3節 真っ赤な眼が、苦しそうに見開かれて
皿の数は、全部で8枚。うち4枚が1人分となっている。大きな鉄製の蓋に覆われた料理からは、赤い液体が染み出している。
セゥノは震える口元を押さえ、ダイニングルームに姿を現したランスを睨みつけた。
「め、珍しい……ですね。お父様が、私と一緒に食事、とるなんて」
「ええ。これからは毎日、欠かすことなく貴女と共に食事をとることを決めましてね。なにかおかしいですか? 父親が娘と食事をとることが」
セゥノは俯いたまま答えなかった。
ランスは、セゥノの為に用意した料理の――その蓋を開けろとトレジャスに命じる。「はい」と軽快に頷いたトレジャスは、手慣れた動きで蓋を次々と開けてゆく。
「ひっ」
料理と、目が合った。正確には片目か。
4皿あるうちの中央の皿に盛られていたのは、縦半分に切り分けられたジーノの頭部であった。
その他、左手が盛られた皿、左足が盛られた皿、左足半身が盛られた皿など。とくにこだわった味付けはしておらず、素材の味を楽しんでほしいというランスの思いが込められていた。
ちなみにジーノの右側についてはランスの皿に盛られている。
「こら、トレジャス。これはしてはいけないミスですよ」
ランスは何故かトレジャスを叱りつけ、右側だけになったジーノを指差して言う。
「はっ、旦那様、如何なさいましたか」
「これは人喰鬼ではありませんか。私が食べるのは人間だけですよ。罰として全て貴女が食べなさい」
「これはこれは、大変申し訳ございません」
トレジャスは深く頭を下げ、8枚の皿全てに盛られた”ジーノ“にかぶりついた。
「ぐえっ……えっぐ。……マズい……不味いいぃっ! やっぱり人喰鬼は喰えたもんじゃあねぇ!! ええっ、ぐぅえぇっ。しかもジジイときた。水分なんてありゃしねぇし脂ものってねぇ。くっそマズぅぅうう!!」
おいおいと涙を流しながら口の中にジーノを詰め込んでゆくトレジャスから逃げようと、セゥノは椅子から転げ落ちた。
「待ちなさい、セゥノ。私が貴女に食べて頂きたかったのはこんなものではありません。全く……トレジャスも歳には適わないようで、最近はミスを連発してくれますよ」
ランスは溜め息を吐き、食べたジーノを全て吐き出すトレジャスの横を通り抜けて自ら料理を準備する。
出てきた皿は一際大きい。人間をわざわざ切り分けなくとも、まるまる乗せられるほどの大きさだ。
転倒したままのセゥノの首根っこを掴んで椅子に座らせ、ランスは顔いっぱいに広げた笑顔でこう言う。
「我が可愛い娘に、是非とも食べて頂きたいものです」
大きくて、重い鉄製の蓋が開かれ、盛られた料理が徐々にその姿を現す。
セゥノは裂けそうなほどに口を開け、声にならない悲鳴をあげて泣きわめいた。
「イーヴォちゃぁぁああああん!!!」
とても大きな皿に乗せられていたものは、捌きたての新鮮な獣の肉。皮を剥いでいない為に元の姿を想像しやすく、更に親切なことに灰色の体毛までが残ったままだった。
「いっ、いっ、いいぃぃぃいいぼっ……いーぼ……イーヴォちゃん! イーヴォちゃん! イーヴォちゃん! イーヴォぉぉおおぉぉ」
セゥノは皿に乗せられた肉を両手いっぱいに抱え、ダイニングルームを飛び出した。おびただしい量の血液で形成された道を辿り、厨房へ飛び入る。
「っっ!!!!」
セゥノは抱えていた肉を全て落とし、シンク台に乗せられた灰色の獣の頭部へと走り寄った。
「いー、いー、いー」
真っ赤な眼は見開かれ、苦しげに歪んでいる。セゥノを見つめ、今でも助けを求めているかのようだ。生きたまま首を切り落とされた獣の破滅的なまでの苦痛が、その顔に現れていた。
「イーヴォ、ちゃん、私、ここにいるですよ。イーヴォちゃんから、離れたりしないですよ……なんで離れたんだよ私はよぉぉぉ」
流れた血と、飛び出した内臓は散乱し、蒸せるほどの体液の臭いで厨房は充満している。
「なんで、どうして、なんで、どうして、なんで、どうして、なんで、どうして、なんで、どうして……なんでだよぉぉぉちくしょうがぁぁあああ!!」
獣の頭部におおいすがり、セゥノは絶叫した。出したことのない声量で、抱いたことのないの憎しみを込めて。
「――セゥノ」
散らばった肉を踏みつけ、ランスが娘を追って姿を現す。ランスの姿を捉えた次の瞬間に、セゥノは近場にあった包丁を掴んで飛びかかっていた。
ぐさり、と、いとも簡単に包丁は胸の中に食い込む。鋭利な刃物がずぶずぶと肉と切り分けて進む感触が、柄越しに伝わる。怖いとは思わなかった。申し訳ないとも思わなかった。
「返せ! イーヴォを返せ!」
セゥノはそれを一度引き抜き、また別の場所に刺した。
「なぁ」
刺しては抜き、刺しては抜く。この動作を繰り返す。躊躇は微塵にもしない。
「どうしてイーヴォを殺したんだよ、なぁ。どうして私に妹がいることを隠してたんだよ、なぁ。どうして妹を見つけたことを報告したとき、溜め息を吐いたんだよ、なぁ。どうして妹を監禁してたんだよ、なぁ。どうしてアドルフを殺したんだよ、なぁ。どうしてジーノを殺したんだよ、なぁ。答えろよ。なぁ、なぁ? なぁ? なぁ? なぁ? 答えろって言ってんだろこのクソ人喰鬼ーーーー!!!」
絶叫に似た怒鳴り声に、止めどない涙が混じる。
「答えろっ……答えろ……答え……答えてくださいお父様……」
記憶の中には優しくて美しい父親の姿しか存在しない。大きな家で、そして伯爵という身分なのに使用人が2人しかいなくて、警備は世界最強のリグリとヨーゼフ。妹は塔の中で、父親とセゥノとは一緒に暮らさない。確かに奇妙な点は多かったが、幸せに暮らしていた。
「セゥノ」
ランスは両手でセゥノの顔を包み、ゆっくり問い返す。
「なぜ、殺したか、については――貴女にも同じことが問われることでしょう」
「! ……あ……」
「しかし自分を責める必要はないのですよ。人は誰しも罪を犯します。罪から逃れられる人などいない。私は全ての罪を受け入れ、全ての罪を抱え――生きていく覚悟をすでにもっております」
セゥノは唇を震わせ、包丁から手を放した。
「ねぇ……お父様……わたし……」
ランスは胸に深く突き刺さった包丁を引き抜く。穴だらけになった自身の身体など、とくに気にすることはなく投げ捨てた。
「痛かった? ごめんなさい、お父様」
謝る娘をランスは責めない。
「こんなの、痛くもなんでもないですよ。1000年前に貴女を失ったときの方が遥かに胸が痛かったです」
「……せんねん……まえ……」
ランスは、セゥノの首に巻かれた包帯から血が染み出していることに気がつき、口元を緩めた。
「セゥノ、それ、美味しそうですね」
ランスはうなだれるセゥノの肩を掴み、厨房の壁に叩きつける。すかさず包帯を取り外し、露わとなった傷跡に自身の唇を吸いつけた。




