婚約破棄されたら執事が王子になったのですが!
「お嬢様、今日は久しぶりの殿下とのパーティーでございますね」
王宮へと向かう馬車の中で傍らに座る執事のロバートが言う。
私、レスティアはアルスフィア公爵家の娘令嬢である。父の必死の根回しの甲斐もあってここオルステイン王国の王太子、エリック殿下と婚約していた。
とはいえ政略結婚における婚約などはほぼ名義だけのもの。殿下とは一度顔を合わせたきり、今日のパーティーに招かれるまでほぼ顔すら合わせなかったのでいまいち実感がなかった。
周りには「次期国王が相手なんて羨ましい」などと言われるが、それで得をするのは私ではなくアルスフィア公爵家だ。
「と言われても正直実感はわかないけど」
「さようですか。しかしお嬢様ほどの方を嫁にもらえるなど殿下は幸せ者でございます」
この執事、ロバートは私が幼いころに拾われてきた人物だ。一度父に出自を尋ねたらやんわりとはぐらかされたので、何か曰くがある人物なのだと思っている。
私と年齢が変わらないはずなのに物腰柔らかで落ち着いており、私の身の周りの世話を全てこなしてくれる上に、武芸の心得もあるというハイスペックな人物だ。そのため最初は見習いのような立場だったのに、いつの間にか私の専属のような存在になっている。
「お嬢様は聡明で気配りも出来、機転も利くお方。おまけに器量もよく、幼いころには……」
「やめてよ恥ずかしい」
そんなロバートの欠点は親馬鹿ならぬ主馬鹿なところだろう。たまにこうして私のいいところを列挙し始める。ありがたいのはありがたいのだが、放っておくとずっと止まらないし、顔から火が出そうになるのでやめて欲しい。
「向こうも私のことはただのお飾りの妻としか思っていなさそうだけど」
私は無理やり元の話題に戻す。
エルリックは現王唯一の子供であり、公務が忙しいのだろうが、それにしても今まで私に手紙を送ってくることも声をかけることもない。完全に政略結婚と割り切っているのだと思われた。珍しいことではないにせよ、当事者からすると多少寂しいことではある。
それだけに、急に殿下から呼ばれた今日のパーティーにはどこか唐突感があった。
「では行ってまいりませ」
「ええ、行ってくる」
私はロバートに見送られて王宮に入る。
会場に向かうと、そこにはすでに殿下を始め、何人もの貴族家の者たちが集っていた。が、私はその中にエリシアの顔を見て少し嫌な気持ちになる。
エリシアは我がアルスフィア家と長年の政敵であったローランド公爵家の令嬢である。会うのは初めてだが、可愛らしい外見とは裏腹に油断ならない人物だという噂を聞いたことがある。今もにこにこと笑みを浮かべているが、どこか貼り付けたような嘘くささを感じる。
私が入ると、すでに会場にいたエリック殿下がこちらを向く。
「では主役も揃ったことだし始めようか」
何の主役が揃って何を始めるというのだろうか。
が、答えはすぐに分かることになる。エリシアはこちらを見てふっ、と小馬鹿にしたような笑みを浮かべると殿下の隣に向かう。
そして殿下はおもむろに私に指を突き付けると宣言した。
「ただいまを持ってこの私。エルリック・オルスティンはレスティア・アルスフィアとの婚約を破棄する!」
「……なぜですか?」
私には全く状況がつかめず、怒りや悲しみよりも先に困惑が出てしまう。
「なぜ? この期に及んでしらばっくれると言うのか?」
「確かに殿下とは婚約以来会話の一つもしませんでしたが」
が、私の言葉に殿下は苛立ったようにバン、とテーブルを叩く。大きな音が会場に響き渡るが、誰も気にする者はいない。
「違う! お前はよりにもよって家が対立しているからといってレスティアと会うたびに嫌がらせを繰り返していたようではないか!」
「会うたびにも何も、会っていませんが」
パターンは分かった。たまに聞く婚約破棄譚の上辺だけをなぞったような浅い筋書だ。
正直殿下に愛情と呼べるほどのものはなかったので、相変わらず怒りや悲しみは湧いてこない。代わりにどうしたらいいのだろうか、という困惑でいっぱいになる。
するとエリシアはわざとらしく目に涙を浮かべ、殿下の腕に身を寄せる。
「殿下、酷いです。この女、私にした数々の仕打ちを覚えてもいないとおっしゃっておりますわ。きっとこの女にとって他人を痛めつけることなど息をすることに等しいということに違いはありませんわ」
「ですからそのようなことはしておりません!」
とはいえ、このままではうちの家名に泥が塗られかねないので私は反論する。すると殿下はこほん、と咳払いする。
「しらばっくれるのは予想済みだ。そう思って証人を呼んでいる」
すると今まで会場に来賓として参列していた男爵や子爵クラスの令嬢たちがぞろぞろと集まってくる。このために配置されていた女たちだったのか。
そしてそこでようやく私は気づく。見たことのない者も多かったが、いずれもエリシアの実家、ローランド家と親しい家の者たちばかりだったのだ。要するに私を陥れるために壮大な計画が張り巡らされていたという訳である。
「はい、私はレスティア嬢がエリシア嬢と二人きりのとき、『淫乱女』『娼婦』『売女』などと口汚く罵っているのを見ました」
一人目の証人はなかなか演技がうまいようで、まるで見てきたかのように感情を込めながら話す。お前は幻覚でも見えているのか。
「わ、私はレスティア嬢がえ、エリシア嬢と二人きりの時に手をあげているのを……見ました」
二人目は本意ではなく参加させられたのだろう、声が震えていた。私がちらっと視線を向けると「ひっ」と縮こまる。
「見て! 彼女も脅えていますわ!」
すかさずエリシアがそんなことを言い、殿下も表情を険しくする。いや、心にもないことを言わされているという事実に脅えているだけだと思うけど。
「次だ、次!」
「私はレスティア嬢からエリシア嬢を呪殺する何かいい方法がないのかを尋ねられました」
三人目は無表情で言った。彼女は一体どんな気持ちでその台詞を述べているのだろう。三人目の言葉が終わると同時に、エリシアは待ってましたとばかりに、
「殿下、私は恐ろしいです」
と殿下に抱き着いて泣き崩れる。殿下は「可哀想に」などと言いながらその髪を優しくなでる。正気か?
「怖かっただろう。だが大丈夫だ、今日からレスティアは王太子の婚約者ではなくなるのだから。もう脅えることもないのだ」
「殿下、ありがとうございます。ですがレスティア嬢にもきっと悪気はなかったのです。どうか寛大な処置を……」
「おおエリシア、そなたは何と寛大なのだ!」
この二人は今すぐ俳優にでも転職した方がいいのではないか、と思わせるような迫力のある演技を繰り広げていた。これがそういう演劇だったら間違いなく私は感動していた。問題はこれは演劇ではなく茶番であるということだ。
が、やがて殿下はこほん、と咳払いしてこちらへ向き直る。
「という訳だ。分かったな?」
「いえ、ですから……」
私がなおも抗議しようとしたときだった。
バタン、と音がしてホールのドアが開く。「おやめください、おつきの方の入場は禁止されています」「止まってください!」という叫び声とともにバタバタと人が争うような音もする。
振り向くと、そこには兵士を素手で薙ぎ払って会場へと侵入してくるロバートの姿があった。私はその光景に思わず唖然とする。
「ロバート!?」
が、ロバートは鬼気迫る表情でエルリックを睨みつけている。その姿は、普段の穏やかで優しい彼とはまるで別人だった。
まっすぐに殿下を睨みつけてまるで問い詰めるように質問する。
「殿下、レスティア嬢と婚約破棄なさるというのは本当でしょうか!」
「ああ、そうだ! というかお前はレスティアの執事か? ここは執事の立ち入りは認めていない! 誰か来い!」
エルリックの呼び声とともに外から兵士がどたどたと走ってくる音が聞こえる。が、なぜかロバートは殿下の言葉を聞いて満足そうな笑みを浮かべた。
「分かりました。ある意味安心いたしました……殿下がすがすがしいほどの無能で」
「何か言ったか!?」
「いえ、何も」
ロバートの言葉は後半は小さくてうまく聞き取れなかった。聞き返す間もなく、新しくやってきた兵士たちがロバートを取り囲む。
言いたいことは山ほどあったが、明らかに今は冷静な話が出来る環境ではない。
私は無言でロバートの腕を掴むと、会場を後にした。兵士たちもロバートが会場を出るとあえては追ってこなかった。
帰りの馬車に乗った私はひたすらに困惑していたが、隣でなぜか満足げな表情を浮かべているロバートを問いただすことにする。今日の出来事は何から何まで訳が分からない。
「で、さっきのは何?」
「いえ、お嬢様をエルリック殿下ごときに渡すのはもったいないと思っていたのですが、向こうから婚約破棄していただいて安心したのでございます。一時の愛欲におぼれて国の大事を見失うような方には国もお嬢様も任せることは出来ませぬ」
「は?」
言っている意味は分からなくもないが、明らかに執事の言葉ではない。まるで私の保護者か何かのような発言だ。
するとロバートは声を潜めて言った。
「実は私、陛下の隠し子なのです」
「ええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
思わぬカミングアウトに私は叫び声をあげてしまう。いくら馬車の中で二人きりとはいえ、前方に御者もいる。変に思われていないといいが、と思いつつ慌てて口を塞ぐ。
驚く一方で、どこか納得する自分もいた。なぜ公爵家ほどの家なのに出自が分からない子供を拾って執事にしているのか。生まれを聞いたとき、なぜ父ははぐらかしたのか。
が、そうと分かると湧いて来る疑問がある。
「でも何で、今まで黙っていたの?」
私の問いにロバートは柔和な執事の顔つきから、急に眼光鋭い王子のような顔つきに変わる。なるほど、この表情になると陛下の顔つきにもよく似ている。
「私の母は、いや、俺の母は平民で、産後の体調が悪くて間もなく死んでしまったらしい。とはいえ陛下として一時の愛に流されて平民との間に子をもうけてしまったことは醜聞に繋がるし、王宮で俺を育てれば俺の立場が悪くなる。だから密かに信頼出来るアルスフィア公爵家に託した、ということらしい」
「なるほど……」
分からなくはないけど、かなりひどい話である。
いつの間にか、ロバートは話し方まで執事のものから王子のものに様変わりしていた。
「それでも良かったの?」
「当然それを聞いたときは憤慨した。だが、俺はあなたの執事という役割があった。もし普通に王宮で育てられていれば、あなたとは出会わなかったかもしれない。そう思うと、それでもいいか、と思えてしまってな」
王子はとても真面目な顔でとても恥ずかしいことを言ってのけた。
私は照れ隠しについ視線をそらしてしまう。
「いや、良くはないと思うけど」
「そしてもう一つ重要なことがあってな、俺はエルリックの能力に著しい問題があった時だけ正体を明かすよう言われていたのだ」
「なるほど」
確かにエルリックの能力には著しい問題があった。エリシアへの劣情に流されたのか何なのかは知らないが、あのような茶番で陛下と私の父が決めた婚約を破棄したのだから。
事前に陛下に相談していたのなら、私は父からそのことを聞いているはずだから恐らく独断であると思われる。今陛下は病に臥せっているから好機と見たのだろうが、父の病に乗じて私利私欲で婚約を破棄するなど言語道断である。
「さて、そういう訳で俺は身分を明かしたわけだが、もう少しだけ待っていてくれないか?」
「……何を?」
「もちろん、君への求婚をだ。とはいえ、一か月も待たせないだろう」
それからのロバートの活躍はすさまじかった。エルリックが配置した護衛の兵士たちをばったばったとなぎ倒して陛下の寝室に侵入すると、ロバートが王子である旨を認める書面を書かせ、その旨を全貴族家に公表した。
私の父もエルリックの非道に怒り、それを手伝ったらしい。こうして王国はエルリック派とロバート派に分かれた。
そしてあの日からきっかり一か月後のことである。
私はロバート、いやロバート殿下の招待で王宮のパーティーに招かれていた。そこにはロバート殿下が集めたうちを始めとする、王国内のほとんどの貴族の当主や跡継ぎ、令嬢が集まっていた。王宮のかなり広い式典場を借りているのに、中は来賓で埋まり、テーブルには盛りだくさんの料理で彩られ、窮屈に感じてしまうほどだった。
ほとんどと言ったのはローランド公爵家とその取り巻きたちが同日、エリシアとエルリックの婚約パーティーに参加しているためである。つい一か月前までは唯一の王子にして王太子だった男が、今では国中の支持を失っている状況は滑稽ですらある。
エルリックは一か月前の無理筋の婚約破棄とロバートの出現により、一気に支持を失った。もちろんロバートは今のところ王位継承権を取り戻しただけであり、資質は明らかになっていないし、現王陛下もロバートに王位を譲ると明言した訳ではない。そのため、ロバートの人物像を見るために来たという者も多い。いずれにせよ、エルリックよりロバートの方が関心を集めていることは事実であった。
「今日は私が催した会にわざわざ集まっていただいて大変ありがたい。継承権を得て一か月の若輩者ではあるが、第一王子ではなくこちらの会に来ていただいたこと、大変感謝している」
ロバートの言葉に会場の一部が湧く。
「いくら第一王子でも、あれはちょっとなあ……」
「一国の王子たる者、あそこまで誰かに肩入れするとは。王になれば不公平な政治を行うのではないか」
「やはりロバート殿下の方が器が大きいのでは」
一方の私は殿下が直前に用意してくれた、これまで着たこともないようなきらびやかなドレスをまとい、パーティーに参列していた。私は参列者にあいさつをして回っていたが、中にはすでに私と殿下の事情を知る者も多く、「似合いの二人だ」などといったひそひそ話も絶えない。
そんな中、一人の少女が私を見かけて少し思いつめたような表情で歩いてくる。どこかで見たような顔だな、と思ったが咄嗟には思い出せない。
「あ、あの、レスティア様」
その震えるような声を聞いて私はようやく誰だったか思い出すこの娘はあの婚約破棄の時のエリシアの取り巻きの一人だ。
今も申し訳なさと恥ずかしさが合わさった表情で私の方をじっと見つめている。
「一か月前は申し訳ありませんでした! 家のしがらみなどがあり、ローランド家に逆らうことは出来なかったのですが、だからといってあのようなことをしてしまい、ごめんなさい!」
そう言って彼女は深々と頭を下げる。貴族に生まれた以上、自分の意志より家の都合が優先されることはよくあるので、今となっては大して気にしていないが、それでも彼女にとっては勇気ある一歩だったのだろう。
「いいよ別に。私は公爵家の生まれだから好き勝手出来るけど、ローランド家に歯向かうことは出来ないもの」
「お優しい言葉をかけていただきありがとうございます」
そう言って彼女は涙を流すのだった。
私はこれ以上特にかけてやる言葉もなかったので、しばらくの間無言で彼女の髪を撫でてあげる。大切に育てられたのか、きれいな髪だった。
「すみません、謝りに来たのに逆にご心配かけてしまいまして。それでは失礼いたします」
そう言って彼女はぎこちないながらも笑みを浮かべると、家の者がいる方へと戻っていくのだった。
「やはりレスティアは優しいのだな」
不意に、いつの間にか後ろに立っていた殿下がぼそりと耳元でささやく。突然のことに私はびくんと心臓が跳ね上がるのを感じる。
「そんなことはありません。ただ周りの人に恵まれただけですよ」
「周りの人に恵まれたのも、結局はそなたの人徳の賜物だとは思うがね。さて、そろそろ本題に入ろうじゃないか」
そう、今日わざわざ皆を集めたのは単にエリシアやエルリックへの嫌がらせをしたかったからではない。とある重要な目的があったためだ。
「さて、そろそろ今日の本題を発表しよう!」
殿下は私の手を引いて会場の中央へと向かうと、少し大きめの声で叫ぶ。その声につられて、思い思いの雑談に興じていた来賓たちは一斉に私たちの方を向く。
「本日をもって、ロバート・オルステインはレスティア・アルスフィアに婚約を申し込む! 彼女は王国を長らく支えてきたアルスフィア家の生まれにして、誰よりも可憐で気高く、そして聡明である。未来の王妃に、これ以上の相手はいないだろう!」
ロバートの声に一斉に喝采が湧く。誰よりも可憐で気高く聡明なんて……私は顔が熱くなってくるが、懸命に殿下の求婚に応える。
「私、レスティア・アルスフィアはロバート・オルステイン殿下の求婚をお受けいたします。彼こそは果断で決断力に富み、時には人をいたわる気遣いも併せ持つ、未来の王にふさわしい人物でございます」
私の答えに殿下は満足そうに微笑むと、私を抱き寄せ、そして頬にキスをした。唇から、じんわりと幸せが体中に広がっていくのを感じながら、しばしの間、私は殿下に身を任せるのだった。今回は、エルリックとの形だけの政略婚約とは違い、きちんと実を伴うものとなった。
私たちが晴れて婚姻を結ぶのはもう少しだけ先の話である。