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第四話 百鬼夜行のお話

それは季節が移ろい、日差しの強くなり始めたある日の昼下がりのことです。

「何だか…今日の味噌汁はしょっぱくないかい?」

そんなことを…不意につぶやく杏珠さま。

何気ないその言葉に、ずしり…と体が重くなりました。

「あ…杏珠さま!いま夢にそんなこと言ったら…」

つづみ姐さまのひそひそ声を遮るように、みこと姐さまが焦った様子で笑いかけます。

「夢?私は…そないなことない思うけど」

「そっ…そうじゃそうじゃ。夢の作る飯はいつもうまいし、それに」

「………ご馳走様でした」

私はすっと立ち上がり、姐さま方に洗い物をお願いして、自分の部屋に戻ると。

ぴしゃりと襖を閉めてしまいました。


「じゃあ…お昼からこっち、ずっと部屋に閉じこもったきりなの?夢ちゃん…」

「しっ………声が大きいぞ、ゆづき。夢に聞こえてしまうじゃろが」

もう…聞こえてますよーだ。

「だが…なぁ」

欠伸混じりの暢気な声で、つづみ姐さまはおっしゃいます。

「わしは、あんなこと…傷つくようなことでもないと思うんだが」

………傷つくわよ。


昨日、久しぶりに訪れた、遠くの街の占い師さまの館。

そこで働く見習いの女の子が…いつの間にか、一人前の占い師になっていたのです。

年の頃も修業歴も同じくらいで、早く一人前になれるように一緒に頑張ろうね、と…お互い励まし合っていたというのに。

置いてきぼりにされた気持ちの私の目に映る、真新しい占い道具に囲まれ艶やかな着物に身を包んだ彼女は、とても…大人っぽく見えました。

『夢ちゃんの免許皆伝はいつ?』

眩しい笑顔で尋ねる彼女に………私はただ、黙って俯くしかなかったのです。


「繊細なんだよ、夢ちゃんは」

…いづこさんだ。

「だが、こればっかりは…早い遅いがあるからの」

「だから…あなたがそういう身も蓋も無い言い方するから、夢ちゃん傷つけちゃうんじゃない」

「…そうか?」

うんうん、と一緒に頷いていたいづこさん。

ふいに。

あっ、と声を上げました。

「…なんじゃ?」

「あれ…何だろ?」

「何よ、一体」

「もう、二人とも見えないかなぁ!?あれだよ、あれ!」

………何だろう。

私は取っ手にそっと手をかけ、ほんの小指の先ほど襖を開いてみました。

と………


僅かな隙間にぐいっと差し入れられた手が、突然…襖を全開にしたのです。

そして。

「『天岩戸作戦』大成功!」

私の目の前には、楽しそうに笑う…いづこさんの姿がありました。

「なかなか粘ったなぁ、夢。わしはもっと早くに出てくるかと思っていたが」

満足げに笑うつづみ姐さまに…私は言葉を失います。

「夢ちゃん…でもね、私達、決して面白半分でやったわけじゃないのよ?本当に夢ちゃんのこと心配で」

すまなそうにおっしゃるゆづきさんに、大丈夫です…とお答えします。

「どうせ私には…神話の神様みたいに、何日も閉じこもることなんて出来ないんですから」

何をしたって中途半端で。

何をしたっていまいちで。

こんな風では…

私は一体、いつになったら………


ぱちんという、乾いた大きな音に…思わず目を見開きます。

「夢!うじうじするのもいい加減にせぬか」

つづみ姐さまの顔が私の鼻先にぐっと近づき、優しい花の香水がふわっと香りました。

「よいか?一人前になるのが早い占い師もおれば遅い占い師もおる。だが…良い占い師になるか否かはまた、別の話だ」

こくり…と頷きますと。

よし!と、つづみ姐さまが気持ちの良い笑顔でおっしゃいました。

「それでこそ夢だ!他人を羨んだところで何になる。お前はお前の良い所を伸ばすよう精進して、良い頃合いで一人前の占い師になればよい。そうすればきっと…その娘よりずーっと良い占い師になれるさ」

「そう…でしょうか」

「当たり前だ!何と言っても…お前は杏珠さまの弟子なのだからな」

笑顔で頷く、ゆづきさんといづこさんを見ていたら…

なんだか、元気が湧いてまいりました。

まあ………いいか。

胸のどこかに、魚の小骨のようなものがつっかえているのを感じつつ…

私は笑って、姐さまに元気よく頭を下げました。

「ありがとうございます、私…頑張ります!」


お仕事でいづこさんが帰られた後も、私達はお喋りに花を咲かせておりました。

いつの間にやら、空は藍色に染まっており。

生温い風がふうっ…と通り抜けていきます。

「さて、そろそろ…私もお暇するわね」

にっこり笑って立ち上がるゆづきさんに…

にやりと不敵に目を細める、つづみ姐さま。

「百鬼夜行に気をつけてな」

「…何…夜行ですって?」

姐さまの言葉に…やっぱりそうか、と納得いたします。

「百鬼夜行じゃよ、百鬼夜行。こういう湿っぽい風の吹く夕べは…奴ら喜び勇んで出てくるからの」

「ま…まぁたあなた、人のことからかって」

聞き慣れない言葉に一瞬動揺されたようですが、ゆづきさんは笑って手を振り、館を出て行かれました。

「大丈夫かの…あいつ」

彼女の背中に向かって…ぽつりとつぶやく姐さま。

「もう…大丈夫ですよ!百鬼夜行の化人さま方は、伝承と違って悪さなんてなさいませんし。それに…普通の方に百鬼夜行は」

『見えませんもの』と………言いかけた、その時でした。

「…きゃあああ!!!」

聞こえてきたのは、ゆづきさんの悲鳴です。

慌てて館を飛び出しますと。

腰を抜かして地面に座り込む…彼女の姿がありました。

「あ………あれ………何?」

ゆづきさんが震える指で指差す先に目をやりますと。

大小様々なお姿の化人さま方が、楽しげに街を練り歩いていらっしゃいます。

「百鬼夜行ですよ。さっきつづみ姐さまがおっしゃってた…」

私も最近やっと見えるようになった所だというのに、ゆづきさんは凄い…と思いながら、そんな風にお返事いたしますと。

ゆづきさんは青白い顔で目に涙をいっぱい溜め、こちらをご覧になりました。

「何でそんなに冷静なの夢ちゃん!?こんな気味の悪いもの見て、どうしてそんなに平気な顔してられるのよぉ!?」

「確かに…不思議な身なりの化人さまもいらっしゃいますけど…悪さはなさいませんし、愛嬌があってかわいらしいじゃないですか?」

「………信じらんない…あなた達占い師って…やっぱ………どうかしてるわ」

「相変わらずやなぁ、ゆづきは」

背後から聞こえてくるのんびりした声に、振り返ると。

そこには、げらげらお腹を抱えて笑うつづみ姐さまと、みとを抱いたみこと姐さまの姿。

「みこと姐さま…?」

「昔っからこの子、変わったもんがよう見えてなぁ。化人さんから幽霊さんまで…あんだけ見たら慣れそうなもんやけど」

「さ…いきんは…見ても…見ないようにしてんのよ」

ふと…気になって。

「みこと姐さまにも、子供の頃から見えてらっしゃったんですか?」

「え?………ええ…まあ、なぁ」

ずん…と音がするほど落ち込む私に気づき、つづみ姐さまが慌てておっしゃいます。

「夢、わしも…昔は見えなかったぞ!?こやつは餓鬼の時分から変わっておったのだ。なんにも気にすることはない」

「そう…ですね」

でも…つづみ姐さまは、今では立派な一人前の占い師なのですから。

やはり…私一人、置いてけぼりにあった気持ちがいたします。


と。

「なんか…変やない?」

みこと姐さまが、怪訝な顔をなさいました。

「なんかじゃなくて、ぜーんぶ変よ」

青い顔でつぶやくゆづきさん越しに見える、化人さま方は…

確かに、以前見た時と違っておられます。

老若男女、人のお姿をされた方から、所謂『お化け』のようなお姿の方まで。

様々な化人さまが折り目正しく列をなし、気ままな夕べの散歩を楽しまれるのが、百鬼夜行の常なのですが………

今日はなんだか…皆さん所在なげにふらふらなさっているのです。

「列もあんなにばらばらで…見ろ、あっちでは小競り合いになっているぞ。肩がぶつかったのどうのと言っておるようだが」

「…あのお化けの一体どこに『肩』があるのよ?」

「あらまぁ…えらいことになってるやないの」

「先導が………」

薄暗い夜道に目を凝らし、きょろきょろ周囲を見回します。

「どこにも…見当たりませんね」

その時です。

化人さまに飛び掛かろうと、じたばたもがいていたみとが…ぴょん、とみこと姐さまの腕から飛び出しました。

「こらっ、みと!」

が………

みとは、百鬼夜行とは反対の、館の中に向かって駆け出します。

「ちょっと…どこ行くの!?」

奇妙に思い、彼女の後を追い掛けます。

みとの白い小さな体は、離れの納屋に消え。

「…うぎゃあああ!!!」

………何?

誰もいないはずの納屋を、恐る恐る覗き。

私は…もっと驚いてしまいました。

「たったったっ…おたすけくださいっ!誰かっ」

低い声で唸るみとに怯え、小さくなって震えていたのは…破れ提灯のお化け。

先程私が探していた…“先導”だったのです。


つづみ姐さまとみこと姐さまにじっと見つめられ…

破れ提灯は、体の中にぽっと赤い灯をともしました。

「御婦人方にそのように熱い眼差しを向けられては…恥ずかしくなってしまいまする」

「…熱い眼差しなど向けてはおらぬ。呆れておるのじゃ」

「いやまぁ珍しいなあ…こんなに間近で異形の化人さん見んの、何年ぶりやろか」

「どうして隠れたりなんかしたんです?化人さま方、お困りですよ?」

「もうー…そんなにいっぺんに話しかけないでくださいよ。あたまがこんがらかってしまいまする」

いやいやをするように身をよじる、破れ提灯の姿はとても愛らしいのですが…

今は、そんなことを言っている場合ではありません。

私達のいる部屋の襖が音を立てて開き、杏珠さまが入って来られました。

「どうやら奴ら、どこかへ行ってしまったようだよ。見たところ、はぐれた者はいないようだったがね」

「…そうですか」

彼は一瞬安堵の表情浮かべたものの、すぐに顔を曇らせてしまいました。

「やっぱり…ぼくなんかいなくたって、みなさんちゃんとやれるんじゃないか」

ぽつりと呟いて…

ずい、と杏珠さまの前に進み出ます。

「杏珠さまに、折り入ってお願いがございまする」

「…なんだい」

大体察しはついている…という表情の杏珠さまに、破れ提灯は目を潤ませて縋ります。

「今日…一晩だけでいいのです。ここへ匿ってはくださいませぬか?」

「一体…ぬしは何で逃げたりしたんじゃ?」

つづみ姐さまの問い掛けに、彼は…働きたくないのです、と呟きました。

「もう…何だか虚しくなったのです。先代からこの仕事を引き継いで、かれこれ数百年やってまいりましたが」

百鬼夜行の化人さま方は、それはそれは癖のある方々なのだそうで。

皆さんの我が儘を聞き、出来る限り意に添うような道を選び、気分屋なみなさんを宥めすかして並ばせて、はぐれる方がいないか後ろを振り返り振り返り…

彼の話に、あんなに楽しげな行列にそんな苦労があったとは…と、私は感心してしまいました。

「…でもっ!ぼくがどんなに苦労しても…毎回文句が出るんです。先代のときはこうだった、他の先導はああだったと………嫌になっちゃったんです、ぼく」

「まぁ………」

なんだか…とても他人事には思えません。

「杏珠さま…何とかなりませんか?」

杏珠さまと姐さま方は、不思議そうな目で私をご覧になりました。

ぽっ…とあかりの灯った破れ提灯が、期待を込めた目で杏珠さまを見つめます。

と………

杏珠さまは私達をちらりとご覧になり、困り顔で頭をかいた後。

諦めたように小さくため息をついて…おっしゃいました。

「…全くしょうがない子達だねぇ。わかっているだろうが…一晩だけ、だからね」

今日一番に明るい灯を燈らせて、破れ提灯が大きく頷きます。

「はいっ!杏珠さま、皆さん…ありがとうございまするっ」


………ですが。

翌日になりましても。

その翌日になりましても。

破れ提灯が館を出て行く気配はございません。

また、その翌日になりましても。

「おなかが痛いのでございまする…」

「ぬしのどこに『腹』があるんじゃ」

呆れ顔で腕組みをするつづみ姐さまを上目づかいに見て、破れ提灯はお馴染みの口上を述べるのでした。

「お願いしまする…あと、もう一日だけっ!そうしましたら僕、ちゃんと百鬼夜行の列に戻りますから」


街は…一見しますといつも通り。平穏無事な空気が流れております。

ですが………


突然、赤ちゃんの大きな泣き声が広い通りに響き渡りました。

「あらあら、どうしたのかしら…おしめも濡れてないし、変ねぇ」

若いお母さんが困り顔で呟き、赤ちゃんを懸命にあやしていらっしゃいます。

…それもそのはず。

破れ提灯の不在で帰り道の解らなくなってしまった化人さま方が、街をあてどなくさまよっていらっしゃるのです。

「赤ちゃんには見えるんですね…化人さまが」

感心してつぶやく私に、そやねぇ…と、みこと姐さまが同意してくださいます。

「子供は心がまっさらやから、きっと大人には見えへん色んなもんが見えるんやろ」

「でも…最近は子供達も怖がって外で遊びたがらないみたいですし、なんとかしてあげないと可哀想ですよね…」

「可哀想なのはこっちよ」

背後から聞こえてきた低い声に、びっくりして振り返ると。

そこには青い顔をして、目の下に大きな隈を作った、ゆづきさんの姿がありました。

「あら…」

「あら…じゃないの!こっちは大問題なのよ!」

どうなさったんですか?とお尋ねしますと、ゆづきさんは肩を落としておっしゃいます。

「最近、よく眠れなくて…」

「そら難儀やなぁ」

「何か…悩み事ですか?」

「何か…って、決まってるでしょ!?あれよ、あれ!」

涙目の彼女が指差す先には…唐笠の化人さま方の姿。

あの人間達には自分が見えるているのか…と、不思議そうな表情です。

「あんなのが街中うろうろしてるって思ったらもう…悪夢よ。ある夜突然うちに上がり込んで来たら…なんて考えたら………」

ご自分の言葉に顔を青くされ、想像を打ち消すように大きく首を振って、ゆづきさんは大きなため息をつきました。

「とても…おちおち寝てられないんだもの」

深刻そうなその姿に、みこと姐さまと顔を見合わせます。

どうやら…街で一番可哀相なのは、子供達ではなく………ゆづきさんのようです。

「まあ………そないに心配せんでも、化人さんは人に悪さなんてせえへんし」

「…悪さしなけりゃいいってもんじゃないでしょ?人の気も知らないで…」

「そうカリカリせんと…よく眠れる薬煎じたげるから、ひとまず『めいぼくそう』まで来」

優しく笑うみこと姐さまに促され、ゆづきさんは渋々と頷きます。

「なんか私…ちっちゃい頃からずーっと、あなたとこんなことばっかり話してる気がするわ。その度に…ああなんでみことはこんなに呑気なんだろ!?って…私いっつも思ってた」

お二人は、この街で育った幼なじみなのだそうです。

私のように『めいぼくそう』で見習いをしていたみこと姐さまと、身寄りがなく道場の先生に引き取られたゆづきさん。

何処へ行くのも何をするのも一緒だった…と、いつも懐かしそうに話してくださいます。

まあまあ…と宥めるように、姐さまはゆづきさんの背中を押しました。

「呑気なんは性分やし…ほな、行こか」

「…はいはい」

その時です。

「………あら?」

振り返ると、さっきいらっしゃった化人さま方の姿はなく。

夕暮れに沈む誰もいない通りに、生温い風がふうっ…と通りすぎてゆきました。


みこと姐さまが薬の調合をなさっている間、私とゆづきさんは縁側でお茶を飲みながらおしゃべりをしておりました。

少し元気になったご様子に安心して、訳を伺いますと。

「何故かわからないけど、ここにいたら大丈夫なんじゃないかなって思っちゃうのよね」

「大丈夫…とおしゃいますと?」

「杏珠さまもみことも、ちょっと癪だけどつづみもいるし…ここならあの化物も近づけないんじゃないかって」

「そ………う…ですね」

………忘れてた。

こんな所にあの破れ提灯が現れたら…ゆづきさんはきっと、腰を抜かしてしまわれるでしょう。

「ゆづきさん、私…杏珠さまにご用を言いつけられてたんでした!ちょっと…行って来ますね!」

「…夢ちゃん?」

すぐ戻ります、と申し上げて、私は破れ提灯の隠れている納屋に向かいました。


私の顔を一目見るなり、破れ提灯は…わざとらしい咳を始めました。

「どうやら、風邪をひいたようでございまする…ごほごほ」

「………もう」

「本当でございまするっ!こんなに頭も痛くて…少し熱っぽいのでございまする」

「…体の中でいつも灯を燈しているんだから、熱くて当たり前じゃないですか?」

「うう、本当なのに………」

「いいんですか?皆さん、帰り道がわからなくて困ってらっしゃるんですよ!?」

いつになく強い調子の私に、破れ提灯は瞳を潤ませ懇願します。

「夢さんお願いしまする、あと…もう一晩だけっ!そしたら明朝には必ず元気になって、ちゃんと皆さんを連れて元の住み処に帰りますから」

この台詞…一体何度聞いたことでしょう。

「ちょっとは…勇気を出してください!」

「…勇気?」

そうです、と大きく頷いて、私は彼の前にしゃがみ込みました。

「破れ提灯さんは…一旦逃げ出したことで弱気になってらっしゃるんです。本当はこのままじゃいけないって…わかってるんでしょ?」

「……………」

「きっと…一歩前に踏み出す勇気を忘れてしまってるんですよ。嫌なことを後回しにしたくて、明日は、明日こそ、明日には必ず…って」

「でも…本当にお腹が痛いのでございまする」

「嫌なことがあるから、痛い気がするだけですよ。後回しにする言い訳が出来るから…私達だけじゃなくて、ご自分に対する…言い訳が」

「ぼくに…ですか」

嫌なことがある時に、そんな虫が悪さをするのは…人も化人さまも同じのようで。

しめた、これで嫌なことから逃げられる…と思うと、大層楽な心地になるものです。

「でもね…勇気を振り絞って、えいっと前に踏み出せばきっとすっきりしますよ。お腹が痛いのも頭が痛いのも、たちまち吹き飛んでしまいますから」

破れ提灯はぽかんとしたまま、黙って私の話を聞いておりました。

そして、暫く考え込んだ後………

嫌でございまする、と…大きく首を振りました。

「行列の皆さんは…僕の苦労なんか、ちっとも分かっちゃくれないのです」

「そんなこと…」

「どんなにぼくが頑張ったって、ぶつぶつ不満を言うばかり。あの方々はただの一度も僕に『ありがとう』とか…感謝の言葉をかけてくれたことはないのです」

はあ…と、彼は煤まじりの黒いため息をつきます。

「そもそもぼくがいけないのでございまする…ぼくが何をやってもうまく出来なくて、いっつもいっつもどじばかりしているから…」

破れ提灯のその言葉に…なぜかどきりと胸が高鳴りました。

「ぼくなんか…どうせいつまでたっても、一人前の先導にはなれないのでございまする」

何をしたって中途半端で。

何をしたっていまいちで。

こんな風では…

一体、いつになったら………


その時です。

耳をつんざくような女性の悲鳴が、蔵の外から聞こえてまいりました。

あれは………

「ゆづきさん………?」

心配になりますが、暗く沈みこんでいる破れ提灯を放っておくわけにもいかず。

破れ提灯はといえば、外の騒がしい気配などそっちのけで、私に背を向け俯いています。

「ぼくのことなんか、きっと皆さんも忘れてしまっているのでございまする。ぼくなんかいなくたって、皆さんは…ぼくなんか、百鬼夜行のお荷物なのでございまする…」

「破れ提灯さん…」

「あいつがいなくなって清々したとか、皆さんはきっとそんな風に…」

「それが事実かどうか…自分の目で確かめてはどうだね?」

振り返ると、戸口に立っていたのは笑顔の杏珠さまでした。


木陰に隠れて、さっきゆづきさんと座っていた縁側の方を覗いてみます。

すると。

「破れ提灯はどこだ」

「お前達が隠しておるのだろう」

「なんといっても我らの姿が見えるのだからな」

「おぬしらが隠しておるのに違いない」

「出せ出せ」

「出さぬというのなら、街の連中をひどい目にあわせるぞ」

「そうだそうだ」

何やらがやがやと騒いでいるのは…百鬼夜行の化人さま方でした。

ゆづきさんは気を失っておられるようで、板張りの縁側にぐったり倒れておられます。

そして、まあまあ…と両手を広げ化人さま方を諌めておられるのは、つづみ姐さまとみこと姐さま。

「あれ………」

目を丸くして、破れ提灯が化人さま方を見つめています。

杏珠さまは私達に向かって、いたずらっぽく片目をつぶっておっしゃいました。

「まあ…見ているがいいさ」


ふむ、と顎に手を当て、つづみ姐さまが化人さま方をご覧になります。

「確かに…ぬしらの探しておる破れ提灯はここにおった」

思わず…破れ提灯と顔を見合わせてしまいます。

一体、姐さまは何をおっしゃるおつもりなのか…

何かお考えがあるのでしょうか。

「なんだと」

「やはりそうであったか」

「隠し立てせず早く出さぬか」

「そうだそうだ」

「破れ提灯を出せ」

ぬっと身を乗り出す化人さま方を、まあそう慌てるでない…と落ち着いた声で制する、つづみ姐さま。

いつもの素っ気ないそぶりで、明後日の方向に目をむけておっしゃいます。

「ここに『おった』と言うたのじゃ。つい今朝がた、行く先も告げずにどこかへ消えてしまっての。なぁみこと」

ええ…と頷き、みこと姐さまは穏やかな微笑みをたたえ、化人さま方におっしゃいます。

「なんや…えらい悩んではるみたいやったけど。自分は駄目や、先導失格やて」

「おお、そうじゃったな。ぬしらは大分あれをいびっておったようではないか」

大小様々なお姿の化人さま方は一様に目を丸くして、周囲の方々と顔を見合わせます。

「いびるなど」

「聞こえの悪い言い方をするでない」

「わしはあれに大層目をかけてやっておったぞ」

「何を言う」

「おぬしはいつも、あれにきつく当たっておったではないか」

「それを言うなれば、そなたはいつもいつもあれに文句を言うておったろう」

「それならば、あやつの方が」

「わしだと、そんなはずはない」

化人さまの集結した館の庭が、俄かに騒がしくなりますが。

とある化人さまの一言で、辺りは水を打ったように静かになりました。

「占い師の娘の、そなたはいかにもわしらが悪いように言うが、あれにも注文の付け所はたんとあったのだぞ」

「ほう…注文とな」

「一体、何が不満やったん?」

化人さま方は一斉に身を乗り出し、姐さま方におっしゃいます。

「だいたいあれは、先導の癖に方向音痴なのだ」

「左様」

「地理にも暗いしな」

「あれについて参ると、同じ所をぐるぐるぐるぐる廻らねばならぬ」

「それに、あれは声が小そうて通らぬ。ようく耳を澄まさねば、列の後ろの方の者はたちまち取り残されてしまうわ」

「動作ものろのろしておって、後ろで見ていて苛々するぞな」

「やはり先導は道に明るく、きびきび我らを導いてくれねば」

口々に不満をおっしゃる化人さま方を、涙目で見つめる破れ提灯。

体の中に灯った明かりは、いつのまにかしょんぼりと消えてしまっておりました。

姐さま達ったら。

このままでは…破れ提灯が余計に自信を無くしてしまうのに。

愉快そうに化人さま方の騒ぎを眺めていらっしゃる杏珠さまも…お考えがさっぱりわかりません。ここで一念発起、立派な先導として頑張れるよう、はっぱをかけていらっしゃるおつもりなのでしょうか。

先程の破れ提灯の一言が、不意に脳裏をよぎります。

『ありがとうの一言も…』

そう。

愛情のある叱責ならば、しっかり受け止めて精進しようと思うのです。

でも…

彼の気持ちが、私には痛いほどわかる気がいたします。

己の不出来は、自分が一番よく分かっているもの。

それでも、やはり…

優しい言葉が欲しくなってしまうのです。

些細なことでもいい、『ありがとう』とか『よくやった』とか…

にっこり笑って言ってもらえたら、どんなに気持ちがしゃんとすることか。

そう…あの時だって。

『杏珠さまの弟子だから』ではなくて。

『夢はよく精進しているから、きっとすぐに一人前になれる』とか…

そんな言葉が欲しかったのだと思い当たりました。

こんなこと…きっと、しっかり者の姐さま方には理解してはいただけないでしょう。

それに………杏珠さまにも。


破れ提灯に合わせ、私が大きなため息をついた…

その時でした。

「だが、わしは先導があれに代わって、夜行が以前より楽しくなった」

「ほう」

「それは何故じゃ」

「あれが道を知らぬ故に、今まで思いもよらなかった道を通るようになったであろう」

化人さま方は、不意に黙って互いに顔を見合わせます。

「成程」

「以前の先導の時分は、道が単調で退屈に思う時もあったな」

「あれは相当な頑固者であった故、我々の意見などまるで通らなんだ」

「それに比べれば、あれはわしらの話をよう聴いてくれるではないか」

「確かにそうだ」

「未熟ゆえに、思うようには行かぬがな」

「未熟なりに、我らの意向に沿うよう心を尽くしてくれておる」

「あれの灯りが他の先導よりも暗いのも、声が小そうて通らぬのも、おどろおどろしい雰囲気を醸して愉快ではないか」

さっきまでの不平不満はどこへやら、口々に破れ提灯を褒め始めた化人さま方に。

破れ提灯はぽかんと口を開け、呆然としております。

「…では」

縁側に立て膝で座り、にやりと笑うつづみ姐さま。

「こういうことじゃな?色々文句も言ってはおるが、ぬしらは破れ提灯に一目置いている…と」

ざわざわしていた化人さま方が、またぴたりと静かになります。

「そうではない」

憮然とした声。

「あれはまだまだ未熟だ」

「申し述べたいことは星の数ほどある」

「あのままで良いなどと思うたら大間違いじゃ」

「もっと道も覚えて貰わねばな」

「先導らしゅう、大きな声ではきはきと物も言うて貰わねば」

「何を置いても、先導が道案内をほうり出すなぞ言語道断」

「そうだそうだ、自覚が足りぬ」

「だが」

化人さま方は、しかめっつらのまま口を揃えておっしゃいました。

「破れ提灯にはいてもらわねば困る」

「あやつにはこれからも、われらを導いてもらわねば」


思わず顔が綻んでしまい…隣をちらりと盗み見ると。

「…あら?」

そこに、彼の姿はなく。

目をきらきらさせた破れ提灯は、化人さま方目掛け駆け出しておりました。

「みなさま、ご心配をおかけしました~!」

大小様々なお姿の化人さま方は、一斉に振り返り。

「破れ提灯ではないか」

「ほれ見たことか、やはり隠しておったのではないか」

「小娘どもが、謀りおって」

「そんなことより、破れ提灯だ」

「おぬしのおかげで散々だ」

「一張羅が昨夜の雨で台なしになってしもうた」

「歩き疲れてもうへとへとだわい」

「誰がおぬしの心配なぞするものか」

「何をぼやぼやしておる、はようわれらを連れて帰らぬか」

相変わらず口の悪い皆さんに…破れ提灯は潤んだ瞳で、笑って頷きます。

「皆さん、本当に素直じゃないんだから…ぼく、困ってしまいまする」

全然困っていなさそうな声で言って、彼は体に明るい灯を燈しました。

「はーい、みなさまこちらです!近道しますからはぐれないように気をつけてください」

くたびれた、道の悪いのは嫌じゃなどとおっしゃりながら、化人さま方は小さなその背中に続いて歩き始めます。

整然としたその行列は、今までに見た百鬼夜行の中でも…一番に愉しそうに見えました。

「杏珠さま、夢さん、みことさんにつづみさん!ほんとにお世話になりました」

自信を取り戻した、明るい破れ提灯の声が周囲に響き渡ります。

「みなさんのご恩、ぼく一生忘れませんっ!いつか立派な一人前の先導になって、みなさんに恩返しに参りまする」

「おお、せいぜい頑張るがいい」

けらけらと愉快そうに笑うつづみ姐さま。

「けど…今度はゆづきのおらへん時にしたげてな」

困ったように笑って、みこと姐さまもおっしゃいました。

「化人どのにも色々なご苦労があるもんだねぇ…」

穏やかな調子でおっしゃる杏珠さまに、私は無言で頷きます。

「心で思っていることは、なかなか口には出しにくい。いつも近くにいたとしても…それが照れくさい言葉ならば、尚更のことさ」

………杏珠さま。

「まるで人のようじゃないか。そう…思わないかい?夢」

何だか…体の芯が、急にあったかくなるような心地がいたしました。

寒い日に囲炉裏にかざした、かじかんだ手のように…少しくすぐったくて、じんじんして。

「私…そろそろ夕餉の支度をしてまいります!」

そう言って私は…

いつになく柔らかい杏珠さまの眼差しから逃げるように、台所へ駆けこんでしまいました。


その夜の夢は、えらくご機嫌な様子だった。

今日はちょっとだけご馳走にしてみました、と胸を張る彼女の手料理は、確かにいつもより品数が多かったし、内容もまたなかなかのもの。

杏珠さまの好物の蛤の吸い物に、みことの好物の白和えに、ゆづきの好きなばらちらし。

それに。

だしのきいた優しい味がする…だし巻きたまご。

どういう風の吹き回しだい?と訝る杏珠さまに、ふふふと嬉しそうに肩を竦めて笑う夢は、すっかりいつもの元気を取り戻したようだ。

…それに引きかえ。

心地良い風が頬を撫でる、今宵はこんなにいい夜だというのに…

相変わらず青い顔で浮かない表情の…ゆづき。

私は暗い道をとぼとぼとやや遅れ気味について来る彼女を振り返り、溜息をついて両手を腰に当てた。

「ゆづき、いい加減にせぬか!ぬしは一体いつまでさっきの化人騒ぎを引きずっておるつもりじゃ」

「…もう、やめてよ!思い出しちゃうじゃない」

しかめっつらでゆづきが首を振ると、後ろで束ねた長い髪がふわりと風になびく。

全く…普段の威勢のよさはどこへ行ってしまったのだろう。

あの騒ぎで失神してしまい、目を覚ましてからこっち…ずっとこんな調子で。

せっかくのご馳走にもほんの申し訳程度しか手をつけないものだから、さすがの私も少し心配になって、家まで送ろうと申し出てしまったのだった。

「さっきの夢を見たじゃろう、ぬしはせっかくの才能を無駄にしておるのだぞ?」

「こんなもの…才能なんかじゃないわよ」

欲しい人がいるならあげるとそっぽを向いて、すいと私を追い越していく

「夢ちゃんがうらやましいわ、私…あんな不気味な物見ても動じない上に、占いを何の抵抗もなく受け入れられるんだもの。厳しい師匠と身勝手姐二人にもめげずに」

「おい…姐のところは訂正せい」

私の苦情なぞ意にも介さず、ゆづきはふう…と溜息をつく。

「あんなに瞳をきらきらさせて、早く一人前の占い師になりたい…なんて」

今からでも遅くはないぞ、と私が言うと、不愉快そうに眉を顰め首を振る。

「私にはとても無理だわ」


だって私、占い師なんて大嫌いだもの。

ゆづきは静かに呟いた。


ゆづきと私の間に、一陣の風が吹き抜ける。

長い髪を夜風に遊ばせて、背を向けたままの彼女の表情を伺い知ることは出来ないが。

私もどういう顔をしたらいいか困るので、実は好都合なのだった。

こういう時は…いつもそう。

はて、何と答えたものかな。

『ぬしの大好きなみことは占い師ではないか』と…からかってやるか。

それとも。

『ぬしになぞ嫌われて丁度よいわ、せいせいする!』と…啖呵をきってみるか。

『好き嫌いはぬしの勝手じゃが、夢にだけは言うなよ。後進のやる気を削がれては困るからな』と…呆れた顔をしてみるか。

…それとも。

『ぬしの………』

「ごめんね、つづみ」

夜道に浮かんだ頼りなげな後ろ姿は、無表情な声で言う。

「いつも…本当にごめん」

「…もう、よい」

ふう、と一つ息を吐く。

そして…気を取り直して。

「気弱なゆづきなぞゆづきではないわ!気味が悪うて堪らぬ」

いつも通りの…悪態をついてやると。

うるさいわねぇ大きなお世話よ!と、いつもの怒鳴り声が返ってきた。

ゆづきが先に声を掛けてくれて良かった。

お陰で、喉元まで出かかった言葉を…引っ込めることが出来たから。

怒ったように肩をいからせ、ずんずん先に歩いていくゆづきは相変わらずこちらを見ない。

「おい、一人で帰れるのならわしはもう帰るぞ」

「そうしたいのならそうすれば?ありがとね、こんな所までついてきてくれてっ」

投げかけた言葉に、拗ねたように応えるゆづき。

「じゃあね!おやすみ、つづみっ」

肩越しにひらひらと手を振る、ゆづきは泣いているのかもしれない、と…思った。

「おやすみ、ゆづき。今日は…良い夢が見れるとよいな」

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