殺戮ショー
とある小さな町の収入源は、闘技場で行われる殺戮行為であった。
飽くなく行われるその行為は毎日正午に開かれ、ほぼ同時にピークを迎える。猛獣の雄叫びと獲物を狙う動き、そして泣き狂う獲物の姿は町人の渇ききった日常に潤いと刺激を与えていた。
「今日の獣は何だろうな?」
太陽が真南にさしかかる前、すでに500席全てが満席となっている闘技場にて、観覧にきた男性が誰に問いかけるでなく、呟いていた。
「昨日はせっかちなヨーゼフだったし、餌が恐怖を叫ぶ時間が短かすぎた。俺としては、ゆっくりとなぶるように喰ってくれるリグリあたりだと有難いんだが」
この町の闘技場にて上演される演目は1つ。それは、人間が生身で獣と戦うこと。獣は狂暴極まりない肉食獣であるヨーゼフとリグリを使用し、対する人間側は武具も無く丸腰生身の状態で場内へ放り出される。今まで1000に上る回数を重ねて行われてきた決闘であるが、人間側が勝利を得たことはついぞ無いという。
「つまり……一方的な殺戮行為を見せることで収入を得ているわけですか」
それまで独り言を呟いてきた男性の隣りに青年が座り、話の相手となった。闘技場の運営方式について軽蔑をするでなく、ただ淡々と事実を整理している。
男性は揚々と答える。
「それを言っちまったらおしまいよ。そうさぁ、俺らマルゲッタ町の住人は、人間が無残に喰い千切られていく場面を高見の見物し、日頃の鬱憤を晴らしているわけさぁ。それにここ十数年のうちで、遠く離れた帝国バルバランからも見物人が訪れるようになったくらいだ。なかなか評判なんだぜぇ」
「餌となる人間は、どのような身分の者を選定しているのです?」
「王族から奴隷まで様々よ。ただ決まっているのは、犯罪を犯した者や敗戦国の捕虜など……同情をされない者ばかりを餌にしてっから、とくに非難はされてないみたいだぜ」
あと数分後に開演される殺戮劇場を前にして、男性は気分よくペラペラと喋る。手にしていた酒がほどよく脳をまわり、隣りにいたはずの青年がいつの間にかいなくなっていたことにすら気づいていなかった。
やがて開始の合図の角笛が鳴り響き、人間側が待機しているフロアの落とし格子が上がる。背を押され、遠くから見てもわかるほどにガタガタと震えた少女が姿を現した。場内は盛り上がる。
「俺は小さな女の子が喰い殺される様を見て喜ぶようなサディストじゃあないつもりだが……けど、不思議なもんで気分が高揚するなぁ」
男性は、すでにいない青年へと気分良く話し続けている。
15歳くらいの少女が着用しているものはみずぼらしく、一目見て奴隷であることがわかる。しかし玉のように美しい肌、美しい顔、燃え上がる炎のように赤い髪は目を見張るものがあり、きっとどこかの貴族の娼婦だなと誰もが根拠なく想像していた。
赤髪の少女が怯えた視線を向ける先には、もう1つの落とし格子状の扉がある。中から響き渡る唸り声と爪を研ぐ音は、その標的となるものを逃がさない。少女は助けを請うことすら忘れたのか、その場にうずくまった。
やがて獣――ヨーゼフが解き放たれる。太く頑丈な鎖を外され、空いた腹を満たす為に直進する。黄ばんだ牙がずらりと並んだ口内は、成人した人間を丸呑みにできるほど大きい。
「……今日は失敗ね」
中央の観覧席から離れた外野席にて、女性はそう呟く。下唇を噛み、非常に悔しそうである。
「バルバラン帝国から逃れてきた上玉の奴隷を捕まえて、逃がしてあげると嘘を吐いて連れてきたはいいけど……なによ、命乞いくらいしなさいよ。こっちはそれを期待してたっつのに」
女性はどうやら、闘技場の運営者に対して餌を提供する職に就いているらしい。報酬の額は、餌が生きていた時間によって変動する。つまり、圧倒的恐怖に対して潔く命を投げ出す餌の商品価値など、無に等しかった。
「今日の手取りは120フォルってとこかしら。……ったく、酒代にもならないじゃない」
手のひらの中に収まってしまうほどの情けない報酬を恨めしく睨みつけ、女性は太く息を吐き出した。
「貴女が、本日の餌を調達した方ですか」
気がつけば、すぐ隣りに見慣れぬ青年が立っていた。かなり高い身分なのだろう、着用しているものには皺一つ無く、洗練されたデザインは一目見て名の知れた匠の技であることがわかる。この闘技場でいうならば、平民が乱雑に席を取り合う一般観覧席ではなく、特等席あたりが相応しい人物だ。そしてなによりも、長く美しい金色の髪が眉目秀麗な顔立ちとよく合っていた。しかし右頬に深く刻まれた十字傷が、青年に隠された過去を暗に示唆する。
女性はしばし言葉に詰まりながら、ぎこちなく頷いた。
「こ、この町のやつらに娯楽を提供しているのよ。……ま、非人道的だと罵りたいなら勝手にどうぞ」
こんな仕事で生計を立てている自分は褒められた身分ではないため、自然と皮肉った言葉運びとなる。しかし青年の口元は緩み、目を細め、にこやかなる笑顔を浮かべていた。
「やはりそうでしたか。ありがとうございます」
「……え?」
呆気に取られる女性の手のひらへ、平民ならばしばらくは生活に困らないほどの金貨を乗せて、青年は立ち去った。その後ろ姿を見つめていると、場内から悲鳴が上がりはじめる。女性は素早い動きで闘技場の中央へと視線を滑らせた。普段の彼女ならば、このような動きはしない。何故なら、場内から悲鳴があがるのは至極当然のことであり、その発生源は100パーセントの確率で餌だからだ。しかしこの時の悲鳴は普段とは違った。餌の悲鳴と合わさって、観衆たちの歓声が鳴り響くはずの場内は――顔面蒼白となって逃げ出そうとする観衆たちの悲鳴のみが鳴り響いていた。
「え……?」
自分の横を次々とすり抜けてゆく観衆たち。その中央には肉塊と成り果てた人間の頭がごろりと落ちている。赤髪の少女のものではない。
「え……?」
事態がすぐに飲み込めなく、女性の視線は少女と獣を探してさまよった。ほどなくして少女が見つかる。闘技場の中央、民衆の乾いた日常を潤す為に開かれるショーのど真ん中に。死んではいない。むしろゆったりとした姿勢で腰を下ろして足を組み、あろうことかニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべていた。
獣はどこだ。少女が笑みを向ける先に獣はいた。実に美味しそうに咀嚼している肉は少女のものではなく、おそらく転がった首の持ち主のものであると想定するならば――
「町長……!」
マルゲッタ町の町長は、闘技場の運営を一手に握る人物だ。最初こそ町の住人の為にこしらえた娯楽施設であったものの、次第にショーの残虐性に囚われたのは町長本人であった。町の活性化と、莫大な収入は町長を狂わせていた。
そんな町長の末路は、自らが用意した獰猛な肉食獣に喰い殺されるというものだと想像をした者は――1人。
「どうして?」
理解ができなかった。あるはずのない出来事は、女性の思考を停止させたのだ。
「おいっ、お前も早く逃げろよ! あの獣野郎、目の前の子供じゃなくて観客を餌と見なしてやがる!」
偶然にも立ち尽くす女性を見かけた客の1人がそう呼び掛ける。
観覧席には逃げ遅れた者たちが数人、取り残されている。腰が抜けたのか、はたまた昼間から浴びるように飲んでいる酒のせいなのかはわからないが、女性にとって彼らを助ける義理はなかった。
「お、おい、あんたっ……」
制止の声を振り切って女性が向かった先は、ショーがよく見える特等席だ。そこから声を張りあげると、赤髪の少女にとてもよく届いた。
やめておけばいいのに、と自分を止める声が脳に響く。だが、問わずにはいられなかったことだ。
「ねぇ! セゥノ! あんた……あんた……誰なの?!」
張りあげた声は、獣の注意を容易く引く。
「バルバランから逃げてきた奴隷のあんたはさ、やっと自由になった矢先に私に騙されて悔しかっただろ! 獣の餌なんかにされて、憎かっただろ!」
「……お姉さん」
もはや何を言いたいのかわからなくなった女性の言葉を遮り、セゥノと呼ばれた赤髪の少女はするりとこちらを見上げた。セゥノと獣――2体の得体の知れない存在に見つめられ、女性はヒッと息を飲んだ。
「お姉さん、ヨーゼフってばね、せっかちなのですよ」
にっこりと可愛らしく微笑んだ少女の顔を見たのが、女性にとって最期の映像となった。