喪失と誓い
室内に足を踏み入れると、まずその絢爛さが目に入る。金糸をあしらった豪奢な赤いカーペット。陽の光を室内へと思う様招き入れる天窓。まるで自ら光を放っているかの様な大理石の壁。そのことごとく、一庶民の私には目に毒だ。目に毒と言えばもう一つ。室内の左右に分かれる様にして騎士や貴族の集団が列になって並んでいる。その数多の視線が一つ残らず私へと向けられている。いずれも懐疑、侮蔑、嘲笑といった良くない感情ばかり。私はそれら全てから目を背け、先導するサルカンさんの背中に注視した。
貴族や騎士達の真ん中を突っ切る様にしかれたカーペットの上を歩き、玉座の目の前へ。私はサルカンさんに習いその場で跪く。やがて、「面をあげよ」との号令に従い私は頭を上げた。
段差の上、玉座に腰掛ける人物。第103代国主テフェリー=サンロ公爵様は、静かにこちらを睥睨している。その瞳は静謐で、一体何を映しているのか、その心意を窺い知ることは出来ない。えもいわれぬ威圧感を放っているが、ニルヴァーナ様に比べれば大したことはないと思った。
「まずサルカン。送迎ご苦労であった。もう下がって良い」
サルカンさんは一言「失礼致します」と言って騎士達の列に加わる。すると公爵様は私へと目線を向けた。
「パトリシアよ、まずはご苦労であった。山道は女の身には辛かったであろう」
「お気遣い痛み入ります」
公爵様は眉尻一つ動かさず私を労った。しかし次の瞬間、公爵様は初めてその表情を歪ませた。
「さて、報告によると其方は龍山にて彼の龍にお会いした、と申したそうだな。それは真実か?」
私はその問いに肯定しようと口を開いた。しかし私の言葉は、発せられる事なく遮られる。
「テフェリー様。この小娘の言は信用なりません。大方直前になって怖気付いて逃げ帰ってきたのでしょう。全く卑しいことこの上無い」
吐き捨てる様に言うのは公爵様の隣に立つ、曲がり髭の男性。宰相のジェイス=ベベレン侯爵様は顎を突き上げ、私を睨め付ける。
サルカンさんより事前に聞かされていたことだが、この状況は所謂茶番だ。貴族や騎士の中には私の主張を疑問視する者たちが大勢いる。そういった者たちに自然な理解を促すため宰相様は表面上、否定的な姿勢を取る必要があるのだそう。しかしながら私には、あの宰相様の眼光はとても演技には見えないのだった。
「ベベレン侯、言い過ぎですよ。なんでも親龍様より賜った品が有るそうではないですか。その真贋を見極めてから判断しても遅く無いのでは?」
宰相様に苦言を呈したのは、壇上の上に立つ最後の人物。白い祭儀服を身に付ける壮年の男性。親龍教の司教ギックス信父様だ。親龍教を国教とする我が国には親龍教教会があり、親龍教宗主国であるナクタットから司祭が派遣されている。宗教国家での教会の発言力は強い。だからこそ、この場にも呼ばれているのだろう。
「パトリシア嬢、親龍様の贈り物を私達にも見せて下さい。さぁ、是非に!」
信父様に促され、私はポケットから龍珠を取り出し、両手で掲げて見せた。
「こちらが親龍様より賜った秘宝。龍珠です。飢えや渇きを癒し、あらゆる病傷を治癒する力が有ります」
私の説明に謁見の間はにわかにどよめき立つ。それを宰相様が「静かに」と一喝して収めると、私の方へと顎をしゃくる。
「では、貴様の言が真実であるか証明してもらおう。カーン分隊長をここへ」
すると騎士の隊列から一人の男性が進み出てきた。その男性は一見すると体つきの良い、いかにも騎士と行った風体だが、右腕が肘半ばから失われていた。それに伴って彼の表情は暗澹としている。
「カーン分隊長は先の間引きで深傷を負った。騎士として復帰することは不可能なので文官として置いていたが、これまでの功績を鑑み今回の役に任じた。娘、親龍様の下賜品をここへ」
サルカンさんから事前に、龍珠の真贋を証明する必要がある事は聞いていた。そしてその方法は、病傷をおった者に龍珠を与えるのが手っ取り早い。きっとこうなるだろう事は想像できていた。平民が貴族の命令を拒否することは出来ない。拒否すれば、一体どれほどの罰が与えられるのだろうか。ただ、私はここにきてニルヴァーナ様との約束を破ることに忌避感を覚えていた。すでに自らの手で破り捨ててしまった約束だったが、せめてこれ以上はニルヴァーナ様の意に背きたくない。そんな思いが私を口走らせた。
「あっ…あの!」
喉が渇く。寒くもないのに体が震え、暑くもないのに汗が額を流れ落ちる。これから自分がやろうとしている行いに心底戦慄する。
許可なく声をあげた私を宰相様が咎めるより早く、突如として謁見の間に影が落ちた。
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それは異様な光景だった。陽光を迎え入れるはずの天窓は漆黒の闇を写し、夜の帳の様に室内を暗澹たる影に包む。反対に、室内はまるで昼の市井の様に混沌としていた。貴族達は慌てふためき左右の者と揃って喚き散らし、騎士達は鎧兜を鳴らして駆け回り、貴族達の身を守ろうとする者や抜剣している者すらいる。かく言う私も何が何だか分からず、その場に尻をつき、ただ忙しなく周りを見回すだけ。
混乱の最中、喧騒を貫く様に激が飛ぶ。
「鎮まれ!」
公爵様の一喝で謁見の間は水を打った様に鎮まり帰る。そうして、みんなは少しずつ落ち着きを取り戻していく。ただ、依然として事の原因が不明である事には変わりない。公爵様は宰相と一部の貴族を呼び話し合いを始めた。
混乱から打って変わって、謁見の間は事態の解決に向けて動き始める。公爵様を含む上位の貴族数名の話し合いで、外に様子見の伝令を派遣する事が決定したその時、謁見の間の扉が乱暴に開け放たれる。転がり込んできたのは城の門前で番をしていた兵士だった。兵士は余程急いできた様でその場に両の膝を突き肩で息をしている。そんな息も絶え絶え、と言った様子の兵士に向けて、宰相様が唾を飛ばして叱責する。
「謁見中に何事か!?無礼であるぞ!」
兵士は弾かれた様に頭を上げ、答えた。
「皆んなっ、外へ、今すぐっ!」
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彼の龍は、太陽をその背に覆い隠し、ただ厳かにそこに在った。地上を睥睨するその姿は、まさに龍斯くあるべしと知らしめるかの様だった。雲を穿つ威容を前に、私たちは皆一様に言葉を失い、ただその偉躯を仰ぎ見る。
「あれは……一体……?」
呆然とした様子のサルカンさんが、私の横に並び立ち、誰へとも無く問いかける。答えを求めての問いではなかったのだろう。だが、直ぐに意図しない回答が齎される。
「親龍様だ…。親龍様のご降臨だ…!」
信父様がゆっくりと集団から進み出て、崩れ落ちる様に跪く。
彼の龍が何者であるのか、その偉躯を見れば、誰にでも想像がつくだろう。私が気を他方に回す余裕ができる頃には皆、公爵様ですらその場に膝を突き、首を垂れていた。信父様が、熱に浮かされた様な恍惚とした声色で、彼の始祖龍、ニルヴァーナ様へと麗句を述べる。
「あぁ…!いと高き我らが祖龍よ!このめでたき日に、良くぞご降臨あそばされ…」
私は跪くことも忘れて、ただひたすら、言いしれぬ違和感に身を震わせていた。それは、ニルヴァーナ様の御姿が以前よりはるかに大きいとか、その様な目に見える物ではなく、もっと何か、本能に訴えかけてくる様な…。
「ニルヴァーナ様…。今日は、どうされたのですか…?」
彼の龍は答えない。信父様の美辞麗句を他所に、私は再度問いかける。
「もしかして…親龍祭を御覧に?でしたら、どうぞ楽しんで行って下さい。皆、ニルヴァーナ様を、歓待して…」
彼の龍は答えない。
「ニルヴァーナ様…」
何かおっしゃってください。そう口にしようとした瞬間。極光が視界を塗り消した。
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目を開く前と後とで、景色には然程の違いも無いように思えた。煉瓦造りの家々が並ぶ街並み、聳え立つ城壁、 そして厳かに、雄々しくその四脚で立つ、始祖なる龍。何も変わらないのに、のたうつ心臓だけが、私を冷静にさせてくれない。
「サルカンさん…。一体何が起きたんでしょう…?」
城にいる間、頼りにしていた大きな背中を探して視線を彷徨わす。しかし、いくら見回せどサルカンさんはおろか、あれだけいた城の騎士や貴族、公爵様や信父様までもが、その姿を消していた。「サルカンさん…?、信父様、どなたか…」と、呼びながら付近を歩き回る。時折、足に当たりまとわりつくナニカを蹴り退けて、知っている顔を探し回る。
私はそのうち市井へと出ていた。朝の祭りの喧騒は何処にも無く、大通りをうねり吹き抜ける風の音だけが聞こえる。私は気付くと駆け出していた。
脳裏にまとわりつく、先刻の光景。突如発生した、第二の太陽と見紛う程の光。その発生源は、間違いなくニルヴァーナ様だった。その大きな口腔から、まるで雲の隙間から降り注ぐ陽射しの如く放たれた極光が私たちを包む間際、誰かが言った。『龍の祝福』と。
ナニカに足を取られて、走る勢いのまま転倒する。起きあがろうとして掴んだ、土とは違う感触のナニカ。ザラザラとしていてあまり質の良く無い布。理解を拒んでいたその正体に、私はもう一度目を向ける。
それは、服だった。庶民に一般的に普及する、麻で作られた、ごくありふれた服。それが、大通りに所狭しと並べられていた。不規則で、歪んでいて、いっそ脱ぎ散らかされた、と表現した方が適切なその光景に、私は体の奥底から溢れてくる冷気に喉の奥を鳴らした。
私は両腕を駆使して何とか立ち上がり、駆け出した。時折足をもつれさせ、体勢を崩しながら、朝歩いた道をがむしゃらに遡る。家のある通りへ続くちょっとした坂を上がり、進む。
手前から三件目、母とソリスおじさんが待っているはずの我が家へと走り寄り、内開きの扉を開け放つ。中には誰も居なかった。
「ハァッ…ハァッ…お母さん…?ハァッ…ンクッ…ソリスおじさん…?」
室内を歩き回り、二人の名前を呼ぶ。卓の上を見ると、果実酒の入った木製のコップが2つ置いてある。先程までここで飲んで居たのだろう。それ以外は至って変化は無かった。きっと、異変を感じて逃げたのだろう。そうに違いない。私は半開きになったドアのノブに手を掛けた。
(逃げられるのだろうか…)
ふとそんな考えが頭をよぎった。少し力を掛けて、ドアを押し開く。
「ぁ……」
焦りから視野狭窄に陥って、気付けなかったのだろう。ドアから少し離れた場所に、二組の衣服が落ちている。私はそばによって膝を突き、その二組の服を抱き上げた。
それはごく一般的な女性用のワンピース、そして、トリイ公国憲兵の制服だった。ワンピースには鎖が巻き付いていて、それは、母が大切にしていたペンダントだった。
わたしは身動き出来ず、ただその二つの衣服を掻き抱く。頭の中では、一体何が。どうしてこんな。などの同じ様な疑問が堂々巡りに巡っていく。
「どうして…」
誰かが言った。あの極光を、「龍の祝福」と。だがあれは、そんな温かみのある光では無かった。もっと冷酷で、無慈悲な何かだ。この国の、この現状を見れば、それは明らかで…。
「こんなの…こんなんじゃ…まるで…」
『どうした?小娘。その様な、天罰でも受けた様な顔をして』
頭上の遥か彼方、天上より齎された声に、私はその声の主を仰ぎ見る。
その黄金の瞳は、真っ直ぐに私を射抜いていた。怪しく輝く眼差しには、僅かだが確かに、喜悦の色を孕んでいる。
始祖なる龍、ニルヴァーナ様はおっしゃった。
『懺悔ならば言ってみろ。この我が気まぐれに聞いてやらんこともないぞ?』
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都市を覆う影を落とす威容。全ての疑問に答えをもたらし得る存在を前にして、私はその胸の内を吐き出す。
「母は…皆は何処に行ったのですか……?」
『星へ還った』
「…かえしてください」
ニルヴァーナ様は呆れたのか、酷く人間臭い皮肉げなため息をつく。
『理解できていない様であるから言い直そう。この国の民は皆死んだ。汝を残してな』
「かえしてください」
『死は不可逆だ。この我であっても覆し得ない』
「かえして!!!」
胸に抱いた母と、父になる筈だった人の服を強く握り締める。
「どうして、こんなこと…皆んなが何をしたと…!」
そうだ。ニルヴァーナ様のした事なのだ。きっと、何か高尚な理由がある。そうでなければ辻褄が合わない。そうでなければ、とても受け入れられない。しかし、彼の龍の口から発せられたのは、予想だにしない滑稽な理由だった。
『汝をくびきから解き放ってやったのだ。国や血族が有っては旅に出られぬであろう?』
「………は?」
頭が熱い。視界が赤黒く染まって、耳鳴りがする。もう彼の龍の言葉を正常に理解する事が出来ない。いや、したくない。彼の龍は変わらず、滔々と訳の分からない事を語っている。やれ『先立つものが必要』だの『旅の目標はあったほうがいい』だの。どれもこれもが聞くに耐えない。
湧き上がる、何か得体の知れないモノが喉の奥を冷やす。迫り上がってくるそれは確かな熱を孕んで喉を焼き、やがて唇を割って出た。
「ふざけるな!!!!!」
不敬だ。わかっている。だけど、言葉は私の口から止めどなく溢れてくる。信仰していた始祖なる龍へ、呪詛の言葉が、次々と。
「そんな事の為に皆んな…皆んなを殺したのか!?意味がわからない!皆んなを…お母さんを返してよ!何もしてないのに…!ただ日々を精一杯生きてるだけの私たちをどうしてこんな目に…!?信じてたのに…!信じてたのに!」
込み上げた熱が頬を伝う。喉が張り裂けんばかりに喚き散らし、私は彼の龍を見上げた。そこにあったのは、ただこちらを見下す冷たい視線だけだった。見たことがある。あれは貴族の目だ。下民を見下す上位者の目。
『何か、勘違いしている様であるから言っておこう』
龍の口が、大きく弧を描いた。私には、そう見えた。
『これは汝への罰だ。我が約定を破った汝へのな』
私はその瞬間、全ての思考を漂白された。正しくは、彼の龍のある言葉が、残響となって身体を駆け巡った。
『汝以外の者が口にする事は罷り成らぬ』私はそう言われた龍珠を、母に食べさせた。
『今この現状を招いたのは汝自身だ。』
耳を塞いでも、龍の聲は頭の中に、直接届いてくる。低く唸る様なその聲が紡ぐのは人の言葉ではなく、だというのにその意味が理解できる、不可思議で不愉快な感覚。言葉の残響が何度も心の臓を貫き、私は半狂乱になって叫んだ。それでも、聲は、事実は、掻き消えない。
『そも、我は汝の母が死ぬまで待ってやるつもりだったのだ』
やめろ
『それを…汝が約定を破ったが為に、ナヒリは定命の者ではなくなってしまった』
やめろ
『これ以上は待てぬ。故に、此度の決断を下した』
やめろ
『我も苦渋の決断であった――』
「嘘だ!!!!!」
邪悪なる龍は、笑っていた。
『嘘では無い。汝が龍珠を与えさえしなければ、瞬きの瞬間なれど、安らぎのときを過ごせた物を。実に愚かだ。人はそうやって、信仰を都合の良い様に捻じ曲げる。だからこうなるのだ』
私は親龍様について、世界の全てを創造しそれらを慈しむ偉大な存在だと教えられてきた。そうずっと信じて来たが、実際に彼の龍の優しさに触れて、言い伝えは真実だったのだと確信した。彼の龍の慈悲に報いられる様、信仰の為に生きようとすら思った。だがそんな私の想いはこの瞬間、朝霧の如く四散した。
彼の龍の言う通りだ。あれだけのことをしてもらって、あれだけの信仰心を抱いていたのに、今この胸を焦がすのは、掻きむしりたくなるほどの憎悪だけだ。
私は、顔を上げて邪なる龍を睨みつけた。
「殺してやる」
まるで傷から滲み出る血液の様に。
「殺してやる!」
黒くぬらついた言葉が。
「殺してやる!!!」
ハジメテの感情を孕んで口を割る。
「殺してやる!!!!!」
私の魂の慟哭は、しかし邪龍の心には響かず、彼の龍は堪えきれぬとばかりに身を捩ってせせら笑った。
『自らの行いを悔いるどころかまさかこの我に敵意を向けてくるとは!汝は道化にも勝る程に滑稽よな!ではどうだ?旅の行末に、我を殺すと定めてみるか?永遠に果たせぬ願いやもしれぬがな』
龍の嘲笑が辺りに木霊する。
もう止まれない。今この瞬間、私の人生の目的は決まった。どれだけかかろうと、この旅の最後に彼の龍の屍をこの地に晒す。私は母と、この地の遺霊達に誓った。
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