四二話 マチクイ
「ここだ」
「ここ、が目的地の、フランさんの伯母さんの家ですか?」
「そう。一番好き勝手してる人だから、多分大丈夫だと思う」
「好き勝手?」
「なんていうか、自由人……」
「固い感じの人ではないんですか?」
「ない。俺とはあまり似てない」
フランはナガクスをかき分けて進む。昔はメンセンが紛れていないかと恐る恐る進んでいたが、今はそんなことは気にする必要はない。ルーが怪我しないかどうかだけ気を付けて行けばいい。
ほどなくして伯母の家が見えた。その形は全く変わっていない。今日も煙突から煙が出ているため、何らかの料理をしているらしいことが窺える。
フランは玄関の扉に手をかける前に深呼吸を一つした。ルーにはああ言ったものの、エリィナがどういった反応をするかは全く分からなかった。サンジュから逃げたこと自体に怒ったりはしないだろうが、そのまま国外で腐っていたことに対してはどうだろうか。情けない、それでもアーミラー家の男か! といった叱責を食らう可能性は十分にある。
躊躇い、戸を叩く。
ややあって中から返事があった。
「どちら様」
「フランです」
緊張の一瞬。室内の気配は微動だにしない。
「フラヌトラ・アーミラーです」
フランがそう言った途端、背後に気配を感じた。フランは相手を刺激しないようにゆっくりと振り返る。
そこにはエリィナがフランを睨み付けていた。雰囲気は全く変わらない。容姿もさほど大きな変化はない。鋭い視線と隙のない佇まい。正真正銘、魔女のエリィナだ。
「フラン?」
エリィナがじろじろとフランを観察する。フランの首筋に汗が浮かんだ。悪いことをして叱られる直前のような嫌な汗。値踏みするような表情の奥に隠れている感情はまだ判断できない。
ルーも振り返るが、会釈をしようとした瞬間視界からエリィナが消えた。
「よく来たね、上がりなさい」
家の中から扉を開けてエリィナが顔をだした。ルーは先ほどまでエリィナがいた空間と今エリィナがいる場所を交互に見て、目を白黒させている。
フランは混乱するルーの背中を押し、家へと上げた。叔母の速度の高さを説明しておくのを忘れていたことに気付いたが、ここまで来たら後回しでもかわらないだろうと判断した。
靴を脱ぐフランにエリィナは声をかける。
「また背が伸びたね。三年ぶりかい?」
「多分それくらいだと思う。背は、伸びたんだろうか」
「自分ではわからないものさ、お座り」
エリィナが椅子を引いたかと思うと、その向かいの席に座っている。ルーは目をごしごしと擦るが、視覚は正常だろうことしか分からない。
フランとルーは並んで座った。二人の席にはナガクスの煮汁が杯に注がれている。その苦い匂いはやはり懐かしいものだ。
エリィナは厳しい表情をして真剣にフランに問いかけた。
「フラン」
「……はい」
「そちらの嬢さんは?」
予想外な、しかし当然の質問に、フランは虚を突かれつつも答えた。
「俺の命の恩人。ちょっと色々あって、ついてきてもらってる」
「ルーと申します。あの、フランさんには命を助けていただきまして、その」
ははーん? と愉快そうにエリィナは笑う。先ほどまでの真剣そうな表情は消え、悪戯っ子の様な笑みが浮かんでいる。
「またえらい可愛らしい娘を捕まえたね。ん? どうやった? 恥ずかしがらんで伯母さんに言ってみな?」
「捕まえたわけじゃ……」
「そ、そうです。別に、そんな」
「いいさいいさ。分かった。言いたくないならおいおいでいいさ。で、どうだい? ルーさん。これは口にあうかい?」
自分から言い出しておいて早々に切り上げるエリィナに、フランは口をぱくぱくと開閉する。しかし、エリィナは一切気にせずルーに微笑みかける。
「苦いですが、不思議と癖になりそうです」
「南のほうでこうした料理があるらしいって聞いてね、作ってみたのさ。ズムグスタにも似たような料理はあるかい?」
「材料は、クスですよね? ほかに何か使ってますか?」
「いんや。ナガクスだけさ」
「クスは色々と味付けしないと食べられたものではないのという認識でした。似ている、とまでいえる料理はないですね。一体どうやってこんなに円やかな味を出したのか見当もつきません」
「意外だろう。ちょっとした工夫なんだ。ほんのちょっとのね」
フランそっちのけでルーとエリィナは談笑を始める。フランも口を挟もうとするが、料理の話題や服飾の話題ばかりで一言さえも挟むことができない。フランの所業に関する問答があると張り詰めていた気は、和やかな雰囲気に溶けて霧散した。
まるで姉妹かのように仲良く会話している様子を眺めていると、思い出したようにエリィナに問いかけられた。
「ところで、突然どうしたんだい? この様子じゃ私に奥さんを紹介に来たわけでもあるまいし」
ルーが顔を赤くして伏せるのを横目に、フランは真剣な顔をして切り出した。
「その、マチクイが現れたって聞いて」
「わざわざ来たって? あの糞みたいな奴らのために!」
エリィナの拳が机に叩きつけられた。ルーがびくりと肩を震わせる。
「おっと、ごめんね。少し声が大きくなっちまった。……まあ、過去がどうであれ罪のない人々を見捨てることはできない、ってか。しかしそれにしたって、まったく。アイレイン家の嬢ちゃんかな、ったく。はー」
「エリィナ。俺は」
エリィナはこめかみをぐりぐりと押さえながらも、手でフランの言葉を遮った。
「いい、いい。もう決めたんだろう? 頑固なお前の意思を変えさせようなんて面倒なことはしないさ。お前のへったくそな説明を聞くつもりもない。口下手で遠回しでまだるっこしくて何が言いたいのかわかりにくいからね」
あまりにも直接的な罵倒にフランは閉口した。言い返そうにも言葉が見つからず、即座に諦めた。
「取りあえず見せてやろう。ほれ、手を出しなさい」
そう言ってエリィナは立ち上がると、両手を二人に向かって差し出した。
フランは片手をその手の上に乗せて握りこんだ。やや遅れてルーも同様にする。とはいえ、ルーはこれから何をするかは全く理解していなかった。
「しっかり掴まって」
「は、い……?」
フランが囁くと同時に、叔母が跳んだ。
次の瞬間、三人は晴天の砂原にいた。
ルーは唖然とする。何が起きたのかわからなかった。手を離し、自分の頬を抓ってみても変わらない。ぎらつく太陽と固い砂と頬を撫でる風の感覚。全てが幻なのではないかと錯覚してしまう。フランの、後で説明する、という言葉にも曖昧に頷くことしかできなかった。
エリィナが遠くに見える山を指さした。
「あれさ」
「大きいな。話に聞いて想像してたよりも」
「そらそうさ。あれを正確に計ろうなんてやつはいないからね。適当な伝聞は大きくなったり小さくなったり、だ」
「強さは、わからないな」
「アリアを連れてくるべきだったかね。まあいいさ」
山を見て話す二人。ルーは二人の会話を聞いて山が動いていることに気付き、それが山ではないことに気付いた。
ルーが山だと思った巨大な何か。それこそがマチクイだった。
灰色の帯状の外殻が幾重にも重なり、空気を軋ませながら蠕動している。甲殻の隙間からは幾本もの触手が伸びており、それは遥かに離れたここからは細い糸のように見えるが、実際には一本一本がメンセンの胴程の太さはあるだろう。胴体前面にはぱっくりと口が開いており、中に呑み込んだものをすりつぶす様に回転する口内には無数の歯が生えている。おぞましくもどこか神々しく、ひたすらに巨大な災害と呼ばれる野者。
「倒せるかい?」
「殺せる」
エリィナの問いに、フランは至って冷静に答えた。それにエリィナは驚いたようだったが、それ以上追及することはなかった。
「まあ、そうか。それなら仕方ない。お前の好きなようにおやり。戻ろうかね」
再び二人の手を取り、エリィナは跳ぶ。すると三人はエリィナの家の今に立っていた。
エリィナは足の裏についた砂を軽くはたいて言った。
「今日は泊まってお行き。町に行くと騒ぎになるからね」
フランはもう騒ぎになっているかもとは言うことはできず、神妙な顔をして頷いた。
その日の夜、フランの部屋にルーが訪れた。
「ちょっとだけ、おしゃべりしてもいいですか」
おしゃべり。それが何を目的としているのかフランには分らなかったが、フランはルーに無理を言って同行してもらっている身であり、断るという選択肢はなかった。
ルーはちょこんと部屋の椅子に腰かけると、部屋を眺めまわしながら言った。
「変わったものがたくさんありますね」
「叔母がどこからか拾ってくる。叔母は速度が異常に高い。一歩で海を越えられるし、移動しているところは誰にも見えない。だからか叔母はよくいなくなっては、遠くの国まで旅をして、その話をしてくれたりする。これらはその土産だ」
「なるほど。昼間のもそうした……?」
「そうだ。説明するのを忘れていた。すまない」
「いえ、いいんです。流石にあれは口で説明されても信じられなかったと思いますし、そういう意味ではいい経験になったと思います」
ルーはそう言って何度も頷いた。
フランは寝台に腰掛けルーが話し始めるのを待ったが、ルーは中々話し始めなかった。たまに視線をフランの方へ向けてくるので寝ているわけではないようだったか、間を計っているわけでもないようであり、何がしたいのかよくわからない。最終的に、もしかしたらとても話しにくい話題なのかもしれない、と結論付けたフランは世間話に挑戦してみることにした。
「そう言えば、ルーの両親はどうしているんだ?」
「私、孤児なんです。だから親はいません。兄妹みたいな人はたくさんいましたけど、今どうしているかはほとんどわかりません。どこで何をしているか分かるのはヨヒぐらいです」
「そうか。すまない」
慣れないことはするものではないとフランは大いに反省した。フランが自身の家族の話をした時点でルーの話が無かったのだから、こうしたことも想定しておくべきだったのだ。
意気消沈するフランを見て、ルーはくすりと笑った。
「別にいいんです。不幸なわけじゃないですから。孤児としての生活は家族がたくさんいて楽しかったですし、結構早い時期に城に拾われました。お城の生活は中々贅沢でしたよ。悪くないです。全然。だから気にしないでください」
流石にこの気にするなを真に受けるほどフランは阿呆ではなかった。
会話を行うという挑戦に最初から躓いたフランはまた待ちの体勢に移るが、すると今度はルーが口を開いた。
「フランさん、マチクイを倒しますか?」
それに対する答えはもう出ている。しかし、即答はしたくなかった。ルー以外から聞かれたら適当にごまかす質問だ。
「ルーはそうした方がいいと思うか?」
「はい」
「なぜ?」
「フランさんがそうしたがってるように見えるからです」
明快な答えに、フランは唸ってしまった。
「そう見えるか?」
「そう見えます」
自身の見立てを露ほども疑っていない断言だった。
フランは深呼吸を一つする。ここ数日ずっと考えていたが、漸く思考に言葉が追いついてきた実感があった。だからフランは話すことにした。話す気になった理由には、ルーならば多少拙くても聞いてくれるという甘えと、もう余りあるほどみっともないところを見られてしまったという開き直りも、多分に理由に含まれてはいるが、ともかく、フランはそれを話すことにした。
「三年前、俺は逃げた。腹が立って、悔しくて、逃げ出した」
未だに、思い出すと息が一瞬止まってしまう。
「けど、改めて冷静に考えると。当たり前だったんだ。国の危機に強い戦士が必要になる。じゃあ誰を強くするか。誰を切り捨てるか。俺は切り捨てられる側だった。誰でもそう判断するはずだ。俺はただの一戦士。たまたま強さを得られただけ。客観的に見ればそうなんだから、客観的に判断すれば俺を斬り捨てるのは当たり前だった」
ルーはきょとんとする。話の流れがよくわからなかった。しかし、今までフランから聞いた話を総合することにより、なんとなくの方向性はつかめた気がした。
「ひょっとして、以前お話ししていた、フランさんが国を離れたときのことですか?」
「ああ」
「……切り捨てられた側からしたら溜まったものじゃないじゃないですか。私が言うのも変ですけど」
フランはふっと優しい笑みをこぼした。
ルーは思わず顔を逸らした。
「だが、俺はそれまでその規則に従って生きていた。強さを与えられ、誰かの命を奪って、そういった国の元で生きてきた。それなのに、いざ自分が犠牲になる側に回った途端嫌がるというのは卑怯だろう。余りにも戦士らしくない。俺は今でもこの国の法が間違っているとは思わない。必要な事なんだ、それは。野者は強く、人間は弱い。強さを意図的に集めなければ生きていくことはできない」
強さの集約。それはあらゆる国がやっていることだった。ある国は人に、ある国は剣に。または全く別のものに、または全く別の方法で。
それは必要なことだとフランは信じている。
「だから、俺は今でも悩んでいる」
「死ぬべきか、ですか?」
「死ぬべきだったか、を。強さが正しいなんて言うつもりはない。が、俺は今では国で一番強い。だから今は死なない。死ぬ意味がない。そうしたらマチクイを殺せない。けども考えてしまう。三年前のあの時、俺は死ぬべきだったんじゃないか。それが正しかったんじゃないか。俺はまだ逃げた自分を戦士だと言い切れるのか。俺は卑怯な俺を赦せるのか。もし、もしも、三年前に戻ることができたら、俺はどうするのか。そんなことを悩んでしまう」
その結論は永遠に出ない気がした。しかし、仮定の話など戦士らしくないと思いつつも、フランはたまに考えてしまうのだ。
「ただ、一つ言えるのは、ここで戦えば、国を助ければ、少しは恩を返せたことになるんじゃないかという思いが俺の中にあること。姑息な考えだ。それで俺の過去の罪が消えるわけじゃない。けど、俺は後悔のまま生きて居たくはない。迷いを抱え続けたくはない。だから、少しでも自分が許せるように、誇れるように、俺はマチクイを倒そうと思う」
フランはそう言って納得した。
「多分、そういうことなんだと思う」
フランは囁くような声で呟くと、ルーに向かってへたくそに微笑んで見せた。
「よくわかるな。人の気持ちが」
「心覚が高いんです」
「そうだったのか」
「嘘です。全然です。ですけど、フランさんが何をしたいかなんて、見てればわかりますよ」
「そうか。すごいな」
簡素な称賛にも照れ臭そうにしているルーを見ていると、フランの口から言葉が零れ出た。
「俺には」
そして、それは、一度零れだすと止まらなかった。用意していたわけでもないのに、次から次へと言葉が溢れ出てきた。
「俺は俺の気持ちがわからなかった。何をしたいのかわからなかった。漠然とした目的はあった。いつもそれっぽい目的を自分の中に持っていた。けどそれが本当に欲しいものかわからなかった。だから迷った。それが不可能だとわかったら諦めた。逃げた。そうして目的の様なものが自分の中から全くなくなると気づくんだ。わからなくなるんだ。自分は何をしたいのか? 何が欲しいのか? 俺はなんなんだ? 強くなりたいんだと思ってた。だから強さを求めた。けど違ったんだ。強くなるためだって言い聞かせて体を動かしていれば何も考えなくていい。体力を全部使い果たしてしまえば夜は死ぬように眠ることができる。強くなりたいってのはまるっきり嘘ってわけでもないのが性質が悪くて、俺はずっと気づけなかった。簡単なことだったんだ。俺は誰かの役に立ちたかった。誰かに認めて欲しいだけだった。誰かの、誰かと、一緒にいることができればそれでいい。ただそれだけだったんだ」
一息に言い切ったフランは我に返った。これは別にルーに話すような話ではない。自分の心に収めておき、自分で納得して満足する類の話だった。
フランは顔を真っ赤にして慌てて弁明する。
「すまない。変なことを言っている。戦いの前で少し興奮しているみたいだ。いや、落ち着ける場所に来て気が緩み切っているのか」
馬鹿にされることはないとわかっていても、ルーの顔を見ることができなかった。恐らく温かい目で見守ってくれているだろうことは予想できても、それを想像するだけで火を噴きそうだった。
ややあって、戸惑ったようなルーの声がフランの耳に飛び込んでくる。
「えっと、その、だったら。ほら、好機ですよ! ここでどーんとマチクイを倒してヌルハの人々を全員丸ごと助けちゃったらそりゃもう大英雄ですよ! 皆の憧れの的です。フランさんを否定する人なんていなくなります」
ルーははしゃぐように断言し、いつもの口調で付け足した。
「フランさんを嫌う人なんて、誰もいなくなります」
ルーが立ち上がった気配がした。フランがそちらを向くと、フランとルーの眼があった。ルーは慌てて目を逸らす。
「すみません、眠たくなってきたので部屋に戻ります。明日は大一番だっていうのにお話に付き合わせてしまってすみませんでした」
「いや、俺の方こそ変な話をしてしまった。すまない」
「……おやすみなさい」
「おやすみ」
そう言ってルーは扉を閉めた。
一人になって静まり返った部屋で、フランは自分の口を縫い付けようかと真剣に考えた。




