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静かな日々
療養病院の一室は、ほとんど時計の針の音しか聞こえなかった。
窓の外では柔らかな春風が桜の花びらを舞わせている。
その光景を、斎藤蓮はぼんやりと眺めていた。
車椅子の上で身じろぎもせず、白髪の老人は静かに息を吐く。
斎藤の目はどこか遠くを見ているようで、けれど何も見ていないようでもあった。
認知症の進行は進んでいた。思い出は日々霞み、今が何年なのかも時々曖昧になる。
「じいちゃん、今日も桜が綺麗だよ」
優しい声がかけられる。
斎藤の隣に座る少女――孫の美月が微笑みながら話しかけていた。
斎藤はわずかに目を細める。
その目の奥には、まだ完全には消えていない光が残っている。
「桜……ああ、桜か……」
それだけ呟くと、また沈黙が落ちた。
病室のカーテンがふわりと揺れ、光と影が床に模様を描いていく。
美月はそのゆらめく光をじっと見つめた。
何度も聞きたいと思ったことがあった。じいちゃんの若い頃のこと。
でも、今日も聞けなかった。
ただ、今はそれで良かった。
元気でいてくれるだけで。