ケース5 積み重なった愛の結晶 ①
連続性というものはときに厄介である。というのも、ことヒトという生き物は、意図しない無意識下で単純作業を続けていると、おかしなことはひとつもないのに錯覚し、疑問を感じる習性をもつ。前世ではゲシュタルト崩壊などと呼ばれる現象なのだろうが、この異世界にも、そんな常識が存在しているのだろうか。
仮にもし輪廻というものが存在するのなら、私はそれを感じずにいられない。恐らくは私自身が、その崩壊の中に身をおいている気がしてならないからである。
しかしそれをプラスと取るか、マイナスと取るかは個人の自由だ。とりわけ彼女にとっては、さほど大きな問題ではないのだろうと想像している。
カイドラッド王国第二皇女でありながら、夜な夜な人の秘部を眺め見ては、我欲を満たす。これもひとつの単純動作と呼べそうではあるものの、見たところ彼女はそこに疑問を感じていないらしい。ただよく考えてみれば、世の人々は太古の昔からルーティングされた日々の中で「私の人生はこの繰り返しでいいのだろうか」と疑問を感じながら生きてきた。それを良しとするもしないも、そうして生きていくのがヒトだと思えば、そんなつまらぬ疑問など思い浮かべるだけ無駄というものだ。
「と、お主の講釈をひとしきり聞いてみたが、状況がわからぬことは変わらなんだ。して、これはどのような状態なのだ?」
「そうことを焦りますな、姫様。これから順を追って説明いたします」
男の名はグレット・ヨーミグ。
カイドラッド王国ルスカートの「リュイフ商会」で財務を取り仕切る金融屋である。勤勉な性格から商会の代表であるリュイフの信頼も厚く、商会の皆々からの人望もあるこの男が抱える問題があるとすれば、私と同じく悩み多き男という点であろうか。
「悩みなど誰にでもあろうが。そんなことよりも、まずこの我々の目の前にあるものを説明せよ」
「ですからそう焦りますな。そしてそれに直接触れようとしますな。これは彼にとっての悩みのタネ、『崩壊の根源』たる理由なのですから」
グレットの父親であるショット・ヨーミグも、彼と同様に生真面目な男であった。家族思いの、俗に呼ぶ典型的な家庭の父親像として例に挙げられても恥ずかしくない人物だった。その息子であるグレットも、そんな父のことを尊敬し、自分もそんな父のように真面目で慈悲深い人物になりたいと思った。
そうして男は真っ直ぐに成長し、社会に出て一生の伴侶を得た頃になると、ふと疑問を覚えた。本当に自分はこれで良いのか。私の一生は、本当にこのまま真っ直ぐで純粋なもので良いのかと。
絶対の強者として世に名を残す夢や、圧倒的な知をもって後世に称えられる功を成すなど、普通ならざる生き方を初めから諦めてしまってはいないか、と。当たり前に仕事をし、当たり前に家庭をつくり、愛する者と当たり前の生活を送る。それは本当に自身の幸せなのかと疑問に感じてしまった。
「普通じゃの、あまりにも普通じゃ。それがどうして、このボヨンボヨンの物体に繋がってくるのじゃ」
「何度も申し上げますが、ヒトというものは焦れば焦るほど正しい判断ができなくなる生き物です。功を焦るあまり、圧倒的な知を逃してしまう。それではあまりにも悲しくありませんか?」
普通という言葉は、とても便利なものだ。その言葉を前置きするだけで、他人の当たり前が、人の当たり前に置き換わってしまう。彼は常に自分が普通で、社会と当たり前に関わっている常識人だと思っている。そしてそれを一切疑わず、その退屈な毎日から抜け出せばよいのか、それとも続ければよいのかを迷い続けている。
しかしヒトというものは愉快なもので、当たり前の基準は酷く曖昧なものでしかない。当たり前の生活と一言で表したとて、その基準は人それぞれに違っている。あまりにいい加減なものだ。
そしてそんな彼にとっての当たり前は、彼の持つその癖すらも含まれている。なんら疑問に思うことなく手にしたスキルを全振りし、彼はその癖を満たすために使用した。
始めて彼がそれをしたのは、11になった夏の日だった。士官学校に通っていたグレット少年は、同級生であった女性に初めての恋をし、汗する彼女の姿に欲情し、その夜、始めての自慰行為に至った。
彼にとってその行為はセンセーショナルで、かつ代えがたいものだったに違いない。興奮し、欲情し、愛する者をどうこうしてしまいたいと願う姿は、ごく一般的な男の姿と変わらない。そして始めて出し終わった興奮の材料を見下ろしながら、男は思った。これは自身の分身の結晶であると。
以来男は、自宅の地下に穴を掘り、その分身の結晶を生涯の財産として残すことを決めた。魔力でその物体をコーティングし、固め、ひとつにまとめる。次の日も、また次の日も、男は出し終えたそれを、夜な夜な地下へと潜り、ひとつにまとめた。
今年で男は38になる。
以来27年間、一日として欠かすことなく、彼はこの行為を続けている。それが当たり前であることを疑問にすら思うことなく、ただ漫然とルーティングに勤しんでいる。その非日常が疑問にすら思わぬまま。
「ふむ、まどろっこしく遠回りに言ったわりに、大した話ではないの。俗に言う『ため癖』という奴か。そしてここは、言ってみれば此奴の性の捌け口とでも呼べばよかろうか」
「そうですね。先程姫様が触ろうとしていたモノは、彼が27年をかけて出し続けた、いわゆる愛の結晶の固まりです。量にすると、約1立方メートルほどございます」