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婚約者は人間を食べる  作者: 伯灼ろこ
第二章 1000年前
18/43

 5節 お父様が迎えにくる

「――妹さんは、監禁されてるのか」


 監禁。それは、嫌がる人を無理やりに閉じ込め、自由を奪うこと。

「……カン……キン……」

 シォハは、外へ出られない。それは誰の意思で? シォハの意思とは考えにくい。だって、シォハは外の世界のことを知りたがっていたから。私の話を、羨ましそうに最後まで聞いていたから。――ならば。

「いつから監禁されてるの?」

 もう冗談とは受け止めていないアドルフは、険しい表情で私に質問を続けた。

「……わからない、です。私が10歳になったとき、偶然に発見した……です。妹は、言葉も、文字も……なんにも知らなかったです」

 出会った頃のことは今でも覚えている。平穏でつまらなく、そしてたまに人間を殺す日常の中の、大きな変化。

「ならば、生まれてすぐに監禁された可能性が高いな。妹さんは感染力のある病気でも患っているのか? いや、だとしたらキスをしたセゥノが危ない」

「それは無い、です。10歳の頃から、ずっと傍でお話してるです」

「しかし、相手の体液を取り込むことによって感染する類の菌もあるからな……」

 アドルフは額をおさえ、太い溜め息を吐く。

「……はぁ、実の娘を監禁するなんて狂気の沙汰だ。しかしメルローズ伯爵には何度かお会いしたことはあるけど、とてもそんな人には」

 足の先が震える。シォハと出会ったときのことを思い出せば思い出すほど、震えは加速する。――私は今まで、とんでもない事実を見過ごしてきたのではないかと。

「私……外へ出られないシォハの為に、いっぱい冒険しました。いっぱい物語を集めました。いっぱいお話を聞かせてあげました。だから、今回の婚約パーティーも本当は乗り気じゃなかったですけど、参加したら面白い物語が……シォハに聞かせてあげられる物語が見つかるかなって……」

 どうしてだろう。今まで疑問に思わず、当たり前だと捉えてきたことが音を立てて崩れ始めた。

 ――お父様はどうしてシォハを閉じ込めているの?

 ――お父様はどうしてシォハの存在を私に隠していたの?

 ――お父様はどうしてシォハを育てなかったの?


 もしあのとき、私がシォハを発見しなかったら、シォハは暗い闇の中で今も、独り――……。


 怖い。

 心底、怖いと思った。


 シォハのことを思って、身体が震えた。

 シォハは何を考え、あの小さな窓から広い世界を覗いていたのだろう。

 シォハは何を思って、私からの話を聞いていたのだろう。

 シォハは何を感じて、私にキスをしたのだろう……。


「セゥノ……」

 気がつくと目からぼろぼろと雫が落ちていた。アドルフは私を宥めるように優しく頭を撫でている。

「……い」

「ん?」

 私は気持ちを言葉にして、必死に絞り出す。

「会い……たい。シォハに……会いたい」

 今すぐに帰りたい。全てを放り投げて、シォハに会いたい。会いたい。

(いや)

 ――助け出したい。

 私は立ち上がった。

 アドルフが片手を伸ばす。

「待ってくれ、セゥノ。これはもはや、僕1人の力ではどうにもできないことだ。事実確認も必要だし、すぐに動くことは難しい。ここはまず、父に話を――」

 笑いが漏れそうだった。ああ、アドルフ、あなたは何もわかっていない。

「アドルフ。私のお父様は、とても心配性です。とっても私のことが好きです。私の帰りが遅くなったら、必ず、迎えに来るで……」

 背筋を撫でる、嫌な予感。予感は、話し終える前に的中をし、甲高い女性の悲鳴がグレイディンの平穏を壊していた。

「なんだっ……?」

 悲鳴は外から聞こえた。アドルフは窓へ寄り、悲鳴の発生源を特定するために前庭を望む。アドルフの息を飲む音、出すことのできない声を聞いた私はおおよその予想を立てながら窓の前に立った。

 前庭には、爆破したかのように吹き飛ばされた門と、踏み潰されてぺちゃんこになった警備兵の死体が2体転がっている。その原因をつくったのは、漆黒の獣だ。見たことがある。見慣れている。体長5メートル、黄色い眼に血濡れた牙のそれは――

「アガレス……」

 この世界に存在する多くの肉食獣の中でも王者として恐れられている2体の獣のうちの一匹。――リグリ。

 リグリが何かを吐き出す。重量感のあるものだ。血と唾液にまみれたそれが、ギリス公爵がメルローズ伯爵家へ送った下僕の首無し死体であることは、すぐにはわからなかった。

「は……はは。そう来ましたか、お父様」

 リグリの周囲を見渡してみてもお父様の姿は無い。どうやらお父様は、今回は自ら出向くのではなく忠実なペットを送りこんだ。リグリ――名はアガレスを。

「どうしてですかね。いつもは、迎えにきてくださるのに」

「セゥノ!」

 首根っこを掴まれて後ろへ引っ張られなかったら、今頃私の頭はアガレスの口内にあったかもしれない。

 壁を破壊して屋敷への侵入を容易いものとした漆黒の獣は、背後から放たれた銃弾へと気を取られていた。

「アドルフ、セゥノ嬢! 今のうちに逃げなさい!」

 護衛の傭兵を10数人従えたギリス公爵が、アガレスを挟んだ向こうの廊下から叫ぶ。

「あ、無理ですよ。人間の力では、リグリには」

「セゥノ! 来い!」

 悲鳴が飛び交う中、アドルフは私の手を引いて走る。

 ねぇ、どこへ逃げるというの? この広くて狭い屋敷の中を。

 または外へ? いいえ、それこそ見晴らしが良すぎて格好の的になります。

 リグリから逃げられるわけがない。それは私が一番よく理解している。だって、今までずっと見てきたもの。リグリに捕食される人間たちを。――高見の見物をしながら。

「クソ……なんだよ、あの獣は! 我がギリス家グレイディンの門を破り、更に警備兵を2人も殺すなんて」

 アドルフは知らなかったようだ。教えてあげたほうがいいかな。あれはリグリだよ、って。私のお父様のペットだよ、って。

「アドルフ! こっちだ!」

 長男のアドレーが、廊下の奥でこちらへ向けて手を振っている。近くには執事と従者がいる。

 アドレーの後ろには扉があるが、どうやらその場所をシェルター代わりとして貴族たちを集めているようだ。

「兄さんっ、良かった、無事で」

 アドルフはアドレーと握手を交わす。

「ああ、お前もな。とにかくダンスホールへ入れ。あの獣を親父たちが始末するまでの間は、ここで身を潜める」

 始末? 身を潜める?

 アドレーはなにを呑気なことを言ってるのか。皆、もしかして本物のリグリを見たことがないのだろうか。それとも、いくら肉食獣の王者といえど、銃を持った人間には適わないと高をくくっているのだろうか。

 教えてあげるべきだ。このままだと、全員がリグリの胃袋におさまるわよ――と。

「おい、メルローズの娘。お前は駄目だ。ここへは入らせない」

 アドレーに止められ、憤慨したのはアドルフだった。

「兄さん! なにもこんなときにまで……」

「リグリ、なんだろ?」

「……え?」

 覚悟を決めたアドレーの顔を見上げ、アドルフは息を止めた。

「今朝、メルローズ家へ向かって出立した3人のうち、護衛の1人が命からがらに逃げ帰ってきたんだよ。つい30分ほど前に」

 声のトーンを落として話すアドレーの目は、ぎろりと私を見下ろしている。

「護衛の野郎はひどく怯えていた。当たり前だな。メルローズ家の門を叩いたら、出迎えに来たメイドのババァに護衛の1人が殺されたんだから。しかも、こう呟きやがったらしい。”あらまぁ、2回目の人はなかなか引き締まった肉ですねぇ。食べ応えがありそう“」

 私は唇をギュッと結んだまま、アドレーからの視線を受け止めた。

「下僕と護衛の1人はすぐに逃げ出したそうだ。しかし屋敷の陰から飛び出してきた獣に下僕の頭が喰い千切られた。獣が頭を貪っている隙に護衛の野郎は馬車に飛び乗り、片道10時間の距離をその半分の5時間で帰ってきやがった」

 アドレーは荒くなる呼吸を整え、可能な限り落ち着いた口調で自身の見解を述べた。

「正直、護衛の野郎の話を聞いたときは半信半疑だった。だが怯え方が尋常ではなく、その真偽を確認するべくセゥノ(お前)を探していた矢先の出来事だよ。――黒い獣による我がグレイディンへの進撃は」

 屋敷の入り口方面からは、発砲音と何かの破壊音、誰かの悲鳴、アガレスの雄叫びが聞こえる。段々とこちらへ近づいている気配すらある。

「きっと伯爵の命令で来たんだろうな、アイツ。すっげぇ忠実じゃん。そしてあのデカさと強さ、黒い毛並み、金色の眼、人間の味を好む性格――間違いない、あれはリグリだ。そして、リグリが従う相手はグールだけ。……本で得た知識だが、そのまんまだったからウケたよ。さぁ? どうだ、俺の推理はよォ……グールの娘!」

 胸倉を掴まれる。アドルフは制止しようとするが、アドレーの従者がそれを許さなかった。

 私の足が宙へ浮いた。アドレーとの体格差は歴然であり、子供のように軽々と持ち上げられてしまうのは当然だ。

 私は、少しばかりの胸の苦しさを抱えながら口を開いた。

「人間って……食べて何が悪いです?」

 左半身に重い衝撃が走る。どうやらそのまま床へ投げつけられたようだ。私は何度も咳き込み、近づくアドレーを見上げた。

「やっと正体を現したか、グールめ」

「止めてくれ、兄さんっ。セゥノはグールなんかじゃないよ!」

 アドルフが私を庇う。未だに庇う。この人は本当におめでたい人だ。

「ああん? 今、はっきりと自白しやがっただろ。私はグールですって」

「冗談だよ! セゥノは、いつも冗談ばかりを言って僕を困らせるんだ……」

「けっ。恋は盲目だと言うが、アドルフよ、てめぇマジで洗脳されてやがんな」

「兄さんこそ、メルローズ伯爵がグールだからと言って、娘まで同じグールだとは限らないじゃないか。もっと冷静になって」

「それはこっちの台詞だ――あ?」

 アドレーは、もうアドルフを見ていなかった。私へ視線を移したわけでもない。真上を、真っ直ぐに見上げていた。

「おや……じ」

 アドレーが見上げていたものは、脊髄から切り離されたギリス公爵の頭であった。

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