家名御免
先任軍曹であるロースター殿との演習も一ヶ月が過ぎた頃、領主であり領軍司令官でもあるダウスター男爵様から呼び出された。
俺は宿舎とは別にある領軍練兵場内の司令官室に出頭し、ノックをした後に入室した。
そこには相変わらず筋骨隆々の男爵様が難しい顔で椅子に座って書き物をしていた。
似合わない、何て書類仕事が似合わない人なんだ。
男爵様も苦手なんだろう。
あんなに眉間に皴を寄せて……今から誰かを殺しかねないくらい凶悪な顔になっている。
おまけに身体の大きさに比して書類が小さいせいで肩が縮こまって窮屈そうだ。
苦行のようにも見える。
しかし、こういった書類仕事も大事な軍務の一つだ。
俺もロースター先任軍曹殿から教わりながらやっているが、これが見た目以上にしんどい。
初めの頃なんか一枚の書類を書くのに、朝から日暮までかかったぐらいだ。
出来ればやりたくない仕事だよなぁ。
おっと、同情してて挨拶を忘れるところだった。
「リクト軍曹、出頭致しました!」
男爵様に向かって出頭報告と敬礼をする。
すると、男爵様はゆっくり身体を起こして視線を合わせた。
「……来たか。全く、お前のお陰で書類仕事が増えてしまったわ。肩が凝って仕方ないんだぞ」
そう言いながら、自身の首元を太い手でマッサージする。
たまにゴキッゴキッと聴こえているが、大丈夫なのだろうか?
それに俺のせいで書類仕事が増えたというのはどういう事だ?
そう思って聞いてみると、どうやら前回のライエル男爵との戦関連の報告が多々あるらしい。
戦後の賠償金や領土の割譲範囲、論功行賞の結果、その上、戦の顛末まで報告しないといけない。
それに加えて俺の五階級特進である。
軍令部が認めたとはいえ、特殊な論功行賞だったので、経緯を報告書に纏めるのが大変だったそうだ。
なんせ辻褄が合ってないと再報告させられるらしいからな。
しかし、どうやらその他にもまだあるらしい。
「そして、今日の本題でもある階位についてだ。お前も下士官である軍曹になったので、階位申請をしておいた。それが認められたのだ。これでお前の階位は現在の《第十位》から《第九位》となるぞ」
「えっ! あ、ありがとうございます!」
まさか、昇進に次いで階位まで上がるとは思わなかった。
階位とは、帝国における身分制度の事で第一位から第十位まである。
第一位の皇帝陛下を筆頭に第二位が皇族及び公爵、第三位が侯爵と辺境伯、そこから第四位伯爵、第五位子爵、第六位男爵、第七位准男爵、第八位騎士爵と続き、ここまでが貴族に当たる。
今回俺は第九位となるが、これは名士と呼ばれる階位で、第十位の平民の一つ上だ。
名士は簡単に言えば、名誉ある平民の事で扱いは平民と大差ない。
ただ、一つだけ大きな違いがある。
「これからはお前も家名を名乗る事になるから何か考えておけ。おっと、現存するしないに関わらず貴族家と同じ家名は厄介事の種になるから止めておけよ」
そう、第九位の名士となると《家名御免》となり、家名を名乗る事が許されるようになるのだ。
別になくても生活には困らないが、帝都や公都には家名のない者には利用できない店があるというから、家名があるに越した事はない。
しかし、面倒なのはさっき男爵様も言っていた通り、自分で家名を考えないといけない事だ。
その上、貴族家と同じ家名は使ってはいけない決まりがある。
帝国には貴族家が結構あるので適当に付けるわけにもいかない。
さて、どうするかな。
「悩んでいるようだな。すぐにとは言わん。いくつか候補を考えておいて、決まったら私の家令のところまで来るがいい。彼は貴族家に詳しいから駄目な家名は指摘してくれるだろう。用件はそれだけだ。行っていいぞ」
「はっ! ありがとうございます! 帝国軍人に恥じない家名を考え、より一層帝国のために尽くす所存であります! では、失礼します!」
俺は司令官室を後にし、宿舎に向かって歩き出した。
男爵様の手前考えてみるとは言ったものの、どうしたらいいか全く見当がつかないんだよなぁ。
出来ればかっこいい家名がいいが、俺にはどんな家名がかっこいいかすらわからない。
俺が今、知っている家名といえばダウスター家、ライエル家くらいか?
んっ? 待てよ……そうだ!
下士官以上は家名持ちなのだから先任軍曹殿か上級曹長殿も家名があるんだ!
確か捕虜になった時、先任軍曹殿はロースターと名乗っていた。
だったら何か助言を貰えるかもしれないな。
「よしっ! 先ずは先任軍曹殿を探すとするか」
そう独り言を呟くと、俺は宿舎に向かって走り出した。
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