4節 二人にとっての、たくさんの本当。
「セゥノ、それ、美味しそうですね」
ランスはうなだれるセゥノの肩を掴み、厨房の壁に叩きつける。すかさず包帯を取り外し、露わとなった傷跡に自身の唇を吸いつけた。
「え……」
セゥノの目が見開かれる。自身が父親に何をされているのか理解した途端、言いようのない拒絶心が全感覚を支配した。嫌だ嫌だと身をよじればよじるほどに、首筋に這わせる舌の動きが激しくなる。
「やめてっ、やめてっ」
「セゥノ、貴女が泣く必要はありません。私は、私と貴女の関係の邪魔をするものを排除しました。この罪は潔く被り、それでも貴女と共に前を向いて生きていくつもりです」
ランスはセゥノの身体をすくい上げ、血で染まった床へ押し倒す。すかさず上へ跨り、僅かな自由すら奪い取る。
「ずっと、私はそうしてきました。貴女に近付く男という男は始末しました。だって貴女はこんなに美しいから、また奪われてしまうことが怖くて怖くて」
胸元が大きく開いたドレスは、結婚適齢期に達したセゥノの女性的魅力を最大限に引き出していた。ランスは自身が欲情していることを素直に伝え、白く膨らんだ部位へ唇を落とした。
ビクリ、とセゥノの身体が一際大きく跳ねる。その反応が、ランスの情欲を掻き立てることになるとはついぞ知らず。
「セゥノ……私の婚約者。貴女はわかっている? 私が一体、どれだけの年月をかけて貴女を探していたかを」
ランスがセゥノを見る目、そして掛ける言葉はもはや娘に対してではなくなっている。
「1000年です。伝説となってしまうほど長い月日を生き、赤い髪の少女を漁り続けました。そして、1000年後、辺境の村でやっと発見したのです」
「お父……さま……止めろ」
「生まれたての、小さくて、小さくて、可愛い貴女。私の愛する人。私は更に待ちました。15年ではまだ早いかなと、我慢をしながら。でも」
「――――!!??」
唇の間からするりと侵入してきたランスの舌が、我が物顔でセゥノの口内を占領する。奥へと逃げるものを絡めとり、今度こそは二度と離すまいと己の感触を刻み込む。
「我慢していたのは失敗でした。15年後、貴女は、他の男に目移りをしていた」
誰のことを言っているのかわからず、セゥノはただ涙を流すだけ。苦しげに呼吸をし、信じてきた者の裏切りを落胆する。
「セゥノ・ラトアニェ。私のこの十字傷を覚えていますか?」
知らぬ名を呼ばれる。返事をしないでいると、頬をぶたれた。
「これはね、貴女の弟に付けられた傷なんですよ。火に炙られ、熱く熱く変形した鉄の鍵で」
金色の髪がたらりと垂れさがり、セゥノの身体を流れる。
――こいつは、なにを言っているんだ。
――1000年前?
――そんな大昔の話をされても知らない。ああ、でもアドルフから聞かされたっけ。その話を聞いた私は、悲しくて悲しくていたたまれなくて泣いていた。そのときはただ、登場人物たちの結末が哀れだから泣いていたに過ぎない。
――アドルフは、彼独自の見解で昔話を読み解いていた。私は鼻で笑いながら聞いていたけど、どうしてだろう、アドルフが立てた推論に従い、私の頭の中ではその光景が鮮やかに再現されていたのだ。
――懐かしく、悲しく、怖い光景が。
(もし、本当に)
――私が双子の姉で、そして婚約者がお父様だったなら。
(お父様は)
――私とその愛する人を死へ追いやった張本人……。
そして今の婚約者はシォハを監禁し、ギリス公爵家で食事目的ではない殺戮を犯し、アドルフを殺し、下僕のジーノを殺し、そしてイーヴォを殺して調理した。
セゥノが大切にしてきた人たちを死へ追いやったのは、1000年前から換算して合計何人にのぼるのか。
そして全てを終えたあとは、愛の告白。
これで一件落着のつもりなのか。
――嫌だ。
――こんなやつに愛されたくない。
「お父様……」
「ランス、と呼んでくれないか。昔のように」
ランスはセゥノの頬を撫で、もう片方の手でドレスを捲りあげた。白い足が露わとなり、冷えて固まった獣の血がねっとりと纏わりつく。
セゥノはぼんやりとした視界の中で、ずっとずっと昔から変わらない婚約者の顔を見つめる。
「ラン……ス……」
「そう、そうですよ。私の、私のセゥノ!」
「……。ねぇ……ランス」
「なんですか、セゥノ」
「今度は……」
セゥノは力無く放り出していた両手を伸ばし、ランスの首へと回す。このときのランスの喜びに満ちた表情は、セゥノの視界には入っていなかった。
「――今度は、お前が死ね」
鈍い衝撃音が厨房内に轟く。セゥノに乗しかかっていたランスの身体は血濡れの床を転げ飛び、壁にぶつかって停止する。ランスが転げた方向とは違う方を見上げると、そこには赤い髪の少年が立っていた。右手には剣を握っている。ただし鞘からは抜かれていない。
セゥノが小さく息を吐いたそのときだ。遠くから爆発音が響き、それは秒を追うごとに大きくなり――直後、巨大な炎が瞬く間にして屋敷全体を包みこんだ。
「…………」
「…………」
2人の赤い髪の人間は、互いを見つめあったまましばらく動かない。たぶん、言いたいことも言うべきこともたくさんあったはずなのだが、そんなことに神経を使うよりもまず、相手の存在を確かめていたかったのだ。
赤髪の少女の方は、ドレスをはだけさせた状態のまま仰向けで倒れている。
赤髪の少年の方は、伸びた髪を青色のリボンで束ね、そして比較的見栄えの良い上流階級らしい服装で佇んでいる。
「……その服、男性用であります、シォハ」
先に口を開いたのはセゥノだ。少し笑いを含ませながら。
「僕は男なんだから、男性用を着るよ、セゥノ」
答えたのはシォハだ。
互いの言葉が交わってすぐ、シォハは起き上がろうとしていたセゥノの身体をすくい上げるように抱きしめた。
「セゥノ……!」
強く、愛おしげに名を呼ばれ、セゥノもそれに応えた。
「……しぉ……は」
停止していた涙が再び目頭を刺激する。止める気などさらさら無かった。セゥノはシォハの首筋に顔を押しつけ、声をあげて泣いた。
これは、いつも鉄格子で隔たれていた2人にとっての、本当の出会い。本当の触れ合い。本当の会話。
シォハは嗚咽を漏らすセゥノの背中を優しく撫でながら、その視線を鋭く滑らせる。
「セゥノ、まだもう少し、我慢できるかい。屋敷に火を放ったから、ここはじきに落ちるんだ。早く脱出しないと」
「……は、い。あ、待ってくださいです」
シォハから離れたセゥノは、シンク台の上に置かれたイーヴォの頭部へ駆け寄り、抱え、振り返った。
シォハは顔をしかめる。
「それ、重いんじゃないの」
「重いです。でも、全部のイーヴォちゃんに比べると、ずっと軽いです」
「……だね」
セゥノは横目だけで倒れたランスを見やり、すぐに厨房を出た。
「あれ、死んだですかね」
かつての婚約者、そして父親を”あれ“呼ばわりするセゥノはもう気持ちを切り替えているらしい。
シォハは苦笑する。
「人喰鬼はしぶといから……どーだろ。なんせ不老不死だからなぁ」
「煮え切らない回答でありますね」
「ごめん」
火は容赦なく行く手を阻み、そのたびに進路を変える2人の背後に1つの陰が忍び寄る。




