敵陣への道
「ほ、本当に行くつもりか?」
軍曹殿は不安げな表情で俺の前を歩いている。
向かう先はライエル男爵領軍の本陣。
最初は軍曹殿を人質にとも考えたが、捕虜を人質にするような卑劣な行為は軍規違反かもしれないので止めた。
だから軍曹殿には敵陣までの先導をお願いしただけで、その証拠に後ろ手に縛っていたロープは外してあり、装備も全て渡してある。
彼が斥候に出た時と違うのは一緒にいた3人の仲間がいない事だけだ。
「ええ。このまま敵陣まで案内してくだされば結構です。敵を招き入れる行為ですので、軍曹殿には反逆のようなことをさせてしまい、申し訳ありませんが」
「い、いや。俺はいいが、お前の身の安全は保証できんのだぞ? 俺の班を壊滅させ、斥候である俺を捕虜にしただけでも、二等兵であるお前の功績としては十分だ。悪い事は言わぬ、俺を連れて自分の陣地に帰る方がいい」
どうやら軍曹殿は随分とお人好しのようだ。
同じ帝国軍とはいえ、今は敵同士なのに俺の身を案じてくれている。
なんとなく曹長殿に似ているな。
俺からすれば帰陣しても進行しても変わりはない。
どうせ帰陣してももう一回行かされるだろうからな。
だったら協力者のいる今行く方がいいだろう。
「お心遣い感謝します。それより軍曹殿にお聞きしたいのですが、ライエル領軍の指揮官と主だった階級の人は誰がいますか?」
領軍の機密情報かもしれないが、一応聞いてみる。
斥候として敵将の事を知らないのはどうかと思うが、馬鹿准尉からは何も聞かされてないから仕方ない。
わからなければ手当たり次第にやるしかないから、面倒なんだけどなぁ。
「指揮官はライエル男爵本人で階級は少佐だ。他には男爵の長男の少尉が1人いる。佐官と尉官の軍服を着ているのはこの2人だけだから直ぐにわかるだろう」
あれっ? 意外に素直に教えてくれるんだな。
もしかして偽情報か?
「……言っておくが、これは公の事実だ。領軍構成なんか帝国軍であれば本部に問い合わせたらわかる事だからな」
それもそうだ。
我ながら物知らずな事だな。
よくよく考えれば、元々は身内な訳だから当たり前か。
しかし、男爵本人が出張ってきてるのは困ったな。
帝国貴族の当主を斬るなんて許されるのだろうか?
「この戦に負けた場合、ライエル男爵はどうなるんでしょう?」
「生還された場合か? その場合は賠償金などを要求されて、払えなければ領地の割譲もあり得るだろう」
「生還されない場合という事は死亡する場合もあるという事ですか?」
「当然だ。戦争とはそういうものだ。この戦は帝都の軍令部も双方の貴族の寄親も公認しているからな。戦となれば戦死もあり得る」
ならば話は簡単だ。
ライエル男爵本人を斬ればいいだけだから簡単だ。
「ありがとうございます。それにしても、こんなに色々話してよいのですか? 私は一応、敵兵ですが?」
「話している内容は公然の事ばかりだ。何の問題もない。あるとすればお前が単身で敵陣に乗り込もうとしている事だ。考えは変わらないのか? 正直、お前の腕は惜しい。剣だけでなく隠密能力にも長けている。熟練の偵察兵はどの軍でも重宝されるからな。今ならまだ間に合うぞ?」
本当にお人好しな軍曹だ。
失態を隠すためなのかもしれないけど、あの眼は本気で心配している眼だ。
マズいなぁ。
この先、軍曹を斬らないといけない時は少し心が痛みそうだ。
「決心は変わらないか……なら、こっちへ来い。せめてもの餞別だ」
そう言うと軍曹は敵陣へ向かうルートから少しズレたルートを歩き始めた。
急にどうした?
「お館様……男爵様は本陣にはいない事が多い。おそらくはこの先にある湖畔で侍従共と戯れているだろう」
「まさかっ! いくら何でも敵将が戦の指揮を捨てて快楽に溺れるなどあり得ないでしょう?」
「事実だ! さっき言った領地の不作も、元々は税収を一気に引き上げた事による土壌の酷使が原因だ! そのせいで土地は痩せてしまい、満足に農作物が育たなくなったのだ。家督を継いで貴族らしさを体面から整えようとするのはわかるが、度が過ぎている。あれでは領地の未来などないではないかっ!」
「軍曹……」
我慢していた心の声が一気に吹き出したようだ。
お人好しの軍曹の事だ。
軍令に従いつつ、嫌な事も見てきたのだろう。
やっぱり何処の地域でも貴族の専横は度し難いものがあるな。
俺はそんな奴らの言いなりになるのは嫌だ。
絶対に軍で出世して奴らの言いなりにならなくて済むようになってやる!
拝読ありがとうございます。