敵将確認
俺は今、信じられないものを目にしている。
本当なのか? いや、敢えて言おう。
正気なのか?
領主同士の諍い程度ではあるが、ここは戦場だ。
戦いが始まれば兵達は怪我だけで済むわけもなく、命を落とす者もいるだろう。
その兵達にも家族があり、生活がある。
そして未来があるのだ。
それでも軍人達は己が使命を果たそうと戦場に立っているのだぞ?
その上に立つべき者が一体、何をしているのだ?
「……軍曹殿、一つお聞きしたい。私は幻でも観ているのでしょうか? それともこれは油断させるための策略でしょうか?」
「君は本当に若いんだな。だから潔癖なところもあるのだろう。身内の恥を晒すようで情けないが、ここには嘘偽りも、策略も幻術もない。あれが真実だ」
軍曹殿が指差す先には湖畔に天幕を張り、その前で美女数人を侍らせて悠々と酒を呑んでいる佐官の軍服を着た男がいた。
その周囲には厳しい表情で警備する5人の男と卑しい顔をして揉み手を繰り返している小太りの男がいた。
「あの男は?」
「あれは隣接する伯爵領の商人だ。家督を継いだばかりの頃から男爵様に取り入り、貴族の必須だと様々な品を売りつけに来るのだ……先代の男爵様であればあの様な者などは屋敷に入れる事すら拒まれただろう」
俺はまだ恵まれていた方だったのか。
うちの男爵様はよく知らないが、御子息の准尉殿は馬鹿息子だった。
それでも戦場では軍服に身を包み、毅然とした態度で兵達と共に過ごしていた。
それがこの男はどうだ?
守るべき民を見捨て、戦おうとする兵達を蔑ろにし、己の享楽に溺れている。
もう我慢できない。
全て斬り捨てる。
「少し待て」
俺が刀に手をかけた時、不意に軍曹が止めに入った。
邪魔しないで欲しい。
でなければ軍曹殿も……。
「安心しろ。男爵様の助命を請うつもりはない。ただ、あの周りの男達はともかく、女達は見逃すんだ」
確かに女性を斬るのは躊躇われる。
しかし、相手が殺そうとしてくるなら命をとらないまでも反撃する事に躊躇いはしない。
「理由をお聞かせください」
「彼女達は民間人だ。帝国軍規で民間人への暴行、掠奪行為は禁止されている。抵抗してくればこの限りではないが、逃げようとするだけなら見逃せ」
……ふぅ。
少し熱くなりすぎていたようだ。
頭に血が昇って皆殺しにするところだった。
よく見れば女達の表情はよくないじゃないか。
おそらくは平民の中で見目麗しい者を選んで、貴族の地位を使って無理やり連れてきたんだろう。
愚かなものだ。
無理やりでなければ連れてこれないというのは、自身に魅力がないのを自覚しているからだ。
恥を晒しておきながらあの間抜け顔まで晒せるとは、厚顔無恥とはよく言ったもんだな。
さて、落ち着いたところでよく作戦を考えよう。
先ずは軍曹殿をどうするかだ。
今のところ協力的だが、この後はわからない。
信じたい気持ちもあるが、それだけで後背を晒す事は出来ない。
軍曹殿には悪いが、とりあえず縛っておくか。
後は敵兵だが、護衛の5人はいずれも胸部鎧に長柄槍、腰には長剣を帯びている。
正面から行くのは流石に無理があるな。
1人でも逃げられたら敵何大勢やってくるだろうし。
こっちは俺1人だし、武器はこの刀だけ。
5人を倒せても男爵に逃げられたら一緒だ。
男爵が敵陣に助けを求めたら、俺は逃げるしか出来ない。
さて、どうするか。
待てよ……湖畔にいるんだよな。
なら、あれで行くか。
「軍曹殿、申し訳ないのですが……」
「本当に行くんだな? わかった。俺を好きに使うがいい。人質にはならないだろうが、弾除けにはなるだろう」
いやいやいやいや、この軍曹殿はお人好しにしても本当に度が過ぎてるな。
この人が男爵だったならこの領地も安泰だろうな。
「それこそ軍規違反では? 申し訳ありませんが、もう一度縛らせていただきます。敵陣へは私一人で行きますから」
「お、おいっ! あっ、す、すまない……しかし、本当に一人で行くつもりか? あの5人は手練れではないにしろ武装を整えているのだぞ? 正面からではいくらお前でも」
「ご安心を。正面からは行きません。これ以上は機密につきお教えできませんが」
俺は手早く軍曹殿を後ろ手に縛り、まだ何か言おうとする口を猿轡で塞ぐ。
すいません、軍曹殿。
俺は軍曹殿を置き去りにして、湖を迂回する形で進んで行った。
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