ケース1 食人鬼 ②
「母親ですか……、ええと私の調べた限りでは、既に流された先の土地で奴隷商によって売り捌かれたあとで、詳しい情報は残されておりませんでした。しかしその者を知るスジによると、彼によって手をかけられた女性の特徴とは類似性が見られなかったと。ただ一説によれば、彼は幼少期より、母親よりむしろ先の使用人によって面倒を見られていた可能性が高いと、その点意外に曖昧です」
「やはりな、よって私の見解はこうだ。奴は幼少期より父親の偏愛を受けて育ち、その父親が行っていた数々の異常行動を、幾度となく間際で見続けてきた。中には相手が奴の親代わりでもあった使用人に向けられたこともあったであろう」
「はいはい、それは十分に考えられますね。続きをどうぞ」
「父親によって痛めつけられる使用人の姿に興奮している父親の姿を、さも正しき者の姿と刷り込まれた奴の感性の中で、それを良しとする偏った認識が根底に色濃く残り、それを追い求める自分自身が過去に見た情景を再現せんとする虚しき人間の性がそこにある、というのはどうじゃろう。わりかし真実味があると思うがの」
「なるほど。確かにその使用人の女性については、少しばかりふくよかで眼鏡をかけた女性だったとの情報があります。ただ一点、聞くところによると、彼は昔から心底父親のことを嫌っていたんだと。そんな彼が、憎むべき父親の蛮行を良として受け止めるものなのでしょうか?」
「それはわからぬ。しかし奴を見たところ、直接的な性的趣向というよりも、むしろ食欲的思考に近い興奮を覚えているようにも見えるな。もしかすると、奴はその対象を愛でるよりも、食すという部分に良を求めているのではなかろうか」
「食欲ですか。確かにその目線は私にはありませんでした。言われてみれば、彼のあの表情は、亡くなっている御婦人のそれではなく、むしろその肉を食う自分自身に興奮しているきらいがありますね」
「うむ。満たす食欲に上乗せする要素の一つとして、性的な条件を足すことで自らの欲求を満たしているとも言えよう。だからこそ奴は殺したあとの遺体にはまるで興味がなく、ことが済めばすぐにそれを処分し、その後全て忘れたように日々を過ごしている。奴にしてみれば殺しは食料調達の手段でしかなく、もっと言うと、手軽に家畜を屠殺する程度の認識なのかもしれぬな」
「それに加えて、快楽の対象が過去の甘美な記憶と、その決まった部位であるというのが特徴的ですね。口にするのは女性の二の腕の、さらに生肉のみですから」
「そうだな。見てみろ、あの今にも溶けてしまいそうな顔を。血に塗れた肉に頬ずりをしておるぞ。姿だけを見れば狂人のそれにほかならぬな」
男は女性の二の腕の肉だけをきれいに剥ぎ取り、ひとしきり口にしながら、嗚咽を漏らし、床にゲロをぶちまけた。しかしそれでも食べることをやめず、紅潮し興奮した様子を隠さずに全てを食べきった。
「これは良いですね。稀に見る自己愛の強さです。恐らく彼は、一切の罪悪感や自己否定感をもっていない。自分以外の全ては自分ひとりのために存在し、決してそれを疑わない。全ては自分中心に回り、それ以外は全てゴミだと突きつけられているようです」
「そうかね? 私には隠れて悪さをする子供のように見えるが。恐らく彼は、最期の時にこう言うことだろう。『私が悪かった、しかし本当に悪いのは自分を叱ってくれなかった自分以外の人間だ』とね。結局は甘えなのだよ。自己愛に飲まれ、己をコントロールできなかった者の末路だと思うがね」
「抑圧の末、歪に育った枝葉が、快楽のまま自分勝手に伸びて歯止めが効かなくなっただけ、だと。なるほどわかりやすくはありますね」
「この手の輩は、結局過去の自分を捨てきれぬだけの子供よ。自己肯定と禁欲の狭間も窺えぬガキのままなのじゃ」
「なるほど、姫様は本当に『この手の輩』がお好きですね。さてどうやら彼の食事も終わり、本日の催しもお開きのようです。念のためお聞きしますが、いかがいたします?」
「決まっておろう。我らの取り決めが如何様なものだと?」
「助かります。では今宵はこれまで、と」
血塗られ鼻息荒く立ち尽くす男をひとり残し、私と姫様はいつものように家路につく――
その出来事を、その出来事として受け止める。
しかしそれは我らの窺い知れぬこと。誰を咎め、誰を貶めようか。
全てはひとときの夢に同じ……
※オムニバス形式でたまに更新すると思います。
気ままに続けていくつもりですので、お気に召す方のみ是非どうぞ!