第『01』頁
夏はどこか、好奇心や冒険心を掻き立てられるものらしい――。
そんなことを考えながら、彼こと【早河 健一】は、目の前で高笑いを上げて両手にスコップを握り締め、必死に地面にを掘り返す変人を呆れた顔で眺めていた。
「孝彦先輩、もうやめましょうよ。夏ですよ、暑いんですよ。やばいんですよ」
健一は疲れたというよりも脱力した様子で、まったく手を止めることもなく泥と汗で汚れた背中に声を掛ける。
「何を言うか。この程度の暑さに我が情熱は屈したりはしない」
「じゃあ、今この瞬間に燃え尽きてください。灰は気が向いた時にでも、僕が回収します」
「ふっ、若いな。心というモノは決して燃え尽きることなどないのだよ、少年」
そう言って、振り向き様に親指を立てて変人【鳴神 孝彦】は歯を見せて笑った。
学校の放課後。同年代の学生が部活や青春を謳歌していよう時に、照り付ける陽射しのなか、男二人で泥にまみれてひたすらに地面を掘り返す。どう見たところで虚しく、恋愛とは程遠い光景が自身の通学する高校の片隅で行われている現実に、健一は疲れと暑さも相まってか眩暈を起こしかける。
「水ぶっかけますよ、それとも消火器がいいですか。ちょっと待ってて下さい、たしか昇降口の廊下にも置いてあったはずですから」
「アホか君は、私は心の話をしているのだ。そんな物でどうにかできるわけがないだろうが、暑さで頭でもおかしくなったのか?」
皮肉を込めた言葉に、急に真面目な顔で返事をする孝彦に健一は若干頬を引くつかせた。
「すみません孝彦先輩、一発だけ殴ってもいいですか。ええ、本当に一発だけでいいんで。その一発に僕は全身全霊を尽くしますから」
「嫌に決まっているだろう。君は本当に大丈夫か、保健室ならすぐそこだぞ」
孝彦は頬を引くつかせる健一を横目に「そんなことよりも」と、スコップを振り上げて手を止めていた穴掘りを再開する。もう先程までの会話などはどうでもいいのか、言葉もなくただ黙々と手を動かしていた。
そんな孝彦の姿に健一は嘆息すると、彼もその手を動かし始める。成立しない会話も、頭のネジが数本抜けている状態も、もう既に彼にとっては日常だ。感覚が麻痺して慣れてしまっているのか、それとも諦めて流されているのか。こんなことは日常茶飯事で、怒りよりも呆れてしまうことの方が多く。最終的には孝彦に引きずられる形で事が進んでいくことだけは確かで、ブレーキが壊れた暴走列車に間違って乗車してしまったような。そう、事故だ。出会ったことだけが、不運としか言いようがない。
そして、二人の会話もなく。地面をあちこちと掘り返して、時間にして一時間程経った頃だった。さすがに我慢の限界になったのか、健一がたまらずに声を上げた。
「孝彦先輩、もう無理です。保証しますよ、このまま続けたら絶対倒れます」
「そんな心配は無用だ。気にするな、私はまだ力が有り余っているぞ」
孝彦は元気だという姿を見せたいのか、力こぶを見せるようにして笑顔を健一に向ける。
「いや、誰も孝彦先輩なんかの心配はしてませんから。僕が限界なんですって」
「問題ない。その時は、保健室にでも私が担いでいってやる」
「どこまで自分中心に回ってるんですか、あなたは。もう僕は部室に帰りますからね。だいたいあるかどうかもわからない、たまたま見つけた地図を当てにして探そうだなんて、最初から無理がありますよ。本当に埋まっているのかさえ怪しいですし」
「何を言うか。埋めたからこそ、その場所を記した地図があるのだろうが」
その言葉に健一は一層疲れた顔をすると、深く嘆息する。頭痛でもしているのか、右手をこめかみに当てて、睨むように孝彦を見つめた。
「いいですか? イタズラとか、ただの悪ふざけとか、少しは考えてください。仮に学校に埋めたとすれば、当時の学生が思い出に埋めたタイムカプセルとかですよ。孝彦先輩が考えているような宝じゃないです。ええ、絶対に間違いないです」
「心が荒んでいるぞ、我が後輩よ。金銀財宝だけが宝ではない。いいかね、過去の遺産も、その歴史も立派な宝だ。しかしそれは、ただ埋められているだけでは意味がない、我々後輩という存在が引き継がなければならない。そう、これは託された側の義務なのだよ」
「いや、立派なこと言ってるとこ悪いんですが。これ、ただの墓荒らしとそう大差ないですよ」
「ああ言えばこう言うな、君は。いずれも君も年を取り、先輩になる。そして卒業をしていった私の功績を語り、そして遺産を引き継ぐ時が来るのかもしれんのだぞ」
「黒歴史と負の遺産をですか。そんな核爆弾みたいな代物なんて結構です。恥ずかしくてゴミにも出せません、むしろ回収業者に土下座するレベルです」
そう言い放つ健一に、孝彦は嘆息すると「やれやれ」と少し大げさに肩をすくめて見せる。しかしそれでも止めるつもりはないのか、しばらくして再び地面を掘り返し始めた。
健一はその行動に、もうどうでもいいのか呆れた顔をすると、黙ってその姿を眺め。やがて再び深く溜息をつき、放課後のことを思い返していた。
それは考えれば、孝彦という変人を暇にさせてしまったことが、そもそもの原因だったのかもしれない。放課後の部室で、健一を含む他の部員が平穏無事に過ごしながら、各々が会話をしたり携帯を操作したり等と、どこにでもあるような部室での一幕を過ごしたことが孝彦という変人をその行動に駆り立てたのだろう。
姿が見えない。そんなことは、本当のところを言えば誰も気にかけてさえいなかった。気まぐれに動き、突如として理解できない行動をする。そんな予測ができない、というよりは考えもしたくない変人が何をしているかなどと、誰も気に留めていなかったのだ。
しかしながら、それがいけなかった。近頃は騒ぎもなく、突飛な行動も起こさなかったせいで、部員の全員が油断していた。放っておくと何をしでかすかわからない、そんな当たり前のことを失念し、警戒が緩んでしまっていたのだ。
そして突如として、それは起こってしまった。廊下の奥から聞こえる高らかな笑い声に、何かを言いながら誰かが廊下を疾走する気配、それが始まりの合図だった。その時点で部員の全員が固まっていたが、全員がお互いの顔を見るや同時に溜息をついていた。
そんな部員の気持ちを知る由もない孝彦は、豪快に部室の扉を開け放つと開口一番に、その言葉を口にした。
『大発見だ!』
その瞬間、その場にいた全員が一斉に不安に満ちた顔をしたことは、もはや語るまでもないだろう。
そして、毎度のことながらある程度騒ぎ立てて、興奮が収まった孝彦から聞かされた話はこんな話だった。
健一達が通う『私立藤丘高等学校』では部活動が盛んで、運動部に文化部と、他の学校に比べれば多くの部が存在していた。もちろん、なかにはそれが継続的に残るものもなく、廃部しては新しい部が作られていくという形に、消えては現れるを繰り返していた。その過程のなかで、部室の入れ替わりに際して、廃部になった部の備品というのは新しく設立された部活動の部員達から見れば不要な物で、ほとんどの物は処分されてしまう。
しかしなかには、捨てることは凌ぎないという生徒も存在し、ある程度の整理を行い残りの物をどうしようかと考えた際に、校舎の隅にある空き教室に一時的に保管しておこうと考えたことが始まりだったらしい。
それはやがて他の生徒達にも広がり、教師達もそれを黙認していたことが原因だったのか。気が付けば校舎の隅に魔窟と呼ばれる、かつて存在した部活動の備品が眠る墓場が誕生してしまったのだ。魔窟と呼ばれるだけはあってか、そこには使い方やどんな経緯で作られた物かもわからないような品々が乱雑に置かれ、部屋を埋め尽くすという混沌とした惨状に校舎の一室は変貌を遂げてしまったのだ。
しかしどうしてか。そんな普段は誰も近寄りもしない場所に、さすがは変人こと鳴神孝彦というところか。彼はその場所に興味をそそられると、一人魔窟へと探索に出向いたのだ。
その探索の結果、彼はある古い地図を発見し、それが学校の敷地内に存在するとある場所を指示しているということを発見するや否や、自身の部室へと駆け出した。
これこそが、今回のことの発端であり、二人が学校の片隅で地面を掘り返す理由なのだ。
そして現在。泥と汗で汚れる男の背中を虚しい気持ちで眺めながら、健一はそんなことを思い出しながら、古い地図をあてに見つかるかもわからない代物を探し続けている。無論、それが簡単に見つかることもなく、ただ無意味に時間だけが過ぎていく。健一自身は、もうこの時点で説得は無理だと諦めたのか、時折思い出したかのようにスコップを動かしては孝彦が諦めるのを辛抱強くひたすらに待ち続ける。そんな状況となっているのだった。
しばらくして、さすがに掘り返し始めてから二時間という時が経過しようかという目前の頃だった。どこまで掘り返すのか、いつまで続けるのかさえわからない。そんな孝彦の、ある意味でエネルギッシュ行動をなんとか別の方向に持っていけないものかと、自身の限界を感じた健一が真剣に悩み始めた。そんな時だった。
「あった……」
「はい?」
スコップに体を預けて、組んだ腕に顎を乗せた状態の健一は、その唐突な声に顔を向けると呆けた様子で反応した。
「あったぞ、ついに私は発見したぞ!」
「えっ、何をって。本当にあったんですか」
孝彦の様子に健一も思わずスコップを投げ捨てると、孝彦の脇から身を乗り出して穴の奥を凝視する。
「ああ、まあ確かに、ありますね……」
「歴史的な発見だ、なんてすばらしい日だ。この発見で歴史には新たなるページが生まれるに違いない」
穴の奥に見える物に、少し冷めた顔をする健一とは裏腹に、孝彦は興奮した顔で大きく両手を広げると声高らかに宣言する。
「ちょっ、恥ずかしいですから。止めてください、孝彦先輩」
「何を言うか。言わせたい奴には、言わせておけばいいのだ。勝者はいつも、後ろ指を指されれるものだ。恥じることはない」
「意味が違いますよ。自分から恥をさらしている人が、何を言いやがりますか」
しかし、そんな健一の必死な言葉を聞いてはいないのか。孝彦は次の瞬間には地面へ両膝をつくと、手で一心不乱に地面を掘り返し始めた。
「さあ、私にその姿を見せるのだ」
そんなことを言いながら地面を無邪気に掘り返す孝彦。そんな彼を横目に、健一は右手で顔を覆うと深く項垂れた。
そして心のなかで『いったい、僕は何をやっているんだ』と呟くと同時に、本当に目の前にいるこの人物は何者なのだろうか。そんなことを深く考えながら、薄暗い夕暮れ時に気が付くと彼は天を仰ぎ、早く家に帰りたいなと切に願うのだった――。
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