その八
第三章 彼女とデート
駅を見下ろせるビルの屋上でぼんやりしていると、視界の隅に気になるものを捉えた。
ぼんやりしていたとはいえぼくの目だって高性能。見慣れたものや危険なものは見逃したりしないのだ。
意識を目標へと移し、ピントを合わせる。
「……神崎さん……?」
もう一度確認する。うん。間違いなく神崎さんだ。
9時前に駅前にある宝くじ売り場の前で、という確認を昨日の帰りにしたし、おやすみメールでも9時にねと打った。にも関わらず今の時刻は8時6分。待ち合わせの時間までだいぶ先であった。
まあ、そういうぼくも早いのだが、家で時間まで待っているとおばさんがなにかと世話をやきたがるのだ。
初デートなんだから決めなさいとか、ハンカチ大丈夫かとか、どこに行くのとか、まるで自分がデートするかのようなはしゃぎっぷりなんだもん、付き合えきれないから出てきちゃったんだよ。
「そんなことはどうでもいいとして、なんでジャージなんだ?」
あ、いや、服装が悪いとかじゃなくて、ぼくが知っているデートというのはおしゃれしてくると認識してたからさ……。
「でもまあ、神崎さんならありかもね」
神崎さんがいつも着てくる服は動きやすいものばかりだった。これぞ女の子という服はなかったはずだ。それにデートは遊ぶ意味もあるらしい。なら動きやすいものを着てきたんだろう。
そう理解するとともに走る理由に気がついた。
「───トイレか」
それなら走るのも当然だよね。
「女の子のトイレなら10分くらいだろうし、そろそろ行ってみるか」
路地側に移動し、雨樋を伝って下へと下りた。
ズボンにつけた帽子をかぶり乱れた服を整える。一呼吸してから感覚を閉じる。
人前に出るときは気配まで消すのだが、これからデートだというのに気配を消してたら神崎さんに失礼ってもんだ。素の自分を見てもらうのもデートらしいからね。
最後に今きましたという雰囲気を出して表通りに出た───とたん、異様な気配が迫ってくるのを感じた。
感覚を閉じているにも関わらずそれを突き破ってくる気配に驚いて振り向くと、猪の突進にも負けない勢いで駆けてくる4人の女の子がいた。
背の高い女の子を先頭に皆が凄い形相で、周りなどこれっぽっちも気にしない。一心不乱に獲物を狙っているかのようだった。
……あの子たちが本当に猪なら狩ってみたいもんだ……
そんなどうでもいいことを考えながら猪っ娘のために道を譲った。
感謝の言葉もなくぼくの前を駆け抜けて行った猪っ娘たちは、駅前の広場で立ち止まり、鋭い眼光を辺りへと放った。
……なんだか本当に猪を狩りたくなってきたな……
「本当にこっちにきたんですかぁ?」
「知るかっ! こっちに駆けて行く姿がそれらしかっただけなんだからッ!」
「もー! だったら前を走らないでよ!」
「素直に信じたあたしたちがバカなだけですぅ」
「とにかくここで騒いでてもしかたがないわ。目的地へと行きましょう。8時16分の電車なら十分追いつけるわ」
「チクショーッ! 見つけたら絶対殴ってやるッ!」
最後まで世間の目を気にすることなく駅の中へと駆けて行った。
「女の子は謎だね~」
そう切り捨て、歩き出した。
宝くじ売り場の前までくると、駅の中から神崎さんが出てきた───のだが、その姿は先ほどのジャージ姿ではなく、とても女の子らしい服装に変わっていた。
髪もいつもなら自然に垂らしているのに今日はうしろで纏めて、薄くではあるが唇がピンク色に染まっていた。
ぼくを見つけた神崎さんは、ちょっと驚いた顔を見せたあと、テヘヘと笑った。
「おはよう、夕太郎くん。早いだね」
「う、うん。早かったみたい……」
先ほどのジャージ姿が目に焼きついているため、この格好にどう対処していいかわからない。さっきのは幻だったのか……?
戸惑うぼくに神崎さんがちょっとハニカミ、持っていたバックで胸元を隠した。
「に、似合わないよね」
「あ、いや、似合っていると思うよ。ただいつもの神崎さんからは想像できなかったから、ちょっと驚いただけ……」
「へへ。実は、こんな格好するの初めてなんだ」
「そうなの?」
バイト先でモデルの人を沢山見てきたけど、神崎さんの着こなしはごく自然に思えるけどな?
「う、うん。いつもなら軽い格好が好きなんだけど、デートにそれじゃ恥ずかしいし、夕太郎くんに悪いもん」
「ぼくに?」
意味がわからず首を傾げる。
いつもの服装でも十分似合ってたし、変なところなんてなかったけど……。
そんな神崎さんは、ぼくを上から下へと見下ろした。
「うん。想像した通り格好いいわ」
うんうんと頷く神崎さん。いったいなんなの?
「普段からお洒落なんだもん、今日は絶対決めてくると思ったんだ」
今のような服装をして黙って立っていればいいところのお嬢さまにも見えるのに、動いたとたん元気な男の子になってしまうんだよね、神崎さんって。
……まあ、ぼくとしてはこちらの方が好ましいけどね……
「このジャケットもライト・ダガーだね。このブランドが好きなの?」
ジャケットのエンブレムを見ていった。
「べつに好きって訳じゃなく神尾さん───この会社の社長さんと知り合いで、新しい商品が出ると送ってくるんだ」
あの人ったら毎月段ボール箱1箱分の衣服を送ってくるのだ。
そんなにあっても着れないっていっているのに全然聞いてくれないんだから参ちゃうよ。
「へ~。あんな有名人と知り合いだなんて凄いね」
「有名なの、神尾さんって?」
実をいうと、ライト・ダガーがどれほどの会社なのか、まったく知らない───というより興味がない。服屋さん。そうとしか見てないのだ。
「……あ、そういえば、雑誌の取材が多すぎで嫌になるとかいってたな……」
そういう割には皆としゃべっていたいる光景をよく見るのは気のせいか……?
「うふふ」
と、突然、神崎さんが微笑んだ。
「え、なに?」
ぼくの問いに笑うだけで答えてはくれず、代わりに左手を差し出してきた。
訳がわからずオロオロしていると、すみれちゃんがよく見せる落ち着いた笑みを見せた。
「手、握ってもいいかな?」
その問いに右手が反応した。
身についた習性というのだろうか。こういう落ち着いた笑みを見せられると、どうしても逆らえないんだよね、ぼくって……。