タイトル未定2026/08/18 13:48
工房の始業鐘が鳴る前から、レオンは床に膝をついていた。
「レオン、どうだ?」
「接点が焼けてますね」
魔導搬送機の制御箱を開き、黒く変色した部品を指で示す。
朝一番で資材を運ぼうとしたところ、突然動かなくなったらしい。
周囲には、仕事を始められず困った顔の作業員が集まっていた。
「直るか?」
「動かすだけなら」
「頼む!」
工具を取り出す。
焼けた接点を削り、予備線を一本追加。
応急的に導通を確保する。
「一度動かします」
魔力を入れる。
低い駆動音とともに搬送機が動き出した。
「おお!」
「助かった!」
「さすがレオン!」
作業員たちは喜んで持ち場へ戻っていく。
レオンは制御箱を閉じなかった。
「これ、直ったわけじゃないですからね」
近くにいた班長へ声をかける。
「接点自体が寿命です。交換してください」
「ああ、分かった分かった」
「交換申請、前にも出してます」
「今度見とくよ」
「本当にお願いしますよ」
班長は手を振りながら去っていった。
レオンはしばらく、その背中を見送った。
「……また止まるだろうな」
制御箱を閉じる。
たぶん、また止まる。
その時はまた誰かが自分を呼ぶのだろう。
珍しいことではなかった。
「レオンさん」
背後から声がした。
振り返ると、書類を抱えたユリウスが立っていた。
「少しお時間いいですか?」
「今行きます」
手袋を外しながら立ち上がった。
今度は何だろう。
そう思っただけだった。
◇
「新しい魔力循環方式です」
会議机の上に設計書が広げられていた。
既存の中央魔導炉へ、新型の循環増幅器を組み込む。
炉内部で余った魔力を再循環させることで、燃料消費を抑えながら出力を維持する技術らしい。
レオンは資料を一通り読んだ。
「計算上は問題ないですね」
ユリウスの表情が明るくなる。
「では」
「実測値は?」
「え?」
「今の中央炉のです」
ユリウスは資料をめくった。
「設計値はこちらに」
「設計値じゃなくて、現在の値です」
レオンは第三冷却系の欄を指した。
「ここ、建設当初の流量ですよね」
「現在も正常稼働しています」
「正常には動いてます。でも新品と同じ性能は出ません」
「劣化率は計算に入れています」
「実際に測った値ですか?」
一瞬、答えが遅れた。
「標準的な経年劣化を想定しています」
「なら、一度測りましょう」
「全系統をですか?」
「せめて主要部だけでも」
レオンは第三冷却系を指で叩く。
「特にここ。圧力調整器は来月交換予定です」
「ですが、現時点で故障はありません」
「だから壊れる前に替えるんです」
ユリウスは少し黙った。
頭の悪い男ではない。
むしろ理論については、レオンよりずっと詳しい。
ただ、今目の前にある設備より、紙の上の数字を信用するところがあった。
「レオンさんの懸念は理解しています」
「なら」
「ですが、安全係数には十分な余裕があります」
「それも新品基準でしょう」
「老朽化を考慮しても、許容範囲内です」
「俺なら先に測ります」
レオンはそれ以上言わなかった。
自分は責任者ではない。
判断するのは工房長だ。
◇
「危険だと?」
グレゴール工房長は、設計書を見ながら聞いた。
「危険になる可能性があります」
「どの程度だ?」
「分かりません。だから測った方がいいと言ってます」
グレゴールは腕を組む。
「ユリウスの計算自体は?」
「合ってます」
「なら、試験する価値はあるか」
「第三冷却系だけでも先に交換しませんか」
「部品は?」
「もう届いてます」
「予定は来月だったな」
「はい」
グレゴールはしばらく考えた。
「異常が出たら即停止する」
「……分かりました」
「お前も立ち会ってくれ」
「そのつもりです」
結局、予定通り実施されることになった。
レオンは納得していなかった。
ただ。
自分がいれば、何か起きても早めに止められる。
そう考えてしまった。
◇
異常が出たのは、新方式へ切り替えて二十分ほど経った頃だった。
「第三冷却系、圧力低下!」
「炉心区画、魔力濃度上昇!」
警報が鳴る。
「防護班以外は下がれ! 魔物化事故まで起こしたいのか!」
レオンは計器を見た。
「新方式を切れ!」
「切りました!」
「冷却が戻りません!」
床が震えた。
金属が裂ける音。
レオンは一瞬で状況を理解した。
「調整器が逝った!」
第三冷却系。
来月交換する予定だった設備だった。
「ノア!」
「はい!」
「倉庫から新品持ってこい! 交換予定のやつだ!」
「今ですか!?」
「今じゃなきゃ間に合わない!」
新人のノアが走る。
レオンは防護外套を掴んだ。
「レオン!」
グレゴールが止める。
「炉を完全停止させる!」
「それまで持ちません」
「交換する気か?」
「します」
「稼働中だぞ!」
「だから急ぐんです」
レオンは炉心区画へ入った。
熱気。
魔力蒸気。
耳を刺す警報音。
長年見続けてきた中央魔導炉が、苦しむように震えていた。
「ほんと、手間のかかる奴だな」
炉体を見上げる。
ノアたちが新品の調整器を運んできた。
「これ、本当に替えるんですか!?」
「いま替えないと間に合わない!」
通常なら、炉を止めて安全を確認してから行う作業だった。
だが今は、それでは間に合わない。
「第二系統へ負荷を逃がす!」
「はい!」
「ノア、工具とって!」
「これです!」
レオンは壊れた調整器へ手をかけた。
噴き出す熱気だけで、防護手袋の表面が焦げていく。
「固定具が焼き付いてる。切るぞ」
「切って大丈夫なんですか!?」
「外れるの待ってたら炉の方が先に逝く!」
返事を待たず、固着した金具へ工具を叩き込む。
一つ。
二つ。
最後の固定具を削り落とした瞬間、壊れた調整器を引き抜いた。
「新品を入れろ!」
「はい!」
ノアたちが抱えていた新しい調整器を押し込む。
だが、接続部がわずかに噛み合わない。
「入らない!」
「角度が違う。右を上げろ!」
三人がかりで持ち上げる。
レオンはその隙に接続部を合わせ、固定具を締め込んだ。
「第二系統、圧戻せ!」
「戻します!」
調整器が震えた。
計器を見る。
まだ高い。
微調整弁を回す。
一つ。
警報音が消えた。
続いて、危険域に張り付いていた針がゆっくりと下がり始める。
誰かが大きく息を吐いた。
レオンも壁に手をついた。
危機は脱した。
そこから炉を安定させ、事故対応を終えるまで六時間。
完全復旧には、さらに二日かかった。
◇
「もう帰れ」
復旧が終わった直後。
グレゴールが言った。
「まだ片付けが」
「いい。帰れ」
「引き継ぎも」
「俺がやる」
レオンは自分の顔を触った。
ひげが伸びている。
「一週間休め」
「長くないですか」
「十日にするぞ」
「分かりました」
周囲から笑いが起きた。
「本当によくやった」
「仕事ですから」
レオンはそれだけ答えた。
ただ、帰る前に工具だけは整備しておこうと思った。
事故対応で使ったものは酷く汚れていた。
次に誰かが使う。
その時困らないようにしておく必要がある。
整備室へ入り、工具を作業台へ並べた。
布で魔力煤を拭う。
刃先を確認する。
レンチに油を差す。
隣は管理職用の休憩所だった。
普段は閉じている小窓が、今日は開いている。
事故対応中に熱が籠もったため、換気しているのだろう。
声が聞こえた。
「……軍警にはどう説明するつもりだ」
アルドリックの声だった。
ユリウスの父。
工房の運営に関わる上層部の人間だ。
「設備試験中の事故。それ以上はどうにも」
グレゴールが答える。
「住民まで避難させた。負傷者も出ている」
「分かっています」
「現場責任者は?」
「バルドです」
「なら、バルドには退いてもらう」
「本人も承知するでしょう」
レオンは工具を拭き続けた。
バルド爺さんなら以前、自分で笑っていた。
『俺みたいな年寄りを責任者に置いてる理由なんざ、何かあった時に首を出すためだ』
本人も納得している。
今さら驚く話でもなかった。
「それより」
アルドリックの声が低くなった。
「なぜ止めなかった」
レオンの手が少しだけ遅くなった。
「レオンが事前に警告していたそうじゃないか」
「……はい」
「ならなぜ実施させた」
「一度、ユリウスに失敗させる必要があるという話でしたので」
手が止まった。
「俺が言ったのは、小さな失敗だ」
アルドリックは明らかに苛立っていた。
「停止事故の一つでも経験すれば、自分の理論を過信しなくなる。その程度の話だ」
「私も、その程度だと思っていました」
「交換予定だった設備があったんだぞ」
「ええ」
「なぜ大丈夫だと?」
少しの沈黙。
グレゴールが答えた。
「……最悪でも、レオンがいましたから」
レオンは、手の中のレンチを見た。
「何かあっても、あいつなら止められると思っていました」
「……俺もそこは同じ判断だったが」
アルドリックが息を吐く。
「今回は頼りすぎたな」
「はい」
「実際、あいつがいなければ?」
「炉心まで逝っていたでしょう」
「だろうな」
それだけだった。
誰も笑っていない。
誰も悪意を持っていない。
だからこそ。
レオンは妙に納得した。
「……そういうことか」
小さく呟く。
自分は、事故を止めるためにそこにいた。
そうではなかった。
事故が起きても大丈夫だと思わせるために、そこにいたらしい。
何か起きても。
レオンがいる。
最悪でも。
レオンなら何とかする。
怒りは、不思議なくらい湧かなかった。
工具をもう一度拭く。
油を差す。
いつもの棚へ戻す。
一本ずつ。
丁寧に。
最後に作業台を拭いた。
「……もういいか」
そして帰った。
◇
その日は、ほとんど眠っていた。
目を覚ましても、頭に浮かぶのは中央魔導炉のことだった。
第三冷却系。
新型の循環増幅器。
前回の事故。
もし、もう一度同じ状態になったら。
新品の調整器は、前回より長く耐える。
なら、先に壊せばいい。
直せる程度でいい。
予備部品もある。
交換すれば止められる。
そこで、レオンは目を開けた。
休暇中なのに。
考えていたのは、壊し方と直し方だった。
そして。
自分が手を出さなかったら。
どうなるのだろうか。
◇
三日後。
「おはようございます」
工房入口でいつも通りあいさつする。
「あれ? レオン、お前休みじゃなかったか?」
「休みですよ」
「何しに来た」
「ちょっと確認したいことがあって」
「仕事好きだな、お前」
警備員が笑った。
「そうですね」
いつもの制服。
いつもの安全靴。
いつものバッグ。
休暇中かどうかなど、警備員が全員分把握しているわけではない。
休日に呼び出されることも珍しくなかった。
誰も止めない。
中央魔導炉へ向かう。
炉は再び動いていた。
壁には焦げ跡が残っている。
第三冷却系には、新品の圧力調整器。
レオンが自分で取り付けたものだ。
表面へ手を置いた。
「新品なのにな」
あの時。
これを交換するために、焼けた配管の横へ腕を突っ込んだ。
あと少し遅ければ、自分もただでは済まなかった。
「悪い」
工具箱を開く。
「最後に付き合ってくれ」
保護板を外した。
◇
「先輩?」
作業を始めてしばらくした頃だった。
振り返る。
ノアが立っていた。
「おはよう」
「おはようございます……じゃなくて。今日休みですよね?」
「休みだよ」
「何してるんですか?」
「第三冷却系を切ってる」
「点検ですか?」
「違う」
レオンは作業しながら説明した。
「ここを止めると冷却能力が落ちる」
「はい」
「その状態で新型の循環増幅器を最大出力にする」
「……はい」
「前回と似た状態になる」
ノアの表情が変わる。
「でも今度は調整器が新品だから、そのままだと前回より耐える」
レオンは工具を差し込む。
「だから先に壊す」
「先輩」
「このくらいなら、まだ交換すれば間に合う」
「先輩」
「場所も分かりやすいし、予備部品もある」
「それ……」
ノアの声が震えた。
「直してるんじゃないですよね?」
レオンは手を止めた。
「ああ」
ノアを見る。
「壊してる」
顔から血の気が引いた。
「……なんで」
「工房長を呼んできて」
「え?」
「急いだ方がいいよ。もう始まってるから」
ノアは数秒固まった。
それから走り出した。
レオンは止めなかった。
隠す必要はない。
◇
「作業中止」
中央工房に声を響かせる。
「全員、工具を置いて退避」
職員たちが振り返る。
「何かあったんですか?」
「魔導炉が暴走する」
「は?」
「周辺住民にも避難を呼びかけて。規模が読めない」
「ちょっと待て!」
班長が近づいてくる。
「誰の指示だ!」
「俺です」
「お前、休暇中だろ!」
「そうですね」
「何を勝手な――」
レオンは壁際の非常装備箱を開けた。
中から魔導銃を取り出す。
銃口を班長へ向けた。
「退避してください」
「お前……」
「高濃度魔力が漏れる可能性があります」
「銃を下ろせ!」
「帰ってください」
レオンの声はいつも通りだった。
「避難が必要なかったなら、それでいいでしょう」
班長が動かない。
「でも必要だった場合、残っていたら困りますよね?」
若手の一人が先に出口へ走った。
それに続いて他の者も動く。
レオンは銃を下ろした。
「それでいいです」
◇
「レオン!」
グレゴールが駆け込んできた。
その後ろにユリウス。
ノア。
熟練技師が数人。
「何をした!」
「前回と似た状態にしました」
グレゴールが計器を見る。
顔色が変わった。
「止めろ!」
「まだ止められますよ」
「お前がやれ!」
「嫌です」
「レオン!」
「第三冷却系の調整器を交換してください」
レオンは指を向ける。
「前回交換したやつです」
ユリウスがすぐ動いた。
「予備は?」
「第二倉庫にあります」
「取りに行きます!」
走り出す。
レオンは時計を見る。
「あと二十六分くらいです」
「それだけか!?」
「十分ありますよ」
グレゴールが睨む。
「お前には、だろう」
「そうですね」
部品が運び込まれる。
ユリウスが上着を脱ぎ捨て、工具を掴んだ。
「私もやります」
「どうぞ」
レオンは止めない。
「前回と同じ手順ですか?」
「ほぼ」
「なら分かります」
ユリウスと技師たちが作業へ入る。
圧力を逃がす。
残留魔力を抜く。
一つ一つ。
普通なら十分速い。
だが。
「あと十八分」
レオンが告げる。
「分かってます!」
ユリウスの額から汗が落ちる。
「固定具が外れない!」
「力任せにやると接続部を潰しますよ」
「ならどうすれば!」
「少し戻して、斜めに引く」
ユリウスが従う。
外れた。
「次!」
「焦らない方がいいです」
「焦るなって……!」
ユリウスは歯を食いしばった。
作業は進む。
だが遅い。
いや。
遅くはない。
通常なら、十分すぎる速度だった。
「あと十二分」
警報音が変わった。
炉心の魔力濃度が上昇し始める。
「接続!」
「まだ校正が!」
「飛ばせないのか!?」
「無理です!」
グレゴールがレオンを見る。
「レオン」
「はい」
「お前なら直せるんだろ」
「できますよ」
グレゴールの目に、一瞬だけ安堵が浮かんだ。
「なら手伝え!」
「嫌です」
「……何?」
「俺、休暇中なので」
「ふざけるな!」
グレゴールが怒鳴った。
「都市まで巻き込むかもしれないんだぞ!」
「だから避難させてます」
「そういう話じゃない!」
「じゃあ、どういう話ですか」
「お前ならできるんだろ!」
「はい」
レオンは頷いた。
「俺なら何とかできるんでしょう?」
グレゴールが黙った。
「だから、この前も止めなかった」
「……聞いてたのか」
「工具を片付けてましたから」
「違う」
グレゴールが近づく。
「確かに、ユリウスに一度失敗させる話はあった。だが、あんな規模になるとは思ってなかった!」
「知ってます」
「お前を軽く見ていたわけじゃない!」
「そうですか」
「むしろ逆だ!」
グレゴールの声が響く。
「今回の功績だって全部報告してる! 昇格も、特別手当も、人員を増やす話も進めてる!」
レオンは少しだけ目を瞬いた。
初めて聞いた話だった。
「そうだったんですか」
「そうだ!」
「それはよかったです」
「なら!」
「でも関係ないですよ」
「何がだ!」
「評価されてたかどうかは、どうでもいいんです」
レオンは炉を見る。
「俺がいるから、失敗させても大丈夫だと思ったんでしょう?」
「……」
「違いますか」
「……そうだ」
「だが、それはお前を信頼して――」
「だから、俺に任せた」
「……」
「壊れたら呼んで」
誰かが止めた機械。
誰かが壊した設備。
いつも。
呼ばれた。
「俺が直して」
動く。
「それで終わり」
また次。
「ずっと、そうだったんでしょうね」
グレゴールは何も言えなかった。
ユリウスだけがまだ作業を続けている。
「あと八分!」
「分かってる!」
調整器を押し込む。
「入った!」
「まだです」
レオンが言った。
「そこから調整が要ります」
ユリウスの手が止まる。
「……前回」
荒い息のまま、レオンを見る。
「あなたは、これを?」
「やりましたよ」
「この時間で?」
ユリウスは計器ではなく、壁の時計を見た。
「何人か手伝ってくれました」
ユリウスは何も言わなかった。
もう一度工具を握る。
必死に作業する。
それでも。
時間は止まらない。
「あと四分」
炉体から白い魔力蒸気が漏れ始めた。
グレゴールが叫ぶ。
「レオン!」
「もう無理です」
「お前なら直せるだろ!」
レオンは計器へ目を向けた。
炉心の魔力濃度は、すでに停止作業へ入れる限界を超えていた。
「……もう、俺がやっても間に合いません」
「何だと?」
「ここから俺がやっても、調整が終わる前に炉心が危険域を超えます」
レオンは工具を握ったままのユリウスたちを見る。
「終わりです」
そして、グレゴールへ視線を戻した。
「退避してください」
◇
「退避!」
工房中に命令が飛ぶ。
ユリウスは最後まで工具を離さなかった。
グレゴールが肩を掴む。
「もう無理だ!」
「でも!」
「死ぬぞ!」
引きずるように連れていく。
ノアも出口へ向かう。
最後に振り返った。
レオンだけが残っている。
「先輩!」
「行け」
「先輩も!」
「もういい」
白い蒸気が増えている。
空気が魔力で揺らぐ。
グレゴールが出口から叫ぶ。
「レオン! 来い!」
「もっと離れた方がいいですよ」
「お前もだ!」
レオンは計測器を見る。
「高濃度の魔力を浴びると、魔物化すると言われています」
「分かってるなら来い! レオン!」
レオンは中央魔導炉を見上げた。
何年も。
何度も。
壊れて。
直した。
止まって。
動かした。
嫌になるほど世話をした。
それでも嫌いではなかった。
「俺はここにいます」
「死ぬぞ!」
「そうかもしれません」
「魔物になるかもしれない!」
「そうですね」
炉体へ手を置く。
熱い。
「こいつ、俺が壊したので」
グレゴールの声が止まった。
「最後まで付き合います」
炉心から光が漏れる。
「早く行ってください」
レオンは言った。
「本当に危ないですよ」
それが。
人間だったレオンの最後の言葉になった。
◇
中央魔導工房が崩壊した。
轟音。
魔力光。
大量の蒸気。
周辺は白く覆われた。
軍警が防衛線を敷く。
前列には大型盾。
その後ろに魔導銃を構えた兵士たち。
「動いたぞ!」
瓦礫の奥。
重い音。
一歩。
また一歩。
白い蒸気が噴き出す。
巨大な影が現れた。
人の三倍はある。
前傾した獣のような巨体。
黒く焼けた金属にも見える皮膚。
肩と背中から伸びた管が、絶えず蒸気を吐いている。
肉と金属の境目すら分からない。
胸部の奥。
赤橙色の光が脈打つ。
まるで炉心だった。
「構えろ!」
盾が並ぶ。
魔導銃が向けられる。
「レオン……?」
グレゴールが呟いた。
怪物が、一度だけこちらを向いた。
「レオン!」
返事はない。
「撃て!」
光弾が飛ぶ。
怪物の身体へ命中する。
背中の排熱管から、一斉に蒸気が噴き出した。
巨体が前へ出る。
速い。
「盾!」
軍警の盾列へ突っ込む。
衝突音。
盾ごと兵士たちが吹き飛んだ。
後列が魔導銃を向ける。
怪物の腕が薙ぐ。
銃が弾かれ、人間が地面を転がる。
そのまま進む。
倒れた者の横を。
一度も止まらず。
「追え!」
怪物は都市外壁へ向かっていた。
◇
城門が閉じる。
巨大な魔導門。
都市防衛用の厚い鋼鉄。
怪物はその前で止まった。
「行き止まりだ!」
軍警が後方で隊列を組み直す。
怪物は門を殴らなかった。
壁を見た。
ゆっくりと。
何かを探すように。
「……何を」
グレゴールが息を呑む。
怪物の視線が、城壁脇の整備区画で止まった。
装甲板。
その奥には。
「まさか」
城門駆動用の魔力配管。
怪物が腕を突っ込んだ。
金属板がひしゃげる。
内部の太い配管を掴む。
「何をする気だ……?」
グレゴールには分かった。
「下がれ!」
怪物の背中から蒸気が噴き出した。
次の瞬間。
体内の高濃度魔力が、配管へ流れ込む。
城壁全体が震えた。
駆動部が悲鳴を上げる。
あり得ない方向から、規定値を遥かに超えた魔力圧。
閉鎖状態だった機構が強制的に動かされる。
巨大なロックが外れた。
城門が軋む。
ゆっくりと開き始める。
「……そういう開け方するか」
グレゴールは乾いた声を漏らした。
設備の仕組みを知っている。
どこへ魔力を入れれば動くのか。
どれだけ流せば安全機構を無視できるのか。
知っている。
「やっぱり、お前なんだな」
怪物は振り返らない。
開いた門を通る。
「レオン!」
グレゴールが叫んだ。
止まらない。
「戻ってこい!」
黒鉄の巨体が都市の外へ出る。
「待遇も、人員も、全部見直す!」
怪物は一度も振り返らなかった。
◇
都市の外には街道があった。
その向こうには平原。
さらに遠くには山が見える。
どこへ行くのか。
決まっていない。
決める必要もない。
明日の勤務はない。
呼び出しもない。
壊れた設備を直せと言う者もいない。
誰かの失敗を片付ける必要もない。
帰る時間も。
出勤する時間も。
次に何をするかも。
誰にも決められていない。
巨大な怪物は街道から外れた。
誰も整備していない草原へ踏み込む。
背後では都市が騒いでいる。
それでも。
一度も振り返らなかった。
行き先を決める者は、もういない。
初めて。
どこへ行ってもよかった。




