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婚約者は人間を食べる  作者: 伯灼ろこ
第四章 幸せな目覚めのその先で
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 1節 特別捜査班事件ファイル

 まるで暗い海の底でもがき苦しみ、海面を探してさ迷う水死体のような気分だった。


 *


 その日は月世野(つきよの)警察署にとって、過去に例を見ない大事件が発生した日であった。内容は、猟奇的且つ残虐性に富んでおり、被害の規模も最大であると――記録係は記している。

 事件発生場所は、月世野市内にある月世野総合病院。市内で最も大きな病院であり、働く者も利用をする者も数知れない。生と死の境目に立つこの建物が、一夜にして完全なる死に覆われてしまったその理由などすぐに判明するはずもなく、集まった警察関係者たちは皆揃って首を傾げていた。

「生存者は……いるのか?」

 目の前に広がるのは、血の海。例えではない。そこに申し訳ていどに残されているものが、おそらく被害者たちの”一部“だろう。身元を特定する作業を極めて困難としてくれる殺害方法は、巷で騒がれているとある連続殺人事件に似通っている。だが、被害の数があまりにも違いすぎた。

 目もあてられない惨状を前にした特別捜査班の班長の男性――伊邑厄(いおうやく)は、望みは無いとわかっていながらも、探さずにはいられなかった。

「病院関係者、患者、見舞いに来ていた人々――総勢1000人強、ですかね。ものの見事に”喰われ“ています」

 鑑識の係に就く者たちが膨大な枚数の現場写真撮影に明け暮れている隣りで、伊邑の部下である女性――戸須田遥(とすだはるか)がハンカチで鼻を押さえながら説明をしている。

「一晩でこの広い病院を全て血で塗り替えた犯人は、おそらく……というか絶対に複数ですね。ここのところ話題になっている食人事件と同一の犯人の可能性は非常に高いです。あいつら、グループで犯行を行ってたんですねぇ」

「生存者は……」

「えーと」

 戸須田は、特別捜査班に急ぎ伝えられたメモ書きの情報を読み上げる。

「医師1名、研修医1名、患者1名の計3人が生存していました」

「たった3人か」

「ええ」

「状態は?」

「医師と研修医は軽傷、患者は無傷です。運が良いとしか言いようがありません」

「その人たちから話を聞くことは可能か」

「はい。精神的ショックが大きいので今すぐには無理でしょうけど……」

 そのショックは、現場に集まった捜査官たちにも等しく与えられていた。

 あちこちに人体の一部が飛び散った現場から一歩外へ出た伊邑は、暖かな春の日差しを全身に浴びながら深呼吸を繰り返し――ふと、おかしい、と思い、病院へ振り返る。

「消毒ですか?」

 その姿を見ていた戸須田遥が、苦笑しながら呟く。伊邑は戸須田の冗談に返事をせず、改めて被害者たちの残骸を見つめた。

「もしこれ(・・)全てを人間が食べたなら、一体どれほどの数の人間が犯罪に荷担していたんだ?」

 被害の数は1000人強、人体において残された部位は僅か。これらを総合して考えると、犯人は被害者数と同等の数が存在しているか、または――。

人喰鬼(グール)、とか。ホラ、伝説上の人喰(ひとく)いですよ。やつらは胃袋が底無しだとか」

「――または、獣」

 戸須田の予想を遮り、伊邑は断言する。しかし直後、気がついたように訂正した。

「すまない、気にしないでくれ」

 伊邑厄は自身の黒い髪を掻きむしり、一呼吸置くと、現場へ戻って捜査を開始した。


 事件発生3日後、ただひたすらに被害者の身元特定とマスコミ対策に追われるなかで、伊邑厄は3人の生存者と面会をすることが可能となっていた。場所は月世野警察署内の取り調べ室である。

「つまり伊邑さんは生存者の中に犯人の一味が紛れ込んでいると考えているわけですか?」

 ノートを抱えた戸須田が、険しい表情を浮かべる伊邑の横顔を見やりながら言う。

「怪しいものは隅々まで潰していく。これが俺のスタンスだからな」

 答えを受け、戸須田は大きく頷いた。

 生存者1人目は、医者の寺納正孝(じのうまさたか)、52歳。事件発生当時は研修医の桐宮秋人(ぎりみやあきひと)と共に回診をしていたという。

 寺納は、白髪混じりの頭を少し垂れながら事件を振り返る。

「獣の雄叫びが聞こえたんです」

「――へ?」

 調書を取っていた戸須田遥は、素っ頓狂な声をあげ、戸惑う視線を伊邑へ送る。しかし冗談を言っている様子ではない寺納の話にしぶしぶ耳を傾ける。

「続いて、悲鳴と。これはとんでもないことが起きていると思った私と桐宮先生は互いの顔を見合わせると、合図をするでもなく走り出し、凜堂さんの病室へ向かっていました」

 伊邑は手元にある資料をもとに、寺納の証言内のとある箇所を指摘する。

「その桐宮先生と凜堂という名前の患者は、ともに生存していますね」

「はい。桐宮先生の安否に関しては共に行動をしていたので知っていました。病室に駆けつけたとき、凜堂さんはいなかったので……生きていてくださって本当に良かったです」

 伊邑は傾けた首を元の位置へ戻せないでいる。

「寺納先生は獣が人々を襲って回っていると考え、桐宮先生とともに凜堂さんの病室へ向かった。それは、何故ですか?」

「もちろん、凜堂さんを助けるためです」

「他の患者ではなく、凜堂さんを最優先にした理由を聞かせてください」

 捜査官からの鋭い視線を受けながらも、寺納は穏やかに答える。

「凜堂さん……凜堂世ラ(りんどうせら)さんは、私が担当をする患者でして……彼女は生まれつき身体が弱く、1人では起き上がることすらままならない――難病を抱えた患者さんだったのです。ですから、私たちが凜堂さんを助ける必要があった」

 寺納は、「そしてなによりも」と付け加え、続ける。

「生まれてすぐ、つまり0歳の頃から入院生活を余儀なくされている凜堂さんの担当をこれまで15年間続けてきました。凜堂さんは、私の娘のようなものなんです」

 その患者をいかに大切にしていたか――偽りの無い告白は容疑を晴らし、伊邑をすんなりと納得させていた。

「そうですか。これで貴男と桐宮先生の行動については納得がいきました。が……その凜堂世ラさんですが、重ねて聞きますが貴男方が助けたわけではないのですね?」

「はい。凜堂さんの病室には誰もおりませんでした。もしかしたら紫ヲくんが助け出してくれたのかもしれないと思い、私たちも避難をすることにしたのです」

「紫ヲ?」

「はい。凜堂紫ヲ(りんどうしを)――凜堂世ラさんの双子の弟です。凜堂さんの病室に泊まり込みで看病をしてくださっていました。それはもう熱心に」

 伊邑は手元の資料をめくり、生存者情報を再度確認する。

「現在判明している生存者は貴男と、桐宮先生、凜堂世ラさんです。ということは、その弟さんは死亡している可能性がありますね」

 寺納は呼吸を止め、目を伏せる。首を何度も振り、長い溜め息を吐いた。

「凜堂さんにとって、紫ヲくんが唯一の家族も同然だったのです。ご両親はこの15年、一度だって見舞いへ来たことがありません。思えば15年前――捨てられるようにして病院前に置かれていた籠の中に赤ん坊と、その名前を記したメモ用紙、人間が生涯を終えるとされる年数プラス10年分の入院費用が入れられていたときに、全てを悟るべきでした」

「紫ヲくんは生き別れたお姉さんをよく発見することができましたね」

「彼曰わく、血眼になって探した、と。紫ヲくん自身、そんな両親に嫌気がさしていたのではないでしょうか」

「そうですか……。凜堂世ラさんが発見されたのは、世ラさんが入院されておられた第3病棟の屋上だったそうです。近くに遺体またはその一部らしきものは無し。紫ヲくんの行方が不明である今、その非道な両親に世ラさんの引き取りを願うしかありませんね」

「え? いや、せめて他の病院へ移送してあげてください。難病を抱えたまま帰宅したのでは、厄介者扱いをされ、虐待が待ち受けているだけです」

 寺納は我が事のように必死に訴える。伊邑はそこである確信を得た。

「寺納先生、貴男はさきほど――世ラさんは自分の力では動けないほどの難病を抱えているとおっしゃってましたが」

「ええ! ですからこれまで入院を」

「世ラさんを保護した私の部下の報告によると、世ラさんは自力で歩いておられるようです」

「……え?」

「立ち上がる、座る、階段の上り下り、走ること――ありとあらゆる動作が、健全状態の人間と大差無いと」

「そんな……まさか……有り得ない。いや、それがまこと事実ならば神の奇跡として喜ぶべきなのだが、私が最後に見た凜堂さんの姿は、紫ヲくんに見守られながらベッドの上で眠っていた……」

 慌て、頭を抱える寺納の動作にも偽りが無いと判断した伊邑は、これ以上聞くことは無いとして立ち上がる。生存者の中で唯一存在が秘密に包まれている凜堂世ラを調べるべきであると――その確信を得ていた。

「待ってください、刑事さん。その……凜堂さんに面会するなら、次は皮膚の治療をと……伝えてください」

「? わかりました」

 取り調べ室から退出すると、戸須田も続いて出てくる。伊邑はすぐ隣りの部屋の前へ移動をし、扉についた小窓から中を覗いた。

 室内には、少女がいた。髪が燃えるように赤く、急激に回復したとされる病気部分を除けば、至って普通の15歳の女の子である。しかし事件のショックが大きいためか、心ここにあらずといった様子でぼんやりと宙を眺めている。細い肩がなんとも頼りなさげで、今にも崩れ落ちそうな儚さがあった。

「あの子も言うんですかねぇぇ」

 戸須田は苦笑いを浮かべながら伊邑の顔を見上げる。

「なにを?」

「や、あのー……獣が病院を襲った、とか」

「さあな」

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