四四話 マチウミ
その日の夜は祭りとなった。マチクイの死骸の外周には柵が立てられ戦士たちが見張っているが、その更に外側には数多の天幕が張られ、まるでヌルハ国の人間すべてがそこに移って来たかのような人が集っている。天幕のあちこちで肉が切り分けられ、あらゆる国民にふるまわれる。そこには官も民も関係がない。すべての国民が満腹になるように食べたって食べきれないほどの量の強さがあるのだ。放っておいてもシロチが湧くだけ。だからこその祭りだった。
そんな中、中央にある一際大きい天幕の、長大な長机。その上座にフランは座らされていた。
ひっきりなしの挨拶と、礼の言葉。王、大臣、高位の文官から始まり、シン隊隊長、隊員、ゴ隊、ユウ隊、シン隊の面々。肉屋、皮なめし職人、細工師、大工、掃除夫、楽師、詩人、道化、語り手、教師、博士、商人、金貸し、弁舌家、荷夫、旅人。ありとあらゆる人間が訪れては、頭を下げて去っていく。
最初は挨拶の最初に告げられる名を覚えようとしていたフランも、早々に不可能だと悟り真面目な顔で頷くだけの機械となる。気の利いた言葉が言えないことを歯痒くも思ったが、すぐにそんなものは必要ないと気づいた。
挨拶。
こっくり。
お礼の言葉。
こっくり。
握手。
挨拶。
こっくり。
その繰り返しに、フランは何度も意識が飛びそうになった。
その勢いがやや落ち着き、フランが食事をとる余裕が出てき始めたころに、ルーが挨拶に来た。
「お疲れ様です、フランさん」
「ルー……」
疲れた、と思わず言ってしまいそうになったが、フランの周囲にはまだまだ人が居る。弱音はすんでのところで呑みこむことができた。
「この料理、中々美味しいですね。意外です」
「祝祭食。祝い事でしか出ない料理だ。作り方は知らない」
「これ、多分調味料塩だけですよ。その割にはこの深み。絶対何か手の込んだことをしてます。血抜きは丁寧だし、肉の切り分け方は芸術的だし、この焼き方。むむ、ヌルハの食文化を舐めていましたね」
「そうか」
ルーの後ろに並んでいる人が不思議そうな目で二人の様子を窺っている。ルーもそのことに気付くと、軽く頭を下げて去って行った。
その後、何十人か捌くと、今度はサフィが並んでいた。
「並ばなくても、いいんじゃないか」
「そういうわけにはいかないわ。皆フランと話したがってるんだから」
「そうか」
そう言われるとフランも納得するしかなかった。挨拶するために列を作っている人々の熱意の前には、友人だから特別扱いするわけにもいかない気がした。
サフィは改めてフランの前で深々と頭を下げた。
「フラン。ありがとう。国を救ってくれて」
「自分のためだ」
「だとしても変わらないわ。謙遜のし過ぎは気持ち悪いわよ。まさか他の人たちにもそんな返答してないでしょうね」
「してない。流石に」
サフィは疑わしそうな目でフランを見つめた。だが、すぐにその疑念もどうでもよくなったらしい。本題を切り出した。
「で、私は何をすればいいの?」
「何を?」
「約束したでしょう。フランが望むことをなんでもするわ。戦士に二言はないわ」
フランはそう言えば、とそう言った会話があったことを思い出し、思考を巡らした。何かサフィに頼みたいことはあったか。正直な話、あまりなかった。グレグやプルトになら聞きたいことがいっぱいあったのだが、良くも悪くもサフィはからりと乾いた性格であり、なにごともその場で解決してしまうのだ。気がかりなことはない。
フランはぽんと手を叩いた。
「じゃあ、一杯食べて強くなってくれ。そしてヌルハを守ってくれ」
サフィはうっと呻いた。哨諜官であることから予想はついていたが、フランの予想通り、サフィは戦うことが苦手になっているらしい。わかってて言うのは性格が悪いと思いつつも、フランは真剣な顔で頼んだ。
サフィは真面目で義理堅く強く気高い。フランはそんな戦士にヌルハを守ってほしかった。
「難しいわね」
「なんでもやるんだろ。頼む」
「……仕方ないわっ」
了承すると共に後ろの人に押され、サフィは天幕の外に流れて行った。
押したのはグレグだった。
「やー、やー。僕は見てただけだってのにやっと解放されたよ。英雄なんてのも楽じゃないね」
「楽しくもないしな」
「贅沢だなー。あ、フラン。こっちが僕の奥さん。で、息子と娘」
三人が揃って頭を下げる。息子は幼少期のプルトにそっくりだったが、娘はプルトの奥さん似らしい。フランはぼんやりとそんな感想を抱いたが、プルトの奥さんと目が合い慌てて頭を下げた。
フランの太ももに殴りかかってくるプルトの息子をあやしながら、プルトは素っ頓狂な声を上げる。
「あんれ、フランの奥さんは? なんで一緒にいないの?」
フランは首を傾げた。
「何の話だ?」
「えー? うーん? 聞いてた話と違う……? まあいいや。フラン、家族はいいぞ。子供は可愛いぞ。逃げられないように頑張れよ」
ひょっとしてルーのことを言っているのだろうか。そうフランが思い至り、なんと答えようか考えていると、グレグは用は済んだとばかりに立ち去ろうとした。
「グレグ」
フランが呼び止めると、グレグは一瞬だけ立ち止った。
「プルトは……」
「あいつは死んだよ。戦えなくなって、サンジュ。二年前」
グレグはそう言うと、ひらひらと片手を振って去って行った。
フランは衝撃を受けつつも、少しだけほっとしていた。会ってしまった場合どうすればいいか分からなかったからだ。そして、衝撃が消えると僅かばかりの後悔を実感した。色々と聞きたいことがあった。聞いてもどうしようもないことだとわかっていても、大した理由はないだろうことがわかっていても、聞いてみたいことがあったのだ。
フランがぼーっとしていると、気づけば列が切れていた。無我の状態で挨拶を受けていたらしい。
すると、フランは一人の女性に袖を引かれた。少し見覚えがある気がするが、どうにも思い出せない。
「フラン様。お連れの女性がお呼びです」
「ルーが?」
「はい。こちらへ来ていただけますか?」
「わかった」
何かあったのだろうか。フランは少し不安になる。流石にこんな日に暴力沙汰を起こすものはいないと思っていたが、こんな日だからこそ羽目を外してしまう人もいるのかもしれない。油断したのか。フランは焦りを隠せなかった。
女性に先導され、少し歩いたところで思い出した。その女性は、三年前、シユラとの戦いの後フランへ逆干渉をしてくれた女官だ。
なぜそんな人が、とフランが疑問に思っているうちに、人気のないところについた。女官はここだと告げ、そこで待っていた一人の女性に声をかけた。
その女性は振り返ると同時に高い声を上げる。
「トミナ! 一体いつまで待たせるのよ。早く戻っ――」
そこに居たのは長い黒髪を流し、豪華な服で着飾ったヌルハの国の王女。アーナだった。
アーナはフランに気付くと驚愕した。眼を見開く。
そして、それはフランも同様だった。視野が狭まり、息が詰まった。苦しいわけではなく、ただただ、息ができなくなった。
最初にフランの心の裡に浮かんだのは懐かしさだった。怒りでも、憎しみでも、おびえでもなく、懐かしさだった。昔よくこうやって怒られていた。大抵はしてもいない約束を破ったという言いがかりの様なものだったが、それでもアーナは頬を膨らませて怒っていた。それがとても懐かしい。
次に浮かんだのは、安堵だった。変わっていないことへの安堵。相変わらず元気そうで、少しやせたような気もするが、特に健康を害していたりはしなさそうだ。気の強さも変わらず。こうして怒鳴るのは仲の良い相手だけなので、侍女との関係も良好なようだ。
そうしたことを考えていると、呼吸も落ち着いてきた。冷静な思考もできるようになる。混乱はあるが、それも些細なもの。
「アーナ」
フランの呼びかけに、アーナは体を震わせて一歩下がる。まるで言葉を聞くことによって鞭を浴びせられているかのようだ。
フランは言葉を切った。まるで聞きたくないかのように目を固く閉じるアーナに言葉をかけていいのか迷った。
しかし、フランは言うことにした。言わなければ伝わらないからだ。フランが最近ずっと考えていたこと。その思い。
「俺は君があの時何を考えていたかはわからないけど、一つ確かなことがあって」
あの時。三年前。アーナは固く固く手を握る。しかし、耳を塞ぐことはしない。
「あの時、生きようと思ったのは君のお陰なんだ。君からしたら変な話かもしれないけど。だから俺は感謝している、君に。今はだけど」
フランは息を吐き、力を抜いた。言いたいことは言い切ることができた。
しかし、アーナは眼を見開いて、泣きそうな顔になる。
その表情の意味は、フランにはわからない。
アーナはゆっくりと手から力を抜き、フランを見た。そして、何かを言おうと口を開こうとしたとき、また別の方向から声がかけられた。
「あ、フランさん。こんなところにいたんですか。さっきエリィナさんが呼んで、ました、よー……」
乱入者のルーは二人を見て何かを察したかのように口を一文字に結んだ。そして、フランの隣へ素早く近づきその腕をつかんだ。
フランはアーナを紹介しようか迷い、片手を上げ下げする。ルーはそんなフランを一瞥することもなく、アーナを凝視している。
アーナはそんな二人をみて、くっと喉の奥から笑いを漏らすと、フランに背を向けて言った。
「私は強い人が嫌いだわ」
そしてそこから歩き去って行った。
「だから、どこへなりとも消えなさい」
それはフランには激励の言葉に聞こえた。だからフランは礼を告げた。
「ありがとう、アーナ」
アーナはそれに返事をすることはなかった。




