The Cursed Child
ブレイブアーニムル2話「The Cursed Child」
うだるような暑さ、現実世界の日本はそんな季節だった。しかしこちらの世界はどうだろうか。蕩けるような熱さ。一日中稼働する冷房に感謝の意を表したい気分だ。
「あぢいいいいい……」
「ねえ、取り敢えずお城から出たはいいけど、僕たち今どこに向かっているの?」
ひたすらに流れ出づる汗をだらだらと垂らしながらケイトが問う。
「デザトニアン公国。エヴィタナトゥラ王国の隣国でね。砂漠の中の巨大なオアシスを恵みに栄えた潤いの国よ。うちの国とも交流が深いからね。大公に謁見してお話を伺おうと思って」
と、チヒロ。彼女もまた同様に汗を垂らしながらひたすら歩く。
「あぢいいいいい……」
「公国……っていうと、貴族を国のリーダーとして国営している国のことだよね。オアシスを恵みに栄えた国っていうのは古代オリエントに似ているかも」
ケイトは体験したことのないような暑さよりも、生まれ持った知的好奇心の方が勝っているようだ。元気はつらつとした目は寧ろ輝いて見える。
「ウフフ、そっちの世界にもそんな国があるのかしら。私たちの世界と結構似ているところも多いようで安心したわ」
ハルカもチヒロ同様、この暑さには慣れているのだろうか。汗は垂らしながらも嫌な顔を見せることなく歩き続けている。
「あぁ~ぢぃ~~~~ぃ……」
「そうだね。ただ、ハルカの使う魔法みたいなものは僕たちの世界には無いものかな。あれはこの世界の人みんなが使うことができるの?」
ケイトの質問にチヒロが分かりやすく顔を反らした。代わりにハルカが気まずそうに返答する。
「そうね……基本的には誰もが使えるわ。ただ、やっぱり個人差はあるから、人によってできることはまちまちかな」
「お姉ちゃんはミラクルムの天才なの。だからさっきだってあんな風に指でなぞるだけで光の壁を作ることができたのよ」
分かりやすく不機嫌なトーンのチヒロ。
「じゃあ……チヒロは……」
察しのいいケイトはある程度返答は予測のできるものだったが、聞かないのはそれはそれで失礼なのではと思い、そうせざるを得なかった。
「私だってちょっとは使えるはずよ!ただ、まだできたことがないだけで……」
チヒロが少し焦りながらも噛みついてきた。なんか怒ってる……?
「そ、そうなんだ。ハルカみたいになれるといいね!」
「何それ同情してんの?言っとくけど、私はその分武術を磨いてきたの。槍の手さばきなら誰にも負けないわよ」
チヒロの木槍はおよそ2メートル以上はあるだろうか。だが、見た目よりも軽い素材でできているらしく、常に背中に刺しながらも悠々と歩いているのだ。
「そうなの。チヒロの武術はすごいのよ!国の兵隊長直々の指導で育ってきたの。だから大人だって負かしちゃうんだから!」
ハルカの裏のないピュアな賞賛にチヒロは頬を赤らめた。
「ま、まあ、そんなもんよ……お姉ちゃんに褒められるとうれし……」
「あああああああああああああつううううううういいいいいいいい!!!」
「さっきからうるっさいわね!何なの!?私たちは暑くないとでも思ってんの!?少しは黙って歩きなさいよ!」
チヒロの言葉を遮る悲鳴に遂に今までの鬱憤と言う名の激しい突っ込みがカズトを襲った。
「だって暑い……」
「暑いって言うんじゃないわよ!仕方ないでしょ?砂漠なんだから!アンタ達の世界の砂漠は冷房でも効いてんの!?」
「ぁっぃ……」
しゅんとするカズトとフレイヤ。どうやら二人は「暑い」以外の語彙を失ったようだ。
「ところで、大公に謁見って言ってたけど、そんな簡単に会わせてくれるものなの?」
「うん、まあ。ずっと会ってるしね」
ケイトはその言葉にきょとんとした。
「国で一番偉い人にずっと会ってるって……二人は何者なの?」
次にきょとんとしたのは少女たちの方だった。しかしさらっと笑って、
「あら、そう言えばまだ言ってなかったかしら。私たち、エヴィタナトゥラ王国の皇女、つまりはお姫様ってところかしら」
照れ臭そうにハルカが告げた。
「え、ええええええええええええ!!」
少年たちが叫ぶ。どうやらカズトは『暑い』以外の『え』のワードを思い出したようだ。
「あづい……」
しかし残念。フレイヤだけは暑さで何も頭に入っていない様子だ。
Aパート
エナーハイを撃退した一行は、まだ城内に脅威が残っているかもしれないという不安から、すぐにエヴィタナトゥラ王国を後にした。皇女の二人にとっては自身の両親や家族の安否が心配されたが、今は私情よりも優先すべきことがあると身を翻した。その覚悟からも垣間見える意志の強さは、やはり彼女たちが皇女として生まれ育った由縁なのだろうか。
「そろそろ見えてきたわ。あれがデザトニアン公国よ」
チヒロが勢いよく指さす方向には正にタージマハル。宮殿のような建物が姿を覗かせた。
「すごい。アラビアンナイトの世界だ……」
「にしても、まだ王国を出発して数時間くらいだよな?他の国に行くってのにこの時間だろ?しかも全然気温とか違うんだもんな。やっぱ俺たち、違う世界に来てるって気がするよ」
カズトが元気になっているのにも道理がいく。陽はすっかり傾いてきて、砂漠には気持ちのいいそよ風が吹き抜けていた。
「そういやフレイヤは火の属性を持ったアーニムルなんだろ?やっぱり他の生き物よりも暑かったりすんのか?」
「俺っちはいつだってアツいぜ!」
「いや、そういうハートのアツさ的な意味じゃなくってさ……」
「んあ?まあ、そういうのはフツーなんじゃねえかな?俺っち一人だと別に火とか吐いたりできるわけじゃねえからな」
カズトとフレイヤのやり取りにハルカが反応した。
「やっぱりそれも言い伝え通りだわ。アーニムルは人間とシンクロした時だけその力を発揮できる。と言っても、その力を操るのは人間の方だけど……どこからそんなパワーが生まれるのかしら」
ハルカは独り言のように自問した。
「なぁなぁ、フレイヤはさ、数千年前にも人間とシンクロして世界を救ったんだろ?そいつってどんな奴だったんだ?」
「ばっきゃろ。数千年眠ってたんだぜ?覚えてるわきゃねえだろがい」
フレイヤはカズトの言葉にぶっきらぼうに返した。無遠慮に放たれた言葉は少なからず少年に影響を与えた。
「……そっかあ。俺は千年たってもみんなとこうやって旅したこと、忘れたくないけどなあ……」
と、カズトのセリフに後が続かない。少しの間を開けてから、
「……何よ急に。言っとくけど、決して楽しい旅なんかじゃないんだからね……」
照れくささを紛らわすように言い放つチヒロ。そこには自分たちに着いて来てくれていることへの感謝の念の中に、決して忘れることなどできない、故郷への郷愁も含まれているのだろう。
「そうね。でも、辛いことが待ち受けている旅だからこそ、今みたいな時間は大切にしましょう。楽しく!ね?」
「そういうところがお兄ちゃんのいいところだと思うよ。うん」
「おっ?なんだなんだ?みんなやけに俺に優しいじゃんか。なあ、フレイヤ、もし今度千年眠っても俺たちのことは覚えててくれよな!」
カズトがそう言うと、カズトの後ろを歩いていたフレイヤがカズトに飛びついた。小さいながらもずっしりとしたその体は決して軽くはなかったが、カズトは相好を崩しながらも体勢を崩すことは無く、フレイヤのおんぶに応えた。
「おうっ!」
ニシっと笑んで答えるフレイヤだった。
× × ×
大きな建物は遠くからもよく見える。東京からも時折富士山が見えるのとは訳が違うが、何の障害物もない砂漠から見えた宮殿は、カズトとフレイヤが思っていたほど近いものではなかった。尤も、他の三人は残りどれくらいの時間で到着するのか、予想はできていたのだが。
すっかり陽も落ち切ってしまった頃、一行は丁度デザトニアン公国の門にまで辿り着くことができた。
「こんばんは、門番さん」
ハルカが声をかけると、門番は手にした槍の先を天地返し、矛先を地面に向けた。
「これはこれは!エヴィタナトゥラ王国第一皇女ハルカ様に妹君様のチヒロ様ではございませんか!こんなお時間にお二人でいかがなさったのですか!それに……」
門番はハルカとチヒロの後ろにいるカズトとケイトを見る。
「失礼ですがお付のお方も存じないお子様のようですが……」
怪しんでいる。とても。
「ええ、ちょっと訳ありでね!大公様に謁見したいのだけど」
明らかに話題を逸らそうとしているチヒロ。へたくそだ。たぶん顔も引きつっているのだろう。それでも一国の姫がよしとすることにそれ以上追及するわけにはいかない。
「そうですか……畏まりました。しかし本日はもう遅いですし、申し訳ありませんが国内の一流ホテルにご案内しますので、明け方大公様の元へお連れするという形でよろしいでしょうか」
「分かりました。よろしくお願いします」
「それと……」
後ろの二人をじっと見る番兵。やはり怪しんでいる。しかしそれは当然だろう。何せカズトのお腹は異常なほど膨らんでいるのだ。加えてほっそりとした体形を偽るために首を極限にまで縮めている。明らかに不審である。と言うのも……
———数分前
「待って。国に入る前に門番がいる筈よ。フレイヤは隠れていた方がいいわ」
と、ハルカ。
「何で俺っちが隠れなきゃいけねえんだよぉ。堂々としてりゃあいいじゃねえか」
不満げなフレイヤ。
「そうもいかないわ。現代の私たちにとってあなたは伝説上の生き物。そんな生物が街を闊歩していたら注目の的よ。みんな何事かと思うわ」
「んんん……仕方ねえ。でもちょっとの間だけだぞ。それに隠れるったってこんな広い視界のどこに隠れるってんだ?」
と、待ってましたと言わんばかりのハルカ。俗にいうどや顔だ。
「フッフッフ、いい考えがあるの。カズトの服の中にフレイヤを隠してしまえばいいのよ!!」
「えっ?」という言葉を飲み込んだケイト。「いい考え……?」同じく言葉を呑みこむチヒロ。後ろの二人は目を見合わせ、ケイトがハルカを指さし、目でチヒロに訊ねる。『本気で言ってます?』チヒロは首をただ横に振ることしかできなかった。
「おお!さっすがハルカ!あったまいいな!」
『えっ?』の言葉を飲み込むチヒロ。チヒロがカズトに指さし、目でケイトに訊ねる。ケイトは首を横に(略)。
フレイヤも見るからに嫌そうだ。それはそうだ。先ほどまで汗だくだったカズトの服の中。それだけでも最悪なのに気温が下がったことでそれも少し乾いてきている。ちょっと冷たい。最悪に最悪をミックスした絶望がフレイヤを待ち構えていた。
先に仕掛けたのはカズトだった。ありったけの太い声で、
「いやあ、お疲れ様です」
悪手!不審度が増すだけだ!いけない!すかさずフォローに入るケイト!
「僕らお付の見習いでして。ちょっと試しにって感じで……アハハ」
さすがのケイトもアドリブで満点を出せる状況ではなかったようだ。門番のターン。どう出る……?
「あの、すみませんがお付の方の身辺チェックだけよろしいでしょ……」
「彼は!太っているんです!それは!もう!仕方のないことではないでしょうか!」
ハルカのフォロー。最早意味が分からない。
「いえ、確かにその通りですが、身辺チェックを……」
「もうどうだっていいでしょう?私たち、もうずっと砂漠を歩いて疲れちゃった。早く通してくださる?」
エクセレント!チヒロは至って自然なトーンで言い放った。
「は、はいっ。チヒロ様がそう仰るならば……どうぞ。ご案内いたします」
漸く門番は重い腰を上げ、扉を開くのであった。
ふぅと一安心の一行。ハルカが『何で怪しまれたのかしら……さすが門番さん。その鷹の目は一級品ね……』と独りで囁いていたが、残念ながら誰も相手にする者はいなかった。
× × ×
「はぁぁぁああああ!くっせええええええええ!」
ホテルに案内され、部屋に着いた瞬間のフレイヤのセリフだ。
「臭いってなんだよ!せっかく隠してやってたのにさ!フレイヤこそ重いんだよ!」
「いや、そりゃそうかも知んねえけどよ、分かるか!?汗がちょっと乾いてひんやりしてキモチワルイ上に汗の匂いだぞ!?」
「なにを~~~」
部屋に入ったなり額をぶつけあっていがみ合う二人をよそに、ケイトは部屋を散策していた。
「うーん、これと言って変わったものはないなぁ。僕らの世界のホテルとほとんど変わらないようだし。……お兄ちゃん、先にお風呂沸かしちゃうよ?」
ケイトの声は耳に入っていないようだ。ケイトはそれを無視して風呂場に向かった。
やはり普通のホテルによくあるお風呂だ。ゴムの蓋を閉め、蛇口をひねる。お湯が出る……筈だった。
「……」
蛇口からは砂がドバーっと出てきた。すぐに蛇口を閉めたものの、浴槽に残った砂を見つめるケイト。
「……砂風呂が主流なのかな……」
思いついて、次はシャワーの蛇口をそっとひねる。やはり砂がサラサラと落ちてくる。
と、鍵をかけないでおいた部屋の扉が開き、チヒロが風呂場に入ってきた。
「ちょっといい!?って……やっぱり同じか……」
「あ、チヒロ。ここの国の人は砂風呂が好きなんだね。でもシャワーからも砂が出たんじゃ体を洗えないよね。やっぱりそこはミラクルムで何とかするの?」
純粋な疑問。しかしチヒロは阿呆でも見るかのように、
「ハァ?好んで砂に潜るやつなんているわけないでしょ?モグラじゃあるまいし。異常事態よ、これは。こんなホテル紹介するなんて馬鹿にしてるわ!」
ちょっぴり怒り心頭のご様子。それはそうだ。女の子がずっと汗だくのままというのは多分につらいことなのだろう。
「どうすんのよこれ!」
八つ当たり。知らないよ……
と、その後ろからハルカが息を切らして入ってきた。心なしか長い髪の毛がパサついて見える……
「ホテルの人に聞いてきたわ……水が……今朝から出ないらしくて……」
「それじゃあ……飲み水は?もう喉がからっからなんだけど……」
絶望的な状況への危惧に愕然とするチヒロだったが、ハルカはスッと後ろ手にペットボトルのような容器に入った水を取り出した。
「安心して。ボーイさんに言ったらくれたわ。でも四人で二本。これが限界だって……」
「よかった……じゃあ取り敢えず飲み水の方は今日いっぱいくらいは何とかなりそうね」
「そうね。一本はケイトたちのために棚の上に置いておいたわ」
ハルカの持っている水はざっと500ミリリットルほどだろうか。この量を二人で分けるとなると……かなりシビアだ。
「ありがとう。でも、ご飯とかどうする?一国のお姫様が夜出歩くなんて危なくない?」
「そこは安心して」
すると、ハルカとチヒロがどこから取り出したのか、待ってましたと言わんばかりに眼鏡に帽子、マスクをさっと取り出した。
「予めボーイさんから借りておいたわ」
夜の涼しさとは言え、この暑さにその装備は更に不審度を増すのでは、と思ったケイトであった。
「フッフッフ。本当はシャワーを浴びてから出たかったけど仕方ないわね。あと少ししたらまた呼びに来るわ」
そう言い残して自分たちの部屋へと戻る彼女たち。洗濯も勿論できないとなると、思ったよりも事態は深刻だ。
「当たり前のことができなくなるって本当にしんどいね。僕たち、もうちょっと身の回りの環境に感謝しなきゃ」
そう言いながら部屋に戻ると、そこには衝撃の光景があった。
カズトが水を飲んでいる。口をつけてがぶがぶと。さっきハルカが持っていた容器と同じものだ。瞬時に棚の上を見遣る。無い……ハルカが置いたという水が見当たらない!
「お兄ちゃん、その水、もしかして……」
ぷはぁっと容器から口を離すカズト。
「ああ、棚の上に置いてあったからフレイヤと二人でもらったぜ。どうかしたのか?」
わなわなと震えるケイト。
「……信じらんない!もっと感謝して飲めえ!」
「ど、どうしたんだよ急に!?」
慌てふためくカズト。どうやらフレイヤとのいがみ合いに夢中で状況をまるで理解できていないようだ。
「ケイトも飲むか?あ、もうねえや」
同じくフレイヤ。ケイトは激怒した。
「無い……!?二人の馬鹿ぁ!!考えなし!!」
いきなり罵倒される二人。しかしその事態に全くもって戸惑いを隠せないようだ。
「どうしたんだよ急に!?水くらい買ってやるからさ。機嫌直せよ」
「うわあああん!」
ケイトは泣きながら部屋から飛び出していった。
「……おい、弟泣かすなよ。兄貴だろ?」
「ええっ!?俺のせい!?」
顔を見合わせる二人。うーん、と頭を横にする。
Bパート
国全体に水がない。そんな驚愕の事実を前にして、この国の人々はあっけらかんとしていた。街を歩いていても特に深刻そうな雰囲気は無く、繁華街は賑やかだった。そんな人々を横目に見て一行はラーメン屋さんのような店に入った。
店内の様子はまるでどこにでもあるような内装。至って『普通』だ。
メニューを見て注文をする。ラーメンが来る。当然のように。
「でも何でラーメン屋なんだ?お姫様だったらもっといい店とか行かねーの?」
カズトが口にラーメンを頬張りながら話す。膝の上にはフレイヤが乗っているが、四人で死角を作り、他者に見えないようにしている。
「何言ってんのよ。なんで敢えて変装してると思ってんのよ。子ども四人で高級店なんて怪しいでしょうが」
キャップ型の帽子を軽くかぶり、伊達メガネをかけている。短い髪にこの格好だと男の子に見えても仕方がなさそうだ。勿論いつもの槍は持っていない。
「それにほら、匂いとか気にしないようなお店じゃなきゃね」
ちゅるるっと麺を食べる姿は、それが庶民の食べ物、ラーメンだということを忘れさせる程に上品だ。それにハット型の帽子に目全体を隠すサングラス。これはこれで目立ちそうな気もするが、どうだろう。イマドキの小学生ならこれくらいおしゃれに着飾っている子もいなくはないのかも知れない。
「でも、やっぱりお水は出てこないね……喉乾いたなぁ~」
じぃ~っと横目でカズトを見るケイト。
「悪かったって!だってそんな状況になっているって知らなかったんだよ!」
周りを見渡し、大きな声で言う。
「おっちゃん!水ってないのー?」
「水かい?すまねえがこんな状況だろ?どこに行っても飲み水は手に入らねえんじゃないかな」
ラーメン屋で水が出ない。殊更に喉が渇く食べ物を選択したことに後悔の念が押し寄せた。
「なあ、ミラクルムで水って出せねえの?」
「そうね……出せないことはないわ。でも、ミラクルムっていうのは結局、何もないところからは何も生み出せないの。つまり、素材さえあれば作れはするんだけど……」
と、ハルカ。それはそうだ。そんなに簡単に解決するなら、とっくに飲み水を出している。
「でも、このラーメンの汁だって水分だよね。水は無いのにラーメンはあるって、おかしくない?」
「いえ、難しいのは『飲み水』を生成することなの。例えばこのラーメンの汁は、純粋なお水ではないわよね。お汁に使うダシや素材があれば、あとは水分を持つものから魔術で抽出した水分を混ぜ合わせるイメージかな」
「なるほど。何も混ざっていない純粋な水っていうのは、自然界にある『水』そのものしかない。だからミラクルムで作り出すことはできないってことだね」
「そういうこと。でも、誰にでも手に入る、何も不純物の入っていない純粋な水分を含んだ物質があるの。何だか分かるかしら」
「んと……あ、空気だ!大気中には必ず水分が含まれている!」
「さすがね!でも、大気から精製した水は美味しくはなくて、飲み水としての価値は低いのよ」
「そういうことか……いくら魔法のようなものが使えても、人間の生活を根底から変えちゃうようなことはできないってことかな……でも、宝物庫で使った光の壁は?」
「あれはすごく簡単なことよ。お城の中は電気が着いているでしょう?その力にエナーハイが壊した木製の扉の破片。それを組み合わせて質量のある光の壁を作り出したってわけ。頭の中にそのイメージがあって、自身の胎内に宿るマナトムを使えば誰でもできちゃうわよ。」
「そうか……でも光もカタチの無いものだと思うけど、それは別なの?」
会話に夢中のハルカとケイト。そしてそれを一応は聞いているカズトとチヒロ。
「……なあ、何言ってるか全然分かんねえんだけど……」
「安心して。私も分かんないから」
「……ラーメンうめえなぁ……」
「そうね……」
考えることを止めたのだった。
「あなたたちの世界の常識では説明できないものかもね。光は目に見えるじゃない。だからミラクルムを扱う上で大事なイメージもつきやすいのよ」
「イメージかあ。そんなのも必要なんだね」
と、そこにチヒロがずいっと会話に入ってきた。
「さっきも言ったけど、お姉ちゃんは天才的なミラクルムの才能を持ってるのよ。普通の感覚とはわけが違うわよ」
外野から一応解説を入れた後はカズトの側に戻るのだった。
「……ちなみにチヒロは全然ミラクルム使えねーの?」
「さっきも言ったでしょ。ぜーんぜんよ」
「……そっか」
ズズズーっと汁をすする二人。
「……カズトはいつもケイトの言ってる話って分かるの?」
「いやぁ、ぜーんぜん」
「……そっかぁ」
「そうだなぁ……」
会話に入らない分、既にラーメンを食べきってしまったのであった。
× × ×
食事を終えた一行は帰路に着いた。フレイヤは勿論カズトの服の中だ。洗濯もできずに臭いままである。生乾きの汗の匂い。最早地獄である。
「それにしても、ここの国の人たち、水がないのに何であんまり心配したような雰囲気がないんだろう」
「この国の人たちはね、砂漠の真ん中のオアシスにあるこの国まで、ずっと旅をしてきたような行商人が集まってできたっていう歴史があるの。きっと彼らは苦しい環境の中で生き抜く生活の知恵を持っているからじゃないかしら」
「そっか。ミラクルムが使えてもそういった知恵は生きているんだね」
「そうね。……でも、さすがに蛇口を捻ると砂が出てくるだなんてこと、今までに聞いたことがないわ。これはちょっと楽観的過ぎるかも知れないわ」
店を出てもケイトとハルカは会話をしている。ケイトの知的探求心が底を尽きることは無いらしい。
と、今までずっと大人しかったカズトの服の中が急にもぞもぞとしだす。
「おい、フレイヤ、あんま動くなよ!怪しまれるだろ!」
カズトが小声でお腹に話しかけるが、
「す、すまねえ、飯の後にこの匂いは……きつい……!うっぷ」
カズトが服の中を見ると、フレイヤが青ざめている。これは……まずい!
「え?ちょっと待て、さすがに服の中はマズいって!リバースするならもうちょっと我慢してくれ……!」
「ちょっと、汚いのは勘弁してよね!てか気持ち悪くなるほどクサいってどんだけなの……」
ちょっと引いた様子のチヒロ。
「いや、しょうがねえじゃん!みんなだって同じもんだって!」
「私はクサくないわよ!」
「もう限界だぁカズトぉ!」
と、服の下からフレイヤがするりと落ちてくる。
「だ、大丈夫かよフレイヤ」
「ああ、ちょっと夜風に当たるぜ……」
繁華街の真ん中。龍のような生物が唐突に現れる。
「おい、なんだありゃ」
「大道芸人か?」
「あいつ、一人でに喋ってないかい?」
フレイヤに野次馬の視線が一斉に集まる。一行は瞬く間に注目の的になってしまった。
「まずいわ!早くこの場所から離れないと……!」
みなが焦りだしたその瞬間……
「見つけた……!アーニムル!」
凶悪な声が聞こえた。声のする方向には……狐だ!いや、違う。ただの狐がヒトの言葉を話す筈がない。……ビースト!
忽ちそのビーストも人々の注目の的になる。
「お、何か始まるのか?」
「演劇かなんかかい?」
まるでお気楽なものだ。やつらがどれだけ凶悪な存在かも知らずに。
「アンタの命、アタシがいただくよ!」
そのビーストがフレイヤ目掛けて飛び掛かった。俊敏な獣の動き。駄目だ、フレイヤの今の状態では……!やられる!
一方のフレイヤはそんなことも気にせずに、ようやくそちらの話題に気づき、狐のビーストの方を見た瞬間、
「うえええええええええ!!」
炎……ではなく、キラキラと光る水分と固体の混じったモノが口から吹き出された。
そしてやはり、ことを急くとロクなことがない。この世の摂理なのだろうか。
勢いよく飛び出したビーストの顔面に……ジャストミートだ!
「ぐぎゃああああああ!!!!!」
こんな悲しい悲鳴があるだろうか。のたうち回るビースト。
「ナ、ナイスフレイヤ!今のうちに人気のないところまで……!」
「逃げるわよ!」
カズトはフレイヤを抱きかかえて走りだした。
「ああああ!汚……ってかくっさ!」
必死に顔を拭くビースト。なにせ顔を洗おうにも水がない。仕方なしに自慢の毛皮で汚れを拭きとった。
「ゆ……許さんっ!」
そして全速力で一行の後を追った。
× × ×
「ここまで来ればもう大丈夫のハズよ!」
ハルカの案内の元、取り敢えず人気のないところまできた一行。街中で暴れられて被害を出すわけにはいかない。町はずれの崖に先ほどのビーストが追い付いた。
「追い詰めたぞ、貴様たち!」
「うっわ、きったねぇ」
思わずカズトが言葉に出す。
「さすがに同情するわ……」
「謝っといた方がいいんじゃない……?」
チヒロとケイトも後に続く。
「いやあ、俺っち流の挨拶ってもんよ。カズト、準備はいいか?」
吐けばすっきりする。これまた自然の摂理である。
「おう!行くぜ!」
「アーニムルブレイブ!フレイヤ!シンクロナイゼーション!」
カズトの掛け声とともに火柱が上がり、炎の剣と甲冑を携えた勇者が現れた。
「許さんぞ貴様ぁ。よくもスーフォック9姉妹5女、ネックフェック様にゲロをかけてくれたなぁ!アーニムルだろうが何だろうが、八つ裂きにしてやるわ!」
勢いよく飛び掛かってくる。大丈夫だ。エナーハイよりもずっと遅い。見切れる!
が、
「おいカズト!何で避けてばっかなんだよ!」
「だってこいつ……汚いし……」
吐瀉物塗れのビーストは、顔を勢い良く動かす度にキラキラとブツを放つ。敵に塩を送るとはまさにこのことだろうか。ちなみにフレイヤが食べたのは塩ラーメンだ。
「ばっきゃろ!つべこべ言ってないでさっさとやっちまおうぜ!」
「あー、もう!」
覚悟を決め、剣で応戦する。
いくらエナーハイに劣るとはいえ、さすがにビースト。一瞬でも隙を見せればその鋭い爪で肉を裂かれ、強靭な歯と顎で砕かれてしまう。
次々と繰り出される鉤爪を右に左に躱す。
「フッフフ。私の目的はお前じゃないのよ、人間。そのアーニムルさえ差し出してくれれば見逃してやるわよ」
「何言ってんだキツネ女。誰がお前なんかに俺の相棒を差し出すかっつうの。頭わりぃんじゃねえの?」
「ガキのくせに……生意気よ!」
振り下ろされる右鉤爪。大きくジャンプして避ける。
「そいつはもう見切ったぜ!」
空中で両手に剣を掴み、振り上げる。
「フレイムブレードォ!」
単調な攻撃の隙をついて炎を纏い振り下ろされた剣がネックフェックを一閃!
「ぎゃああああああああ!」
ネックフェックはその場に倒れこんだが、よろよろと立ち上がり、
「フン……やはり実力は本物のようね……でもアタシもただで終わらないわよ……」
瞬間、ネックフェックはさっと後ろを向き、指から蒼い炎を放出した!
完全に隙を突かれた。隙のある相手にはこちらも隙が出るというもの。過度の慢心から反応する間もなく、蒼い炎はハルカに命中した!
「うああっ!」
炎自体はすぐにシュンと消えた。だがしかし、胸を押さえて倒れ込んだハルカは苦しそうだ。
「お姉ちゃん!」
「てめえ!ハルカに何しやがった!」
「フフ、大人のお姉さんからの置き土産よ……」
ビーストはほくそ笑んで答えた。言い終えるが早いか、ネックフェックはポンっと煙に包まれた。
「っておい!待て!」
カズトが反応した時にはビーストは煙に紛れ、姿を消していた。まるで狐に化かされたようだ。が、今はそれどころではない。ハルカの安否を確認しに、シンクロを解いて駆けつけた。
「ハルカ!大丈夫なのか!」
見るとハルカの額には謎の言語のような文様が浮かび上がっている。
「なんだ……これ……」
「……ッ!これ、マギアよ。継続して特定の対象を苦しめることに特化した最古のミラクルムの一種。……こんなもの使うだなんて……!」
「どうにかならないの!?」
ケイトも焦りだす。だがチヒロは歯を食いしばって俯いたままだ。
「ミラクルムさえ使えない私がマギアの解き方だなんて……分からないわよ……!」
涙声だ。苦しそうに藻掻いている姉の姿にチヒロだって悔しいに決まっている。
そんな思いを汲んでか、カズトが立ち上がった。
「取り敢えずホテルに戻って安静にしよう。大丈夫だ、アイツ、そんなに強いビーストじゃない。すぐによくなるよ」
カズトの声にハルカがゆっくりと目を開き反応した。
「カズトの言う通り……私は大丈夫。ちょっと体が熱いだけ……」
言葉とは裏腹にふらふらの状態で答える。眉間に皺を寄せた笑顔が寧ろ見る側を辛くさせた。
「お姉ちゃん、無理しないで」
「大丈夫、立てるわ」
ハルカが手を取られ立ち上がった時、その表情は更に強張ったものになった。真っすぐを見据え、空いた口が塞がらないようだ。
「ハルカ……?」
ハルカの視線の先には広大な砂漠が広がっている。ずっと地平線の先まで。
「どうした?砂漠になんか見えるのか?」
カズトが訊ねる。
「ここ……砂漠なんかじゃない……この国の水の調達源……オアシスがあった筈の場所なの……!」
まさか。見渡す限り砂のこの広大な土地に水が湧き出ていただなんて。しかし、ハルカの顔はそれが全くもって冗談ではないこと。そしてこの国の置かれている状況がいかに深刻な状況かと言うことを物語っている。見れば水路のような窪みも見ようによってはそれに見える。が、少年たちはどこまでも続く乾ききった砂の地平線を見つめ、立ち尽くした。
END