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ユィートネルムの唄を聴いて 第一部:紅の大地と白の唄  作者: 千賀 万彩記
第一部:紅の大地と白の唄

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幕間5:ナァトの約束

 逃げてきた村人だと思った人影は、武器を持ったムルトの民だった。

 あわてて祠の陰に隠れたが、見つかるのは時間の問題だろう。何より『カリムの村人ではなくムルトの民がここまで来た』ということが、エマトの身を震わせた。父さん、母さん、村の皆は……。

 カタカタと震えていると、兄が小声でささやいた。


「エマト、祠の左脇に地下へ降りる入口がある。そこに隠れるんだ」

「兄さんは?」

「俺は、あいつらを何とかする」

「いやだ。危ないよ。一緒に隠れよう?」

「駄目だ。ひとりで隠れなさい」

「なんで?」

「どうしても、だ。……お前だけなら、助かるかもしれない」


 そう言って、ホンはエマトの頭を撫でた。その言葉の言わんとする意味に気づいたエマトはうつむいて、ただただ首を横に振った。


「……そんなの、ちっとも嬉しくない」


 そうつぶやいて、ふたたび顔を上げたエマトは、兄の向こうに、光る大きな刃を見た。 



「あ、あ、あああああああああぁぁぁぁ!」


 ひゅっ、という小さな音がした。

 兄の首が胴体から離れ、地面に落ちる。そしてごろりと転がった。


 喉からあふれ出した声にならない悲鳴は、自分が出しているとは思えない。どこか遠くから響いているようで、水に潜った時のような、分厚い膜におおわれていた。かくり、と腰が抜けて、その場にしゃがみ込んでしまう。逃げなければ、と頭では思っていたが、脚が動かなかった。

 ムルトの民たちがこちらに向かって来て、「自分は死ぬのだな……」と、どこか他人事のようにエマトの頭は考えた。


 しかし彼らは、エマトに刃を向けてこなかった。不審な表情で見てきたが、仲間内で何事かを話した末に、彼らはエマトをそのまま放置して行ってしまったのだ。


 兄の、思惑どおりになったのだろう。


『本当に、こんなの、ちっとも、嬉しくなんかない』


 エマトは、心の底からそう思った。


 そう思うと、なんだか涙がとまらなかった。


 『もう、世界の全てが、どうでもいい……』



 そう、思った。 ——そう、思ってしまった。


 エマトの視界は紅く染まり、その向こうにナァトの姿が視えた。



 ※



 エマトがふたたび目を覚ますと、あたりは真っ暗だった。

 どのくらいの時間が経ったのだろう。ふらふらと立ちあがると、エマトは周囲を見まわす。日の暮れた森は暗く、驚くほど静かだった。樹々の向こうにちらついていた炎も煙も、ムルトの兵たちの姿も、見当たらない。かろうじて残っていた祠の灯りが、ぼんやりと周囲を照らしていた。


 あの人達が壊してしまったのだろうか。エマトは薄暗い光に浮かび上がる祠の岩が、大きく割れてしまっていることに気がついた。すぐ近くに居たはずなのに、全く気がつかなかった。 

 気を失っていたようなので仕方ないが、『わからないまま』というのはやはり、なんとなく気持ちの悪いものだ。


 それからエマトはほとんど無意識のまま、足を村へ向けた。村に戻らなければ。そしてホン兄さんを、弔わなければならない。あの炎と爆発で、村がどうなってしまっているのか分からないが、父さんと母さんを探さないと……。

 霞がかった頭でそう考え、もう一度周囲を見渡すと、祠の側にたたずむ『ナァト』に気づいた。


『ナァト……』


 エマトは声を出そうとしたが、うまく言葉が出てこなかった。喉が張りついたように熱い。それでも彼女はふらふらと近づくと、見知った姿にすがりついた。人のものとは似ているようでどこか違う、じわりとした温もりが伝わってくる。


「エマト……」


 ナァトも多くは語らず、ただエマトを抱きしめた。そしてその表情を歪ませる。


「ごめんなさい。私は、あなたに伝えることしかできなくて……」


 エマトはその言葉を否定するように、首をふった。村が襲われた原因が何であれ、これはナァトが謝ることではないはずだ。


「エマト。あなたに言いたいことが、いいえ、訊きたいことがあるの」

「?」


 ナァトはその場でしゃがみこみ、エマトと自分の目線の高さをあわせた。ナァトの銀色の瞳が、チラチラと光る。


「エマト。あなたは、私と一緒に生きる気はある?」

「?」


 声を上手く出せないエマトは、首をかしげて疑問を示す。ナァトは今にも泣きだしそうな表情で、エマトの左の手をとり、そして袖口をまくった。


「ごめんなさい、エマト。私には、こうすることしかできなかった」


ナァトの嗚咽が聞こえてくる。


「エマト。私は、あなたを選んだ」

「……?」

「だから、あなたはナァトの《ラゥの司》になった。おそらく身体はもうしばらく成長すると思うけれど、それ以上に老いることはない。本来の『人という生物として』の流れからは外れ、私たちラゥと同じ時間を、おそらくはとても長い時間を、生きていかなくてはならなくなってしまった」

「……」

「あなたが、『それ』を放棄しないかぎり」

「……」

「そのかぎり、私はあなたの側を離れず、あなたを護るでしょう」

「……」


 ナァトが語る言葉はとても難しかったが、自分が《ラゥの司》になってしまった、ということはわかった。しかし、だからといって何がどうだというのだろう。エマトは麻痺した心で、地面に横たわる『ホン兄さんだったモノ』を眺めた。


 ——もう、何も感じない。


 どうでもいい。何も考えられない。……何も考えたくなかった。


 固まってしまったエマトの前に、ナァトは手を差し出した。


「エマト。ひとまず、村のほうへ行ってみましょう」

「……」



 エマトは無言で、その手をとり――

 

 ナァトはエマトの手を引いて――



 暗い森へと、脚を踏み出した。






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