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婚約者は人間を食べる  作者: 伯灼ろこ
第二章 1000年前
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 6節 人喰鬼

「うわぁぁあああぁあああ!」

 もう誰の悲鳴なのかわからない。開け放たれたダンスホール、逃げ惑う人々、ゆったりとした佇まいを見せるアガレス――。

 圧倒的絶望に、世界が満たされた瞬間だった。

「セゥノ!」

 アドルフは私を抱きかかえ、来た道を戻る。背後に迫る悲鳴を振り切り、前だけを向いて。

 真っ赤に塗り変えられた廊下を抜け、階段を降りる。そこは昨晩、マデリード男爵夫人を閉じ込めていた地下牢獄であった。

 アドルフは夫人の不在を気にしながらも素早く動く。私を降ろすと壁へもたれさせ、扉を閉めて内側から鍵を掛けた。すると部屋の中は真っ暗となり、どこに誰がいるのかすらわからない状態となる。

「アドルフ……こっち、です」

 手を伸ばすと、温かな感触に触れる。それは僅かに震えていた。本当は恐怖を叫びたいのだろうが、私を護る為に己を抑え、気丈に振る舞っている証しだ。

「セゥノ……」

 アドルフの温かな腕の中に包まれ、私は溜め息を吐いた。

「アドルフ、お前は、とんだお人好しです」

「……だね」

「グールの娘を助けるですか。自分の家族たちを放ったらかして。今頃、リグリに追われてますよ。泣き叫んでますよ。食べられてるですよ」

 アドルフは笑う。

「だって、好きになっちゃったからね。家族よりも」

「私、グールですよ?」

「違う」

「冗談じゃないですよ」

「いいや、違う。セゥノが本当にグールなら、人間以外の普通のご飯は食べられないはずだ」

「……ですか」

「あ、まさか、グールのことを知らないのか。ということは、伯爵がグールである事実を、今知ったばかりということになるね? やはり君に罪は無い」

 罪は無い。――この言葉が、私の胸を深く深く突き刺した。

「……有りますよ。私、お父様が人間を食べるの、知ってました。お手伝いもしてました。自分でも、人を殺したこと、あります」

 罪の告白。いや、これが罪であることすら私は、知らなかった。

「――ずっと、考えてたんだ」

 アドルフは私の頬に口づけをし、愛おしげに髪を撫でる。

「なにをです」

「昔話」

「1000年前の?」

「うん」

「ただの悲しい昔話です」

「違う。君と出会って、僕は僕なりの推論を立てた。そしてそれは、おそらく真実だと――思う」

「随分と勿体ぶるですね。早く教えろですよ」

 地鳴りがする。私はアドルフの胸に顔をおさえつけ、耳だけを傾けた。

「昔話は1000年前だろ? そして、グールの伝承がバルバラン大陸で語られ始めたのも1000年前……。この2つの話は、リンクする。つまり、昔話の中の赤髪双子の姉の婚約者はメルローズ伯爵。姉はセゥノの前世。愛する婚約者を失った伯爵は、セゥノの生まれ変わりを1000年もの間、探し続けていたんじゃないかな。その部分が伝承の中の、赤髪少女の誘拐事件に該当する。赤い髪にも関わらずセゥノが生きてこられたのは、セゥノこそが伯爵が探し続けていた婚約者の生まれ変わりだからだと、推理すれば――」

 地鳴りは激しさを増し、天井から小石の破片が落ちてくる。同時に小さな光の筋が地下牢に差し込んだ。

「どうかな、この説は。矛盾してないと思うんだ」

「うーん……飛躍しすぎじゃないですかね」

「そうかな」

「だって、その推理が事実なら、まだ1人が舞台にあがってないです」

「誰?」

「双子の弟、です」

「ああ、本当だね。――姉の、実の思い人。……シォハちゃんは妹だから違うよね」

「……。ええ、シォハは、妹、ですから」

「もしかして僕だったりして」

「どうでしょう」

「この状況でもつれないね、君は!」

 アドルフは笑い続ける。小さな光の筋が増えている様を眺めながら。

「私、まだ知らないことあるです」

「なんだい。僕でわかることなら、教えてあげよう」

「グールの、名の由来、です。人間を食べるからお父様は人間でなくグールだと……そう言われてもピンと来ないです」

「ははは、そんなことか」

 真っ暗な地下牢が明るくなる。アドルフは、胸ポケットから万年筆を取り出し、自らの手の甲にするすると文字を書く。

「”人を喰べる鬼“で、人喰鬼グールだよ」

「あ、なるほど」

 眩しい。眩しすぎて、人喰鬼の文字が光に隠れて見えなくなる。

「ねぇ、セゥノ」

 がらり、がらりと瓦礫が落ちる。砂埃が舞い、目が霞む。アドルフの声しか聞こえない。

「今のこの瞬間ももしかしたらさ、昔話として語られる瞬間が来るのかな。そのとき僕は、また君に出会えているのだろうか――」

 どうだろう。わからないね。

 まばゆい光の中、真っ黒くて大きな顔が現れる。私を抱きしめていた腕が離れ、空高くへと浮上してゆく。

 ああ、何か言うことはないだろうか。人間に対し、お父様やイーヴォちゃんと同じ目線で捕食対象としての見方しかしてこなかったけど、アドルフ、あなただけは違うよ。なんだろう。えっとね、言いたいんだ。こんな私を好きになってくれて、ありがとうって。赤髪だからって差別しないでさ。

「ありがとう」

 そうそう。お礼をいっぱい言いたいの。昔話を教えてくれたし、怖いおじさんや酷いお兄さんから私を護ってくれたし、シォハのことを心配してくれたし、人喰鬼の字も教えてくれたし。

「ありがとであります」

 感謝の気持ち、伝わったかな。眩しすぎて、わからないや。

「ははは」

 光の中、聞こえたのはやはり彼の笑い声だ。

「やっぱり、可愛い喋り方だ。あーあ、どうせ食べられるなら、君に」


――君に食べられたかった。


 ぐちゃん。

 皮膚を剥がし、骨を噛み砕き、内臓を丸呑みにする。味、食感、栄養、悲鳴が部位によって異なるから、人間の食べ方には楽しみがいっぱいだ。

 ぽたり、と私の頬に落ちたものを指でなぞり、口に含んでみた。

「んー、鉄臭い。ごめんなさいですよ、アドルフ。その願いは、どっちにしろ叶えられてあげられなかったです。だって私は」


――人喰鬼グールじゃないから。


 私は、地下牢の天井を叩き落としたアガレスを見上げた。アガレスは血に濡れた自身の口の周りをペロリと舐める。

「わかってますですよ。家、戻ります。ただし」

 垂らされたアガレスの尾に掴まり、屋敷の1階へとあがる。

 屋敷は、あの悲鳴が嘘のように静まり返っていた。血と体液の臭いだけを残し、貴族たちは跡形もなく消え去っている。アガレスの満足したような顔が、とても可愛かった。

「ただし、シォハを助けに戻るであります」

 伝承や昔話のことは関係無い。考えても仕方ない。ただ、目の前の問題を片付けるだけ。大切な人を、助けるだけ。

 助けたあとはどうするかなんて、そのときに考えたらいい。浅はかだろうか? 浅はかでもいい。とにかく行動を起こさなくては、なにも変わらないのだから。

「セゥノお嬢様!」

 血の海を踏みつけ、ジーノが私へ走り寄る。

 ジーノは息を切らせ、私の周辺をキョロキョロと見渡す。その動作は、誰かを探すときのものだ。

「アドルフ・ギリスですか? それならこの中です」

 アガレスの膨らんだ腹を指差してにっこりと微笑む私を見たジーノは、何かを悟ったようだった。

「覚悟を、お決めになられたのですね」

「なんの話でありますかー」

 アガレスが歩く後ろをついてゆく私を、ジーノはついてくる。前庭へ出たとき、私はイーヴォちゃんを呼んだ。灰色の獣はその巨体を揺らしながら鼻をスンスンと鳴らし、私に擦り寄った。

「イーヴォちゃん、ごめんなさいですよ。全ての餌をアガレスが食べちゃったであります」

 心なしか勝ち誇ったような笑みを浮かべるアガレスの後ろで、まだ息のある人間がもぞもぞと動く。それはアドレーだった。

「えっ、アガレスが食い尽くしてないっ……珍しいであります……」

 私は驚き、瓦礫の下敷きとなったアドレーに近づく。私の存在に気がついたアドレーは、自分が下半身を失った状態でも尚、私に対する敵対心を緩めなかった。

「このっ……バケモノ共……!」

 私は悩んだ。隣りにいるイーヴォちゃんを見ると、お腹をすかせて鳴いていた。

「アドレーさん、ごめんなさいです。バケモノと呼ばれて蔑まれようが、人間を食べないと生きられない限りは……仕方ないのでありますよ。私のお父様も、同様に」

 かぷり。イーヴォちゃんの喉の中を通ってゆくものを確認したあと、私はその背へ跨った。

 ジーノを乗せたアガレスがギリス公爵家を出る。イーヴォちゃんもその後に続き、私は約7日ぶりの帰路に着くこととなった。

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