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龍子相搏つ  作者: 古里郷里
序章
2/5

奉仕と語らい

 細い獣道を抜けると、そこには大きな円形の広場があり、その中央で親龍様は厳かにその玉体を休めている。

 

『小娘。その姿は何だ』


 戻ってきた私の姿を一瞥し、親龍様はおっしゃいます。当然の疑問でしょう。行って戻ってきたら半裸になっているのですから。私は清めた布を胸の前で広げて答える。


「親龍様の御身体を拭く布が無いとおもいまして。ご、御不快かもしれませんが、水で清めましたので、汚くは…ないと思い、ます…」


 親龍様は寛大で『構わぬ』と一言言うと、視線で作業を始める様促した。


 私は「失礼致します」と一言告げて、親龍様に近づきその御身体に触れる。鱗を手の平で擦ってみると平らではなく、極小の凹凸が無数に付いているのが分かります。


 冷たくも温かくもある様な独特な温もりがあり、色はまるで夜空を思わせる漆黒。木漏れ日を受けて赤や青といった色が混じり合った妖しい輝きを放っていて、思わず見惚れてしまいそう。


 優しく濡れた布を軽く当てて滑らせてみると、ざらざらとした感触が手の平を押し返してくる。指で凹凸に沿う様に布を押し付け、隙間を丁寧に拭いてみると、鱗の溝に付着した細かな砂や(ほこり)が取れ、漆黒が艶めき出した。

 

「親龍様。お加減いかがでしょうか?」


『悪く無い』


 意外にも、私の問いかけに親龍様は反応を示してくださいました。私が使命を全うする間、身動きも取れず暇なのだろう。これ幸いにと私は親龍様に話しかける事にした。


 前足の鱗を磨きながら親龍様のお耳に届く様に大声で話しかける。


「あの、親龍様。お名前は何と言うのですか?」


『…ニルヴァーナだ』


 「ニルヴァーナ様…」舌で転がすようにその名前を口にしてみる。何度も口にしているかのような安心感と、まるで上質な甘味を味わっているかのような幸福感を感じる、不思議な響きだ。「素敵なお名前です!」と褒めると『…そうか』とだけ…。でもちょっとだけ声色が明るくて。


 私は上がる口角を悟られない様、顔を俯かせて作業に専心する。


 私はニルヴァーナ様と、様々な事を語らいました。まず母の事。


『汝の母は聡明だ。女だてらに一人で汝を育て上げるとはな』


 ニルヴァーナ様は母の事を褒めてくれました。母のことを褒められると、まるで自分のことの様に嬉しい。


 ニルヴァーナ様の足をよじ登り、付け根の鱗を磨きながらも、私の口は忙しない。


「母は凄いんです。何でも幼い私を育てながら、トリイ公国まで旅してきたそうなんです。私は物心つく前だったからか覚えていなくて…でも!母は私の自慢なんです!私も、母みたいな人になれたらなって…」


 背中の鱗に差し掛かったあたりで、母の病についての話になりました。

 

「きっと、今までの無理が祟ったんです…元々身体は強く無かったそうなのですが…でも!多額の補償金が入っているはずなんです!それがあればきっといいお医者様にみていただけるはずです!」


『…..母の病が癒えたら何がしたい』


「母が治ったら、ですか…?」


 翼の前縁を磨きながら、しばし考えてみる。真っ先に母と同じ様に旅に出て見たいと思った。でも、私はかぶりを振って己の浅はかな考えを散らした。そうして、私は無難な答えを捻り出す。


「月並みですが、母と静かに暮らしたいです」


 言葉にしてみて、とてもしっくりくる答えだと思った。元気になった母と、お店を開くのもいいかもしれない。しかし、ニルヴァーナ様にとっては退屈な答えだったのだろう。ニルヴァーナ様はおっしゃいます。


『汝も母の様に旅に出れば良い。道中が不安だと言うなら我が同行してやろう。退屈凌ぎに汝の身を守ってやる』


 私の心を読んだかの様な、そしてこちらを気遣う様な物言いに、私は彼の龍の寛大さを改めて知った。そして、その寛大さに報いることが出来ない自分を恥じた。


「ニルヴァーナ様との旅はとても楽しいと思います。でも…お母さんと静かに暮らすのも良いなって思うんです。お母さんたくさん苦労してきたから…」


 尻尾の鱗を磨く時、ニルヴァーナ様は尾を頭に近づけて、私の話を聞き入ってくださる。最初は少し怖かったけど、やっぱり優しい方なんだと思う。

 

『汝の知見は浅いが、それ故、我にない感性を持っている。汝が旅を経て何を見るのか、興味がある』


「そうおっしゃって下さるのはうれしいですが…」


 母が居て、帰る国がある。これ以上は望むべくも無い。旅をして得られる経験より、母と過ごす時間の方が私にとっては、得難い幸せなのだ。それきり、ニルヴァーナ様は旅について語ることは無かった。



 ♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢


 三度、落陽(らくよう)を迎えただろうか。


 ニルヴァーナ様の龍鱗を拭う布は度重なる摩擦と洗浄とでボロ切れに成り果てて、私自身も霞む視界とへばり付く喉に苦しめられていた。


 ニルヴァーナ様との語らいは、頻度は減ったものの続けられている。時々咳き込む為に聞き苦しいであろう私の話しを、ニルヴァーナ様は急かすでも無く聞いてくれていた。

 

「ニルヴァッ、ゴホッゴホッ……ニルヴァーナ……様の夢はなんですか?ゴホッ……」


『夢だと?』


「はい゛目標……とか、ケホッ、叶えたい……願いとか、ゴホッ……」


 私はニルヴァーナ様について思いを馳せます。


 ニルヴァーナ様はどうしてこの星を創ったのか。きっと、なにか崇高な目的の為に違いない。私たち創られた側にはとても想像出来ない事だけど、私の人生の最後に、その答えを知りたくなったのだ。それがきっと、全ての命が行き着く未来(さき)なのだと思うから。


 ニルヴァーナ様の鱗の端に縋り付き、力を込めて答えを催促する。


『何故知りたい』


「怖いの、です、安心が、欲しいのです、これから…ゴホ、行き着く先が、知りたい…死に、行く私に…どうか…」


 ニルヴァーナ様にとっては、急に突拍子もない事を言っている様に感じた事だろう。だけど今、私の心の全てを伝える事は叶わない。その為の時間は既に残されていないのだから。


 目の周りには乾いた涙がへばりついていて(まぶた)も満足に開けられない。声は全て絞り出してしまって、もう一言も発する事は出来ない。身体が震えて、手に力が入らない。


『我が目的、我ら龍の悲願、其れは魂の……』


 あぁ、お母さん

 

 鱗に掛けていた指が外れる。

 落ちて行く。暗闇に。

 どんどん落ちて、そして。

 



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