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婚約者は人間を食べる  作者: 伯灼ろこ
第四章 幸せな目覚めのその先で
33/43

 2節 凜堂 世ラ

3月9日:節のタイトルを変更しました。


「少女との面会」→「凜堂世ラ」

 少女の前に立った伊邑は、何から話すべきかを迷った挙げ句、自己紹介から始めることにした。

「私は月世野警察署特別捜査班、班長の伊邑厄です」

「おっ、同じく月世野警察署特別捜査班の戸須田遥です」

 赤髪の少女は、黒いスーツに身を包んだ2人の大人をゆっくりと見比べ、伏せ目がちに口を開いた。

「私は凜堂世ラです。ずっと月世野総合病院に入院していました。今はお巡りさんたちが管轄している施設に預けられています」

 淡々と無感情に話す姿勢は、極限状態の精神を誤魔化すための防衛本能か、または怪しまれまいとして演技をしているのか、どっちだ――と伊邑は勘ぐりながら話を進める。

「事件が発生してまだ間もないのでお辛いでしょうが、なにぶん生存者が少ないため、当時の状況を把握するためには早めにお話をうかがわなくてはならないのです。ご了承ください」

「いいです、別に。わかる範囲でなら、全てお答えします」

「助かります」

 椅子に座り、少女と視線の高さを揃える。戸須田は少し離れた席に座り、ノートを開いた。

「凜堂さんには不思議な点が多々あるようなのですが――……まずお聞きしたいことは、貴女が何故、第3病棟の屋上にいたか、です。何かから逃げた結果ですか?」

「はい。アガレスから」

「は? ……その……アガレス、とは」

「病院を襲った獣の名前です。リグリとは違う姿をしていたから、たぶん、アガレスも生まれ変わったんだと思います」

 口をぱっくりと開いた戸須田が、言いたいことを視線に乗せて伊邑へ送るが、伊邑は首を振って質問を続けた。

「では凜堂さんは、獰猛な肉食獣が病院を襲撃したと――そう証言をするわけですね?」

「はい。もっと言えば、私を狙ったんだと思います。ギリス公爵家襲撃のときと全く一緒。だから、たくさんの人たちが死んだのは、きっと私のせいだわ」

「うーん……どうにも話が見えないですね。生まれてからずっと入院をしていた人間を、襲おうとする者がいるでしょうか。しかも、獣が」

 戸須田は、少女――世ラに調子を合わせて話す伊邑の背後へ移動し、不服そうに頬を膨らませている。

「アガレスは……きっと、メルローズ伯爵に指示をされて病院を襲ったんです。シォハが私を見つけてくれたように、お父様も私を見つけたんだわ……」

「シォハ、とは?」

「……私の弟の名前です」

「君の弟は、凜堂紫ヲ、という名前だろう?」

「今は……そう名乗っているそうですね。私と双子でありたいがために」

「では、メルローズ伯爵、とは? その人のことを何故、父親と呼ぶのですか?」

「……かつて、私の父でした。私の婚約者でもあったそう……。でも今は、敵です」

 考えるように視線をさまよわせる伊邑の視界に、調書をとることを諦めた戸須田の姿がうつるが、特に咎めようとはしなかった。

「質問を変えます。凜堂さん、あなたは生まれながらに心臓が悪く、1人では動くこともままならないほどの難病を抱えていたそうですね」

「はい」

「今は完治しているのですか」

「おそらく」

「動けるようになったのは、いつですか」

「病院が襲われたときです」

「ほう……それは、また随分とタイミングの良い回復でしたね」

「はい。直前まで私は眠っていました。起きたら、動けるようになっていたんです。でも、シォハ……紫ヲがどこにもいなかった。あのとき私は、アガレスから逃げるというよりは、弟を探して歩き回っていたんです」

「そうですか……。その弟さんの安否ですが、残念ながら不明で」

 伝えると世ラは下唇を噛み、拳を握りしめ、ここで初めて感情の乱れを見せた。両親に捨てられた自分を探し出し、身をていして看病を続けてくれていた弟のことをよほど大切に思っているのだろう。――誰にも、たとえ被害者であれ感情移入などしてこなかった伊邑だが、世ラを見て胸を痛めている自分自身に驚いていた。

「凜堂さん、実は寺納先生からの伝言があるのです」

「……はい」

 世ラはうなだれ、赤い髪が垂れ下がって顔が見えなくなっている。

「”心臓が良くなったから、次は皮膚の治療をしましょう“――と」

「え?」

 ビクッと顔を跳ねあげた世ラは、自身が着用している服の襟を引っ張り、その中を恐る恐る覗いた。

 息を飲む音が室内に響く。世ラの中で明らかに動揺を隠せない事態が――覗き見た皮膚に起きているようだった。

「え……なんで……私……なんで……」

 女性ならば誰しも己の肌の具合に関しては敏感だ。皮膚に疾患が判明したなら、それはショックであろうが――このときの世ラの反応は、結果を見てショックを受けるというよりは「何故こんなことになっているのか」という経緯に関して言葉を失っている様子であった。

「凜堂さん、家庭環境が落ち着いたら、病院へ行ってくださいね。きっと綺麗にしてくださいま」

「違うのよ」

 伊邑の励ましを遮り、世ラは目を見開いて訴える。

「私の身体っ……”つぎはぎ“だった――!」

 腕を掴まれ、必死の叫びを受け止めきれないと感じたとき、部屋の扉がノックされた。

「伊邑さん、ちょっと、いいですか」

 顔を覗かせたのは、伊邑の部下の1人である松風という名の男性だ。病院で世ラを保護した人物でもある。

 伊邑は世ラを戸須田に任せ、部屋を出る。松風は、神妙な面持ちで話を切り出した。

「凜堂世ラの実家に連絡したんですよ。引き取りをお願いしますって」

「うん。で? 拒否でもされたのか?」

「いえ……拒否とかの前に、うちには娘はいません、と……」

「まさか。松風、おまえ凜堂の親に一杯食わされたんじゃないのか」

「僕も嘘をついてるんだと思って食い下がったんですよ。でも相手は頑なに、娘はいない、と。いや、子供はいない……だったかな。しつこく責めたら、こっちが嘘つき呼ばわりされちゃって」

「息子までいないと言ったのか、そいつらは」

「はい。酷い親ですよ、まったく。強制的に呼び出しますか?」

「いや……そこまでは」

「ですよね。ちょうど、児童福祉局の方が凜堂世ラの引き取りを申し出てくださったので、そちらにお願いしましょう」

「児童福祉局? そんなこと聞いていないぞ」

「ついさっき電話があったんですよ」

「凜堂世ラの情報をどこから聞きつけたか知らんが、またタイミングが良すぎる話だな」

「とりあえず仮で許可を出しておきましたけど、酷い親に返すよりは孤児院の方がマシなんじゃないですか?」

 伊邑は眉をひそめ、扉の小窓から室内にいるか弱い少女を流し見た。

「……で、どうです?」

 伊邑の視線の先を追い、松風が問う。

「なにがだ」

「凜堂世ラですよ。あの子、ちょっと浮き世離れしてますよね。事件の話、ちゃんと聞けました?」

「まるで御伽噺を聞いているような気分だった」

「なんですか、それ」

「たぶん、あの子にとっては全て事実なんだろう。起きた事象の捉え方が俺たちと違うだけで」

「けど、病院を襲った犯人が獣だという証言は寺納正孝と桐宮秋人とも一致していますよ」

「うん。実は俺も犯人は獣だと考えている」

「ええっ、超現実主義者の伊邑さんともあろう御方がっ……。生存者の3人を怪しんでたんじゃないんですか!」

 松風はわざとらしくオーバーなリアクションをとり、伊邑から更なる本音を引き出す。

「俺はさほど現実主義でもないさ。未解決のままの人肉食事件も、犯人は人喰鬼だと信じているからな」

「マジっすか」

「まぁ、大真面目な顔をして上司にそれを言ったら強制的に精神鑑定所送りになるから、表向きは”犯人はカニバリストの異常者ではないか“と発表しているが」

「へぇー……人喰鬼、ねぇ。実在するんですかねぇ」

「する。……きっと」

「けど、月世野総合病院を襲ったのはどうして人喰鬼じゃなくて獣だと思うんです?」

 伊邑は腕を組み、人差し指を立てた。

「今回の被害者たちの遺体の状態だが、大きく引きちぎられるか、または咀嚼中に口内から飛び出た様子を連想させるものばかりだ。人間の小さな口で食べたにしては、有り様が豪快だなと違和感を感じていたから……超大型の獣が逃げ惑う人々を次々と噛み砕いていったのだと想像をすれば、あの病院の惨状は納得がいく」

 それは確信に近い推理だった。松風は小さな悲鳴をあげながら首を振る。

「でも伊邑さん、やっぱり獣の線は無いっすよー。だって、そんな大きな獣ならきっと目撃者だって多数いるはずですし……第一、獣が逃亡している今、被害は拡大していく一方ですってば」

「獣の潜伏先についてだが、実は思い当たる節がある」

 松風は相槌を打つことすら忘れ、伊邑の推理に聴覚を集中させた。

「――『月世野市立動植物園』。あそこに世界一獰猛な肉食獣が飼育されているんだが、これがまた大型でな。猫科で、学名は――リディック。体長は5メートルを越す巨体で、檻の大きさも餌の量も観客の数も人一倍だ。あの牙と胃袋があれば、人間など簡単に」

「待ってください。伊邑さん、まさかそのリディックってのが檻から抜け出して病院を襲ったっていうんですか? それ自体有り得ないですし、第一、病院までの距離はおよそ30キロメートルです。その間を誰にも気付かれずに、また誰も襲うことなく走行したのはちょっと……考えられないですね。それに被害者数は1000人強ですよ? いくら大きな胃袋があるとはいえ、収まらないです」

「ああ、だからあくまで推理だ」

 身振り手振りで矛盾を指摘する部下へ、伊邑はあっけらかんと答えた。松風は肩すかしを食らったようにガクリとした。

「えー……。推理っていうか、妄想っていうか……。大真面目に語る伊邑さんに騙された気分でいっぱいです」

「騙してはいない。俺はいつだって大真面目だ」

「ああ――……」

「なんだ」

「伊邑さんって、ちょっと天然入ってたりします?」

 松風の頭頂部に伊邑の拳が落ちたタイミングで、取り調べ室の扉が開かれた。顔を出した戸須田へ何事かと問うたところ、「誰かが来そうな気がする」と返事があった。

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