第5話 喜羅和天道の人生
『あんたはよく学んだ。よく変われた。その記憶をまるごと継承させるわけにはいかんが、ぼんやりとだけでも残していく。変化した心境は変わらないからな。さあ、青年よ。蘇生するが良い』
テンドー/天道は神が発したであろうこの言葉を聞いた瞬間、静かな病室で目を覚ました。
◇
大きなニュースになった。
『新進気鋭の若手実業家・喜羅和天道が刺されたが、奇跡的に蘇生した』という内容は世の中に、センセーショナルに伝えられた。
自分のことを刺した部長はすぐに逮捕され、天道は被害者として大いに世間の議論の的。
しかしじきにワイドショーや報道番組では天道の不遜な過去の言動も紹介され、彼への批判も次第に増加していく。
そして、そんな状況下で。
「喜羅和さん、大丈夫ですか?どこか痛みますか?」
病室のベッドに横たわりながら彼はただただ呆然とすることしかできなかった。
献身的にサポートしている看護師や医師であっても、彼が抱いているその感情まで読み取れない。
しかし天道の頭の中には、ぼんやりと異世界での人生が思い出されていた。
ハッキリと思い出せるわけではない。だけど微かに覚えている。
死霊魔術士として駆け抜けたあの異世界での日々を。
こんな自分のことを愛してくれた家族や友人のことを。
どんな人生でも持っているその価値の大きさを。人生でも変わることのないその価値の尊さを。
これまでの自分は他人の人生を自分の尺度だけで見ていた。それがどれだけの愚行だったか。
変わらなければ。
謝らなければ。
天道は、こう決意した。
◇
様子を見に来た秘書に対し、天道は病室の中で部長への情状酌量を口にした。
警察から聞いた話によると、部長は妹が重い持病を抱えていたのだが、天道がもたらした熾烈な残業のせいで見舞いに行くことができなかったという。
そして仕事の影響でその最期を看取ることもできず、これまで積み重なっていた恨みが、それのせいで爆発してしまったというのだ。
そして天道も覚えていなかったが、部長が葬儀で休むと伝えた時には心無い言葉を口にし、少し顔を出させてはすぐに出社するよう迫ったらしい。
これを聞いた途端、彼は頭を抱えて慟哭した。
何という酷い行いを。何という残酷な言動を。
だから天道は謝罪した。罪を軽くしてくれと。私に大いに責任があったと。人の上に立つ者としての資格が無かったと。
何よりも他者の人生というものに実感がなかったことを、後悔しながら。
その姿は壮絶。秘書の女性が思わずたじろいでしまうほどに。
彼女の目の前にはもう、新進気鋭の若手実業家そしてブラック企業の支配者的な社長である喜羅和天道はいなかった。
同時に秘書はそんな天道のことを見限る。
競争社会においてこんな弱い男はもう用済みだとばかりに。
こうして彼は、ひとりになった。
それでも天道はその涙が枯れるほど、嗚咽をし続けた。
◇
天道が退院してすぐ、会社には労働基準監督署による調査が入り、じきに彼は代表を辞する。
それからは次の仕事を探すことなく従業員ひとりひとりに、そして過労に耐えかねて退職した面々にも住所が分かる者には心からの謝罪の手紙を送った。
貯金を切り崩し、もしくは警察にも相談して調査したところ、幸いにも過労を原因に命を落としたり自死を選んだりしたという者はいなかったという。
「良かった・・・」
天道はこれに、大いに胸をなでおろす。最悪の状況を回避することはできた。
ただ体調を悪くしてしまった者は数多くいたようであり、彼は自身の行いを再び反省する。
送った手紙にはもちろん返信など無かったが、ある時、まだ若い元従業員の女性から手紙が届いた。
そこには会社への恨みつらみが綴られていた。もちろん天道はその内容を甘んじて受けれたのだが、最後には刺された彼のことを心配し赦す内容が綴られており、それを目にした彼はまたも涙を落とす。
こうして彼は新進気鋭の若手実業家という大きな肩書を失うことになった。
だが、それは新たな道に歩める機会を得ることができたとも言える。
天道は今、参考書を片手に机に向かっている。
自分は頭が良い。だからこの大学にはしっかり勉強すれば入れるはず。
自分は頭が良い。だから今までには無かったような有益な研究ができるはず。
ぼんやりと覚えている、あの異世界での日々は夢だったのか、それとも現実だったのか。
それはもう天道には分からない。それでも。
一度『死』を経験した彼は変わった。
多くの『死』を目の当たりにしてきた彼は変われた。
喜羅和天道は、本当に自らの能力を人々のために使えるような未来を模索するため、贖罪の想いを抱えながらも再び歩み始めたのだ。
これで完結です。短めでしたがお読みいただきありがとうございました。