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ブレイブアーニムル  作者: 百山千海
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「明暗」

ブレイブアーニムル 3話 「明暗」




カズトにケイト、加えてフレイヤがいるにも関わらず、その部屋は閑静としていた。何もそれは夜だからという理由だけではないだろう。思い思いの姿勢を取る中共通しているのは、皆が下を向いているということだった。

 ガチャと部屋の扉が開く音がした。カズトがすぐさま駆け寄る。

「どうだ!?ハルカの調子は!?」

 慌てるカズトに対してチヒロは冷静だった。勾配の無い語調でただ囁くように言った。

「あいつ……ネックフェックっていったかしら。実力は大したことなかった割に、厄介なミラクルムを使ってきたわ」

「マギア……って言ってたよね」

 ベッドの上に小さくなっているケイトが訊ねた。

「そう。随分と昔に世界中で禁じられたミラクルム、それがマギアよ。相手に害を加えることに特化したこのミラクルムは、今では使う者なんていないハズだった。だからこそこれを完全に解く方法なんて……ただでさえ落ち零れの私になんか分かんないわ」

 淡々と解説するチヒロにカズトは苛立ちを隠せなかった。

「分かんないってなんだよ!ハルカは今も苦しんでるんだろ!?なら何がなんでも治すしかねえじゃねえか!」

「私だって心配に決まってるじゃない!」

 怒鳴り声が部屋に響いた。

「……今はもうぐっすり眠っている。今日はもう遅いし、明日の朝から手掛かりを見つけるの、手伝って」

チヒロはとぼとぼと歩き、ぱたんと扉を閉め出ていった。その後ろ姿が物語るのは何であろうか。苛立ち、焦燥、自己嫌悪。カズトにそれ以上ものをも言わせぬ感情の渦が溢れ出していた。

「お兄ちゃんのせいなんかじゃないよ。僕も隣にいたのに何もできなかった。チヒロだってきっとそれが悔しいんだよ。だから自分ばっかり責めないで」

「……俺っちもあいつがあんなこと仕掛けてくるなんて思いもしなかったぜ。随分となまっちまったもんだ。すまねえ」

フレイヤがケイトに続いた。

「分かってる。二人ともサンキュな」

カズトは軽く笑んでベッドに潜りこんだ。結局一行の誰もが風呂にも入れず、シャワーも浴びられなかったが、そんなことを気にする者は誰もいなかった。べたついた汗が体に纏わりつく感覚に、ただ厭悪した。


Aパート


 朝。暑さで目が覚める。そうだ。やはりここは砂漠の中にできた土地なのだ。朝も早くから太陽が起きればその暑さに人も起こされる宿命下にある。

 ハルカたちの部屋にカズトたちがやってきた。チヒロにとって、姉が寝入る女子のテリトリーに男子を招き入れることに抵抗はあったものの、ハルカを一人残していくわけにもいかなかった。

「昨日はその……ごめん。で、どうやってマギアを解く方法の情報を集めるんだ?」

「別に。全然気にしてないから。そうね、昨日お姉ちゃんから聞いたんだけど、マギアの解き方で最も単純なのは術者を倒すこと。つまり、昨日のあいつをやっつけちゃえばいいんだけど、取り敢えずこの街の現状がどうなっているか確実にする必要があるわね。昨日のビーストの襲撃、あまりに急だった。でもそれでいて周りの人たちがビーストの出現に慌てる素振りもないし……お姉ちゃんがこんな状態の中昨日みたいな襲撃に遭ったら大変だしね」

チヒロは勉めて冷静だった。カズトの謝罪に対しても、根を持った様子ではない。ただ、姉のために今為すべきことを、何ができるかということを分析していた。

「確かに。水が出なくなった理由もビーストと関係があるのかも」

「だな!……で、具体的にどこに向かえばいいんだ?」

「……それは……」

 と、その時、三人の会話を遮ってトントンと部屋をノックする音がした。

「失礼します。お水をお届けに参りました」

女性の声だ。カズトが駆け寄って扉を開けた。

扉の向こうにはペットボトルの水を持ったウエイトレスが立っていた。しかしその量は昨日と違い、数百。荷台に大量に積まれている。

「おおっ、すげえ量!サンキュ」

カズトがペットボトルを掴もうとするが、

「お待ちください。ハルカ様が大変な状況だということを伺いまして。私でよければ症状を診ますが」

「お前医者なのか?助かるぜ。どうしたもんか困ってたんだよなぁ」

カズトは部屋の中にウエイトレスを招き入れた。ケイトの指示でフレイヤは咄嗟に布団に潜り込んだ。部屋を見渡すウエイトレス。そしてハルカに近づく。

「……ふむふむ……これは大変ですね。すぐさま王宮で応急手当てをしないと!」

「王宮で……」

「応急手当……」

ケイトとチヒロが思わずウエイトレスの言葉をリピートしてしまう。その言葉に場が凍るが、今は流暢に突っ込んでいる場合ではない。

「そんなにヤバいのか!?じゃあ早くなんとかしてくれ!」

「畏まりました。では、私がハルカ様をお運びしますので、あなた方はここでお休みになっていてください」

「嫌よ!私もお姉ちゃんと王宮に行くわ!」

「なりません、チヒロ様。わがままを言っては。事は一刻を争います」

 ウエイトレスは厳しい口調でチヒロを窘めた。

「……ねえ、ウエイトレスさん。なんでこんなにも沢山水を持っているの?」

 すると、ケイトが静かに口を開いた。

この時、カズトは察した。この落ち着いた声のトーンに疑問形の口上。それはケイトが何かを疑い、順序立てて推理しようとしている時の合図なのだ。弟のその癖に自然と警戒心が生じたカズトは普段通りそれを邪魔することが無いよう、静かに弟を見つめた。

「なぜって……このホテルは我が国随一の一流ホテルでございます。いくら国中が水不足とは言え、他国の皇女様へのお水くらい用意していますとも」

 落ち着いて返答するウエイトレス。

「ねえ、どうしたのよ。早くお姉ちゃんを……」

 チヒロが言いかけて口を紡ぐ。カズトが続く言葉を手で制したのだ。

「そうなんですね。でもそんな大量の水、どこに保管してあったんですか?昨日は2本しか貰えなかったけど。隣国の皇女が長い砂漠を歩いて尋ねてきた時に、なんでもっと多くの水をくれなかったのかな」

 静かに、丁寧に糸を解いていくように問い詰めるケイト。

「それは……ですね、ハルカ様のお体が芳しくないと耳にしたものでして。王宮から急いでこれだけの量の水を持ってきたのです」

 ビーストがこの一言を放った瞬間、ケイトとチヒロは察した。そしていつ、何が起きても対処できるように身を構える。

「……どうしてハルカの容体が悪いって知っているのかな。そのこと知ってるの、昨日のビーストと僕たちくらいだと思うんだけど」

 張り詰める空気。沈黙が流れる。

「あなた……何者……?」

と、その瞬間ウエイトレスの足元から煙が巻き起こった!突然に奪われる視界に、構えていた三人も不意を突かれた。

「なんだ!?」

「前が見えない!」

『そいつ」の動く気配がした。そして窓ガラスが突き破られる音。徐々に煙が薄まる中

 ……やられた!ハルカがいない!

「お姉ちゃんが!」

「みんな、追うぞ!」


×   ×   ×


敵はハルカを抱えて街を走っていた。そしてその姿は既に先ほどまでの人の様相を為していない。昨日戦闘したビースト、ネックフェックに似た形だ。しかし見た目は狐そのものだが、耳や尻尾の形、それに毛皮の模様が奴とは異なる。

朝っぱらから賑わう繁華街を駆けるビースト。そいつの抱える人物、ハルカの顔は、もはや国民の皆に知れ亘っているようだ。昨日のような変装をしていないので、その光景を見る民は皆驚嘆し、パニックになった。

「なんだあの化け物!?」

「あいつが抱えていたのってハルカ様じゃねえのか!?」

そんな民衆を掻き分けて少年たちは敵を追いかけた。大丈夫だ。ハルカを抱えている分、充分に走って追いつける速度だ。

「どけどけどけえ!」

先頭はカズト。荒々しくも道を切り開きつつ走る。幸か不幸かこの騒動に乗じて、フレイヤも隠れることなく一行と共に走ることができている。

「今度は俺っち達が追いかける側になるなんてなぁ!」

「あいつ、昨日のやつとは別人だよね。ハルカをどこに連れていくつもりなんだろう……」

「確か昨日言ってたわよね。『スーフォック9姉妹』って。昨日のネックフェックと関係があるとすれば、その変な狐姉妹の内の一人ってことかしらね。それに、水不足の深刻さを理解していたってことは、やっぱりあいつらが何か秘密を握っているのかも……」

「そしてアイツの向かっている方向……」

ケイトが見上げる先。そこにはデザトニアン公国の大公の根城である宮殿が聳え立っている。

「サートル宮殿……エヴィタナトゥラ王国同様、大公の身も心配ね……」

宮殿が近づくにつれ、人の数は次第に減ってきた。宮殿周辺にはいてもおかしくない、寧ろいて当然である門番も含めて、まるで人気のない巨大な敷地に、身の毛のよだつような底知れぬ不安が駆り立てられる。そして宮殿の敷地に入った瞬間、不思議とカズトたちは敵の姿を見失ってしまった。

「あれ……確かにアイツ、たった今まで見えていたハズなんだけどな……」

「狐に化かされたって気分だよね」

「気を付けて。アイツ等、マギアもそうだけど、さっきのウエイトレスみたいに他のものに化けることができるみたいだから」

警戒しながら宮殿に近づく一行。しかし存外にも敵からの奇襲は無く、静寂が支配する宮殿内部を進んだ。

「これだけ人の気配が無いと不安になっちゃうね……」

「まあ、あんなやつくらい、俺とフレイヤで何とかなるけどな!」

「ったりめえよ。大した事ねえやい、あんなやつ」

「バカ。頼りになるのはアンタたちだけなんだからね。敵が何人いるか分からない以上、切り札は温存しておいた方がいいわ。そこらのザコくらいなら私が相手しなきゃ」

「……そうだな、頼りにしてるぜ。チヒロ!」

 それは以外な言葉だったのだろうか。チヒロはカズトをきょとんと見てプイっと顔をそむける。

「も、もっと頼ってもいいわよ!宮殿内の地図なら任せて。何回も来たことあるから。さあ、もうすぐ王室間よ!」

宮殿の内部に侵入して数分で王室間に辿り着く。幼い頃から足を運んだこの国の宮殿だ。チヒロの頭の中には既に宮殿内の構造は完全にインプットされているらしい。

重い扉を開くと、広い空間の真ん中には人影が……ハルカだ!

「お姉ちゃん!」

思わず駆け寄るチヒロ。それに続くカズト、フレイヤ、ケイト。ハルカを目の前にしてまっすぐ走る……のだが、瞬間、地に足がつかなかった。踏みしめる筈の地面、それが視覚的にはあった筈なのだが、実際にはそれが無かった。

「え?って、うわああああああああ!!」

見えない巨大な落とし穴に一行はあっけなく落ちていったのだった。


×   ×   ×


 落ちる?滑る?暗闇の中のウォータースライダーのように天地も知ることなく、一行は、恐らく下方へと落ちていった。

「ふんぎゃ!」

暗闇の中、何かにぶつかる。冷ややかな感触。地面だ。しかしチヒロがそれに気づき、次に起きうる事象、その対応策を考え付いた時には、その動作をするまでの時間はあまりに残されていなかった。

『うあっ!』という悲鳴と共に上にのしかかるカズト、フレイヤ、ケイト。上から滑ってきたのだ。その衝撃は以前のものとは比べ物にならなかった。

「いったあああああいい!!」

カズトたちがこの世界に来た時と同じく、またしても下敷きになってしまったチヒロ。だが今回に限っては同時に上の三人も冷や汗を垂らしていた。そう、あの時はチヒロの正面からのしかかる形で二人の少年は舞い降りてきた。しかし此度は上空からの落下。チヒロの背中に刺す木槍、こいつの餌食になる寸前にまで、矛先と彼らの距離は三寸と無かったのだった。

「……誰じゃ?」

 暗闇から声がした。敵か?一行はすぐに立ち上がり臨戦態勢に入った。

「誰かいるの?」

「おお、この声はまさか……チヒロ様ではないか?」

 好々爺らしき人間の声。と、暗闇から仄かに暖かい光がじわりと生まれた。

「大公様!」

 駆け出すチヒロ。しかしケイトがそれを制止する。

「待って。チヒロ」

「どうしたのよ。大丈夫。敵じゃないわ、この声の正体ははデザトニアン公国の大公様。ヤリフ・ルーシャ様よ」

視界を遮られた真暗闇で敵ではない人物に会えて安堵するチヒロとは裏腹に、ケイトの警戒は解れることは無かった。

「大公様。幼い時のハルカとチヒロとの思い出を一つ言ってみてください」

「な、いきなり何言いだすのよ!」

「思い出して。敵はマギア以外にも変なミラクルムを使う。人に化けたり、無いものをあるかのように見せたり。さっきの床だってみんな見えていたハズでしょ?でも、床は初めから存在しなかった。さも床があるかのように見せられていたんだ。つまり、この大公様が本物である証明ができるまでは、僕たちはこの人を信用しちゃいけない」

 思わずハッとするチヒロ。仄かな光に映し出される一行の顔は再度緊張を取り戻していた。

「……ハッハッハ。何とも賢い子ですな。やつらのミラクルムを警戒しておるとは。本物の私しか知りえぬことを聞き出そうということですな?ふむ、そうじゃのう、初めてハルカ様とチヒロ様がこの国にいらした時のことじゃ。チヒロ様が3つくらいの時じゃったかの。長旅でお疲れだったのじゃろう。チヒロ様がハルカ様の腕の中ですやすやと眠っておったのじゃが、余程気持ちがよかったのか、寝小便をなされてな」

 まるで噺家のように饒舌に思い出話を語る大公に、それは決して暖色の光の所為ではないだろう、チヒロは真っ赤に顔を赤らめた。

「ちょ、ちょちょちょ、ストップストップ!それ以上はいいか……」

「はいはい、で、続きは??」

今にも爆発しそうなチヒロをカズトが抑える。カズトの方はにやにやとうきうきのご様子……

「泣きじゃくるチヒロ様をハルカ様が慰められての。『お母さまには私がおねしょしたことにしておくから。』と言いなさったとか。そんな話を皇后から聞きましたの。何とも愛くるしい、仲の良い姉妹でしたな」

はっはっはと笑う大公。顔を赤らめて本心状態のチヒロ。にやにやとしているカズト。とても気まずそうなケイト。

「ハルカっていいやつだな!」

フレイヤもにしっと笑う。が、カズトがチヒロを離した瞬間、チヒロはよろよろと揺らめき、さっとカズトに槍を構えた。これほどの殺気をあのエナーハイですらカズトに向けただろうか。『本物』の目をしてらっしゃる……

「カズト、覚悟しなさい」

泣き腫れた目は、暗闇の中の微かな光では、よりその赤さを強調した。それはまるで紅蓮の血の涙のようで……

「ちょ、待てよ悪かったって!おねしょくらい俺だってよくしてたって!」

「そういう問題じゃ……なーーーい!!」

 死の恐怖を感じつつチヒロに追いかけられるカズトをよそ眼にケイトは、『ああ、これは本物の大公様だ』と確信したのであった。

「大公様。僕、ケイトって言います。僕たち、ハルカとチヒロと一緒にこの国まで来たんです。エヴィタナトゥラ王国がビーストっていう生命体に襲撃されて……。この国は一見平和そうに見えますが、やっぱり裏で何かが起きている。間違いないですね?」

「ケイト殿ですな。なんと他国でも混乱が起きていようとは……。それはつい昨日のことでした……。いつの間にこんな地下牢なぞ設えたのか分かりませんが、朝目を覚ました時には得体の知れぬ化け物が私を拘束したのじゃ。国内で何が起こっているか知る由もありませんでな……国は大丈夫でしょうか」

「そうだったんですね……昨日、ですか。安心してください。国の人たちはみんな無事です。ただ、国全体に水が不足していることはかなり深刻な問題になりつつあります」

「そう。あの広大なオアシスの水が全て砂に覆われていたの」

いつの間にかチヒロがケイトの後ろに立っていた。その後ろには大きなたんこぶをつくって悶えているカズト。それをよしよししているフレイヤ。

「なんとオアシスが!……あやつらめ。アクアンの怒りに触れおったか……」

「アクアン?」

 ケイトが訊ねる。

「アクアン……遥か昔、この広大な砂漠に巨大なオアシスを作ったとされるこの国の守り神。それがアクアンじゃ。私たちはアクアンを大切に祀ってきた。だが……そのアクアンを怒らせたとなるとあの広大なオアシスが干からびたというのも納得できる。……が、であればこの国はもう……」

 アクアン……この国の水源を司る神様のようなものだろうか。ケイトとチヒロはその発言から、『フレイヤ』という『アーニムル』の存在を連鎖させずにはいられなかった。

 と、ガチャンと鉄の扉が開く音がした。咄嗟に大公がミラクルムの光を消した。

カツカツとコンクリートの地面に響く音はハイヒールの音だろうか。こちらに近づいているようだ。足音が止まり、妖しげな蒼い炎。ミラクルムで敵の眼前に出された揺らめく炎に映し出されたその姿は、やはり狐だった。が、その細部を確認するに、これまでに見たどちらの狐とも異なる種類のものだった。

「あ、あのぉ……こちらの牢屋に追加で四人来たから、ちゃんといるか見て来いって言われたのですが……」

今まで出会ってきたビーストからは想像もできない程のおどおどっぷりは、寧ろ少年たちを困惑させた。そのビーストは片目を前髪で隠しており、もう一方の目は、首を竦めていることによりずっと斜め上で正面を捉えている。

「い、いたら返事をしてくださ~い」

本人は大きな声を出しているつもりなのだろうか。しかして全く通らない声を投げかける。更にそのビーストが近づいてくる間に、聞こえないような音量でケイトが大公に耳打ちした。

「あのビーストは?」

「ここの見張りのようじゃ。10分おきに、私がここに捕まっていることを確認すると出ていく、奴らの下っ端のようじゃな」

「……なるほどね……」

ケイトの顔は既に、脳内で大量の情報を処理している、言うなれば『推理の顔』になっていたのだろう。ほんの数秒の後、それはケイトにとっては二、三度それに矛盾が無いか、高リスクはないか研ぎ澄ますことにさえ充分すぎる程の時間において処理されたタクティスを携え、ケイトはカズトとチヒロ、フレイヤと大公に耳打ちした。

「ここから抜け出せるかもしれない。みんな僕に協力して」

ビーストがこちらまで近づいてくるのも時間の問題だ。しかし彼らの理解力さえも考慮して導き出された完璧な数秒の忠言を指示した後には僅か数秒、しかし気持ちを一斉にそれに向けるには、やはり充分な時間を残したのだった。

 さあ、ミッションスタートだ!


Bパート


 私眠っていたのかな。

ジャミングのかかったような脳内に徐々に意識が戻りだす。そっと目を開ける。……?

ぼやける視界。硬い地面。

ここ、どこだろう。

起き上がろうとするが、腕にも足にも力は入らず、上体を起こすことすらままならない。体はけだるく、前頭部にカイロを埋め込まれたかのような不快な熱が思考の邪魔をする。

誰か近くにいないかしら……

声を発する。『チヒロ。』しかし発したはずの音声が自身の耳に入ってこない。喉がおかしいのか耳がおかしいのか。とにかく、だるい。脳にかかるジャミングは更に強くなる。更なる熱をもってハルカの意識を遠ざける。

「……い……。……んじ……え……」

 何か聞こえた。

 言葉の切れ端。言語というよりも音としての認識においてハルカの脳はそれを処理する。

 途端に熱が曳いていく感覚。ああ、気持ちいい。このまま眠っていたい。

「聞こえるかしら、お姫サマ?」

先ほどの音が言語として処理される。知らない声だ。きつく、これから私を責め立てるかのような声だ。目を開けると視界が先ほどよりも拓けている。……ビースト。しかし、今までとは違う。それは、見た目は勿論昨日見たビーストに類似しているのだが言うなればオーラ。あふれる気品、目つき、顔立ち、それら諸々を総合した存在そのものが今までのビーストとは異なっている。

「これで三度目なのだけれど……聞こえるならば返事をなさい。返事が無ければ殺すわ」

 まずい。尋常ではない声の圧。冷酷さを食んだ文言は冗長の欠片も感じさせない。

かろうじて頭を上げる。しかしうまく発声ができない。そのビーストを見つめ、ひたすらに口を動かす。

 その姿に狐が笑む。

「ウフフ。無様だこと。一国のお姫サマが地に這いつくばって命を請うなんてね。餌を求める金魚みたいにパクパクと……アッハハ!無様だこと!」

 ビーストが視線を変えることなく続ける。

「ねえ、ネックフェック。私はこの女が話ができる程度にマギアを弱めろと命じたハズよね?」

「ハ、ハイ!しかしこの女、思ったよりも衰弱しておりまして……」

 怯えている。そのやり取りでいかにこのビーストが恐ろしい存在かということが分かる。

「ワタクシ、三度も同じことをさせられたのだけれど……これってアナタの責任ではなくって?」

「も……申し訳ございません……」

不敵な笑み。それは『楽しい』という笑いではなく、『愉快』といった方向の笑いだ。嗜虐から生じる悦を、仲間を用いて愉しんでいるのだ。

「返事がなければ殺すと言ったわよねぇ。これって『誰を』だと思う?ネックフェックちゃん?」

 ようやくビーストがネックフェックの方向に顔を向ける。理詰めでキングにチェックを懸けた喜悦に満願を叶えた尼僧のように。

「お……お赦しを!スーフォック様!」

ネックフェックが頭を地面に擦り付けんばかりに懇願する。スーフォック。それが敵の親玉の名だ。

「あらあら、そんなに怯えなくてもいいじゃない。それより。ねえ、私の質問を無視したわね。ネックフェック?」

 ネックフェックがはっとして震えながら顔を上げる。

「あ……あの……あっ……」

 恐怖で言葉が出てこない。涙、鼻水、涎。あらゆる水分がその顔を覆っている。

「アッハハ!やだもう!お顔がぐちゃぐちゃじゃない!前の戦いで毛皮もチリチリになっちゃって。息遣いも荒くってまるで獣だわ!はしたない!ダメよもっと美しくしていないと」

 そう言ってスーフォックはネックフェックの頬を長い舌で舐めた。

「スーフォック様……」

 その行動にネックフェックは釈迦の則に赦されたヒトのように恍惚の表情を浮かべた。

「安心しなさい。あとでお仕置きしてあげるから」

「……はい……」

その言葉をもってしても変わらぬ表情を浮かべるビースト。その不可解さは、まるで知らないものを初めて見た脳が認識への処理に追いつかず、「キモチノワルイモノ」と断定する感覚。それがハルカを襲い、恐怖させる。

「さて、お姫サマ。初めまして、私スーフォックと申します。早速ですがあなたには、生贄になっていただきますわ」



「あのぉ……い、いたら返事をしてください!じゃないとボク、あの、すっごく困るんですぅー!」

 相変わらず小さな声でこちらに呼びかける。さあ、こっちから仕掛けるよ!

「こんにちは、狐のビーストさん。僕はケイトって言います」

 暗闇の中からビーストに声をかける。

「あ、ご丁寧にどうもありがとうございます。ボクはスーフォック9姉妹の8女、ランドフォークと申します」

 にこっと微笑むその顔は一切の敵意を排したかのような純粋なものだった。しかしそれで油断するわけにはいかない。

「ランドフォークさん、今からクイズを出します。ちょっと付き合ってくださいね」

「え?クイズ?あの、私、ここに新しく4人来ていないか確認して来いって言われて……」

「まあまあ、僕らだけ一方的に情報を渡すのは不公平じゃないですか。だからクイズをしましょう。これに正解すれば本当のことを教えますよ。さて、真っ暗闇な牢屋の中、ここにいる人間は僕、カズト。チヒロ。そして大公様だ。仮に僕が嘘をついているとして、この中の4人のうち一人がこの牢屋の中にいないとします。まあ、僕はこうやって喋っている以上、牢屋の中にいるのは確実ですけどね。さて、残った3人のうち、誰がいないと思いますか?勿論仮にの話ですよ」

 ランドフォークはきょとんとしている。

「え?あの、誰と言われても、そんなのヒント無しに分からないんじゃないですか……?」

「その通り。だからあなたが正解を当てられる確率は3分の1。そうですよね?」

「そう……ですね。だったらボクはチヒロさんを選びます」

「そうですか。では、ここで僕が一つヒントを差し上げます。大公は牢屋の中にちゃんといますよ。ね、大公」

「その通りじゃ。私はずっとここにおるからの」

「あ、よかったです。だったらこれでチヒロさんがいない確率が2分の1になりましたね」

笑顔のビースト。まるでマジシャンのようなケイトの饒舌は生まれ持った好奇心によって培われた他者に対する留めることのできない自発的な会話からくる天性のものだった。その言葉巧みな話術にビーストは早くも本気でこのクイズに没頭している様子だ。

「しかし、ここであなたにチャンスをあげます。もう一度チヒロとカズト。どちらがいないか選択する権利を差し上げます。さあ、ここからが本題です。あなたはここで選択を変更したほうがいいのでしょうか?」

再度きょとんとするランドフォーク。左目が前髪に隠れているとはいえ、右目はきょろきょろと下方ばかりに動く。

「え?あの、どちらを選んでも2分の1だと思うんですけど……」

「フフフ、それがファイナルアンサーですか?」

「え?あの、その、違うんですか!?わ、わわ、ええーっとぉ……」

 動揺するそのビーストの行動はどこか微笑ましさも含蓄されていた。ケイトはこれら全体としてケイトの作戦に見事付き合ってくれたビーストに対する親近感を覚えぬことも、実はなかったようだ。

「ざんねーん、時間切れです。答えは『変更したほうが確率が上がる』でした!3人の誰を選んでも、選択を変えない場合、当たる確率は3分の1。でも、カズトがいない時にあなたが大公を選ぶとします。そして僕がチヒロはいると宣言する。そして選択を変えればあなたの当たりになりますよね。次にチヒロがいないと言った時に大公がいないと僕が宣言する。そして選択を変えてもこれもあなたの当たりになる。そして初めからカズトがいないと言った時、ぼくがどちらかがいると言った時でも、選択を変えればあなたは外れる。つまり、全ての場合において『選択を変える』とした時、当たる確率は3分の2になる。つまり、選択を変えた方が確率はあがるんだよ!」

「え?え?えええええ???待ってください!早いですぅ~!よく分からないのでもう一回言ってもらえますか??」

 混乱するビーストは頭に生える耳を両手で押さえつけ、ケイトのその解説に順序だてた理解を示そうとしているようだ。

「まあまあ、解説はまた後でじっくりと。じゃあ次のクイズに移りましょうか」

「次は頑張ります!」

 このビーストが牢屋に入ってきた瞬間に発した言葉。その強勢と周波数。実際にそのすべてを数学的な数値に置き換えることが可能な程ケイトは人間離れしているわけではない。しかし、彼の人間離れしているのはその『洞察力』にある。瞬時に状況を判断して完成させた作戦は、彼を軍師と呼ぶに充分な結果を導いた。

 フフ、クイズとは違って、実際には『二人とももういない』が正解なんだけどね。カズト、チヒロ。あとは頼んだよ!


 

生贄って……わたし殺されちゃうんだな……さっきよりはマシになったとはいえ、全然力が入らない。ただちょっともぞもぞって動けるだけ。……助けて……助けて……っ!みんな!!

ネックフェックはハルカを担いでスーフォックの後ろを歩く。先ほどの王室間から少し離れた祭壇へ。不図、歩を止めたことがハルカを恐怖させる。死の宣告が今か今かと彼女を弄ぶ。

「見なさい、これがオアシスの守り神、アクアンよ」

項垂れた顔を上げるとそこには球状の荒ぶる水の塊。轟轟と波打つ球から時折見せるその姿は記憶にある、アーニムルの姿そのものだった。

「アナタなら分かるでしょう?この子の正体が。オアシスの守り神として奉られているアクアンというのはただの形而上の神でも象徴でもなんでもない。まごうことなきアーニムルよ。ワタクシ、この力が欲しくって触れてみたのだけれど、何故だか彼女を怒らせちゃってね。若く美しい生贄を捧げる約束をしたの。だからお願い。ワタクシのために、死んで?」

 ビーストは細長い目を極限にまで細くし、笑んだ。

「ネックフェック、やりなさい。」

「はっ」

 スーフォックの合図と同時に、ハルカを抱えたネックフェックが球体に近づく。

「アクアンよ、生贄を連れてきた。どうか気を鎮めたまえ!」

 球体の前に仰向けにされるハルカ。波がより一層激しくなる。それでも体は動いてはくれない。

 ああ……ダメ……助けて……誰か……!!

「チヒロ!!!」

 漸く喉から振り絞られた声は、いつもの透き通った旋律ではなく、耳を疑うかのような淀んだ濁声だった。

「アッハハ!はしたないったらありませんこと!取り乱しちゃって可愛いんだからもう!アンタの仲間は今頃全員地下牢だっつーの!」

 高飛車に笑うスーフォック。ハルカが目を閉じる、その瞬間!

パアアアアン!と高音響く!その光景はまさに何人の目にも焼き付いた。見ればチヒロがジャンプしつつ、巨大な木槍でスーフォックの脳天をひっぱたいていた。

「お姉ちゃん!助けに来たわよ!」

「チヒロ……!」

「うああぁぁ……」

 スーフォックがくらりと後ずさり、振り返る。その顔は怒りに満ち満ちていた。

「クッソガキがぁ!何さらしとんじゃぁぁ!」

「何って、お姉ちゃんを助けに来たって言ってるじゃない。その長いお耳はただの飾り物なのかしら?」

 怒りに狂うキツネとは相反してチヒロは飄々としていた。姉の呼ぶ声に間一髪で間に合った。それだけのことが彼女にとってはどんな敵にも屈しない梟勇を引き起こした。一心不乱に駆けた彼女の本懐こそが、単純明快な帰結として、いかな悪鬼羅刹に立ち向かうことができたのだ。

「たかが人間風情が……調子に乗るなぁぁぁ!!」

 スーフォックから放たれる蒼い炎。それがチヒロ目掛けて飛んでくる!

「アーニムルブレイブ!フレイヤ!シンクロナイゼーション!」

 続く高らかな口上にチヒロは余裕の表情を浮かべた。それを避ける必要もない。

「なんだぁこんな炎。俺っちにしちゃあこんなのローソクの火みてえなもんだな!」

 荒れ狂う炎は一瞬にして切り裂かれた。

「カズト!フレイヤ!」

カズトの姿を見たスーフォックは身じろぎした。アーニムルという存在を知る彼女にとってはその形態から察せられる秘めたる力をも理解していよう。

「貴様たち……!あの牢屋から抜け出したというのか……!」

「まあな。あんな暗い地下牢に小さい炎で見回りに来るビースト。おかしいじゃねえか。部屋全体を照らせばいいのにさ。でもそれはマナトムでできた幻覚の檻には影ができないってことに気づかれないためだ。それに、大公一人に10分に一度見回りに来るってのもペースが早すぎる。よっぽど心配じゃない限りそんなことはないね。だからビビらずにあの檻から体をすり抜けることができたぜ!」

「物凄いどや顔のところ悪いけど、それ全部ケイトの受け入りでしょ」

 腕を組み自信満々に仁王立ちするカズトに思わずチヒロが突っ込みを入れた。

「しかし……見張りを三人置いたはずだ!まさか全員倒したというのか!」

「いや、気弱そうなやつは今もケイトの相手をさせられてるだろうし、そいつをパシリにしてた二人は喋るのに夢中で俺たちに気づかなかったからシカトしてきたぞ?」

 そう、ケイトは勿論警戒していたのだ。ランドフォークという見るからにいいように使われている風体のビースト唯一人が牢屋の見張り野田をしているわけがない。牢屋を抜けたところには数体のビーストがいるだろうということも、勿論想定していた。実際にケイトの予想は的中した。更に2体の狐のビーストが牢屋を抜けた先に居たのだ。ただ、そこで一切の戦闘をも交えずにハルカの元まで到達できたという事実はケイトを以てしてもかなりの度外視の範疇にあった可能性に違いなかった。

「おのれ……全員後でお仕置きじゃあ!」

 わなわなと震えるスーフォックは先ほどまでの妖艶さを失い、けばけばしい皺を眉間に寄せていた。その姿はさながら老妖怪妖狐だった。

「さあ、ハルカを返してもらうぜ!」

 スーフォックに突進するカズト。スーフォックはそれをミラクルムの壁で何とか受け止める。

「ネックフェック!早くそのガキをアクアンに差し出しなさい!」

 カズトの力を理解しているスーフォックは、確実に焦っていた。前方のカズトに集中しつつ、目線すらカズトから反らすことなくネックフェックへと怒号を飛ばした。

「チヒロ!こいつは俺がなんとかするからハルカを頼む!」

「分かった!」

 剣とバリアで拮抗するカズトとスーフォック。カズトを信じてスーフォックに背を向けながらハルカの方へ一直線に駆け出すチヒロ。前日のカズトとの一戦で弱ったビーストなら自分でもやれる。そう信じて木槍を突き立てる。

「はああああ!」

しかし小さな戦士の慢心は頓に崩れ落ちた。回避。それも余裕で。いくら傷を負っているとしても、ただの人間の少女ごときに適うものではないのか。

「甘い!」

悠々と槍の腹を掴まれ、思いっきりぶん投げられる。余裕で空中に浮いた華奢な痩躯は大きな弧を描き地面に叩きつけられた。

「がぁぁっ!」

 チヒロ!

 声にならない声が喉に突っかかる。もうここまで来ている声が堰き止められる苛立ちが涙となり眼から滲み出る。。

「恨むんなら、その美貌に生まれたアンタ自身を怨むんだね!」

捨て台詞を吐いたネックフェックは、その手に掴んだハルカを水の球体目掛けて投げ入れた。

「ハルカ!」

「お姉ちゃん!」

 遠のく二人の声。ああ、どうかみんなは無事でいて……この世界のことを……お願い……

 ドポン、と音を立ててハルカは荒波の中に消えた。

 鼓膜に響くのは、ただ激流の律呂だけだった。


END

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