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カーニバル  作者: キキカサラ
七月八日
14/21

7月10日 沢渡愛美 強制デート編

「ありがとうございます、送ってくれて」


 川島に一応お礼を言い、車を降りた。

 川島は始め、美香を車に乗せることを怖がり、嫌がったが、美香が全く川島に気付いていないことを知り、嫌々ながら承諾をした。


「そちらの件が上手くいったら、連絡ください。というか、必ず上手くいかせてください」

「わ、わかった」

「これ、私のアドレスです。よろしくお願いしますね」


 車の降り際、川島に言った。本当に、上手くいってくれないと困る。

 曙光山モールの入り口を見回して、目的の人物たちがいないことを確認する。

 まあ、今いられたら、私と川島が繋がっていることがバレるから、困るのだけれどね。


「小松川君たちは、まだ来てないみたいね」


 小松川の名前を呟き、気付いた。


「そういえば美香ちゃん、小松川君と仲良くなりたいのよね?」

「勿論!」


 美香が元気に答える。


「じゃあ、今日会ったら、呼び方を変えましょう」

「呼び方を変える?」

「そう、今は苗字でお互い呼んでいるけど、名前で呼び合うようにしましょう」

「えー恥ずかしいー」


 恥ずかしそうに、体をくねらせるが、満更でもなさそうだ。

 だから、ツッコまずに話を進める。


「私が、徹君と話を付けるわね」

「うん、ありがとう。徹君か…」


 嬉しそうな顔をする。

 美香の恋愛の手助けというよりも、徹君の恋愛の手助けをしている気がして、凄く気が進まないが、美香が望むのだから仕方がない。


「あ」


 美香が呟いた。その声に、私も美香の視線の先を追う。

 徹君と竜司君の到着だ。


「こっちだよ~」


 美香が嬉しそうに手を振る。その姿は、周りの視線を集めた。

 まあ、目立つわよね。


「嬉しい、来てくれたんだね」


 美香が徹君の手を取る。

 ちょっと美香、距離近すぎない?


「え?」


 徹君が困惑の声をあげる。それもそのはず、美香がゆっくりと抱き付いていた。

 何でこんなに徹君に好意を寄せているのだろう。美香の心の内が分からない。

 突然のことに、徹君は硬直をしている。当たり前よね。


「やっぱり、不思議な匂いだわ~。でも癖になる」


 抱き付きながら、美香が言った。

 その安心しきった顔。その顔を徹君に向けていることが、凄く腹立たしかった。徹君に美香は勿体ない。


「離れなさい美香ちゃん。徹君が困ってるでしょ」


 満足したのか、美香は素直に離れた。そして、私のところに戻ってくる。


「徹、めちゃくちゃ好かれてるじゃないか。何があったんだ」


 竜司君が言った。

 ホント、その通りだわ。何度も思う、何で美香ちゃんはこんなに徹君のことを気に入っているのだろうか。匂いだけが理由だとは思えない。


「僕にもさっぱりだよ…」


 徹君は硬直したまま言った。

 出会いの挨拶はこれくらいにして、話を進めましょう。

 先ずは、さっき美香に言った、名前を呼び合うところからだ。


「そうそう、徹君」


 徹君が私の方を見る。


「私の名前分かる?」

「え?沢渡さんでしょ?」

「苗字じゃなくて名前」

「えっと……」


 そうだと思ったわ。このどうしようもない感じが嫌いなのよ。腹立たしい。

 でも、もしかしたら、私に興味がないから、名前を知らないだけで、美香のことは知ってるかもしれない。


「まあ、私はいいとして、この子の名前は?」


 美香の肩を両手で押して、前に出した。

さあ、この美人のことは、さすがにチェックしてるでしょ。

 しかし、徹君は困惑して、言葉が出てこない。おいおい、いい加減にしなさいよ。


「まあ、そんなもんよね」


 ここで怒って、場の空気を悪くしても仕方ないので、優しく言ってやる。

 でも、つい溜め息が出てしまった。


「いい?これから私たちはデートをするの。デートをする者同士が、名字で呼びあってたら、距離感があるでしょ?だから、今日、今、この瞬間から、名前呼びを強要します」


 お願いしたところで、この男どもがやってくれるとは限らない。だから強制だ。美香のために、何が何でもやってもらう。


「私は愛美、覚えておくように」


 胸を張って言ってやった。


「美香です。今日は来てくれて、ありがとね」


 美香が徹君の手を握って言った。何これ、完全に美香が惚れ込んでいるみたいな図じゃない。本当に気に食わないわ。


「僕…」

「二人のことは知ってるから、自己紹介は無用よ」


 徹君が自己紹介をしようとしたので、止めた。

 分かってるのよ、あんたたちの名前は。私が初めに名前で呼んだの、聞いてたでしょ。


「もう、愛美ちゃん、ツンツンしないの~」


 美香がからかうように言ってくる。イライラしたのが表に出てしまっていたようだ。

 というか、何で美香は徹君と腕を組んでるの?徹君も断りなさいよ。

 いや、断ったら、美香がフラれたみたいになっちゃう。

 もう、どうしたらいいの、イライラが積み重ねられていくわ。


「分かったわよ。それじゃあ、もうお昼だから、取り敢えずランチにしましょうか。どこに行きたい?」

「カフェー!」


 美香が手を挙げて即答する。徹君たちに訊いたつもりだったんだけどな。


「僕はそれで構わないよ」

「同じく」


 二人とも、珍しく空気を読んだわね。


「じゃあ、行きましょうか」

「行こう、徹君!」


 美香が徹君の腕を引きながら、先頭を行く。完全に美香がリードしている形だわ。しかも、密着度が高い。傍から見たらカップルだろう。

 どんどん先を歩いていく。そして、私と竜司君がその後を、並んで歩く。これでは、本当にダブルデートの絵面だ。


「徹と美香さんが、くっついてるのが、気に食わないのか?」


 竜司君が話しかけてきた。


「何で?」

「顔が怖いぜ」


 言われるまで気づかなかった。私はそんなに怖い顔をしていたのか。


「気に食わないわよ」

「正直だな」

「気に食わないけど、美香ちゃんが望むから、私は口を出さないわ」

「そっか。前に言ってた、美香さん一番ってやつだな」

「そうよ」

「じゃあさ、美香さんを楽しませるために、イライラは表に出さないようにしようぜ」


 わかってるわよ、そんなこと!

 正論を言われて、更にイライラが増すのを感じた。しかし、竜司君の言う通り、このままの態度では、美香を悲しませてしまう。

 一度、深呼吸する。


「ごめんなさい、気を付けるわ」

「切り替え早いな」


 竜司君が苦笑いをする。

 竜司君の言う通り、美香を楽しませることに専念しましょう。

 私は、冷静に状況を見極めることができる女でしょ。

 自らに言い聞かせる。


「ここ!ここに入りたかったの!」

「へ、へぇ、お洒落だね…」


 到着したカフェの雰囲気に、徹君が気圧されしているのが、見て取れた。

 ここは、モール内でも人気の紅茶専門のカフェだ。

 そっか、確かに美香なら、ここのお店を選択するわよね。


「早く入りましょ!」


 美香が徹君の腕を引っ張って、店内に入っていく。

 私たちは、その背中を追ってゆく。もう、私たちはデートを見守る保護者の立ち位置だ。

 美香たちが通された席に、私たちも座る。

 美香と徹君が既に並んで座っていたので、私と竜司君が並んで座る形になった。そして、正面に美香が座っている形だ。


「私はニルギリかな。これが飲みたかったのよ。濃いめのストレートがいいな」

「食事は何にするの?」


 徹君が気を利かせて、美香に訊く。


「食事はいいわ。今は味が分からなくて」

「え?」


 美香、何でそれを話しちゃうの!?

 それは、話してはいけないことよ。私たちだけの秘密なのに、そこまで徹君に気を許しているというの?

 話されてしまったなら仕方がない。何か適当なことを言って、それらしく話すしかない。

 美香、お願いだから話を合わせて、これ以上、余計なこと言わないでよ。


「あまり話したくないけど、美香ちゃんが既に口走っちゃたし、これからデートもするから話しておくわね。美香ちゃんは、持病の関係で、時々、味覚がおかしくなるのよ」

「ごめんなさい」


 私の顔を見て、美香が縮こまる。悪いことをしたと分かっているなら、なぜ話したのよ。


「謝る必要はないでしょ。こちらこそ、美香さんがそんな状態なのに、食事していいの?」


 徹君が気を利かせてくれる。この男は、優しさを出してくるのね。まあ、美香ちゃん相手なら、どの男もそうよね。


「うん、それは全然かまわないよ。味覚が変な時って、私は紅茶の味しか分からないんだ~」


 美香が明るく言った。それだけ明るく言えば、もう美香の体質を気にする人もいないでしょう。


「じゃあ、お腹空いたし、遠慮なく注文させてもらおうかな」

「うん、そうして!」


 しつこく気にしたりしない徹君の動きは、私的には有り難いわ。終わった話は追及しない。そういう動きができる人は、好感が持てるわ。


 そうこうしている間に、注文が終わり、各々が頼んだものが運ばれてきた。


「じゃあ、みんな注文のものも揃ったみたいだし、いただきましょうか。いただきます」

「いただきます」


 私に続き、みんなも言う。そして、各々口を付け始める。


「わー、やっぱり専門店。この紅茶美味しい~」

「ん!食事も美味しいよ!」

「私の味覚が戻ったら、今度は徹君と食事しに来たいな」


 美香が徹君の顔を見つめて言う。美香に見つめられて、徹君の頬がほんのり赤くなった。

 それにしても、美香って、こんな歯の浮くようなセリフを言うような子だったかしら。

 どうも、今日の美香は、いつもと違う気がする。


「さて、お姫様。この後、どこに行きたいのかしら?」


 美香の気持ちを盛り上げようと、わざと、お姫様と言ってあげた。

 私が徹君を好かないという私情は置いておいて、今日は、美香には存分に楽しんでもらおう。


「ん~、そうだな~。ここには大きなゲームセンターがあるらしいから、そこに行ってみたいかな。あ、あと観覧車にも乗りたい!」


 美香が手を合わせて、嬉々と語る。可愛い。


「いいね。じゃあ、そのプランでいこうか」


 徹君が美香の言葉を受けて答えた。何であなたが、決定権を持っているのよ。


「ホント?嬉しい!」


 美香が嬉しそうに、徹君の腕に抱き付いた。その光景を目にして、つい私の顔が歪んでしまう。

 私情を入れまいと頑張るが、どうしても入ってしまう。私はこんなにも冷静になれない人間なのかと、嫌になる。

 常に冷静でなければ、今後の計画を失敗しかねない。それだけは避けなくてはならない。


「じゃあ、行きましょうか」


 みんなの食事が終わるのを見計らって、切り出した。


「ああ、ここは俺が払うぜ。先にゲーセンに行っててくれよ」


 竜司君が言う。

 意外に気が利くのね。それとも、情報を貰うために、少しでも私に貸しを作ろうって考えかしら?

その考え、嫌いじゃないわ。それなら、提案は受けましょう。


「悪いわね」


 私は美香の手を引いて、さっさと店を出た。そして、二人を置いて、先にゲームセンターへと向かう。

 ゲームセンター内なら、近くで聞いていない限り、私たちの会話は聞こえないと思ったからだ。少し美香と二人だけで話したかった。


「美香ちゃん、何で、味が分からないこと言っちゃったの?」

「ごめんなさい」


 美香は俯いて、申し訳なさそうにする。


「私は、謝罪の言葉が聞きたいんじゃないの。理由を聞きたいのよ」


 少し強めに言ってしまった。本当は責めたいわけじゃない。でも、その軽率な行動の理由は知りたい。

 一つの秘密を知られたことで、計画が台無しになる可能性だって、十分にあり得るのだ。


「徹君には、私のことを知ってもらいたくて…」

「何言ってるの!?」


 その理由は、私にとっては死の宣告と言ってもいいくらい、酷い理由だった。


「あなたの秘密は、私だけが理解できるものなのよ?他の人が美香のことを理解できるわけないじゃない!」

「い、痛い、愛美ちゃん!」


 気付いたら、私は美香の腕を掴んで揺さぶって叫んでいた。幸いなことに、私の声は、ゲームセンターの大きな音でかき消された。


「ごめんなさい、乱暴をするつもりはなかったの。ちょっと頭に血が上っちゃたわ。冷静になる。本当にごめんなさい」


 何という、語彙力のなさ。自分で恥ずかしくなる。一旦落ち着こう。

 愛美、あなたは感情で物を言う人間ではないでしょう。分析して、相手を誘導する。そういう頭脳戦を得意とする人間でしょう。

 自分に問いかけ、頭を落ち着かせてゆく。そして、冷静になったところで、再度、美香の目を見て話す。先ずは一つ一つの疑問を埋めていこう。


「美香ちゃん、自分の秘密を共有したいくらい、徹君のことを好きなっちゃったのね」

「うん」

「でも、どうして?」

「初めは匂いが珍しいからだと思ったけど、今日、今まで徹君と遊んできて、気遣いもできるし、話してても楽しかったの。彼の一つ一つの行動が、気になって仕方ないの」


 ああ、なるほど、そういうことか。

 美香は、今まで男性のことを人として見ていなかった。そんな中、匂いを切っ掛けとして、初めて男性に興味を持った。

 つまり徹君は、人として初めて認識した男性なのだ。つまりこれは、美香にとっての初恋だ。

 初恋なんていうものは、好きになった理由なんて些細なことだったりする。そして、一度好きになってしまうと、どうしようもなく、相手に近付きたくなるものだ。

 相手に好かれようと頑張り、相手に自分の好きな気持ちをたくさん伝える。

 ならば、美香の行動を誘導する術は分かった。


「美香ちゃんは、徹君に好かれたくてしょうがないのね。なら、気を付けなくてはだめよ」

「どういうこと?」

「今回の迂闊な発言は、徹君に受け入れられたけど、それは結果論よ。下手したら、嫌われていたかもしれない。美香ちゃんは、上手くいって、秘密を共有できたから嬉しいかもしれないけど、本当に危険な発言だったのよ?」

「そうなのかな?徹君なら受け入れてくれそうな気がするけど…」

「そう、その考え」

「え?」


 私は美香の目をしっかりと見て、諭すように、ゆっくりと話してゆく。


「恋は盲目とは、よく言ったものでね、相手のことを過大評価してしまうものなのよ」

「でも徹君は…」

「そうね、今以上の秘密を打ち明けても、受け入れてくれるような器の大きい人かもしれない」


 しかし、人間の器というものは、結局、本人の許容できる範囲までしか大きくすることはできない。

 器の大きい人間という言葉は、他人が評価するときの言葉であって、本人が自ら下す評価ではない。つまり、本人にとっては、何も無理はしていないのだ。自らの許容できる範囲を許しているだけに過ぎない。

 それは、本人が許容できなければ、結局、受け入れてもらえないのだ。それは、器が大きかろうが小さかろうが変わらない。本人の常識を超えるものに関しては、誰とて、許容することは出来ないのだ。

 私はそれを良く知っている。本当は美香ちゃんも分かっているはずだ。


「でもね、美香ちゃんの内にある、その深い部分の秘密は、絶対に人には受け入れられない」


 美香が言葉を失う。受け入れられないことは分かっているのだ。でなければ、今まで二人だけの秘密になんかしてきていない。

 ああ違う、もう一人、不本意にも川島が知ってしまっている。

 つまり、その秘密を知ったら、徹君だって川島と同じ反応をするに決まっている。


「話すことで、二度と、受け入れられなくこともあるのよ。それは知ってるでしょ?」

「うん…」

「徹君に嫌われたい?」

「いや」

「そうよね。じゃあ、これ以上、秘密を打ち明けてはダメ。その秘密を許容できるのは、私だけなのよ」

「解ったわ…」

「約束して」

「…うん、約束する。駄々こねて、ごめんなさい」

「解ってくれればいいのよ」


 私は、美香を抱きしめた。これで、美香は迂闊な発言はしないだろう。


「なになに、彼女たち、恋人同士ってやつ?」


 不快な声のかけられ方をした。

 美香から体を離し、周りを見ると、五人の男に囲まれていた。なりがチャラい。

 面倒な奴らに目を付けられちゃったわ。


「違うわよ」

「何?女の子だけで遊びに来たの?なら、俺らと合流しない?」


 うるさい。

 折角、美香に理解させることに成功して、気分がよかったのに、一気に最悪な気分に落とされた。


「いいえ、連れがいるからいいわ」

「あ!徹君!」


 私が言い終えると同時くらいに、美香が大声で言って手を振った。

 美香の視線を追うと、確かに徹君がいた。美香は嬉しいかもしれないけど、彼一人というのは最悪だ。この状況を打開できるとは思えない。


「あはははは、随分、華奢な連れだな」


 案の定、絡んできた男が大笑いした。当然の反応よね。


「なあ、兄ちゃんは、もう用がないから帰れよ」


 徹君の近くにいた男が言った。完全に戦闘態勢だ。


「そういう訳にもいきませんよ、僕とデートしてるんですから」


 こんな相手にも敬語で話すの?

 呆れた。どれだけ弱気なのよ、話にならないわ。


「徹君弱いんだから、竜司君呼んできなさいよ!美香ちゃんの前だからって、カッコつけないで!」


 つい叫んでしまった。

 あの弱い徹君が喧嘩に勝てるはずがない。ましてや、相手は五人だ、絶対に勝てない。


「おいおい、女にまで心配されてるぜ」


 男たちが大笑いをする。状況は完全にアウェーだ。

 でも、逆に考えた。ここで盛大に徹君が負けて、情けない姿を晒してくれれば、美香の恋心も冷めるかもしれない。

 そう思って、美香の方を見た。

 当の美香は、真剣なまなざしで、徹君を見据えている。

 そして、匂いを嗅ぐ仕草をする。


「徹君は負けないわ。彼らより全然強い」

「え?」


 それは希望的観測なの?それとも、あなた特有の「匂い」による判断なの?

 徹君は、自分よりも(いか)つい相手に、物怖じせず向かってゆく。


「おいおい、弱い奴が出しゃばんなよ……!」


 先程の男が、徹君を掴もうと、手を振るった。


「えぇ?」


 そして、そのまま空を切り、転んだ。

 何?何が起きたの?もしかして、あの男、イキっているわりに、弱いのかしら。


「だっさ、お前何してんの?」


 仲間たちも、男の情けない姿に大笑いする。


「あれ?おかしいな…」


 当の本人も、何が起こったか分かっていないようだ。

 ゆっくりと立ち上がり、首を傾げている。


「とにかく、お呼びじゃねぇんだよ」


 体制を立て直し、再び男が徹君に掴みかかった。

 しかし、やっぱり捕まえられない。だが、今度は、しっかりと見えた。徹君が最小限の動きで避けているのだ。

 男もそれに気づいたようで、顔色が変わり、怒りの表情になる。


「お前、俺とやりあう気か?」

「喧嘩する気はないですよ。人が傷つくの見たくないんで」

「バカにしてんじゃねぇ!」


 男は逆上して殴りかかるが、徹君はことごとく避ける。

 眼前で起こっていることは、信じがたいが、美香の言ったことが真になっている。


「下がろう」


 不意に肩に手を置かれ、驚いた。手の主を見ると、そこには竜司君がいた。


「ここにいると、徹の邪魔になっちまう」


 竜司君に促されるままに、私たちは徹君から距離を置いた。


「彼って強いのね」

「ああ、強いよ」


 私の問いかけに、簡単に答えた。


「でも、喧嘩で勝ったことはない」

「え?それって弱いってことじゃないの?」

「いいや、負けたこともない」


 何言ってるのこの人。頓智(とんち)か何か?

 徹君の方に目を向けると、もう、五対一の喧嘩になっていた。

 しかし、その中の誰一人も、徹君を捕らえることは出来ていなかった。


「あんなに寄ってたかって…許せない」


 美香が唸った。そして、徹君の方へ向かって行った。

 徹君の方を見ると、さっきまで徹君を襲っていた男たちは、すっかりバテて、座り込んでいた。当の徹君は、息も上がらず、立っている。

 決着はついたみたいね。あの状態なら、美香を行かせても問題ないでしょう。


「君たち何をしている!」


 急な叫び声に、私は声の方に目を向けた。

 そこには、このゲームセンターのユニフォームを着た人がいた。

 気付けば、周りには人だかりができていた。確かに、これだけ騒げば、人も集まるわよね。

 店員は、徹君たちの方に行き、何やら話をした後、その場を立ち去った。

 それを見たギャラリーも、「なーんだ」とか、つまらなそうに散って行った。

 加えて、絡んできた男たちも、徹君と和気あいあいと話した後に、手を振って去って行った。

 何か、あれよあれよという間に、場が収まっていった。先程までの騒ぎが嘘のようだ。

何なの一体。


「行こうか」


 竜司君に言われ、私は徹君と美香のところに近寄った。


「徹君って、喧嘩強かったのね。弱いとか言って、ごめんなさい」


 第一声、徹君に謝った。

 見た目と雰囲気の先入観で、彼を弱いと思ってしまった自分を恥じたからだ。


「僕は喧嘩は弱いよ」


 喧嘩に勝ったのに?

 この人も、竜司君みたいなことを言う。二人は頓智が好きなのだろうか。


「まあ、とにかく無事で良かったぜ」

「無事じゃないよ~、徹君の腕から血が…」

「え?徹怪我したのか?」

「私が噛みついちゃったから…」

「噛みつく!?」


 美香、また余計なことをしたのね。


「美香ちゃん…」

「ごめんなさい」


 私の声に、美香は怒られた子供のように、縮こまった。

 今日の美香ちゃんは、自分の感情を制御できていない気がする。浮ついてしまっているのか。それとも、別の要因があるのか。とにかく、精神状態のバランスが良くない。


「僕は大丈夫だよ。だから、怒らないであげて」


 美香に噛みつかれて平気なんだ。噛みつく女なんて、普通、引くものじゃない?

 ちょっと、徹君に興味が湧いた。


「改めて、美香ちゃんがごめんなさい。大きめの絆創膏あるけど、それで大丈夫かしら?」

「うん、大丈夫じゃないかな」


 もしもの時のために持っていた絆創膏が役に立った。


「どうする、ゲーセンで遊んでくか?」


 竜司君が問いかけてくる。


「さっきので、もう、ゲーセンで遊んだみたいな体力使っちゃったよ」

「まあ、徹はそうだよな」


 二人が笑う。

 五対一の喧嘩を、軽い運動の様に言っている徹君は、頼もしくもあり、ミステリアスでもあった。

 今回の件は、今まで私がイメージしていた徹君の像を、百八十度変えた。


「私も、この後ゲーセンで遊ぶ気もなくなっちゃったから、観覧車に行こうかしら」


 あれだけ騒いだんだ、この後も注目されかねない。人に好奇の目で見られるのは嫌だ。


「どうする、美香ちゃん?」

「うん、私もそれで」


 自分の行動を反省したのか、後悔したのか、さっきまでの元気な姿とは打って変わり、美香は静かになった。

 徹君とも距離を置き、私の後ろについている。

 美香は、機嫌を損ねたわけではないけど、明らかにテンションは下がってしまっている。

 この状態では、この後の計画に支障が出る可能性がある。

 さて、どうしたものかしら。

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