第一話 まずは自己紹介から…
めいぼくそうへようこそ、と申し上げると、大抵の客人さまは怪訝な顔をなさいます。
と、申しますのも。
「あの看板…『めいぼくそう』と読むんですか」
このお店の看板は、どうやら常連の客人さまにしか読めないらしいのです。
聞くところによれば、街の皆さんはうちのお店のことを、『占い屋敷』とか『杏珠さまの館』とか…色んな呼び名で呼んでいらっしゃるそうです。
そんなわけなので。
姐さま方の所へお連れする前に、こうやって客人さまに店の名の由来をご説明してさしあげるのが、私の日々のお仕事になっております。
『明衣堝珀荘』の名は、占い全般を表す『命・卜・相』を文字ったものです。
当てられた字にも、それぞれ意味がございまして。
『明衣』は神事の際に着る衣、『堝』は薬を調合するるつぼ、『珀』は貴い白玉…
つまり、私共の館でご提供する占いやお祓い、薬の調合に因んでいる…というわけです。
ここまで説明すると、大抵の方はほう…とため息をつかれます。
私が名付けたわけではないのですが…そんな風に感心されると、何だか誇らしい気持ちになるのです。
「申し遅れましたが」
私は裳の裾をちょっと摘み、異国風にご挨拶をしました。
「私、この館で占い師の見習いをしております…夢、と申します」
この館には、二人の占い師がおります。
津都美姐さまと、美古都姐さま。
つづみ姐さまは、捜し物や商いに関する占いを得意とされており。
みこと姐さまは、恋占いや薬師のお仕事を得意とされております。
皆さまのお求めに応じて、姐さまの所へお通しするのが館の決まりごと。
「杏珠さまは…占いはなさらないので?」
首を傾げる客人様に、にっこり笑ってお答えします。
「杏珠さまは、姐さま方では難しい占いや、お祓いなどをなさるんですが…特殊な道具を遣うため、料金が少し…割高になっておりまして」
「そう………ですか」
その時です。
館の離れから聞こえてきたのは………誰かの悲鳴。
目を丸くしている客人さまに、ちょっと失礼…と微笑んで。
私は一目散に、姐さまの部屋へと向かいました。
駆け付けた先では。
「ぬしは…自分が何をゆーちょるか、分かっとるのか!?」
いつも通りに威勢の良い、つづみ姐さまの怒声が響き渡っていました。
「ひっ…すっ………すいませんっ………」
何だ何だと集まっていた客人さまや街の皆さんをかき分け、姐さまのお傍に駆け寄ります。
「夢!こいつを摘みだせ!!!」
一体どうなさいました?と…お尋ねしましたら。
つづみ姐さまは、大きな目を倍くらいの大きさに見開いて、青くなっている客人さまを指差して…叫びました。
「この男、このわしに今晩付き合えなんぞと…」
「で…ですから………もしよろしければって………」
反論しようと口を開いた客人さまに、姐さまは鬼の形相で迫ります。
「よろしいわけないじゃろ!!!ぬしゃ一体、何を勘違いしとるんじゃ!?」
姐さまは真っ赤な顔で、占い道具を手当たり次第、客人さまに投げつけています。
あーあ…
あんな事したら…後で杏珠さまに叱られてしまうのに。
「た…たすけてっ………たすけてくださいっ」
すると。
ちょっと失礼、失礼…と人ごみをかき分ける、女性の声が聞こえてきまして。
姐さまの顔がひくひくひくっと…引きつりました。
「警察の者です。何か騒動のようだと…通報がありまして」
半ば腰を抜かしている客人さまは、あたふたと女性の背中に隠れます。
女性は、もう大丈夫ですよ…と微笑み、客人さまを他の警察の方にお任せして。
くるりと私達の方を振り返り、明るい声でおっしゃいました。
「事態は丸く収まりましたので、どうか皆さんご安心ください」
毅然とした彼女の声には、いつも惚れ惚れさせられます。
先程入り口からお連れした客人さまは、どうやら帰ってしまわれたようで…
静かになった部屋には、彼女と私と姐さまだけが残りました。
不貞腐れた様子のつづみ姐さまは、書斎机に頬杖を突き、ぷいっとそっぽを向いています。
ご面倒お掛けしました…と深々頭を下げると。
「いいのいいの、これは私のお仕事だから」
夕月さんはにっこり笑ってくださいました。
「相変わらず、夢ちゃんは礼儀正しいのね。それに引きかえ…」
彼女はふう…とため息をついて、厳しい声でつづみ姐さまを叱ります。
「あなたは何なの!?つづみ…いい年して、軟派の一つもあしらえないなんて…」
つづみ姐さまは彼女の方を見ずに、不機嫌そうな顔のまま。
ぽつり、とつぶやきました。
「ぬしだけには…言われとうないわ」
すると。
ゆづきさんは顔を強張らせ…声を詰まらせます。
「………何…ですって?」
………あら。
何だか、怪しい雲行きです。
ちっ…と小さく舌打ちをして、つづみ姐さまはじろりとゆづきさんを睨みます。
「だぁから、ぬしのように…色気のかけらも無うて、男から一声も掛からんようなおなごに言われとーない、と言うとるんじゃっ」
「…あ…なた…ねえ、私の何を知ってるっていうのよ!?私にだってそういった殿方の一人や二人………」
引きつった顔で睨むゆづきさんと、ほう…と好戦的なつづみ姐さまの視線がぶつかります。
「例えば…誰じゃ?」
「………それは」
「…言えんのじゃろ?」
「………そっ…そんな…そんなの私の勝手でしょ!?何でそんなことあなたに話さなくちゃならないのよ!?」
ふっ…と意地悪く笑い、姐さまは勝ち誇ったように髪をかきあげました。
「あーあー相変わらず口だけは達者じゃのー…女だてらに男のような格好をして、厳しい顔をして街を歩きまわっておっては…ぬしの『良い話』が聞ける日が来るのは、一体いつのことじゃろーなぁ」
「………うるさいなぁ!!!ほっといてよ!!!」
ゆづきさんは、警察のお仕事の傍ら、街の道場で子供達に剣術の指南をなさっています。
道場にはきちんとした先生もいらっしゃいますので、お手伝いなのだそうですが。
優しくて明るい性格のゆづきさんは、街の皆さんの人気者です。
黒い軍服の男性の警察官の方と違い、薄桃色の着物に紺色の袴姿、紺の紐で長い黒髪を後ろで結わえたその姿は麗しく、私はいつも羨ましく思ってしまうのですが…
つづみ姐さまは、彼女のそういう姿を…いつもこんな風にからかわれるのです。
………そうそう。
今はそんなことを考えている場合ではありませんでした。
二人の間を流れる、一触即発の空気に…おろおろ周囲を見回していると。
戸口から、のんびりした声が聞こえてきて。
「何やの?二人して騒々しいなぁ」
二人はぎょっとした顔で、声の主を見つめます。
「つづみ。姉弟子のあんたが怖い顔してるから…夢、困ってるやない」
「いえっ…みこと姐さま、私はその………」
ええよ、と笑って、みこと姐さまは小さく首を傾げ。
翡翠色の耳飾りがちゃりん…と音を立てました。
「ゆづきもゆづきや。あんたがそないな小さいことに腹立てたりするから、この子も調子に乗るんやないの」
「そっ…それは………」
ゆづきさんは耳まで真っ赤になって、硬直してしまいます。
「ええから早よ詰所に戻り。皆さん心配してはるえ?」
「でっ…でも………」
「そんなこと、ぬしには関係なかろうが」
ぼそっと呟くつづみ姐さまに、はっとした顔でゆづきさんが同意します。
「そっ…そうよ!これは私とつづみの問題で、みことには関係…」
「大ありや」
そんなこと言うまでもありません…という顔で、みこと姐さまは二人の攻撃をひらりとかわしてしまいました。
不満そうな二人をよそに、歌うような声は続きます。
「あんたらがそうやって罵り合ってるの、外にも聞こえてるんやから…」
ふう…と大げさにため息をついて、みこと姐さまは腰まである長い髪を、ゆっくりと掻き上げました。
「おかげさんで占いに集中出来ひんくて…私も困ってんねんで?」
そして。
一時の…沈黙の後。
こほん、と軽く咳払いをしたゆづきさんが、気まずそうに笑いながらおっしゃいました。
「じゃ、じゃあ私はこれで…また何かあったら呼んで頂戴ね、夢ちゃん」
いつもの調子に戻ったゆづきさんに、はい!と元気にお返事いたします。
………が。
彼女はちらり…とつづみ姐さまを見て。
「………覚えてなさいよ、つづみ」
低い声でつぶやいて…館を出ていかれました。
その後もしばし、部屋には重い空気が漂っておりました。
むっつり黙りこんだまま、煙管に火をつける…つづみ姐さま。
「…さてと」
みこと姐さまは、不機嫌な姐さまにお構いなしという素振りで、ぱちんと両手を叩きます。
「夢、お仕事に戻ろか?」
「…あっ………はい!」
つづみ姐さまはこちらを振り返ることなく、机に肘をついたままひらひら手を振っています。どうやら…未だご機嫌斜めのご様子。
部屋を出て、ぴかぴか光る廊下を少し歩いたところで。
「あの…みこと姐さま?」
「…何?」
つづみ姐さま大丈夫でしょうか?と…お尋ねしますが。
相変わらず…みこと姐さまはにこにこと笑っていらっしゃいました。
いいのいいの…と、乳白色の指輪の光る白い細い右手をひらひら振って、穏やかな調子でおっしゃいます。
「あの子、へそ曲げたら誰が何言っても聞かへんし…ほっといたらええ」
「…そうでしょうか」
「そ。だからあんたも気にせんと、自分のお仕事したらええよ。忙しいやろ?」
「………はい、まぁ」
…まったく。
本当に…対照的な二人の姐さまです。
麗らかな陽だまりの中に、いづこさんの笑い声が響き渡ります。
「そっかそっかぁ…」
「いづこさんっ、そんな…笑い事じゃありません」
姐さま方に聞こえたら大変、と焦る私にはお構いなしで、ゆづきとみこととつづみの三つ巴なんて…と、いづこさんは目を細めました。
「みんな大人気ないんだから…ほーんと夢ちゃんは大変だ」
不意に顔が熱くなるのを感じ、私は地面に視線を落とします。
「私なんて…まだまだ未熟者ですし」
「そんなことないない。俺、夢ちゃんが一番しっかりしてると思うけどなぁ」
「そんなことは…」
どきどきしている私の背後から。
「うちの見習いを誑かすのは止めてくれないかねぇ、師範代?」
低い声が聞こえてまいりまして………思わず、体を縮めてしまいました。
「あ…」
いづこさんは慌てた様子で立ち上がり、焦ったように笑います。
「いえ、杏珠さま!俺はその…」
「仕事サボリに来てるのはお見通しなんだよ、いづこ。夢はお前さんと違って暇じゃないんでね。そろそろお帰り願いたいんだが?」
「あっ…とぉ………じゃあ…そろそろお暇しよっかな!?じゃあね夢ちゃん!またっ」
「えっ!?………はい」
お気をつけて…と手を振る私と、眉間に皺を寄せて腕組みをする杏珠さま。
いづこさんは小走りでお店を出たところで、くるりとこちらを振り返ります。
「そうそう!言い忘れちゃうところでした」
「…なんだい?」
「杏珠さま、今日もお綺麗ですねっ」
きょとんとした顔の杏珠さま。
「やっぱり『美人揃いの占い館』の女主人だけあります。いつもお綺麗で…」
「…さっさとお行き」
はぁい、と気持ちの良い返事を残して、いづこさんは道場へ帰っていかれました。
ふん、と呆れたように鼻を鳴らして、杏珠さまは私の顔をちらりと見ます。
「夢」
「…はい!?」
「仕事に戻りな」
「………はい!」
頭を掻きながら奥へと戻っていく杏珠さまの後ろ姿を見送りながら。
私は…大きなため息を一つつきました。
そうそう。
いづこさんは、市宮いづこさんといって、街の剣術道場の師範代をなさっている方です。
若いながらになかなかの腕前だそうで、街の坊や達の人気者なのです。
………ですが。
いづこさんは、もっと…街の娘さん達に人気があるようで。
さらさらの髪に、抜けるような白い肌。
すらりとしたお姿は、まるで物語の中に出てくる牛若丸のよう。
それでいて、あんな風に気さくなお人柄ですから…
若い女性が放っておくはずもありません。
ただ………
ちょっとだけ…軟派な所をお持ちなのが、玉に瑕です。
杏珠さまのことも、お話しておかねばなりません。
杏珠さまは『めいぼくそう』の主人で、私達のお師匠様です。
お年のほどは…はっきり分かりません。
ですが、お前のおっかさんのおっかさんくらいの年だよ…と、以前つづみ姐さまがこっそり教えてくださったことがありました。
髪は確かに真っ白ですが…そんな風には正直、見えません。
いづこさんの仰る通り、杏珠さまはすっと背筋が伸びていて、瞳には強い光が宿っていて。
それはそれは、お美しい方なのです。
でも………
それはそれは…怖いお方でもあります。