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ブレイブアーニムル  作者: 百山千海
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Erlkönig

ブレイブアーニムル7話    「Erlkönig」



 思うに、古代ミラクルムっていうのは現代的に言えば錬金術とか、宗教染みた固定観念、凝り固まった思考から抜け出すことができないまま、それが正しいと信じ続ける人たちによって今もなお信仰されている単なる歴史の残滓にすぎない。確かに科学文化が発達した現代の日本でも宗教は無くならないし、ものの考え方の一つとして、旧套墨守や温故知新って言葉もある。だから、人間が人間である限り、そういった形而上的なものは消えはしないし、今の科学だって遠い未来には歯牙にもかけられない、鼻で笑われるような些事になるのかもしれない。

 ちょっと脱線しすぎたかな。そう、古代ミラクルム。マイマイっていうビーストをチヒロとストルムが撃退した後、ハルカとアクアンは引き続き教皇ペトの毒を癒しに行った。そこで見た光景は衝撃だった。まさに熟練の魔術師っていう以外に形容しがたいお婆さんが黒衣を纏って一心不乱に呪文を唱えていた。祈祷は医学的に身体に直接的な影響を与えることは無い。そんな当たり前の事実をこの国の人たちは知らないんだ。この国に入る前にハルカが言っていたけど、そんなこの国がこの世界で最も権力を持っているだなんてね。何とも不思議なもんだよね。

 まあ、どうしてこんなことをつらつらと考えているかというとね、これまでの旅の中で僕が考えていたこと。この世界はいったい『何なのか』ってこと。それについての考察を発端にするわけだけど、まず第一にミラクルム。この存在こそが僕たちの世界とこの世界の在り方を異なるものとする最大の特徴だよね。でも、ミラクルムと言っても原理は恐らく全て科学で説明がつく。ハルカの解説によれば、マナトムを使ってある物質を他の物質に変化させるっていうのがミラクルム。つまり、化学式で説明がつく以上のことは不可能で、質量保存の法則を無視したミラクルムが可能だと信じるのが古代ミラクルム思想ってところかな。

 それとアーニムル、ビースト。二つともこの世界の不思議な生命体であることは確かだけど、これについてはまだまだ情報が足りないな……。


Aパート


「結局、この子達の罪はぜーんぶ濡れ衣だったってわけ?グリちゃん」

 ハイラスはニヤニヤとした顔つきでグリグスに問いかけた。

「……小さな未成年からは何のマナトムも感じん。つまりシンクロという事象はミラクルム行使ではない。それにアーニムルという存在も使い魔の範疇外だ。それくらい自覚している。敢えて聞くまでもないだろう」

「ちっちゃいって言うな!」

 いらぬ一言についついチヒロが条件反射的に牙を向けた。

 カズトたちの取り調べが行われていた小屋のある部屋では、戦闘によって破壊された床や壁を黒衣を纏った人たちが修復している。一行はそれを蚊帳の外でちらと見つつ話し合っているのであった。

「ってことはぁ、グリちゃん謝んなきゃなんじゃないの?カズト君とフレイヤ君にはケガまでさせてさぁ。ごめんなさいしなよぉ」

 ハイラスは相変わらずの表情で腕を組んだままグリグスの顔に首を伸ばした。グリグスはそれを手で押し返し、

「ええい!公務中は特別高等公安庁省長と呼べ!それにそのようなこと貴様に言われんでも心得ている!」

 グリグスは片手でハイラスのずいずいと伸びる首を押し返しカズトに振り向いた。更に目深に被った黒帽子を外すと、黒髪の短く跳ねた髪を露わにした。そしてゆっくりと、右膝を立て左脚を下ろし、頭を垂れた。

「勇敢なる勇者たちよ。申し訳ないことをした。古より伝わる法に基づき、汝らの気が済むまで私を殴るがいい」

「よーし、いい根性だぜ真っ黒野郎!俺っちの千本パンチに耐えられるかなぁ!?」

 グリグスのその言葉に意気揚々と反応したのはフレイヤだった。指をポキポキとならそうとするが、ふにふにと音が鳴らないのを気にもせずグリグスに近づいていく。

「まずは一発目ぇ!」

 フレイヤが小さな拳を振り下ろそうとしたその時、カズトがフレイヤの両腕を掴み、宙にぶら下げた。

「って、おい、カズト!離せ!ギャー!」

 ばたばたと踠き、炎でも吐き出しそうな勢いのフレイヤを余所に、カズトは冷静に告げた。

「なあ、おっさん。俺たち、ああ、俺と弟のケイトなんだけどさ、こことは違う世界から来たんだ」

 グリグスはその言葉に何の反応も示さない。服従の姿勢で顔を床と対面にしているままだ。

「それでさ、ハルカとチヒロの国が襲われててさ、よく分かんないまま成り行きでフレイヤがパートナーになってくれて、エナーハイっていうビーストを一緒に追っ払ったんだ。それで思ったんだ。こんな化け物みたいなやつがたくさんいたら、きっとまたハルカたちの国みたいな犠牲が出てしまう。もし俺にしかできないことなんだったら、俺はこの世界を救いたいって、そう思ったんだ」

 淡々と、しかし慈しみのある声で語るカズトに、暴れるフレイヤもいつの間にかじっと耳を傾けていた。

「俺たちがこの国に来たのも、この国が力になってくれたら、やつらからこの世界を救うことができるんじゃないかって思ったからなんだ。だからおっさん。俺の願いはアンタをぶん殴ることじゃない」

 グリグスがゆっくりと顔を上げて、カズトを見据えた。

「アンタ達の力を俺たちに貸してくれ!」

 グリグスは瞳を閉じ、ゆっくりと答えた。きっとそれは、法の従順な裁きに代わる自身に課した罰としての返答ではなかっただろう。カズトのその演説が、冷徹で純朴な戦士の心を打ったのかもしれない。

「承知した。貴殿の望みに応えよう」

 その言葉は、恐らく奇天烈なカズトの発言をさえ飲み込み、委細を勘案した末での静かなる決意だった。

「だが、私の使命はこの国の恒久的平和だ。故に私はこの国から離れることはできない。願わくばそれ以外の方法で貴殿らに協力をしよう」

 カズトはフレイヤを降ろし、右手を差し出した。

「よろしくな、おっさん!」

 グリグスは一瞬逡巡したが、それに応じた。カズトが繋いだ手を二三度上下にした後、グリグスは帽子を被り直した。その垣間に見えた一瞬の笑みを皆は逃さなかった。

「一つ言っておくが、私はまだおっさんと呼ばれる年齢ではない。頭に入れておけ。で、」

 深い帽子から覗く目はフレイヤを捉えた。

「そこなるアーニムルはこれで気が済んだようには見えんが?」

 フレイヤはわざとらしくグリグスを睨みつけ、言った。

「次はぜってえ負けねえからな。覚えてろ!」

「承知した。その時が来るまで私も鍛錬を怠らぬようにしよう」

 グリグスは至って真剣な表情でフレイヤに応えた。戦士の誓いはこれ以上の言葉を必要としなかった。

 と、そこにハルカとアクアン、ホーキンスが近づいてきた。

「お姉ちゃん」

「教皇様のお体は無事なのか?」

 チヒロがハルカに近づこうとする路を遮り、グリグスが三人に詰め寄らんばかりに大股で近づいた。

「そう慌てるでない。いや、たまげたもんじゃて。マナトムの強いものほど侵される毒じゃて?ペト様のお体はもう毒で充満しておった。じゃが、あのアーニムルはやってのけた。わたしの協力こそあったものの、いやはやたまげた精神力じゃて」

 ホーキンスはけろっとしているが、アクアンはハルカの腕の中に丸まっており、ハルカも心なしか少し疲れた表情だ。

「貴殿に感謝いたす。この恩は必ず返させてもらおう」

 グリグスは先ほどと同じ忠誠のポーズをハルカにもとった。しかしハルカは先のやり取りにおけるグリグスのそんな一面はつゆ知らず、当惑するばかりである。

「あの、えっと、そんな、私はそんなに……。頑張ってくれたのはこの子。それにホーキンスさんが莫大なマナトムを私に供給してくれたから。私はちょっぴりアクアンの手助けをしただけです」

「勘違いしないでよ。私はハルカの頼みだから力を貸しただけなんだからね」

 アクアンは疲れ切った様子だが、相も変わらず舌鋒だけは休みを知ることは無い。寧ろ自然と口が動いてしまうのではないかと疑うくらいに。

「ところで、じゃ」

 おっふぉん、とホーキンスは大きくわざとらしい咳払いをした。

「よう聞いておくれ、小さな勇者たちよ。二人には挨拶が遅れたが、わたしはミラクルム研究者の第一人者、ホーキンスじゃ。古代より受け継がれし伝説、アーニムルと数千年前に起こった災い、それが決して架空の物語ではなかったということが、君たちの存在によって判明した。しかし、不幸なことに、君たちアーニムルがこうして再び目を覚まし、人間とシンクロしているということはこれ即ち、新たなる世界の危機が生まれつつあるということでもある。君たちの行く手を阻んできたあの凶悪な存在、ビーストこそがその災厄の根源じゃて。つまり君たちの使命はアーニムルの力を借り、ビーストから人々とこの世界を守るということにある」

「世界を、救う……」

 カズトは右を向いた。ハルカが優しく、チヒロは力強く微笑み返す。カズトが左を向くとケイトがそこにいる。ケイトは静かに首を縦に振る。そしてカズトはホーキンスに向けてこう告げた。

「分かってるぜ。俺たち、こっちの世界に来たその日にこの世界を救うって決めたんだ。今更ビビることなんかねえよ!」

 その言葉には、おどけた牧師も、堅物の公安省長も、大研究者も、誰もが信頼の眼差しを送った。

「ふぉっふぉっふぉ、さすがじゃの、こんな小さな子どものくせして、やることが大きいわい」

 ホーキンスは高らかに笑った。

「それじゃあ、まずホーキンスさんの知っている範囲で教えてほしいことがあるんだけど、一つ目、ビーストの目的はなに?二つ目、ビーストにはそれを統括する存在がいる、もしくはアジト的な場所がある?三つ目、僕とお兄ちゃんはどうやったら元の世界に戻ることができる?」

 ケイトが間髪入れずに問うた。好奇心の防波堤が決壊したかのような破竹の勢いだ。

「さすがはケイトくん。目的のための情報収集を欠かさないのは達成への第一歩じゃ。そうじゃの、まず一つ目。ビーストの目的はわたしにも分からん。そして二つ目。それも分からんて」

「なんだよおっさん、褒めた割にはなんにも分かってねえじゃねえか」

 フレイヤの茶々にホーキンスはマウントを取られまいとすぐさま反駁する。

「いいやあ、そんなことはない。わたしですらも分かっておらんということを知ったという情報は、ケイトくんにとっては全く無価値の情報というわけではないと思うがの?」

 ホーキンスは毛に埋もれた目でケイトに無言で問い返す。

「そう……だね。でも、まだみんなの前で僕の推察を公表するには考えが纏まってなさすぎるんだ。きっと無闇にたくさんの可能性を発言しちゃうと思うから、その件についてはもうちょっと情報を集めてからでいいかな」

「いいに決まってんじゃん!それに、俺が聞いたって、結局ケイトが一番正しいと思ったことを信じるしかねえもん。な、チヒロ!」

「何で私に振るのよ!まるで私もカズトと同じレベルだって言ってるみたいじゃない!」

「なんだい?あたいのパートナーサマはもしかすると単細胞ってやつかい?奇遇だね、あたいも難しいことは苦手でさあ!」

「もう、ストルムまで!」

「あら、チヒロは本当はとっても賢い子なのよ?」

 わちゃわちゃとした小さな言い合いを優しく見つめる審問官はその光景に思わず言葉を漏らした。

「みんな仲良しさんだねえ」

「ああ、友好的な関係はチームに結束感をもたらす。そして、互いを思う気持ちは時に計り知れない力を生み出す」

「じゃあさぁ、グリちゃんも俺みたいな親友と一緒に仕事すりゃあいいじゃん。一匹狼気取ってないでさぁ」

「やかましい。貴殿は自身の公務を全うすればいいのだ。それに、最前線に立つのはわたし一人で十分だ」

 グリグスはハイラスを見ることなくそっけなく答えた。そしてばつが悪そうに目深に被った帽子を更に深くつばを押しやった。

「なになに?俺のこと心配してくれてんの?やっさし~」

「断じて違う。第一、貴殿では力量不足だということだ」

「またまたそんなこと言っちゃって~。素直じゃないんだから~」

「だからその首を伸ばしてくるのをやめんか!」

「ふぉっふぉっふぉ、戦の後の宴。これぞ防衛の本質じゃて。さて、話を元に戻して三つ目の返答じゃ。君たちが元の世界に戻る方法、それならばわたしにも分かっておるて」

 ホーキンスの発言に一斉に全員からの視線が集まった。

「その方法とは……?」

「それは……鏡から来たんじゃから、鏡に戻ればいいんじゃ」

 静けさが空間を支配する。

「……え?それだけ……?」

 これにはケイトもさすがにカズトと同じ表情になる。

「それだけ。ただ、注意せにゃいかんのは、双方の世界の鏡が無事でなくちゃいかんということじゃ、の」

「僕たちの世界の鏡は大丈夫だと思うけど……」

「俺たちがこっちに来た時の鏡って……」

「もしかすると……」

 四人はうーん、と頭を捻らせた。

「それ以外の方法は無いの?」

「それも……分からん」

「やっぱり何も分かんねえじゃねか!」

 再度フレイヤの突っ込みが炸裂した。

「まあ、考えててもしょうがねえし、取り敢えず先に進むしかねえな!」

「そう、だね。とは言っても、次に向かうところってどこか決まってるの、ハルカ?」

「いえ、正直ラシガム帝国の援助が受けられればとは思っていたから、これからのことはまだ策はないわ。ごめんなさい」

「と、なると……僕らが次に向かうべきところは……」

「エヴィタナトゥラ王国の宝物庫に戻って、大古鏡の厳重な保管をしておくってことかしらね。全てが終わった後に二人がちゃんと元の世界に帰れるように」

 チヒロの言葉に、全員が頷いた。しかし、言ってはみたものの、ハルカとチヒロの表情は少し硬く見えた。崩壊した自分たちの国から当てもなく飛び出し、いざ再び帰郷する。それは二人には希望、絶望、どちらの期待が勝るのだろうか。現実を思えば希望は萎む。ならばいっそ目をそむけたくもなる。しかし、そうしてばかりもいられない。自身を奮わせ希望を見出す。それが次へと進む未来なのだ。

「じゃあ、向かいましょうか。私とチヒロの故郷、そしてカズトとケイトとの出会いの地、エヴィタナトゥラ王国へ!」


Bパート


 彼らはラシガム帝国を発った。グリグス、ハイラスとの別れは教会内で済まされはしたものの決して簡素なものではなかった。ハイラスとホーキンスは一行の全員と握手を交わし、旅の武運を祈った。グリグスはいつの間にか姿が見えなくなっていたが、誰の手配だろうか、特別高等公安員を名乗る黒服の集団が帝国の敷地内である草原の手前まで見送ってくれたのだ。

「しっかし……またこの砂漠を歩くのかぁ……」

 カズトたちの目の前に広がるのは見渡すばかりの砂漠。そう、ラシガム帝国からエヴィタナトゥラ王国へ戻るということは、つまりデザトニアン公国周辺の灼熱の砂漠を経由しなければならないということだ。

「嘆いても仕方ないわ。夜までにはデザトニアン王国に着かなきゃいけないんだから」

「なあなあ、お前、ストルムっていうのか?俺っちフレイヤ。よろしくな!」

「アクアンよ。よろしくね」

「アーニムルってのはこんなにもいたんだねぇ。アタイはストルム。よろしくね」

 歩を進める少年たちの傍らには同じく歩を進めるアーニムルたち。といっても、一人を除いて、なのだが。

「ねえ、アクアン。そろそろ自分で歩けないかしら?私もう腕が疲れちゃって……」

「ええ~?イヤよ。ハルカのお願い聞いたんだから、もっと抱っこしてて~」

 ペトを癒すことに力を使い果たし、疲れ切ったアクアンはまるで赤ん坊のようにずっとハルカに抱かれたままだった。そしてそれは明らかにそれが不必要になったであろうと見受けられる今になっても尚、困り顔のハルカに猫撫で声で返すアクアンは継続して甘ったれた愛を享受しているのであった。

 

 小さなつむじ風が起こった。それは砂を巻き上げ、ほんの数秒だけ、皆の視界を遮った。砂漠では決して珍しいことではない。至って些細で、気に病むにはあまりに神経質な些事であることは誰もが承知している。

 しかし、不思議なことにそのつむじ風だけは、そこにいる全員の目を奪ったのだった。

 風が止んだ後、何も無かったはずの砂漠の先に、ぱっと人影が、あった。

 それは顔をも覆う合羽のような黒のマントを着ている、大人とも子どもともつかない背丈だった。

「なんだ……あいつ……?」

 砂漠の真ん中にポツンと存在するヒト。それも動いている様子は無い。人でなければまるで植物のような、そんな奇妙な存在に、一行は目を奪われた。

「……こっちに向かってくる……?」

 その人影は砂塵舞うつむじ風の中をゆっくりとこちらに近づいてきた。

 視界のそれをはっきりと人間だと認識できる距離にまで近づいた時、そいつは突然、こちらに駆け出してきた!

「っ!みんな気をつけろ!」

 4人とアーニムルはそれぞれ別の方向に飛び、臨戦態勢をとった。戦闘の意思、滲み出る殺気を瞬時に感じた即座には敵はもうすぐそこに来ていた。

 そいつは素早くハルカの懐に入り込むと、強力な右フックを繰り出した!

「ッ……!」

 ハルカは咄嗟に障壁を創り出した。が、そいつはハルカの防御を予見していたがごとく、すぐ傍にいたアクアンを目にも止まらぬ速さで蹴り飛ばした!

「くあっ!」

「アクアン!」

 勢いよく吹っ飛ばされるアクアンの方向につい顔を向けたハルカが、そいつが自身の背後に移動したことに気づいた時には既に手遅れだった。

 両手で作った拳固手を思いきり頭部に振り下ろされ、鈍い音と共にハルカは崩れ落ちた。

 そこまでに要した時間はおよそ5秒。他の3人とアーニムルは呆気にとられることしかできなかった。『何が起きている?』理解が追い付かない状況に対する茫然。

 真っ先に状況を把握し、危険を察知したのはケイトだった。

「チヒロ!危ない!」

 チヒロがその声に周囲を見渡すと、ストルムが既に音もなく倒れこんでいた。

「どうしたの、ストルム!?」

 言いながら背中に構えた槍に手を伸ばした瞬間、背後にまわったそいつは、チヒロのその右腕を取り、手首を捩じ上げながらその腕を引っ張り、易々とチヒロの体を宙に浮かせた。

「えっ、」

 右腕に激痛が走ったかと思えば、次の瞬間には風景が回転し、チヒロは受け身を取る暇もなく地面に叩きつけられた。

「カズト!」

 フレイヤはカズトに呼びかける。しかしカズトはその呼びかけに応えることはできなかった。

「おい、カズト!早くシンクロしねえと……!」

 恐怖で動けないのではない。カズトの見つめる先には、左手で両腕をがっちりと取られ、右腕で首を巻きつけられたケイトの姿があった。

「お兄……ちゃん……」

 今にも泣きそうな弟の声に、カズトは動悸が収まらなかった。

「おい!ケイトを離せ!いきなりなんなんだよお前!」

 カズトの怒声にそいつは一切の反応を示さなかった。

「頼む、何でもするから。みんなには手を出さないでくれ……!」

 カズトは頭に上がりきった血を何とか落とそうと、勉めて冷静に懇願した。

「……弱いな」

 その声は男とも女ともとれぬ、中性的なものだった。静かな、凍り付くようなその声は、その一言でカズトを恐怖感に打ちひしがれさえさせた。

「この場でこいつを殺したら、お前はどうする?……どうなる?」

 そいつはカズトに語り掛けるでもなく、静かに自問するかのように呟いた。

「やめろぉ!」

 思わずカズトは叫んだ。底知れぬ恐怖は、冗談でも夢でもなく、現に弟が目の前で命を失うかもしれないというものからだろうか。知らぬ間に目を見開き、口は震え、全身から冷えた汗が噴き出していた。

「アーニムルブレイブ!フレイヤ!シンクロナイゼーション!」

「カズト!」

 カズトは堪らずフレイヤとシンクロした。現われた灼熱の勇者は、心なしか深紅のその甲冑は普段よりも黒みを帯びた赤紫のように映った。

「うおおおおお!」

 振り上げたその剣はケイトの背後のそいつを捉えた。しかし、そいつの差し出したマントに隠れた左腕の部分は固い鉄のような感触でカズトの攻撃を遮った。

「お前たちの願いはこの世界の平和。そうだろう?そのためにこの無力は必要か?こうやって人質に取られただけでお前の精神状態は乱れる。アーニムルの力も無いただの枷に生きる価値はあるか?」

「無力じゃねえ!枷でもねえ!ケイトは俺の大事な弟だ!」

「見えないか?自身の醜い姿が。興奮しきった息遣い。対象を屠ろうとする以外の意思の欠損はまるで……」

 じりじりと鍔迫り合いが続く最中、そいつが顔を上げると、顔を覆っていたマントが剥がれた。見開いた目、裂けんばかりの笑み。見紛うことなきその姿は、ビーストではない。人間だった。

「獣そのものだ!」

「ッ!」

 その言葉にカズトが怯んだ一瞬、そいつはケイトをぱっと放し、カズトの鳩尾に左脚で蹴りを入れた。

「がっ……!」

 何とかその場に留まったカズトだが、連続して繰り出される右膝が顔面に叩き込まれる。

「あああっ……!」

 カズトは完全に昇天した。しかし、シンクロ状態だけは何とか解かれず、地に膝を屈することもなかった。

「ケイトは……俺が……守る……」

 定まらない視点でそいつを捉えるのがやっとだった。振り下ろされる力のない剣は宙をのみ切り裂いた。

「ハハッ!守る!?どうやって!?ボクにさえ敵わないのに!?」

 そいつはいたぶるかのようにカズトに軽いキックを打ち続けた。カズトの反撃をあざ笑うかのようにいなし、カズトの関節を攻撃し続けた。

「むかつくんだよ。勇者様気取りで正義面振りかざしてさ!お前たちの行動は全て正義か!?お前たちの揮う暴力は善行か!?馬鹿にするのもいい加減にしろ!!」

 時折見せる笑みはそいつがいかに狂っているかということを象徴した。しかしまた、時折見せる憤怒としか言い表すことのできない表情は、確かな厭悪を抱いていた。そいつはカズトの首を左手で持ち上げ右手で顔面を何度も、何度も殴り続けた。カズトは既に何の反応も示さなくなっていた。

「もうやめてよおぉ!!!!!」

 ケイトが涙声で叫び、そいつの腰にしがみついた。

「もうやめてよ!何でそんなことするの!?僕らが君に何をしたっていうの!お兄ちゃん本当に死んじゃうよぉ!」

 ケイトの言葉にそいつの右腕はぴたっと止まった。ゆっくりとケイトを振り向き、カズトを掴む左手を放すと、カズトはついにどさっと倒れこみ、シンクロ状態が解けた。

「何言ってんだ?お前。何をしたって?それ、本気で言ってんの?」

 そいつは右の掌に漆黒のマナトムを貯めだした。マナトムはみるみる大きくなり、人の頭ほどの大きさになる。

「もう君を守ってくれるお兄ちゃんはいないよ?」

 腰にしがみつくケイトの髪を掴み、睨んだ。

「死ね。」

 邪悪なエネルギーをケイトに叩きつけようとした、その瞬間!

 突然ケイトが光に包まれた。それは目を焼き尽くすかのような強い光。堪らずそいつはマントで顔を覆った。

「っ……!」

 光はみるみる拡がり、カズト、チヒロ、ハルカ、アーニムルたちを包み込んだ。

「……何?」

「……この光は……?」

 砂漠の真ん中という環境には不釣り合いな光が、それに包まれたハルカとチヒロの目を覚ませた。

「ケイ……ト……」

 カズトの二倍ほどに膨れ上がった顔の腫れが次第に引いていった。そして、徐々に取り戻しつつある気力で、名を叫ぶ。

「ケイト!」

 カズトは目を覚まし、眼前の状況を把握した。ケイトから発せられる暖かな光に黒マントは怯んでいる。しかし、対照的に自分やハルカたちは何ともない。それどころかみるみる力が湧いてくる。

 三人とアーニムルたちは見合って呼吸を合わせた。

「アクアン、いけるかしら?」

「あったりまえじゃない!一発やり返さないと気が済まないわ!」

「ストルム、いくわよ!」

「あいよ!さっきは不覚を取ったけど、次はそうはいかないよ!」

「アーニムルブレイブ!アクアン!シンクロナイゼーション!」

「アーニムルブレイブ!ストルム!シンクロナイゼーション!」

 二人の少女はそれぞれ水と電撃に包まれた。そして純白の天使と気高い女戦士がそこに現れた。

「フレイヤ。すまねえ。俺、ケイトが人質に取られて周りが見えなくなって……でも、今度は大丈夫だ。もう一回、俺を信じてくれねえか?」

 フレイヤは無言だった。しかし、カズトは横にいるフレイヤを見ることなく、ただ、真っすぐを見据えていた。

 少しして、フレイヤが口を開いた。

「一つ、約束してくれねえか」

「なんだ?」

「俺っちはカズトのパートナーだ。カズトの守りたいものは俺っちの守りたいものだ。だからよ」

 フレイヤはカズトを見つめ、続けた。

「一人で戦おうとするな!俺っちはいつだってカズトの中にいンだろ!」

 カズトはにこっとフレイヤを見て、強く肯いた。

「頼りにしてっぜ、パートナー!」

「おう!」

「アーニムルブレイブ!フレイヤ!シンクロナイゼーション!」

 カズトはいつにも増して強力な炎に包まれ、そして、眩いばかりの深紅の甲冑でそこに現れた。

「ぐう……」

 弱まりつつある光にそいつは苦しそうにもがき、よろよろと立ち上がった。顔を覆っていたフード部分は完全に剥がれ、顔は露わになっていた。顎程の長さの黒の揉み上げ。首元までの襟足。どこをとっても中性的で、顔つきからも判然としない性別。ただ、そいつが自分たちと同じ、人間なのだという確証のみが強くなっていく。

「ハッ。何の手を使ったか知らないけど、これで形勢逆転だと思うなよ。たかが3人。これでやっと本気を出せるってもんだ」

 そう言うとそいつはフードを脱ぎ捨てた。そのフードの中から出てきたものに全員が驚愕した。

 膝丈ほどの黒い生命体。続く言葉は疑惑を確信へと変える。

「アーニムルディスガイズ。ガンファ。シンクロナイゼーション!」

 闇のエネルギーがそいつを纏った。そして、そこに現れたのは黒のインナーに黒のジャケット。黒のベルトに黒のダメージジーンズ。そして、黒のロングブーツ。全てを黒に包んだ勇者が、そこに立っていた。

「さあ、第二回戦の始まりだ!」

 そいつが両手を構えると、そこには二丁拳銃が現れ、先頭のカズトを狙い、銃弾を打ち放った。しかし、連続で打ち放たれる弾はカズトに被弾する寸前で焼き尽くされ、臆することなくカズトは敵に向かって走り出した。

「うおおおおお!」

『あの弾は俺っちがなんとかする!カズトはあいつにだけ集中しろ!』

 カズトは剣を振りかざし、一振りの間合いに入った。

 と、敵の持つ二丁拳銃は瞬時にショットガンに変化する。

 まずい。やつの思い通りか!?この距離だと……やられる!

 そう思った次の瞬間、カズトと敵の間に眩いばかりの電撃が走った。チヒロだ!

「私のスピードに付いてこられるかしらっ!」

 チヒロは電気を纏った槍でそのショットガンを突き刺すと、それは粉々のマナトムへと砕け散った。間合いを置かずに追撃!槍でそいつを素早く突く!そいつはそれを何とか躱しつつ、間合いを十分にとった。

「チィ!」

 チヒロの槍の届かないところまで後ろに下がった敵は、次にマシンガンを手中に創り出し、辺りを無差別に打ち始めた!

 しかし、銃弾は全て空中で迎撃され、勢いを失い消え去った!ハルカだ!全ての銃弾を寸分の狂いもなく水の矢で全て撃ち落としたのだ!

「クソッ!思ったよりも高等なミラクルム使いのようだな!」

 敵はマシンガンを消し、詠唱を始めた。すると、敵の頭上に巨大な闇のエネルギーが出現した。

「まずいわ!」

 ハルカの注意喚起に全員が気を張り詰めた。

 その巨大な闇のエネルギーは敵の手中に集積し、巨大なバズーカ砲となった。

「こいつはどうする!?」

 パアンという耳を劈く音と衝撃を残し、敵は同一線上に3人を捉え、それを打ち放った!

 三人はそれを避け……いや、待て、いつの間に!?

 この一瞬の攻防の隙に、その同一線上に立っていたのは三人じゃない。光が止んでから倒れ続けているケイトが後ろにいた!

「ケイト!」

 知らず砲撃を避けた二人の後に、カズトはケイトに飛び込んだ!

 闇のエネルギーが二人に命中し、四散した。

「カズト!ケイト!」

 そいつはニヤッとほくそ笑み、、バズーカ砲を消した。しかし、煙が掃けるとそこには、またしてもケイトの放つ光の球に包まれた二人の姿があった。

「チィッ!またか!」

 その一瞬の隙ををハルカとチヒロは見逃さなかった。

 チヒロの電槍が間合いをゼロに、激しい攻めを見せる。それをハルカが後方支援し、敵の注意を逸らす。

「クソッ!」

「アンタ、シンクロしない方が強いんじゃないの!?」

 敵の作戦は見事に成し遂げられた。しかし、ケイトの放つ光だけは、想定外の出来事だったのだろう。しかし、余裕を失った敵はどうやらチヒロのその一言が導火線となったようだ。敵は大きく後ろに下がり、呟いた。

「……図に乗るなよ。人間風情が」

 一見戦意を喪失したかのようにだらんと両腕を垂らしたシルエットは、文字通り辺りの雰囲気を一瞬にして変えるほどの天候の遷移によって、それが霹靂であることを予見させた。次第に空には暗雲が立ち込め、敵自身から放出される闇のエネルギーが天へと届く勢いで磁石のように厚い雲を引きずり寄せた。

「なっ!?」

「消えろ。偽物の勇者ども」

 敵が右手を天にかざしたその時、雷のようなマナトムが一斉にやつの体へと入っていった。

「がああああああああああ!」

「何!?なんであいつ苦しんでるの!?」

 チヒロはその異様な光景に混乱を隠せないでいた。

「マナトムを制御できていない。あれほどのマナトムを一気に体に取り込んだりしたら……!」

「ぐうううううううああああああああ!」

 苦しむ様は、まるで煉獄に焼かれる罪人そのものだった。

 しかし、次の瞬間、

『それ以上は駄目。グリム』

 敵のアーニムルだろうか。その声に反応し、闇のエネルギーは勢いを止めた。同時に敵はよろめき、何とか立った状態を維持していた。

「ハァ……ハァ……命拾いしたな。人間ども……。だが、ボクがここに来た目的だけは果たさせてもらう」

 そう言うと、4人の左右に禍々しい扉が出現し、ギィィという不快な金属音を鳴らしてゆっくりと開いた。

「何これ!?」

 目隠しをされ幾つもの長い針に刺される女性の象ったその扉は、開かれるとともに重力とも引力とも、磁力とも違う、ただ全てを飲み込もうとする力で4人をその中へと引きずり込もうとした。

「友情は……愛情は……引き裂かれる!」

 勢いを止めることなく、4人は地に踏ん張ることができずにあっけなく体を宙に浮かせ、闇へと吸い込まれていった。

「ケイト!」

「お姉ちゃん!」

「チヒロ!」

 四人はそれぞれ別々の扉へと引き離された。

「ケイト!ケイトォ!」

 必死に呼びかける兄の声も届くことなく、ケイトはそれでも目を覚ますことはなかった。

 4人を吸い込み終えると、扉は閉まり、後にはただ、まるで何事もなかったかのように、砂漠に一つつむじ風が起こった。

 人々を照らす太陽はもう、既に西へ死んでしまっていた。

 血のような夕焼け空が世界を支配していた。


END


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