長い一日
帝都ヴァランタインの元帥府執務室。
重厚な机を前に椅子に座り、腕を組んで静かに瞑する男がいた。
珍しい赤い髪に輪郭の整った、一見女性と間違えそうな端正な美男子。
いつもなら街に出れば幾人もの淑女が振り返り、恋慕の情を抱くであろう彼の顔だったが、今だけは些か険しいものになっていた。
「やはり、今からでも増援を送るべきではないだろうか」
男の独白は幾度となく繰り返してきた悩みであった。
タウゼン大佐は信頼できる人物であり、軍内部でも一目を置かれている人材である。
しかし、当初は突拍子もない計画ばかり立てており、実行しても失敗に終わる事が多く、閑職へと追いやられていた。
そんな彼を自身の直属の部下とし、作戦の全権を任せてみると作戦は軒並み成功した。
後にわかった事だが、彼の計画は繊細緻密で下手に横やりが入ると一気に瓦解してしまうものが多かったのだ。
タウゼンは成功を積み重ね、今では軍令部の参謀部からも声がかかるほどになっていた。
そのタウゼンをしても今回の任務は困難を極めている。
難攻不落のベェルト要塞攻略、敵兵力はおよそ一万人。
対してタウゼン率いる特殊部隊はたったの6人。
堅牢であればある程、そこに付け入る隙があるのは間違いない。
だが、いくらなんでもこの圧倒的な兵力差を覆す事ができるのだろうか。
頼りはレッドウッド辺境伯の北方方面軍だが、指揮権をヴォルドン軍隊司令長官に握られた状況で、何処まで動く事ができるか。
彼は悩み続けていた。
「やはり、ここはヴォルドン軍隊司令長官に助力を乞おう。タウゼン大佐もリンプトン中佐も、隊員のロイス大尉、ファーレンハイト大尉、オルレアン少尉、そして、まだ成人したばかりのシュナイデン少尉。皆の命を失うわけにはいかない」
部下の命は何ものにも代え難い。
そう考える男は立ち上がり、執務室を出ようとした。
コンコン
ドアノブに手をかけようとした時、外側からノックされる。
止む無く彼は手を引いて扉から離れる。
「どうぞ」
そう短く答えると扉が開かれ、見知った人物が入ってきた。
短く切り揃えた黒髪の利発そうな青年、副官のローレル少佐だった。
「失礼します。元帥? どちらかにお出かけでしたか?」
「ええ、まぁ。それで用件は?」
焦る気持ちを必死に留め、なるべく平静を装う。
「はっ! ベェルト要塞攻略の近況報告が入っておりますので、それをお伝えに参りました」
「っ! それで? 現在はどのような状況なのですかっ?」
いつもの温和で物腰柔らかな彼とは違った鋭い剣幕にローレルは驚いて、言葉を詰まらせた。
「は、はい! それが元帥宛の暗号魔道通信文でありまして、内容はまだ……こちらです」
ローレルが1枚の紙を差し出す。
そこには全く意味のわからない文字や数字が書かれているだけだった。
暗号魔道通信文は特定の人物の魔力を流さないと内容が判別できない特殊な暗号文で、それ以外の人物には不規則な言葉の羅列にしか見えないものである。
今回の作戦にあたり、男はタウゼン大佐と特定の魔力を事前に定めておいたのだった。
「失礼っ!」
彼はその紙を奪い取るかのように受け取ると、自身の魔力を流す。
すると、不規則な言葉の羅列は命を吹き込まれたかのように動き出し、正常な文面へと並び変わっていった。
男はそれに眼を走らせ、驚愕した。
「っ! こ、これはっ! この文章に間違いはないのですかっ!」
あまりの荒唐無稽な内容に彼はローレルを問いただす。
「も、もちろんです。というより、暗号魔道通信文は送信者が書いた文章を暗号化し、送信してくるだけですので、受信側はそれを受け取るだけしかできません。改竄のしようもありません」
「そうですね……すいません、取り乱しました」
「お気になさらず。しかし、報告にはなんと?」
ローレルの問いに彼はすぐに答えられなかった。
それは、何度読み返しても信じる事が困難な内容だったからである。
何度も読み返し、誤りがない事を確認してから彼は口を開いた。
「内容を簡潔に言うと、ベェルト要塞を占拠したそうです」
「そ、そんな馬鹿なっ! タウゼン大佐達が出立してからまだ7日程しか経っておりません! いくら《老獪白眉のタウゼン》大佐であろうと、早過ぎます! 敵の罠なのでは?」
ローレルの問いは至極真っ当なものであり、男もそれは考えた。
しかし、そのための対策は事前に整えていたので、その可能性が極めて低いと判断した。
「私もそれは考えました。敵がタウゼン大佐に無理に書かせたと。しかし、その際にはあらかじめ隠語を書き記すように伝えてあります。ですが、これにはそれがありません」
「では、真実であると?」
男は考えを巡らせ、結論を出した。
「……正直、掴みかねています。内容が内容ですから。ですので、今すぐに確認をとりましょう。北方方面軍司令部、レッドウッド辺境伯に魔道通信を開いてください。私が直接真偽の程を確認します。それと急ぎ部隊の編成を整えてください。要塞を占拠したとあれば駐留部隊が必要となりますから」
「はっ! 承知致しました!」
ローレルは敬礼した後に急いで部屋を飛び出した。
そして、自身も元帥府の通信室へと向かった。
「タウゼン大佐……貴方は一体、何をしたのですか?」
期待と不安の入り混じった言葉を呟きながら、足を速める。
これが帝国始まって以来の平民出身の元帥、レオンハルト・ウォーレイクの長い一日の始まりであった。
いつも読んでいただきありがとうございます。
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こんなに沢山の方に読んでもらえて本当に有り難い事です!




