生け贄姫と従者の佐助
ありま氷炎様主催「第十回春節企画」参加作品です。
その輿はゆっくりと持ち上げられた。
輿の周囲は布で覆われているので中の様子はよく見えないが、時々、風で布が揺れ、中に長い黒髪の姫が座っているのが垣間見られる。
周囲の雰囲気は重々しい。男たちはみな神妙な顔だ。女の中には涙ぐんでいる者もいる。
この地域は七年に一度上流にある沼に棲む大蛇が暴れることにより、大きな水害に見舞われる。それを鎮めるためには娘を一人、大蛇の生け贄に差し出さねばならない。
今までは事故や病気で親を亡くした娘が選ばれてきたが、今回は適当な者がいなかった。
そんな中、この地域の治める豪族の娘榛名姫が自ら生け贄に名乗り出たのである。
と言うことになってはいるが、実は豪族の当主とその後妻、そして、その子どもたちが先妻の娘である榛名姫を疎んじて、自ら名乗り出たことにして、生け贄に決めたということはこの地域の者たちであれば誰もが知る公然の秘密であった。
それを知るこの地の民たちは姫を待つであろう過酷な運命を思い、憐れんだ。かと言って出来ることは何もないのだが。
輿はしずしずと沼のほとりにまで運ばれると下ろされた。大蛇が沼からその姿を現そうとしているのだろうか。早くも水面が揺れ始めている。
輿を運んできた男たちは足早にその場を立ち去る。輿を運んだのは豪族の当主の命令で仕方なかったと言えるが、姫が大蛇に喰われるところを目の当たりにしたり、喰われる際の悲鳴を聞くのは何とも目覚めが悪い。
周囲に誰もいなくなった時、大きな水音と共に大蛇がその姿を現した。そして、その大きな口を開けると鋭い牙で輿の屋根を噛み砕く。
更に口を大きく開き、今度は姫を丸呑みにせんとしようとした。その時……
大蛇はうなり声を上げ、のたうちまわった。その喉は生け贄である姫ではなく、姫が放った三叉の槍を受け止めていたのである。
姫は何事もなかったように輿から沼岸に飛び移り、大蛇を睨み付けた。
「きっ、貴様ぁっ! この小娘っ! やってくれたなっ!」
大蛇は何とか態勢を立て直し、姫を恫喝する。
「これは高くつくぞっ! 貴様は丸呑みにせずに、我が牙で少しずつ噛み潰し、苦しませて殺してから、喰らってやるわっ!」
「ふん」
姫は一声うなると更に大蛇を睨み付ける。
「まだ自分が食べる側だと思っているとはおめでたい蛇だな。今回は食べられる側だということが分からんのか? 佐助っ! 太刀をっ!」
「はっ!」
木陰からまるで猿かと思われるような俊敏な少年が姿を現し、姫にその姿が隠れるのではないかと思われる大きい広刃の太刀を手渡した。
「ありがとう。佐助。あんたの目立ては正しかったね。あの蛇の胴体の銭形紋。奴はマムシの化身だ」
「わしがマムシの化身だったら、何だと言うのだ。小娘。わしの毒で殺されたいのか?」
「はっはっは」
姫は高らかに笑う。
「まだ自分が食べられる側だということを分かってないようだね。アオダイショウは青臭くて食えたもんじゃない。シマヘビも好みが別れる。だが、マムシはね。旨いんだよ。猟師たちが『山ウナギ』と呼ぶほどにね」
「貴様ぁっ!」
大蛇は激昂した。
「数々の愚弄許さんっ!」
大蛇は今度は沼岸にいる姫を丸呑みにせんと大きな口を開けてきた。
「ふんっ!」
姫は太刀を持ったまま大蛇の攻撃を飛び上がってかわすと、その太刀で大蛇の首を貫き、地面に向かって突き刺した。
「ギエエエエ」
悲鳴を上げる大蛇。
「こっ、小娘っ! 貴様っ!」
大蛇は全身をじたばたさせるが、その身を貫き、大地に深々と刺さった太刀はけして抜けることはない。
「ふう」
姫はかたわらの佐助に声をかける。
「普通の蛇なら頭が完全に落ちて死ぬところだけど、さすがは大蛇。簡単には死なないねえ」
「さようでございますね」
佐助は頷く。
「しかし、時間の問題でありましょう。食事の準備を始めましょうか?」
「そうしてくれるかな」
姫の言葉に佐助はその場で炭火をおこし始め、付近の木陰に隠していた蒲焼き用のタレを入れた甕を出してくる。
それが自分を調理するための材料と気づいた大蛇は更に全身をじたばたさせるが、やはり太刀は決して抜けることはない。
この姫。榛名姫は弓腰姫とあだ名された逞しい母の娘として生まれた。幼き頃より花嫁修業より、忍術の心得を持つ少年佐助と野山を遊び回ることを好んだ。
そういうところが父や継母たちから疎まれる原因になり、今回、生け贄にされてしまったわけだが、榛名姫としては渡りに舟だった。
このまま疎まれてあの館に残るより、今まで何人もの集落の娘を喰らった大蛇をぶちのめしてから旅に出るとしよう。
榛名姫はそう思ったのだ。
ついには大蛇はぴくりとも動かなくなり、姫と佐助はマムシの蒲焼きを堪能し、いくつかは干し肉にした。
「さすがに食べきれないね。全部喰うことで供養にしてやりたいけど、そのうち館の者が私がちゃんと大蛇に喰われたか見に来るだろうからね。大蛇が死んだことはともかく、私が生きていることが知れると面倒なことになりそうだね。そろそろおいとまするとしよう。佐助、一緒に来てくれる?」
「もちろんどこまでもお供させてください」
榛名姫は笑顔で頷いた。佐助が一緒ならきっとどこへいくのでも楽しい旅になるだろう。そして、住み心地が良さそうな土地が見つかったら二人で暮らそう。
数日後、大蛇の沼を訪れた豪族の館の者たちは肉を切り取られた大蛇の死骸を見つけ、大騒ぎとなった。その後、館から先祖伝来の太刀と三叉の槍、そして、いくつかの調理用具がなくなっていることが分かったが、榛名姫の行方は杳として知れなかった。
榛名姫と佐助のその後のことははっきりしたことは分からないが、戦国期に活躍した忍術の心得があるのではないかと噂された武将は二人の末裔ではという説がある。
榛名姫に去られた豪族は大蛇の呪いかどうかは分からないが、その後、全く子どもが生まれなくなり絶家となった。その所領はとある戦国大名に併呑され、隣接地と合わせて治水工事がなされた結果、水害に悩まされることはなくなったとのことである。
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