7月10日 沢渡愛美 手回し編
「愛美ちゃん、お願いがあるの」
学食で一緒にお茶をしてたら、美香が言い出した。
美香がこうやってお願いしてくる時は、大抵、ろくなことではない。
嫌な予感しかしない。でも、今の状態の美香には、何でもしてあげると誓った。つまり、私に拒否権はない。自分ルールではあるのだが。
「どうしたの美香ちゃん?私で良ければ、協力するわよ」
「ホント!」
美香の目が輝く。本当に嬉しそうだ。私は、この笑顔に弱い。
「小松川君とデートがしたいの!」
「は?」
あまりにも、予想外の言葉に、反射的にとんでもない声が出てしまった。
自分でもビックリしている。
「愛美ちゃん、酷い」
反射的に出た声と共に、私はこの上なく不快そうな顔をしていたのだろう。美香が泣きそうな顔で言う。
それにしても、デートがしたいと言い出したのは、初めてだった。
そもそも、今の状態の美香は、男性の体にしか興味がない。恋愛的な感情が働いていること自体が、私にとっても初めてのことだった。
一体彼女に何があったのだろう。
「美香ちゃんは、何で小松川君とデートしたいの?」
素直に疑問に思ったことを訊いた。同時にこの質問は、凄く重要でもある。
「彼、今まで嗅いだことのない匂いをしているのよ」
「そうなの?」
美香のこの発言には興味が出た。彼女が男性を食べたくなると、フェロモンを感じ取るからなのか、美味しそうな匂いがするという。つまり、小松川に関しては、そういう食欲に似た匂いとは違うということになる。
これで、新歓コンパの時に、小松川と楽しそうに会話をしていことに合点がいった。
「どんな匂いがするの?」
「うんとね~、伝わらないと思うんだけど、無臭に近い匂いなのよ。無臭なのに匂いを感じるって、不思議じゃない?」
私は美香の言う、人の匂いというものを嗅ぐことができないから、分からないが、無臭なのに匂いがあるというのは、確かに不思議な表現だ。想像もつかない。
「それで興味を持ったって訳ね。でも、いきなりデートって言うのは、早すぎない?」
今私の中で、ターゲットにしているのは、隼人先輩を始めとする、部の先輩四人だ。それらの人に興味を抱いて欲しいところなのに、ここで私の興味のなかった小松川徹が出てきた。これは私にとって、厄介以外の何物でもない。
更に言うなら、あいつは男らしく見えないし、大輝先輩にすごまれただけで、咄嗟に謝ってしまうような弱い奴。好みじゃない。これについては、私情以外の何物でもないけど。
「デート以外で遊びに行くには、どうすればいいの?」
「うっ」
男性を遊びに誘ったことのない私には難解な質問に、言葉が出なかった。
確かに美香の言う通り、興味を持って遊びに誘った時点で、デートなのではないだろうか。
もう、こう言われては、デートの設定をするしかない。
「分かったわ。美香ちゃんの言う通り、小松川君とのデートを…」
途中まで言って気付いた。
「美香ちゃん、何で自分で誘わないの?」
「えへへ~、連絡先聞きそびれちゃった」
小さく舌を出して、恥ずかしそうにする。あざとカワイイ。
デートに誘いたい相手の連絡先を聞かないなんて、何というポンコツっぷり。
でも今回は、その可愛さに免じて、怒らないでおいてあげるわ。
「美香ちゃんらしいわね。分かったわ、私が設定してあげる」
「ホント?ありがとう!」
ひまわりの様な笑顔を見せてくれる。小松川とのデートというのが、気が進まないけど、美香のモチベーションが上がるなら構わない。
「じゃあ、今日でいいかしら?」
「え!そんな突然すぎる~」
恥ずかしそうに体をくねらせる。嬉しそうな顔をしているところを見ると、今日で問題はなさそうだ。
「じゃあ、ちょっと電話してくるわね」
「うん、ここで待ってる」
私は美香から離れ、電話をした。
「はい、もしもし、どうしたんだ?」
数コール後、相手が出た。私が電話した相手は、長瀬竜司だ。
昨日、連絡先を交換したことが、直ぐに役に立つなんて、ちょっと皮肉だ。
彼は小松川と仲がいい。長瀬を使って小松川とのデートを設定するのが、最も単純で確実だと思ったのだ。
そして、彼に協力してもらう方法も分かっている。
「深山先輩たちのことで、有力な情報を手に入れたわ」
「何だって!?」
やっぱり食いついた。あなたは、何としてでも情報が欲しいでしょうね。
「だけど、情報を渡すには、私のお願いを聞いて欲しいのよ」
「え?」
長瀬が困惑しているのが伝わってくる。
正直な話、情報なんて何も掴んでいない。でも、長瀬が私の要望に応え、事が上手く進めば、情報を提供することができる。つまり、嘘が真になる。
逆に言うと、長瀬が私の要望を叶えなければ、その情報は発生しない。どちらを選択しようとも、真実になるのだ。
「協力するんじゃなかったのかよ」
長瀬が不機嫌になったのが分かる。当然の反応よね。
「協力はするわ。でも、昨日話した通り、私も私で動いているの。だから、私の方にも協力して欲しいのよ」
「もうこれは、協力じゃなくて、脅迫じゃねえかよ」
「あら、面白いこと言うのね」
「面白くねえ」
まあ、一方的な要望よね。でも、彼が納得する屁理屈は用意してあるわ。
「でも考えてもみて。私が苦労して手に入れた情報を、無償で渡したら、長瀬君は苦労することなく、有益な情報を手に入れられるわ。でも、それって、私だけが労力を使っていることにならないかしら?」
「まあ、確かに…」
やっぱり納得した。
「だから、長瀬君も労力を使うのが筋でしょ。その方法が私のお願いってだけ」
「何か腑に落ちないなぁ」
「あら?じゃあいいのよ。あなたも有力な情報を持ってきて。そして情報交換をしましょう」
「そうなるのか…」
「ね。そう考えると、悪い話じゃないでしょ?」
「そうだな…分かった。で、そのお願いってなんだよ?」
「ダブルデートがしたいの」
「はぁ?」
長瀬が当惑しているのが分かる。その顔が浮かぶくらい、口調に出ていた。
「それって交換条件なのか?こっちが得してるんじゃないか?」
「あら、長瀬君にとって私とのデートは、労力じゃなくて、ご褒美なのかしら」
私は悪戯っぽく笑って見せた。
「そ、そういう意味じゃねぇよ」
返事に照れが混ざる。
私を純粋に女性とみていることが、ちょっと嬉しかった。
…嬉しい?私が、長瀬に対してそんな感情を抱くなんて、何だか滑稽だわ。
おっと、無駄話をしている場合じゃない、美香の件を固めなくては。
「さて、冗談話はこれくらいにして、本題に入るわね」
「お、おう」
長瀬が、まだ落ち着かないのが分かる。
「男性にとって、女性とのデートは楽しいものかもしれないけど、自ら望んでいない事柄に時間を割くことは、十分労力と呼べると思うわ」
「そういうもんなのかね」
「誘ってる方が言ってるんだからいいじゃない」
「そうだな。すまん、話の腰を折った」
「いいわよ。それでね、小松川君を呼んで欲しいの」
「徹を?何でまた」
「美香ちゃんがね、小松川君とデートしたいんですって」
「へえ、あの美人さんがねぇ」
驚く様子はなかった。恋愛ごとに興味が無い。そんなように感じた。
「初めてのデートで、二人きりだと緊張しちゃうでしょ。だから、ダブルデート。私たちは、おまけ」
これは嘘。
美香ちゃんを二人きりにさせたら、何をするか分からない。
あの子は、結構奇抜な行動をするから、私が監視してないと、危なくてしょうがない。
「なるほどね。理解した。それで、日取りは?」
「今日の十三時」
「はぁ!?」
現在十時。そういう反応になるわよね。
「後三時間しかねえじゃねえか。いくらなんでも急だろうよ」
「時間がなくてごめんなさい。でも、この時間は譲れないわ」
「違う日じゃ、ダメなのかよ」
「ええ」
「何で」
「あなたにあげる情報が今日の夜のものだからよ」
私の言葉を受け、長瀬が黙る。
自分でも、無茶なお願いだと分かってる。でも、タイムスケジュール的に、本当にこのタイミングしかないのだ。
「…分かった。その条件を飲もう。それで場所は?」
「曙光山モールにしましょう。あそこなら、近いし、デートに最適でしょう」
「分かった。待ち合わせ場所は?」
「モール入り口にしましょう。じゃあ、また後で」
「ああ、後でな」
電話を切る。取り敢えず、第一関門の美香ちゃんのデート設定は成功した。
デートまでに、あと一つ、関門をクリアしなくてはならない。
その為には、あの人を探さなくては。と、その前に美香と合流しなくちゃ。
私は学食に向かった。
学食の座っていた席に、美香の姿があった。だが、様子がおかしい。どこか一点を見つめている。私も、その方向に目を向けてみる。
「あ…」
つい声が出た。視線の先には川島教授の姿があった。私の探していた、第二の関門だ。彼がこの時間、学食を利用するという情報を聞いて、ここで張っていたところに、美香にお願いをされた形だった。
しかし、本当に情報通り現れるなんて、彼のルーティーンなのだろうか。
一端、美香のところに行こう。美香が教授を意識しているのは、あまりよろしい状況ではない。
「美香ちゃん」
私の声に、美香がこちらを向く。
「愛美ちゃん、おかえり」
ちょっと、呆けている気がする。考え事をしているような、心ここにあらずというような、そんな感じだ。
「大丈夫?美香ちゃん」
たまらず声を掛けた。
「あ、うん」
「何か気になることでもあった?」
「川島教授って…前にどこかで会ったっけ?」
いけない。美香に今、彼のことを思い出させるのは、デメリットしか生まない。
「それは、大学の教授なんだから、構内で見かけるのは、当然なんじゃない?」
沈黙が流れる。美香は、視線を宙に向け、記憶を探る様に考えている。
一時の後、私に向き直った。
「そうだよね~。何言ってんだろ、私」
良かった。思い出さなかったみたい。とにかく、美香が思い出す前に、早くやることを終わらせなくては。
「美香ちゃん、私、川島教授と話があるから、ここで待っててもらえる?」
「うん、分かった」
このまま、美香を置いて行ったら、また思い出すかもしれない。なら、別のことを考えさせておこう。
「そうだ、美香ちゃん。今日、小松川君とのデートを設定できたわよ」
「え、ホント!」
美香は、本当に嬉しそうな顔をした。まるで、初デートに心躍らせる少女の様だった。
「ええ。場所は曙光山モールだから、行きたい所とか、デートプラン考えといてね」
「うん、分かった!」
目を輝かせて言う。これで、美香はデートのことしか考えられないだろう。
「ゴメンね美香ちゃん。私は川島教授と話があるから、もう少しここで待っててくれる?」
「分かった~、待ってるね」
私に手を振ると、嬉しそうにスマホを操作し始めた。早速、曙光山モールのことを調べているのだろう。
さて、私は目的の川島教授と話をしようかな。
「こんにちは、川島教授」
私の突然の呼び掛けに、訝しげに顔を上げる。
「何だ君は」
食事中に声を掛けられたため、不機嫌そうだ。
テーブルを見ると、食事の他に、何やら名簿が置かれている。その中に、私と美香の名前もある。どうやら、酒類調査研究部の入部届のようだ。
「へえ、私たちのこと、調べてるんですか?」
「こ、これは違う!」
慌てて、教授が名簿を手で隠す。
「違うって、何の話ですか。会話が成り立ってません、慌てすぎですよ」
「う、煩い!何なんだ君は」
川島教授が狼狽えながら睨みつけてくる。
「私のこと、覚えてませんか?」
「私の講義を受けている人間が何人いると思っているんだ、覚えとらん」
「そうですか…」
私は、おもむろに耳元に顔を近づける。
「鬼退村の沢渡愛美ですよ」
そして静かに囁いた。
私の名前を訊いた途端に、教授の目が見開かれる。そして、発汗が多くなり、顔色が青ざめる。
その様子に満足した私は、教授の耳から顔を離した。
「思い出しました?」
笑顔で言ってやる。
私の笑顔とは真逆に、川島教授の顔は更に青ざめ、もはや白い。
「それにしても、酷いですね」
怯えきって力が抜けた川島教授の手から、名簿をひったくる。そして、私と美香の名前を指さす。
「私と美香の名前に赤で印付けて、危険とか。あんまりじゃないですか」
名簿の私と美香の名前には、赤いボールペンで、何度も何度もぐるぐると丸で囲われた形跡があった。更に、太い赤字で「危険!!!」と書かれている。
「こ、これは…」
「調べるように頼まれたんですね。隼人先輩ですね?」
川島教授は私から視線を逸らし、俯いた。
「隼人先輩と、こそこそ話しているのは見ましたよ。お腹まで殴られて。私と隼人先輩が分かれた直後に会ったのは、迂闊でしたね」
私は部会前に、川島教授と隼人先輩が話しているところを、目撃していた。結果、今それが良い方向に動いている。
「ぐっ…」
悔しそうに唇を噛み締める。一番見られたくなった場面だけに、自分の軽率な行動を嘆いているのだろう。
「あなたは昔から、誰かの下で尻尾を振ることしかできないんですね」
冷たく言い放った。
「これは書き直してください」
私は名簿を自分のカバンに入れた。適当に捨てて、誰かに拾われたら大変だ。後で、安心できるところで捨てよう。
「さて、本題に入ります。川島教授、私たちに協力してくれませんか?」
「協力?」
「何をするかは言えませんが、ちょっと手を貸してくれるだけでいいんですよ」
「しかし私は…」
言い淀む教授。今、彼の頭の中では、私と隼人先輩とを天秤にかけているのが分かる。
だから、嘘でもいいから、一言背中を押してあげればいい。
「私に協力してくれて、上手くいけば、あなたは二度と、隼人先輩の言うことは聞かなくて済みますよ」
教授が疑わしい目で私を見る。当然の反応だ。
金も権力も持っている隼人先輩と、一生徒の私とでは、その力の差は比べるまでもない。
「まあ、普通に考えれば、隼人先輩を取りますよね。でも…」
私は、テーブルの上に置かれている川島教授の手の上に、自らの手を乗せた。そして、白い手袋で隠された、歪な手の感触を確かめる。
「あなたは、私たちが隼人先輩以上のものを、持っていることを知っている」
川島教授の体が恐怖で固まった。その顔は絶望にも似た表情をしていた。
「怖いですよね。でも、私たちに協力してくれたら、川島教授には危害を加えませんよ」
「ほ、本当か?」
「ええ、約束は守ります」
「分かった…」
川島教授は頷き、私との協力を約束してくれた。
話も固まったし、早速、川島教授には行動をしてもらおう。
「隼人先輩たちは、肝試しのために、廃病院の事前の見回りを計画しています。その日取りを、今日の夜に実行するように、誘導してください」
「今日の夜!?あまりにも急すぎる」
不服を言う教授。当然の抗議だ。しかし、そんなことは許さない。
「私が、その抗議を受け入れるとでも?」
そう言って、私は背後を見た。それにつられて、教授も私の背後に目を向ける。
「ひぃっ!」
小さな悲鳴を上げた。そして震え出す。
「美香ちゃんが動いちゃいますよ?」
嘘だ。
何も知らない美香が動くはずもない。しかし、教授には、死の宣告とも取れる発言だろう。
「す、すまない。悪かった。何としてでも、今夜に実行させる!」
ひねり出すような声で、テーブルに顔を突っ伏して、まるで土下座の様な姿勢で、弁明した。
「分かってくれればいいんです」
私は、教授の肩を優しく叩いた。その手に、一瞬びくりとする。相当怯えていることが分かった。まさか、ここまで美香のことが怖いとは思わなかった。
「後、もう一つお願いがあるんですけど」
「な、なんだ?」
怯えながら聞き返す川島教授。もう、何を言われるのかと、次の言葉が怖くて仕方ないのだろう。
「これから曙光山モールに行きたいんで、送ってくれませんか?」
今のところ、事は上手く進んでいる。
川島教授が、私の言ったことを、きちんと成し遂げ、デートで美香の機嫌を取れば、準備は万端だ。
全てにおいて急ぎ過ぎている。それは分かっている。しかし、今は大人しい美香でも、私が男を提供しなかったら、他で男を食べてしまうかもしれない。それだけは避けたかった。
加えて、これは、ついでではあるのだが、これ以上、隼人先輩の被害者を出すのは、知っている身としては、寝覚めが悪い。




