第八話 道満さまの宝探しのお話。
駆けまわる街は、いつも通りののどかな様子です。
他の街からやってきた商人達が、手ぬぐいで汗を拭き拭き通りを行き交い。
商店の前では安いよ、上物が入ったよ、という活気のある声が飛び交っています。
路地では子供達が鞠突きをしたり、鬼ごっこをしたり。
賑やかな笑い声は楽しげに、小さな通りにこだましています。
「夢ちゃん!そんなに急いでどうしたんだい!?」
魚屋のおかみさんに声を掛けられ、ぎこちなく笑ってお答えします。
「ええ………ちょっと」
「なんだ、まぁた怖いお師匠さんや姐さん達にこき使われてるのかい?」
「いえ…そういうわけでは………」
「今度うちに連れておいでよ!私ががつんと言ってやるからさ!」
拳を握って言って下さるおかみさんにぺこりとお辞儀をして、私はまた走り出します。
目に入るのは、いつも通りの街にいつも通りの人。
見慣れないものなんて全く………
「夢、夢!!!」
街を半周して、私はとうとう何も見つけられないまま…つづみ姐さまと再会してしまいました。
「どうじゃ!?」
「…いえ。姐さまは?」
厳しい顔で首を振り。
爪を噛んで、つづみ姐さまがぽつりとつぶやきます。
「これでは…埒が明かぬかもしれんな」
「…もう、だから申し上げたじゃないですか!?」
じりじりと照りつける陽射しが肌を焼き、焦る頭からは湯気でも出てきそう。
「駄目じゃ!こんなに暑いのではいい頭も働きようがない」
弱気になり、大きく頭を振る姐さまの着物の袖をぐい、と掴みます。
「そんな、急に諦めないでください!街の皆さんの平和がかかってるんですよ!?」
蛙の雨が降る…なんて、考えただけで………
みこと姐さまでなくとも…寒気がします。
長閑な街はきっと、大混乱に陥ってしまうでしょう。
一体………どうしたら。
「つづみ!」
背後から声が掛かり、振り返りますと。
道の向こう側から、半泣きのゆづきさんがこちらへ走っていらっしゃいました。
不愉快そうに眉を顰め、ぎょろりと彼女を睨みつける…つづみ姐さま。
「何じゃ何じゃ!?なっさけない顔をしおって」
だって…と一瞬ためらうように体を小さく縮めると、ゆづきさんはぎゅっ…と姐さまの腕に抱きついて、小さく震えながらおっしゃいます。
「あのねつづみ…やっぱり何かおかしいの」
「ああ!?何がじゃ」
「だからぁ、さっき言ったでしょ!?…一緒に行って見て頂戴、この通り!一生のお願いだから」
どうやら…『氷から聞こえる声』のお話のようです。
氷柱の周りは黒山の人だかり。いつスリや喧嘩があってもおかしくありません。
ですから、警察の方は交替で氷の周りを警備しておられるそうなのですが。
他の方には全く聞こえない…その『声』が、気になって気になって。
ゆづきさんは仕事にならず、困っておられるのだそうです。
「ええいうるさい!」
腕を大きく揺さぶってゆづきさんの手を振りほどくと、つづみ姐さまは夢、行くぞ!と大きな声でおっしゃいました。
「ぬしはおまわりなんじゃろうが!?そんな些細なことでうろたえておってどうする!?」
「………そんなこと言われても…苦手なものはしょうがないじゃない」
「ったく…私は忙しいんじゃ!どうしてもというのならば、みことを連れて行ってくるがいい!」
「あっ…待ってください、つづみ姐さま!」
慌ててゆづきさんにお辞儀をして、駈け出した姐さまの後を追います。
背中に聞こえる薄情者ーというゆづきさんの悲しげな叫び声に、後ろ髪を引かれますが。
「夢!今はあんな臆病者にかまけている場合ではないんじゃぞ!」
「…そうですね」
ゆづきさんもお気の毒ですが、今はとにかく…
空から降り注ぐ数多の蛙。
そんな悪夢から…街を救わなくてはならないのです。
みこと姐さまは館の一番奥のお部屋で、暗がりの中…水晶玉を覗いていらっしゃいました。
「外には出られへんけど…ほんのちょっとでも、役に立てへんかなぁと思て…な」
震える声でおっしゃる姐さまは、顔色が優れないご様子です。
「で、何か映ったのか!?」
勢い込んでつづみ姐さまがお尋ねになりますが。
申し訳なさそうに、みこと姐さまは小さく首を振りました。
「なんせ…杏珠さまの姉弟子やし」
「あれのどこが『姉』弟子じゃ!?」
「でも、そうなんやろ?…なぁ、つづみ?やっぱりあの人に『すいませんでした』って…謝らへん?」
目を大きく見開いて、つづみ姐さまは素っ頓狂な声で叫びます。
「何を馬鹿なことを言うておるのじゃ!?あんな助平じじいにコケにされて黙っておっては、杏珠さまの弟子の名が廃る!」
「けど…どうやって」
「絶対に!ぜーったいに何か手がかりはあるはずじゃ!!!夢!」
「…はっ…はい!」
みこと姐さまの弱気なお言葉に、『自分がしっかりせねば』とご自身を奮い立たせた様子。
ぐいと私の腕を掴んで、姐さまはまた勇ましくおっしゃいます。
「もう一度、今度は目を変えて逆に回るぞ!」
「…また…行くんですか?」
当たり前じゃ!と鼻息の荒い姐さまに…逆らえる筈など無く。
私は再び玄関へ出て、下駄に足を突っ込みました。
と………
「お前達、済まないねぇ…うちのしょうもない姉弟子のせいで、面倒な事に巻き込んでしまって」
珍しく元気の無いご様子の杏珠さまが、そんな風に私たちにお声を掛けてくださいました。
「杏珠さまにも…分からぬのですか!?」
つづみ姐さまの言葉に、そういう訳じゃないんだけどね…と杏珠さまは言葉を詰まらせます。
「でしたら、何故教えてくださらぬのです!?」
「いや…この勝負には占い師の面子が掛かっている。教えてやりたいのはやまやまなんだが…教えたことはたちまち道満にばれてしまうだろうし、そしたら…きっと話に尾鰭がついて角までついて、私達は占い師仲間達からどんな謗りを受けるか分からないからね」
………それは、大変。
つまりは…やっぱり私達が、自分の力で見つけるしかないってこと。
揃って深い溜息をついた私達を慰めるように、杏珠さまは私達の肩をぽん、と叩きます。
「だけど…お前達の想像、方向性は間違っちゃいないと思うよ」
「…方向性…ですか」
そう、と頷いて。
杏珠さまは消え入るような声でそっと…おっしゃいました。
「あれは天下きっての派手好きだ…だから『宝』とやらも…やたらと人目のある所にあるに違いないと、私は…思うよ」
「そうは言われてものぉ」
街のはずれの小さな竹林で、さらさらと笹の葉が擦れ合う涼し気な音に耳を澄ませながら…つづみ姐さまが呟きます。
「あんな遠まわしな言い方をされても、皆目見当がつかぬではないか。なあ夢」
「…ええ」
再び街を足を棒にして歩きまわり一通り回りつくした所で、突然姐さまが『確か、竹やぶがなんとかと言うな!?』とおっしゃり…ここまで走ってきてみたのですが。
「あの…つづみ姐さま?」
『地震の時は竹やぶに』では?とお尋ねする私の言葉を遮り、苦い顔をして頷くつづみ姐さま。
「…わかっておる。たった今、思い出したところじゃ」
と…その時です。
不意に強い風が吹き、竹林の笹の葉がさわさわざわざわと一斉に音を立て始めました。
その音は次第に大きくなり、そして…
突如、人の声に変わったのです。
『いやはや愉快愉快!大層困っておるようだのぉ』
「貴様…道満か!?」
姿の見えない道満さまが、さも楽しそうに笑いながらおっしゃいます。
『ちと、頭を冷やしてみてはどうじゃ?頭に血が上ってしまって、余計に動きが鈍くなるぞ?』
「うるさい!!!『余計に』は、余計じゃ!!!」
『そろそろ日も暮れる。暗くなったら、宝探しも辛くなるであろうなぁ!』
「大きなお世話じゃ!!!」
真っ赤な顔をした姐さまの怒鳴り声に、また楽しそうに笑う…道満さま。
『せいぜい頑張って探すのだな。杏珠の弟子というからそれなりに期待しておったのに、ここで終わってしまってはつまらん』
そして…囁くような声が竹林に響きます。
『手がかりが欲しいか?』
「そんなものは要らぬ!誰が貴様なぞに」
『木を隠すなら森…じゃよ』
「…森?」
『おっと、口が滑ってしまったわい…では、健闘を祈る』
「待て!それは一体どういう意味じゃ!?」
途方に暮れた私達を、更なる謎の中に閉じ込めたまま…
道満さまの笑い声は、竹林のざわめきに消えていきました。
薄暗くなった街の中を、棒のようになった足を引きずるように…
二人並んで、とぼとぼと歩きます。
蝉達は遠くでまだ元気な鳴き声を響かせており、肌着は汗ばんだ肌に張り付き…不快な暑さが増すように感じられます。
つづみ姐さまは、ふう…と深い息を吐いて、不意に道の真中で立ち止まり。
両方の拳で、ぽかぽかと自分の頭を叩き…嘆くようにおっしゃいました。
「あーーーもう駄目じゃ!こう暗くなってしまっては手の打ちようがない」
「そんなに投げやりにならないでください…街の皆さんの穏やかな朝がかかっているんですよ?」
「だが、何周も何周も街を駆けずり回って、奇妙に思われるのも承知で聞き込みまでしたが…結局『宝』の『た』の字も手がかりがなかったではないか」
「そう…ですけど」
嘆く姐さまの肩を、そうだ、と元気良く叩きます。
「あの道満さまのお言葉はどうです!?あれを糸口にしたら…もしかしたら、『宝』に近づくことが出来るかもしれませんよ!?」
そんなことを言ってもなぁ…と呟いて、姐さまは額に手をやります。
「木を隠すなら森…などと言われても、そもそもの『木』がどのようなものか分からぬのに、森も何もないではないか」
そう………か。
「あーもうどうしたら良いんじゃ…みことは怯えて館の奥に引っ込んだまま出て来ぬし、みとを連れて来てまた何か悪戯されては困るし、いづこやゆづきは何の役にも立たぬし」
頭をぽかぽか叩くつづみ姐さまは、まるで小さな駄々っ子のようです。
「つづみ姐さま…元気出してください」
すまんの…と少し涙目になった姐さまが私の顔をじっと見つめます。
「こんな不甲斐ない私についてくれて…本当に夢は出来た妹弟子じゃ」
「…そんなこと」
「あああ何で私はいつもこう、肝心な時に限って駄目なんじゃろ…こんなことでは杏珠さまの弟子などと名乗る資格はない…信じてついてきてくれた夢にまで恥をかかせてしまって…もう…私は占い師失格じゃ」
私は…つづみ姐さまに気づかれないように、小さくため息をつきました。
そう。
つづみ姐さまは時々ひどく落ち込むと…このように自信を無くしてしまわれるのです。
もうすっかり日も暮れたというのに、じめじめした生ぬるい風が、道端の柳の木をふうっと揺らして通り過ぎます。
「そんなことありませんよ、つづみ姐さまはすごく頑張っていらっしゃいましたもの…杏珠さまもきっと、分かってくださいます」
ここはもう…杏珠さまにお知恵を借りる他ない。
そんな弱気が体中を支配しそうになった…その時です。
今まで吹いていた生ぬるい風が止み、不意に違う方角からひんやりとした空気が流れてまいりました。
驚いて振り返ると…
そこは、件の広場につづく細い路地。
そういえば…氷室の氷の傍、あんまり調べてなかったかもしれない。
だって、いつも街の皆さんでいっぱいだったのですもの。『何か捜し物かい?』なんて訊かれた日には、なんとお答えしてよいやら…と思っていたのです。
「つづみ姐さま………氷のある広場へは?」
「………いや、遠目に何度か見ただけじゃ」
つづみ姐さまも、焦る気持ちで人ごみに揉まれるのはお嫌だったのかもしれません。
ことりと首を傾けて、訝しげな顔で腕組みをなさいます。
「じゃが…特にこれといって目立つものはないように思ったぞ?あるのはあのでかい氷の塊だけで」
そこまでおっしゃって。
『あ』という表情で固まる…つづみ姐さま。
『少しは頭を冷やしてはどうじゃ?』
道満さまの言葉が耳をよぎります。
顔を見合わせ、頷き合うと…
私達は広場に向かって、薄暗い路地を駆け出しました。
周囲の家の小さな窓からは、暖かな夕餉の匂い。
『氷の塊から女の子の声がするの』
ゆづきさんの心細そうな声。
「きっとそうじゃ!あの氷に何かある」
元気を取り戻したつづみ姐さまが目を輝かせ、はっきりとした声でおっしゃいます。
頷きながら、私は…もう一つの謎を思い出します。
『木を隠すなら森』
あれは…どういう意味かしら。
遥か北の街から届いた氷は、即席の小屋の中に静かに収められておりました。
鍵のかかった小屋の周りには人気がなく…しんと静まり返っています。
薄い板の隙間からは、冷たい風が流れて来て。
そして………
「ゆづきの…言うた通りじゃの」
私は頷いて、ごくりと唾を飲み込みました。
まだ年端もゆかない小さな女の子らしき泣き声も…小屋の戸板の隙間から、微かに漏れ聞こえてくるのです。
「どうしましょう…杏珠さまをお呼びしたほうがよろしいでしょうか」
「いや、その必要はない」
きっぱりと言い切って、つづみ姐さまは袖の中からごそごそと二枚の紙片を取り出します。
「姐さま…それは?」
「魔よけの札じゃ。夢はそこで見ておれ」
姐さまは髪どめの針金で、戸にかけられた錠としばし格闘しておりましたが。
今日一番に引き締まった表情で、ゆっくりと…小屋の戸を開きました。
すると。
目の眩むような青白い光。
全身が不意に凍りつくような、冷たい冷たい強い風。
そして…
そこに立っていたのは、白い絣の着物を着た…小さな女の子でした。
真っ白な髪は柔らかに波打って、小さな肩にふわりと掛かっており。
涙を湛えてこちらを不思議そうに見つめる瞳は、空よりも海よりも深い青。
ぽかんと口を開けているつづみ姐さまの袖を引っ張り、化人さまでしょうか…とお尋ねしますと。
姐さまは呆然とした表情のまま、ゆっくり首を振りました。
「いや………それにしては、気配が違う」
「じゃあ…一体」
その時です。
後ろから、ぱちぱちと手を叩く音が聞こえてまいりまして。
姐さまと同時に振り返りますと…そこには。
「二人とも、よくぞここまでたどり着いてくれた!」
満足そうな笑みを浮かべた杏珠さまが…ばつの悪そうなお顔をしたみこと姐さまを背後に従え、立っておられました。
「あ…杏珠さま!?一体これは」
「さっきも言ったろ?私には『宝』の在処がわかるって。おいそれと教えてやるわけにもいかないし、かと言ってかわずの雨なぞ御免だしねぇ…どうしたものかと思っていたが」
いつになく上機嫌な様子で、ぽん、と私達の肩を叩きます。
「本当に、あんた達は大したもんだよ!私も鼻が高い!!!」
にこにこ頷く杏珠さまの後ろから、みこと姐さまがちょこんと顔を覗かせ、両手を合わせて気まずそうに笑っておっしゃいます。
「今日のこと…私何の役にも立てへんくて…二人とも、堪忍な」
「なぁに気にするな!」
『みことの馬鹿者が!』と…あんなに怒っておられたのに。
つづみ姐さまは、上機嫌にみこと姐さまの背中をバシンと叩きます。
「人間誰しも得手不得手がある!これがかわずでなくて蝸牛だったら、私もお前のようになっていたかもしれんからな」
すっかりいつもの調子に戻ったつづみ姐さまが、けらけら笑う…その最中。
『それならば…次は蝸牛にせねばなるまいの』
どこからともなく聞こえてきたのは…道満さまの声でした。
とは申しましても…姿はどこにもありません。みとに使ったのと同じような術で、姿を消していらっしゃるのでしょうか。
『『宝』は見つかったようだの』
「あっ…当たり前じゃ!ぬしのような外道占い師の思惑なぞ全てお見通し…」
『ほう。さっきは随分とお困りのようだったが?』
「そ…そんなもの、ぬしを油断させる作戦じゃ!のう、夢!?」
「…えっ?………はい」
そうかそうかと笑って、道満さまは杏珠さまの名を呼びます。
『宝物はお気に召したかの?』
「…この子。一体どうするつもりなんだい?」
『それは…当初の約束通り。宝を見つけたのはそなたの弟子達じゃ…そなたに進ぜよう』
「ちょっと…お待ち!!!」
杏珠さまの呼ぶ声に答えることなく、道満さまの高らかな笑い声は…夏の空に消えていきました。
不意に水を打ったような静けさに包まれた、氷の小屋。
「ママ?」
どきりとして振り返ると。
小さな女の子が青い目を大きく見開いて、つづみ姐さまの着物の袖を引っ張っています。
「…何じゃ?」
「…ママ!!!」
嬉しそうにしがみついた女の子に困惑した様子で、姐さまは杏珠さまに助けを求めます。
「な…何なんです!?この」
「ママー!」
「…と…言うのは」
「ママってのは、あれだ…異人さんの言葉で『おっかさん』のことだよ」
「…母親ぁ!?」
顔を真っ赤にしたつづみ姐さまは、それはもう…大慌て。
「離せ!私はぬしの母ではない!」
「ママ?」
「うるさい、ママではないと申しておるだろう!」
逃げる姐さまを、さっきまで泣いていたらしい女の子は、満面の笑みで追いかけます。
「ママ!」
「よせ!ついて来るでない!!!」
「ママー!!!」
二人をただ呆然と眺めておりましたら、ぽん…と優しく肩を叩く気配。
「よくやってくれたね…夢」
…杏珠さまでした。
「思い立ったら一直線だが…心根は脆いあの子のことだ、どこかで投げ出してしまうのではないかとひやひやしていたんだよ。けどお前さんのお陰で…なんとか投げ出さずに来ることが出来たようだ」
「…そんなっ…私、何もしてません!」
いや違う、と杏珠さまはにっこり笑って首を振ります。
「夢の手前、姉弟子の自分がしっかりせねば…と。あの子はそういう性質だろ?」
「そ…それは…そうですけど、でも」
「杏珠さまー!?」
はっとして見ると、つづみ姐さまは纏わりつく女の子をついに観念して抱き上げ、依然困った顔のままこちらを見ていらっしゃいました。
「おやおや…つづみ、なかなか手馴れたものじゃないか」
「からかわないでください!で………この子は、一体何者なのです?」
『瑠璃ちゃんは、雪の化人さまと船乗りの異人さまの間に生まれた子供なのだそうです。お父さんは彼女の誕生を知らぬまま船で故郷に帰ってしまい、悲しみにくれたお母さんは、小さな瑠璃ちゃんを置いてどこかへ行ってしまったのだとか』
夜半になって降りだした雨が、肌を冷やして心地良い。
『ひとりぼっちの瑠璃ちゃんは、私達に出会うまでずっと氷の傍で泣いていたようです』
ふと誰かの気配を感じて、丁寧な文字の並ぶ夢の日誌から顔を上げると。
みことがにっこり笑って、こちらを見つめていた。
「…何か用か?」
「いえ…けど、なんやあんた…変わったな」
「…そうか?」
「あんなこと言うなんて…びっくりしたわ」
『子を捨てるなど、そのような女に母親の資格はない!』
思わず怒鳴った私を…夢は、ひどくしょんぼりした目で見ていた。
日頃は母親のことなど知らぬ存ぜぬ、という顔をしておきながら…やはり、気にはかけているらしい。
「母のない子なんてそこらじゅうにいてるんや、気にすることないて…あんたやったらそう言う思たんやけど」
「それはそうじゃが…」
あんなに小さな子供が、たった一人で生きていかねばならないなんて。
やはり…かわいそうではないか。
「まあ、母のない子なんは…お互い様やけど」
「…そうだなぁ」
霧のような雨がしとしと降りてくる、暗い空に視線を向ける。
母親と別れたのは確か、瑠璃と同じくらいの年だった。
ママ、と嬉しそうに抱きついた彼女の笑顔を思い出す。
そりゃ、母親の顔など…覚えていなくて当然か。
「そういえば…杏珠さまのお母さんの話て、聞いたことないなぁ」
同じようなことを考えていたらしい同類のみことが、不意にそんなことをつぶやく。
「確かに…腹違いの弟さんの話ならまぁ、何度か聞いたことはあるがな」
「ほう。お主らは知っておるのか」
思い出したくもない声に、うんざりして庭に目をやると。
庭の片隅に、道満が濡れそぼった姿で立っていた。
「何の用じゃ?もう宝探しごっこは懲りたじゃろ」
「いやなに…お主らにどうしても聞いておきたいことがあっての」
仏のように穏やかなみことも、さすがに小さくため息をついている。
「で…何ですの?」
「さっきお主らが言っておったことよ。その、杏珠の弟の話だ」
「…だから一体」
「お主らは、わしのことをさんざん『異形』扱いしておったが」
得意そうに語る彼の白い髪からは、雨の雫がぽつりぽつりと落ちており。
長い前髪の間から、ぎらぎらした目が…こちらをじっと見据えていた。
「お主らは…師匠に何も違和感を感じぬのか?」
「…杏珠さまに?」
「左様。その話を知っておるなら…異様と思うであろう?」
思わず、みことと顔を見合わせ。
「いえ…何にも」
「私も同意じゃ」
あっさりと首を振る私達に、彼は…さも愉快そうな顔で頷く。
「だいたい…私達が一体いつ、ぬしを『異形』なぞと申した?被害妄想もいいところじゃ」
『男になった占い師』が珍しいとは言った。が…『おかしい』などと言った覚えも、思った覚えもない………心外な。
「私ら、杏珠さまにいっつも言われてますんや。客人はんにはいろんな事情持った人がいてはる、あの人はおかしいとか、異形やとか…頭っから決めてかかるようなことは絶対したらあかん、て」
笑顔できっぱり言い切るみことに、道満はそうかそうかと楽しそうに笑う。
「お主らはどうやら、あれに相当うまく丸め込まれておるようだな」
「人聞きの悪いことを言うな。私達は丸め込まれた覚えなどない、今は好きでここにおるだけじゃ」
それに…杏珠さまほど大きくないにせよ、『事情を抱えている』のはお互い様なのだし。
「今は、ということは…いずれは出て行くのか?あれの」
「うるさい!そんなことはぬしの知ったことではなかろうが!?」
『今は』…なんて。
言ってしまった自分に動揺して、揚げ足を取られたことにもっと動揺してしまい、つい…大声で怒鳴ってしまったが。
ふと、冷たい柔らかい手が私の手を掴み。
みことは…優しい目をしてこちらを見つめていた。
腹を抱えて笑いながら裏戸を開け、転がるように去っていく…道満。
「では、またの!何か面白いことが起こったら、すぐにわしにも知らせるのじゃぞ」
「知るか!とっとと出て行けこのくそじじいが!!!」
さらさらと降る雨の他、何も音を立てない…静かな夜がまた広がる。
「みこと…」
「…なあに?」
「その手…いい加減に離さぬか?」
「あら、堪忍」
くすぐったそうに笑って立ち上がり、おやすみ…とみことは部屋に戻って行った。
波立った心を沈静化してくれた、彼女のぬくもりの残る手を…じっと見つめる。
なんだか………
今日はおかしな日だったな。
面白かったような気もするし…なんだか後味も悪い。
気を取り直し、夢の日誌に視線を落とす。
『明日からは私も姉弟子になるのですから、瑠璃ちゃんの手本になれるよう、一層修行に精進しようと思います』
妙に鯱張った文章に、思わず顔が綻ぶ。
「まあ…良いか」
明日からは、あのちびがこの庭を元気いっぱいに駆けまわるのだろう。
『子供が好きだ』と…いつかあいつに聞いたことがあった。
自分が子供だからだろうと思ったが、無駄に喧嘩するのもなんなのでやめておいた。
そんなことも…今は遠い遠い昔のことだ。
立ち上がって、思いっきり伸びをして。
誰もいない庭に背を向け、私も寝室へと向かうことにする。
「しっかり休まねば…明日から、賑やかになるぞ」