていた母親が――大好きだった。


「イーヴォ……? なんだ、その名前は。俺の名前はれっきとした日本名だぞ」

 彼の声に滲むものは涙か。口の中に滑り落ちるしょっぱい液体が、舌の動きを鈍らせる。

 伊邑は、世ラに呼ばれた名前を頭の中で復唱し――とある結論を導き出す。

「けど、嫌いじゃあない」

 彼はその名前をいつも呼ばれていた。呼ばれたら、すぐに応えていた。母親が大好きだから。どんな遠くに離れていようとも、必ず駆けつけた――

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