赤い紙袋
その日、僕はマンションの一室で
布団の上に寝転んでいた。
その日はタオルケットもいらないような
熱帯夜で、中々眠りに落ちず
寝返りをうっていると、
「ガチャガチャガチャガチャ」
荒々しく扉を開けようとする音が聞こえた
そのすぐ後、立て続けに
「 ピンポーン 」
とインターホンの甲高い音が鳴り響く
深夜に誰かが来るなど
今まで人生で一度もなかったこともあり
扉を開けて入ってこようとしていたという
恐怖よりも誰が来たのだろうという興味が
僅かに勝ち、恐る恐るモニターをつけた。
モニターには小太りの
二、三十台の男が、赤い手提げ袋を抱えているのが
写っていた。
この男は気味の口に貼り付けたような
笑顔が浮かんでいて
てっきり知り合いが尋ねて来たのだと
思っていた僕は口から小さな悲鳴が漏れた
モニターを消すとダッシュで布団に潜り込み
鍵がしっかり閉まっていることを祈りながら
目を閉じてひたすら時間が進むのを待った。
気づくと太陽がさしていて
体には大量の嫌な汗をかいていた。
恐る恐るモニターをつける
幸い昨夜の男は消えていた。
ボーっと情報番組を眺めていると
ふと、今日中学校からの友人と
昼御飯の約束をしていたことを思い出した。
しばらく家から出たくはなかったが、
意を決して扉を開けると
夏の湿った風が体を撫でた。自転車を漕ぎ出すと
先程拭き取った汗がまた染み出してくる
フラフラになりながらなんとか電車に乗り込むと、
シルクハットを深く被った老紳士が
目の前に座ってきた。
しばらくは折り畳んだ新聞紙を読んでいるように
見えたがふとなにかに気づいたように僕を見ると
カツカツと高そうな靴の音を響かせながら
近づいてきた
「これあなたのですよね」
見ると目の前には先日の赤い紙袋が
突き出されていた。
老紳士の顔には
顔中のシワと黄色い歯以外は
昨夜と同じ気味の悪い笑顔が浮かんでいた。
顔の前に出された紙袋を反射的にはたき落とすと
老紳士は紙袋を即座に拾い上げ
しばらくは拾い上げて
しまった自分を恨んでいるように目を閉じていたが
こちらを向くころには笑顔は顔から消え失せ
怒りに燃える真っ赤な顔に豹変していた。
僕の方を向くなり〝なんでだ‼︎〟と叫びながら
片腕で思い切り押してきた
助けを求めようと左右を見渡すのだが
周りの乗客達はまるで見えていないかのように
スマホの画面を覗き込んでいる
大声で〝たすけてくれ〟と叫んでも
誰一人こちらを向くことすらしない
怖くなった僕はドアが開くのと同時に
改札へとかけだし
そのまま改札を抜けヘトヘトになるまで
しばらく脇目も振らず走り続けた。
息が上がってきて立ち止まった時
僕はある恐ろしいことに気がついた。
僕はこの場所
この一帯を
〝知らない〟
のである
とは言っても僕の家からはせいぜい
離れていても五駅ほどである
しかしそれを疑いたくなるほど
一度も人の手が入った様子のない
自分の背丈ほどの草と
両手をいっぱいに広げても抱えられない巨木が
茂る鬱蒼とした森林にたちすくしていた。
自分がさっきまで走っていた
凸凹のアスファルト道が一本、
森を隔てるように通っているその道以外は
文明を感じられるものはなく
僕は駅名も見ず走り出した自分を恨んだ。
スマホも当然圏外になっていて
とりあえず駅に戻らなくてはと
勇気を振り絞ってさっき走ってきた道を
戻ることにしたのだが
いくら歩いても駅が見えてこない
行けども行けども森が続くだけである。
もしかして自分は一生ここから出られないのでは
ないのかと思い始めた頃
遠くに人影が見えた
顔が判別できるほどまで近づいた時に初めて
女性が足を引き摺ってこちらに近づいてきている
ことに気づいた。
僕から10mも離れていない地点で
彼女は立ち止まった。
ひどく疲れているようで息をするたびに
肩を上下している。僕の目を見ると
安心したようなそれでいて
少し哀れんでいるような顔に変わり
最初から手に持っていたのかどこからともなく
取り出した赤い紙袋を渡してきた。
彼女の切実な顔を見ていたので
流石にはたき落とせず受け取ると
彼女は力尽きたのかアスファルトに崩れ落ちた
次の瞬間猛烈な勢いで彼女の体が腐敗し始める
ほんの10秒ほどで彼女は土に返った
大声で泣き叫びたい気分だったが
涙は流れてくれなかった
ふと紙袋をのぞいてみると底が見えない
まるで長い長い穴をみつめているようで
気味が悪く捨てようとしたのだが
手から離れてくれない、いや
自分の手が強く強く紙袋を握っているのである
なんとかして離せないかと試行錯誤するのだが
ボンドでつけられているかのように
離れる気配は微塵もない
それならさっきの女性のように誰かに
渡そうと歩き出したがこの森の端が
見える気配はない。しかもだんだん紙袋が
重くなってきたように感じる
急がなくてはと僕は小走りで
森の外を目指すことにした。
おかしい、もう8時間ほど歩いているはずなのに
景色は全くといっていきほど変化がないのだ
しかも太陽もまるで1時間ほどしか
経っていないかのように頭の上で鎮座している。
それと対照的に紙袋は手に食い込むほどの
重さへと変わってきていた。
疲労と精神的な疲れで今すぐにでも
倒れ込みたかったが体が言うことを聞いてくれない
まるでしてもよいこととしてはいけないことが
決められているようであった。
一体どれほど歩いただろうか
気づけば日も落ち手もろくに見えないほどの
暗闇の中僕は歩いていた。
もう足は限界をとっくに超えていて
一寸も歩きたくないのに無理矢理足が動いていく
そんな中、蛍光灯の光が目に差し込んできた
強烈な光に目をパチパチしてから
もう一度みひらくと
僕は住宅街の中に立っていた
紙袋はすでに米俵のような重さになっていたので
抱き抱えながら進んでいると
僕の目に家の扉が飛び込んできた。
急いで駆け寄り開けようとドアノブを引くが
鍵がかかっているようで開かなかった
悪態をつきながらインターホンを押す。
開けてもらえるよう紙袋を抱えながら
僕は精一杯笑みを浮かべた
その日、
私はベットの上で寝転んでいた
その夜はやたらと蒸し暑く
何度目かわからないほど寝返りを打っていた
そのときいきなり
「ガチャガチャガチャ」
ものすごい勢いで
扉を開けようとする音が聞こえた
さらに立て続けにに
「ピンポーン」とインターホンの音がする
若干の恐怖を感じながらも
私はカメラを確認しに一階へと降りた。
カメラには
貼り付けたような笑顔をしている
赤い紙袋を抱えた男が写っていた。