訪問者
その静かな日々は、ある日を境に変わった。
午前中、面会時間を告げる放送が流れた直後。
病室の自動ドアが音もなく開いた。
背筋の伸びた男が現れた。黒のスーツに銀縁の眼鏡。
美月は思わず立ち上がりそうになる。
見知らぬ男の訪問者は珍しかった。
「ご無沙汰しております、斎藤蓮さん」
男はゆっくりと一礼した。
斎藤は虚ろだった目をゆっくり動かし、男をじっと見つめた。
「……誰だ?」
男は薄く笑みを浮かべる。
「中村と申します。以前、何度かお仕事でご一緒させていただきました」
美月は困惑して男と祖父の間を見比べた。
お仕事?
中村は話を続けた。
「今日は、依頼があってまいりました。……あなたにしかできない仕事です」
美月の鼓動が一拍遅れて跳ねた。
依頼? 仕事? 一体何の話をしているの?
「セルゲイという男をご存じでしょう」
その名が出た瞬間、斎藤の顔にわずかな変化が現れた。
沈んでいた目が、一瞬だけ鋭さを取り戻した。
「……まだ生きていたのか、あの男」
中村は満足そうに頷く。
「ええ。しかし、今のセルゲイは危険すぎます。あの男を殺せるのは、あなた以外におりません」
美月の背中に冷たい汗が流れ落ちた。
(何を言ってるの……? 殺しの話? じいちゃんに?)
斎藤はしばらく沈黙した。
やがて、美月の方へ顔を向ける。
いつもとは違う。
ぼんやりとした目ではなく、深く澄んだ瞳。
まるで、霧の奥に隠れていた何かが、今だけ現れたような――そんな目だった。
「美月」
美月はわずかに肩を震わせた。
「……お前には、ずっと黙っていた」
斎藤の声は静かだった。しかし、その静けさの奥に重いものがあった。
「私は、昔――人を殺す仕事をしていた」
病室の中の空気が音もなく冷えていく。
桜の花びらが舞い込んできたはずの窓も、今はただ静まり返っている。
美月は言葉を出せなかった。
頭の中で何かが音を立てて崩れていくようだった。
じいちゃんが、人を……?
だが、目の前の祖父は、いつもと同じように優しい目をして、自分の手をそっと重ねてくれていた。
美月はただ、その手を静かに握り返した。
わずかに震える指先を止められないまま、それでも手を離さずに。




