7節 言葉の要らない時間
「リヒテさん、明日の朝までよろしくお願いしますであります」
頭を撫でると、ルマン=リヒテはツンと高飛車な表情でセゥノから顔を背けた。
「……どうして泣いてるの」
暖炉の前で、イーヴォの頭を撫でていたシォハが帰ってきたセゥノを見てギョッとした。
「リヒテさん……私がイーヴォちゃんと出会ったばかりのときと、同じ仕草をしましたです」
それを懐かしく、そして悲しいと思うのはイーヴォが死んでしまったからだ。セゥノに懐き、甲斐甲斐しく後を追ってきた獣がどうしてこんな死に方をせねばならないのか。悪いことなんてしていないし、人間を食べるのが悪いだなんて言わせない。それはこの世界で一番偉く、そして尊い存在が人類であると勘違いした者のふざけた言い分だ。
「イーヴォちゃんは、ただ、生きてただけなのに……」
生臭いにおいが鼻に突く。ツンとした刺激もあり、身体に悪そうだ。その発生源は、間違いなくシォハの隣りに置かれたものであった。
「腐りかけだ」
シォハが言う。無情な現実は、セゥノの胸を激しく殴りつけた。
「濃い腐臭は足跡も同然となる。明日の朝には、埋めないと……」
わかっている。もうこれで本当のお別れなのだ。実際は10数時間前に別れているのだが、セゥノがそれを認めなかっただけ。認められるわけがなかったから。
「イーヴォちゃん……ごめんなさいです。私の”弟“を、紹介したかったのですが」
シォハは敏感にセゥノの言葉を捕まえ、気付いたら問い返していた。
「君、今、僕を弟だって認めた……?」
しかしセゥノは自分でも何故そう断言するのかはわかっていないようだ。
「んー、勘、ってやつです」
「はぁああ?」
シォハは額をおさえ、ぬか喜びをしてしまった己の浅はかさを呪った。
「じゃあさ」
シォハはセゥノの手を掴んで立ち上がり、簡易ベッドへ誘う。
「君のその”勘“が正しいことを僕が証明してやるよ」
今からまるでショーが始まるような文句だ。セゥノは単純にも期待を見せ、月明かりが最も照らす簡易ベッドに自分から足をあげた。
「でも」
しかし言い出した本人は、直前になって及び腰となる。
「証明をする為には、僕は、まだ隠していることを告げなくては……ならない」
セゥノは、自分そっくりの少年の顔を見つめ、口を開く。
「せっかく外へ出られたのに、シォハはつまらなくはないのですか」
「え?」
姉は突然なにを言い出すのか、シォハはベッドの上にゆっくりと腰を落とす。
「シォハ。その自由になった身でもっと色々な場所へ行ってみたいのではないですか。センフェロン大陸はもちろん、極寒の北の大地や熱帯の南大陸――……こんな逃亡生活、本当は嫌なんじゃないですか」
セゥノらしくない後ろ向きな意見に、シォハは咄嗟に反論をする。
「そんなこと、あるわけないじゃないか! だって、僕は、君のことが大好きなんだ! 僕に言葉を教えてくれた、文字を教えてくれた、世界を教えてくれた、生きる意味を……教えてくれた。数え切れないほどの感謝をしている。だから僕は君を救いたいと思ったし、君と一緒ならどんな生活になってもいいと覚悟を決めた。僕はっ……」
「――なら」
セゥノはにっこりと笑い、白い両手でシォハの顔を包み込んだ。
「私のことを信じて、全て話してくださいです。私、シォハが女でも男でも大好きです。人間じゃなくても大好きです。だって、私もシォハに感謝してるでありますからね。――生まれてきてくれて、ありがとです」
冷たく、しかし温かい雫が落ちる。シォハの瞳から流れ落ちるものが、簡易ベッドを濡らしてゆく。
「うはは、なんでありますか。涙って感染するでありますか」
セゥノの手を掴んで下ろし、シォハは一呼吸置く。そして、自身が身に纏っている衣服を剥ぎ取っていった。
「……?」
セゥノは首を傾げ、シォハの裸体に触る。首を傾げている理由は、シォハの上半身に女性特有の膨らみが見受けられないからではない。――皮膚の色が、斑であったのだ。
「これ……は?」
誰もが異常を感じる光景。セゥノ自身も多分に漏れず、普通ではない現象を感じていた。
問題となっている皮膚の色は白、黄、茶、青、黒。それらの色が混ざることなく集合をしている。よく見ると、色と色の境目には縫われたような痕がある。それは顔部以外の全身に及び、まるで”貼り集められた“ような皮膚の色にセゥノは言葉を失った。
「僕は、継ぎ接ぎなんだ」
自身の身体に触れる温かいものを感じながら、シォハは告白をする。
「塔の1階に、メルローズが拉致してきた赤髪少女たちの遺体があったことを覚えているかい」
セゥノはただ頷く。
「僕の身体は、その少女たちの身体の一部を少しずつ寄せ集めて造られているんだ。創造主は、ランス・メルローズ。だからやつは、僕にとっては本当の父親」
「あいつは……なんで、そんなことを……」
「君を造ろうとしたんだ」
間髪を入れずにシォハは答える。
「1000年前、婚約者である君を失ったメルローズは、君に会いたいが為に君を探し回った。でも会えない。だから、造ろうと考えた。同じ赤髪の少女なら、君に少しでも近づけることができるんじゃないかと考えてね。少女たちの中で、それぞれ君に似ている部分だけを抜き取ったんだ」
シォハはセゥノの肩を抱き、力を込めて引き倒す。
セゥノは目をまんまると見開いたまま、シォハの顔を見上げ続ける。
「およそ900年をかけて完成させた人体に、最後は意識を宿らせるだけだった。彼は祈ったそうだよ。そのときばかりは、信じてもいない神へ向かってね」
シォハの赤い髪を束ねているリボンがするすると落ち、セゥノの腹を流れる。
「祈り始めて100年。神の奇跡か悪戯か――宿った意識は別のもの。それどころか、女体としてつくった器からは胸の膨らみが消え、体つきは角張ってゆき、食事は人肉を好んだ。顔がセゥノ・ラトアニェにそっくりであったから、落胆も大きかった。彼は嘆き、しかし君そっくりのそれを捨てることもできずに塔の中へ閉じ込めた」
声を発する喉に痛みが走る。怪我をしたわけではないのに、シォハはなかなか次の言葉を吐き出せない。
「……君になり損ねた傀儡は、名前の無い人喰鬼になったんだ。それから彼が再び赤髪少女狩りを始めようとする直前かな……君が生まれたんだ。彼の狩りは、15年前のそれが最後だった」
ポタリ、ポタリと落ちる雫がセゥノの首筋を流れて胸の谷間へと落ちる。
「この身体の内臓1つをとっても僕じゃないんだ。誰かの寄せ集め。だから、この涙も僕じゃなくて誰かが流しているもの。痛む心臓も誰かが痛めているもの。僕なんて存在は、始めから、どこにも――」
「シォハ」
口をへの字に曲げたセゥノが、シォハの顔をきつく睨みあげる。
「では聞くであります。シォハが好きな人は、誰でありますか」
「それは、さっきも言った通り――」
「私、でありますね?」
シォハは頷く。
「その気持ちも、シォハじゃなくて別の誰かのものだと言うつもりですか」
誰かが奏でる心音を感じながら、シォハは首を振る。
「僕は、僕自身が君を好き……」
「――で、ありますね!」
セゥノはにっぱりと笑い、血色の悪い弟の唇に温もりを分け与える。
「身体が誰のものかなんて、ぶっちゃけ私には関係ないです。私にとって、シォハの意識が宿るものは全てシォハです!」
「え……なんだか嫌だな、その論理」
「贅沢言うなであります!!」
きゃらきゃらと楽しげな音を奏でる器官を押さえつけ、シォハは吹っ切れたように姉の身体を抱きかかえた。
「じゃあ、もう贅沢言わない。僕は僕自身の存在を認める。だから、セゥノ、君の中に僕の存在を刻んでもいい? 僕は、ちゃんと、ここにいるんだって――」
セゥノは「うーん」と考える。
「まぁ、私ももう結婚適齢期でありますし……認めてあげるですよっ」
「なにそれ。僕と結婚でもしてくれるつもり」
「はいです。故人の遺志を継いであげるべきです」
「?」
言っている意味は掴めなかったが、受け入れてもらえた事実がなによりも嬉しかったし、無上の喜びであった。
月明かりが仄かに照らす廃屋の中に聞こえるのは風の音と虫の鳴き声、倒れた食器棚が軋む音と互いの吐息だけ。
言葉の要らない時間は初めてだ。そんな確かなものが無くても、相手が感じていることは伝わる。愛おしいし、嬉しい。もっと感じたいし、もっと感じさせたい。
救い出された2つの身体は、元が1つであったかのように僅かな距離すら拒み続けた。




