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六話 叔母

 次の季節になった。試験まであと四日。緊張は最高潮に達した。

 礼服を着込んだ文官がフランたちの前で証書を掲げ、その文面を読み上げる。

「然るに、四日後、武官登用試験を行う。各自体調を整え、万全を期するよう」

 そうして、一礼して去っていった。興奮に顔を赤くしている生徒が大多数であり、フランもその一人だ。平静な顔をしているのはプルトを含む二、三名。格別に暢気なグレグでさえ興奮を隠しきれない様子なのだから、他の生徒など推して知るべきだ。

 フランの背中を誰かが叩いた。振り返るとサフィがいた。

「来たね」

「ああ」

 短く返す。それで十分だった。一世一代の大勝負。シン隊、ゴ隊、ユウ隊、ケイ隊。配属される箇所によってこの先の人生が決まる。直接ではないが、今まで競い、高めあってきた同窓とも、僅かな席を奪い合うことになる。

 譲る気はない。譲ってほしいとも思わない。ただ、全力を尽くして自身を見せるのだ。試験官を惹きつける。全霊を込めて。そんなことを目で確かめあい、短い言葉で頷きあった。

「どうする? 少しくらい組手でもしていく?」

「怪我すると良くない。やめておこう」

「じゃあ帰る?」

「いや、俺は少し体を動かしていく」

「いつものあれね。今更形稽古なんて必要ないんじゃない?」

「落ち着くんだ」

 自分の体を意のままに動かす。動かそうと思った位置へ、動かそうと思った角度から、できるだけ早く、できるだけ静かに。それに専心することはフランにとっての安らぎだ。だからその言葉に嘘はないのだが、サフィは呆れたように笑った。

 フランが立ち上がると、サフィも立ち上がる。しかし、二人が別れようとしたその時、興奮した表情のグレグが二人の肩に背後から飛びついた。

「聞けよ、フラン! やったぜ! 僕らやったんだ!」

「どうした、落ち着け。俺たちは何もまだやってない」

「違うさ! やったんだよ! 本当だ、信じられない!」

「落ち着きなさい馬鹿」

 フランもサフィもどうにか落ち着かせようとするが、グレグの興奮は収まらない。背後についてきていたプルトも興奮した様子で、奇声を発するグレグの頭を押さえつけた。

「やったぞ、フラン。俺たちがサンジュに呼ばれた。明日だ」

「サンジュ? 呼ばれる? それって、まさか……」

「ああ、その通りだ。サンジュを行うのは元ゴ隊の戦士。十年ほど前に前線を退いていたが、俺たちの代に有望なのが多いと聞いてついに決心したらしい。特に有望な戦士見習いを選別してサンジュを行うらしい」

 戦士の引退。その原因は概ね負傷によるものと言って間違いない。戦えなくなるほどの傷を負い、戦場を退く。それは戦士にとっての死であり、生きてはいてもその強さを活かすことができない時点で国にとっては無価値となる。そんな半死半生の元戦士に意味を与える行為がサンジュだ。大抵は身内か同隊の有能な若手に与えるが、極稀に全く無関係な相手にかける人が居る。それを妨げることはできない。人生最後の儀式であり、名誉ある決心なのだから。

 普段行うような、食事と共に行うようなちっぽけなサンジュではない。歴戦の戦士から直<、>々<、>の散受。一体どれほどの強さが手に入るというのか。どう少なく見積もっても強さが三か四は増える。下手したらもっとだ。それをこんな時期に、選別して与えるという事実が意味することは一つ。

 フランたちは選ばれた。

「俺たちはハユウ候補に選ばれた」

「そうだ! 選ばれたんだよ! 僕たちは!」

 サフィの手がフランの肩に食い込んだ。その目は血走り、鬼気迫る表情。

「私は!」

 当然、これを受けることができないということは、試験で大幅に後れを取るということだ。それを理解しているサフィは今にもグレグに掴みかからんとしている。

 グレグは叫んだ。

「サフィもだよ! 僕たち四人と、後二人くらい! たった六人でゴ隊の戦士のセンジュを受けることができるんだ! 信じられない!」

 その場にいる全員の注目を浴びている。羨望と、嫉妬。そして称賛。フランはここでようやくグレグの言葉の意味が飲みこめてきた。

 自分は夢を掴もうとしている。そのための強さを与えられようとしている。その事実が、ようやく実感となってフランの全身を強張らせる。

 手がぶるぶる震えている。武者震いだ。決しておびえではない。喉から叫びが飛び出そうだった。

「嬉しいか、フラン」

 プルトの問いかけに、フランは頷くことしかできなかった。今口を開いたら叫んでしまいそうだった。

 フランはその場から離れた。全力で離れた。そして、ナガクスの群生地でナガクスを殴り飛ばした。太い胴が罅割れ、灰色の血がぴゅっと飛び散る。ナガクスが震えて逃げ出す。気にせずめちゃくちゃに腕を振り回す。フランの心は歓喜に包まれていた。

 まだ何もきまっていない、それはわかっている。これからが試験だ。試験が終わってからもまだ長い。怪我したら終わり。上官の不興を買っても駄目。それでも。それでもフランは嬉しかった。自分が認められたことが嬉しかった。

 フランはそのまま日が暮れるまで暗練の間で転げまわっていた。

 そして、夜になってもまだ興奮が収まらないフランは、家を出て叔母の家へと向かった。

 フランの叔母、エリィナは変わり者だった。エリィナを良く知る人物は口をそろえて魔女だという。元々は武官であり、一時期はシン隊にもいたのだが、ある日不意に武官を辞め、国の端のナガクスの群生地に住みはじめた。現在も独り暮しをしている。絶大な強さを持ちながら国を守るという義務を放棄し、何度も進められる名誉あるサンジュをにべもなく断っているエリィナは、多くの人が言うようにまともな戦士ではないのだろう。非国民ともいえる。しかし、フランはなんとなくそんなエリィナが好きだった。

 フランがナガクス造りの扉を叩くと、中から女性の声がした。

「入っておいで、フラン」

 何故声を出したわけでもないのに分かるのか、と以前聞いたことがあるが、その時は足音で分かるは言っていた。聴覚が高いのだと。しかし、フランはエリィナが最も高いのは速力であり、ほぼそれに特化していることも知っているため、適当にごまかされたのだと思っている。何か仕掛けがあるのではないかと探しているが、発見できたことはない。

 家に入る。簡素な家だ。叔母は食悦のための調理が趣味であり、そのための大きな調理台があるが、特徴と言えばそれくらいで、後は箪笥と食卓、寝台くらいしかない。今も入り口に背を向けて何やら焼いているようで、香ばしい香りが漂ってくる。

「そこらへんに座りなさい。もう少しで調理も終わるよ」

「ごめん、エリィナ。突然来て」

「良いさ、そういう時期なんだから。試験はもうすぐだろう? 緊張して緊張して仕方がないって顔してるよ」

「うん」

 お見通しというわけだった。別に心覚が高いわけでもないのに、とフランはやはり不思議に思っている。こうした謎が多いところも、魔女と呼ばれる理由だったりするのだろうか、とフランは首を傾げた。

「叔母さんは、どうだった? 少し、気になって」

「入った時のことかい? それとも辞めた時のことかい?」

 フランはぐっと言葉か詰まった。予想外の言葉だった。しかし、どこか腑に落ちた。ここに来た理由は、それを聞きたかったのかもしれない。

 同時に困惑する。それはつまり自分が迷っているのかもしれないからだ。まだ入ったわけでもないのに、なぜか、そんなことを考えてしまったのかもしれないからだ。辞めることを、あり得ないはずの、辞めた時のことを考えてしまったかもしれないことを。

 いつの間にかエリィナが向かいの椅子に座っていた。目を離していたわけではない。フランの目はどんなに速い動きでも見切る。エリィナはただ歩いただけなのだ。一歩歩いただけ。それを極めた叔母は、距離も障害もあらゆるものを無視する。

 濃褐色の眼がくすくすと笑っている。既に四十を超えるというのに子供っぽい笑みだ。

「そんなに怖がらなくてもいいさ。どうせなるようにしかならないよ。私が入ったのは戦士になりたかったから。私が辞めたのは戦うのに飽きたから。そんなに大した理由なんて無いさ。フランは何がそんなに怖いんだい」

「別に怖いわけじゃなくて、違うよ、エリィナ。俺は少し話を、そうだ。俺、サンジュを受けられるみたいでさ、かなり見込まれてるっぽい。ひょっとしたら本当にハユウになれるかも」

「ははあ。サンジュが怖いんだね。口ぶりからすると、人が相手だろう。フランはサンジュが苦手だったねぇ。それも人なんて、そりゃこんな夜更けに叔母の家に来るか」

「違うって! もう」

 フランは不機嫌そうにエリィナを睨み付けた。おお、怖い怖い、と肩を竦めて見せるエリィナ。フランが言葉もしゃべれない頃から見てきたエリィナだ、見栄も威嚇も通りはしなかった。

「まあまあ、落ち着いて食事でもしていきなさい。どうせ五日に一度とかその程度の頻度でしか食べてないんだろう」

 言葉にしたことはないが、フランはエリィナの料理が好きだった。美味だとかそういう理由ではなく、なんとなく好きなのだ。その理由はうまく言葉にすることができない。

 フランは頷く。その様子を見てエリィナはまた笑った。

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