『体制批判の批判体制の、市場価値』・・・『詩の群れ』から
『体制批判の批判体制の、市場価値』・・・『詩の群れ』から
㈠
まだ幼い頃、自己は体制批判だったと、記憶している、だろうだ。
だろう、体制批判とは、所謂、子供の位置とも、直結しているからね、だろうだ。
だな、そして、大人になるにつれて、批判体制へと、移動する訳なんだ。
そうか、我々は、今度は批判される側に、周る訳だな、だろうだ。
㈡
だろうだ、しかしどうだろう、ドッペルゲンガーを見ることの、不思議と言ったらないよ。
何だって、ドッペルゲンガーを見たら、死ぬって書いてあったぞ、何処かに。
そうだろう、しかし、俺は生きている、体制批判をして、意味を覆すんだ、だろうだ。
だろうだろうだ、その話こそ、市場価値があるというものだよ。
㈢
つまりは、体制批判の批判体制の、市場価値ってことで、市場の至上化だろうだ。
そうだろうだ、意味変換で、ドッペルゲンガーをも、守るんだ、だろうだ。