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婚約者は人間を食べる  作者: 伯灼ろこ
第四章 幸せな目覚めのその先で
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 3節 薔薇丘 蘭人

 松風の頭頂部に伊邑の拳が落ちたタイミングで、取り調べ室の扉が開かれた。顔を出した戸須田へ何事かと問うたところ、「誰かが来そうな気がする」と返事があった。

「お前はエスパーか」

 しかし冗談ぎみに突っ込みを入れる伊邑の瞳には、確かに”誰か“が映っていた。遠目ではわかりにくいが、男性だ。髪は長く金色で、それを三つに編み込んで背中へ流している。背もかなり高い。あきらかに署内の人間ではなく外部の者であり、誰の付き添いも無くこちらへ向かって単独で歩いている。これは非常におかしなことだった。

 伊邑は少しの不審を抱きながら廊下の真ん中に立ちふさがり、”誰か“の進行を食い止める。

「なにかご用ですか」

 訊ねる際に近くで見た男性は、はっと目が覚めるような美青年であった。歳の頃は20代後半くらいで、古傷が目立つ肌は白く、瞳の色は青色だ。――外国人か? と、伊邑は瞬時に考えた。

 その堂々たる佇まいはこちらが気後れしてしまいそうなほどの迫力があり、同時に、やましい考えなど抱こうはずもない真摯な瞳でこちらを見据えていた。

「失礼ですが、身分を証して頂きたい。ここは外部の人間が許可無く立ち入ってよい場所ではないので」

 疑いの眼差しを受けた男性は、着用しているスーツの内ポケットから名刺を取り出し、伊邑と松風に順に手渡した。そして丁寧に、穏やかに話し始めた。

「挨拶が遅れまして申し訳ございません。私は薔薇丘蘭人(ばらおからんと)と申しまして、児童福祉局から来ました。凜堂世ラさんがこちらへいらっしゃると窺いましたので、面談も兼ねて様子を見ようと思い、足を運びました。あ、ここへ入る許可も頂いております。連絡はいってないでしょうか?」

 男性――薔薇丘が自己紹介した通りの内容が名刺の中にも記されており、伊邑と同じく警戒をしていた松風は「なぁんだ」と言って薔薇丘に対して頭を下げた。

「児童福祉局の方でしたか! 申し訳ございません、連絡の行き違いがあったようです。えーと、凜堂世ラさんの件……ですよね? でしたら承知してますんで、どうぞ、中へ」

 松風は遠方からの来客を労うように座高を低く保ち、取り調べ室への扉を快く開いた。

 ――なんとなく、だ。

 伊邑が反射的に伸ばしていた右手は、薔薇丘という局員の動作を制止するためのものであり、しかし明確な理由も無いままに「ここへは入らないでください」などと言えるはずもなく、伸ばした右手は目的を達せぬまま宙へぶら下がった。

 児童福祉局が凜堂世ラの引き取りを申し出ていたことはすでに松風から聞いている。だから福祉局員を名乗る人間が現れることも自然の流れであった。ただ、来るのが少し早すぎるのでは――という疑問が、伊邑の中にはあった。

 松風に半ば追い出されるようにして外へ出てきた戸須田は、不満でもあるのか取り調べ室の中をジッと凝視している。その様相があまりにも必死であったため、伊邑は反射的に聞いていた。

「戸須田、あの男性が気になるのか?」

 すると戸須田は我に返ったように伊邑を見上げ、頭を掻く。

「え? えー……と。いやぁ、あの人、すっごいイケメンですよねぇ」

「……ただ見惚れていただけか」

 伊邑は自身が感じていた違和感を――てっきり戸須田も感じているものだと考えたが、どうやら思い過ごしであったらしく、大きく溜め息を吐いた。

「あっ、いや、まぁ、そうなんですけどー……」

 戸須田は歯切れ悪く言い訳をしようとするも、面倒になったのか再び取り調べ室内へ視線を戻した。伊邑も同じく視線を移し――眉をひそめた。

 室内では、薔薇丘を見る世ラの様子があきらかに尋常ではなかったのだ。脅え、椅子から立ち上がって部屋の隅に逃れている。松風が世ラをなんとかして宥めようとしており、薔薇丘はというと、当人も困惑したように眉を下げていた。

 しばらくして松風が部屋から出てくる。理由を尋ねると、「薔薇丘さんに、しばらく2人だけで話をさせてほしいと言われたんです」と答えた。

「凜堂さんはどうしてあんなに脅えているんだ?」

 伊邑は取り調べ室の小窓から視線を外さないまま、松風に問う。

「んー、なんか……“どうしてお前が!” ――とか叫んで、薔薇丘さんのことを知っている様子でした。でも薔薇丘さん曰わく、凜堂世ラとは初対面なんですよ。まぁ考えたらそれ当然なんですけどね。凜堂世ラは生まれてからずっと病院暮らしだったんですから、病院関係者と弟以外とは会ったことがないはずです」

「だが、あの反応は普通ではない」

「役所の人間を無条件に嫌う子もいますからねー。もう少し様子を見ましょうよ」

 取り調べ室の中での――椅子に座り、あくまで冷静に話をしている薔薇丘蘭人と、腰が抜けたのか床を這いずって逃げまわる世ラの普通ではないやり取りが、伊邑の神経を厭に刺激していた。

 爪先から脳天を撫であげる、この嫌悪感はなんだろうか。今年で勤務4年目となる警察官としての勘ではなく、伊邑厄が生まれ持った感覚が現状の静観を許さなかった。

 世ラの姿をまるで我が事のように受け止めている伊邑の背中を眺めながら、松風がぼそりと呟く。

「そういえば、伊邑さんも孤児院出身でしたっけ」

「……好きで孤児院を出身としていたわけじゃない」

「あ……ですよね。すいません」

「身勝手に捨てられたわけではないと、それだけは今でも信じているがな」

「そりゃあ、誰だってそう信じたいですよ」

「違う。確信があるんだ。俺の中に今でもあるずっと昔の記憶なんだが――母のような存在の人に、ずっと抱きしめられていた。それは大切そうに、愛情をこめて」

「へぇ……良い記憶じゃないですか」

「だが同時に、申し訳ないという悲しみの感情もあった。母はきっと、俺を捨てたくて捨てたんじゃない」

 松風は口をつぐみ、たった独りで生きてきた若き上司――伊邑厄の逞しくも寂しげな背中から目を逸らした。

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