四一話 帰還
二人はヌルハの国の第三城壁の前に立った。
「さて、また関所ですね」
「壁を越えよう」
「ほら、やっぱりそうなるじゃないですか。ね」
「……すまなかった」
「え、いや別に責めてるわけじゃないですよ。ただやっぱりずるできる方法があるならしたくなっちゃうのが人間というか、安全な方に進むのが当たり前というか。そういう話です。ほらねって言いたかっただけです」
「そうか。当たり前か。ズムグスタでは非常識だと非難するような反応をしたのは間違いだった。すまない」
「だからいいんです。いいんですって。そんな簡単に謝らないでください」
フランが下げた頭を無理やり押し上げ、ルーは周囲を見回した。
「ええと、変装はしていきますか?」
「そうだな。本格的なのは難しいが、髪くらいは隠していくか。ヌルハの国は赤毛は多くない」
「あ、じゃあ私の髪の色も変えておきますね。うーん、茶……いや、黒髪にしておきましょう」
フランはルーを抱き上げると壁を跳び越えた。
ケイ隊の巡回の経路はおおよそ把握している。裏の六区のど真ん中。想定通り人通りはない。フランは跳躍の反動で脱げた頭巾をかぶりなおすと、ルーの様子を確認した。
ルーももう慣れたもので、素早く衣服の乱れを整えると、背中で一つに括った黒髪を撫でつけた。
「大丈夫ですかね。フランさんの顔を知っている人に会ったりしたら」
「大丈夫だ。逃げたのは三年も前。顔見知りに合わない限り、俺の顔を一目で分かる人間は少ないだろう。ここら辺は担当区域ではなかったし、まあ、人相書きでも配られていたら話は別だが」
「そうでしょうか」
楽観的なフランにルーは不安になるが、その予想は的中する。
二人がヌルハの町並みを眺めながら歩いていると、道の端で遊んでいた少年の一人がフランを凝視してきた。自分が見られているとは露ほどにも思っていないフランは無視するが、すると少年はフランの後をついてくる。怪訝に思ったフランが振り返ると、その少年はじっとフランの顔を覗き込んでいた。
「あ、やっぱり赤い髪の兄ちゃんだ」
「本当だ」
一人が声を上げると、次々に少年が駆け寄ってくる。あっという間に周囲を囲まれ、フランたちは身動きが取れなくなる。
フランはその少年の顔を見直してみるが、記憶には引っ掛からない。全く知らない少年だ。口ぶりからして相手もフランのことを詳しく知っているようではないようだが、ならどういった繋がりなのか。フランは混乱し、ルーは焦る。
「兄ちゃん生きてたんだ」
「だから言ったじゃん。絶対ゴ隊とかに転属になってたんだって」
「すっげー強かったもんね」
「どこ行ってたん? 最近見なかったよねー」
口々に言葉を発する少年たちに対し、フランはどう反応してよいのか分からない。思考が停止してしまっている。
ルーも戸惑ったが、雰囲気自体は悪くない。どちらかというと歓迎されているようだった。だとすれば即座に通報されたりすることはないだろう、とルーは肩から力を抜いた。
固まるフランに、少年たちの親らしき人物が近づいてきて声をかける。
「あら、いつぞやはどうもお世話になりました。最近見なかったですけど、配属変わったりしてたんですか?」
「え、ああ。まあそんな感じです」
「めでたいですね。と言ってもお兄さんにとっては今更ですか」
やはりフランのことを認識しているようだ。だが、名前を知っているわけでもないらしい。
ルーはフランに耳打ちする。
「フランさんってどういう立場だったんですか」
「普通の街警邏だった。ケイ隊所属。ケイ隊では悪名のようなものは広まってたかもしれないが、一般の都民にまで特に有名だったわけではない、と思う」
「の割には人気ですよ」
「そうなのか?」
「そうでしょう」
人気。人から話しかけられることが人気なのだろうか。自分がそれにあたるのか。フランが思い出してみると、ケイ隊の仕事で見回りをしていたときはよく声を掛けられていた気がした。それは便利に使われている程度のものだと思っていたが、人気の表れだったのだろうか。フランは悩んだ。
だが、ともかく、今囲っている人々はそうしたケイ隊の職務で関わっていた人々なのかもしれない、と見当がついた。フランが覚えていないのは単純にフランの記憶力の問題だとフランは結論付けた。
フランが適当にごまかしてその場を去ろうとしていると、聞き覚えのある声がした。
「先輩?」
フランは一瞬固まってしまった。
「あ、やっぱり先輩じゃないっすか。生きてたんすねー」
「……人違いだ、ノード」
「じゃあなんで名前知ってるんすか。相変わらず嘘が下手なんて具合じゃないっすよ。阿呆ですよ。阿呆」
「いや、これはな」
「まあ往来で立ち話してて面倒なことになるのもあれですし、詰め所行きましょう」
「人違いだ。俺は、うん、ジルという」
「はいはい。じゃあジルさんちょっと詰め所まで来てくださいね。大丈夫っすよ。別に上に報告したりとかそんなことしたりはしないっすから」
その言葉を疑うわけではなかったが、鵜呑みにするわけにもいかず、フランはルーに視線を投げる。しかし、ルーは頭が痛そうにこめかみに手を当てていて、諦めきっている。フランの迂闊さはルーの想像の何倍も上をいっていた。
後輩がずんずんと歩き始め、フランは大人しくついていく。ケイ隊の隊員に存在を知られた以上、じたばたしてもしかたがないと判断したのだ。
詰め所は相変わらずだった。机の配置は代わっておらず、フランの机を除けば内装すらほとんど変わっていない。私物とゴミで埋まり報告書を書く場所さえない区長の机。大雑把な割に整理整頓だけはきっちりしてあるモイスの机。用途不明の物ばかりはいっているがらくた入れが鎮座するノードの机。
私物入れの名札にフランの名はない。代りに知らない名が一つ。恐らくフランの欠員に対する補充だろう。新しいところから見ても新人なのではないか。フランがそんな感慨にふけっていると、ノードはいつものように水を汲んだ。
客用の椅子にルーを座らせ、フランもその横に座る。そうして一息をつき、他に誰もいないことを確認すると、フランはノードに切り出した。
「一つ聞いて良いか」
「なんすか?」
「俺のこと、なんて聞いている?」
まるでそのこと自体を忘れていたかのように、ノードはぽんと手を叩いた。どうやらそれはノードにとって大して重要ではない情報のようだった。
「公式にはハユウとシュラの戦いに巻き込まれて死んだって告知されてますね。ただ、一部の隊に逃亡者として捕縛命令が出ているとかいう噂が流れてます。俺は噂の方を半分くらい信じてました。なんかもたついてるんすよね情報の出し方が。まあハユウが死んだってこと一般に漏らしたくないからってのもあるんでしょうけど、はっきりしないというか、武官内部でも情報の統制がされてる感じがして、まあなんかあるんだろうと思ってました」
ノードは水をずずっと啜る。。
「ってか先輩が簡単に死ぬわけないし、死ぬとこ想像できないしで、ってか戦いに巻き込まれて死ぬような先輩じゃないっしょって思ってました。だからまあなんかあるんだなーって。どうですかこの信頼。俺凄くないっすか。結果大当たりだし」
褒めてほしそうにノードはしたり顔をした。
フランはノードの態度に納得した。要は何も知らされていないのだ。だからこそこうして以前の様に慕ってきている。フランの犯した罪を知らないがゆえに。
フランは唾を飲み込んだ。
「俺は、命令違反をして、ハユウとシユラの戦いに出向いたんだ。そこでハユウとシユラの強さを散受した。そして、その強さを他の、もっと強い戦士にサンジュしろと言われて逃げたんだ。王命を無視して逃げた」
罵倒される覚悟と共にフランがノードを見据えると、ノードは目を丸くしていた。
「え、今そういう話の流れでしたっけ。なんかそんな真面目な顔されても怖いんすけど。なんすか? 俺今から口封じに殺されるんすか?」
「そんなことはしない」
「じゃあなんすか。ああ、馬鹿真面目な先輩のことだから、戦士としてあるまじき行為をしたとか言う気っすか? 罪の告白的な」
「そうだ」
「いやいや、そんなことで大罪人みたいな顔しなくても。死にたくないでしょ誰だって。先輩が死ぬのが怖くて逃亡とかいうのは意外っすけど、へー。なんか、寧ろ親近感湧くっすね。俺も逃げますもん。逃げれたらの話ですけど」
あっはっは、と流され、フランは口を噤んだ。何かを言おうと思ったが、何を言えばいいのかわからない。
そんなに軽く流していいような話ではないはずだった。命令を無視したことも、サンジュを拒否して逃亡したことも、戦士としてあるまじき行為だ。ハユウの強さという国による国のための力を受け取りながら、国を捨てて逃げ出すなど、人としてあるまじき行為の筈だ。どんな批判も受け入れる気だった。そのうえでそれに対する自分の意思表示も行うつもりだった。フランは肩透かしを受けた気分になった。
横にいるルーに目を遣りやや頬を染めたノードは、フランに見られていることに気付いて咳払いした。
「ってか先輩何しに来たんすか? じゃあここにいたらまずい立場じゃないっすか」
急にきょろきょろと周囲を見回し始めるノード。今のフランの状況に漸く気付いたらしい。
フランは呆れながらも、ついでに情報を集めていくことにした。ノードは穴の空いた瓶だ。信頼度こそあまり高くはないが、情報源としてこれほど扱いやすいものはない。
「マチクイが出たらしいな」
「その噂も本当だったんすか。どーりで最近慌ただしかったんすねー」
「……落ち着いてるな」
国がそこまで荒れていないところから国民に告知はされていないとフランは予想していた。しかし、臆病なノードがマチクイの存在を知りつつ落ち着いている理由が分からない。
「へ? だって文脈的に先輩それなんとかするために来てくれたんすよね。強さなしであんだけ強かった先輩がハユウとシュラからサンジュしてるんだからマチクイくらい余裕っすよ。はい勝ち。って気分すね」
純粋な目で予想外な返答をされ、フランは思わず目を逸らしてしまった。
「別に、助けに来たわけじゃ」
「冗談言うなんて先輩らしくないっすよ。ってか聞いてくださいよ先輩、先輩が抜けたから後輩が入ってきたんすけど、そいつがまたくっそ生意気な奴なんすよ。俺の事とか名前呼び捨てですよ? ありえなくないすか? 最低でもノードさん、普通はノード先輩ですよね。俺より強さあるからって調子に乗りやがって。いつか絶対締めてやる」
話しているだけで腹が立ってきたのか、ノードは立ち上がって乱暴に水を汲むと一息に飲み乾した。
フランが助けを求めてルーに視線を投げると、ルーは物珍しそうに詰め所内を観察していた。よっぽど興味をそそられたのかフランの視線に気づく気配はない。
フランがどうしようか迷っていると、荒々しい足音共に区長が帰ってきてしまった。
「あ、区長」
「ノード! 俺より先に見回りから帰って来ていたらさぼっていたこととみなすと……」
区長はフランを見て眼を丸くした。そして手で両目をごしごしと擦り、穴が開きそうなほどフランの顔を見つめる。
「フラン」
「お久しぶりです」
フランが反射的に挨拶すると、区長はがっと詰め寄った。その表情は鬼気迫るものがあったが、区長の干渉力では大したことはできないためフランは座ったままそれを眺めた。
「お前が国に対して言いたいことは山ほどあるだろう。だがその前に聞いて欲しい。もうじき俺の孫が生まれるんだ。こう見えて俺は子供好きで楽しみでたまらん。既に子供服を用意したり子供用の玩具を隣国から取りよせたりしているほどだ。医務官の見立てによると男の子らしいが贅沢は言わん別に女の子でもいい。寧ろ女の子の馬子だったら俺は爺馬鹿になる自身がある。ただし、無事に産まれるかどうかはわからない。心労というのはあらゆるものごとに対して悪影響を及ぼす。マチクイが出たなんて知った日には娘は不安で夜も眠れないだろう。いや、娘だけに限らない。ヌルハ一〇〇〇〇の民全員の安寧が脅かされようとしているんだ。わかるか、この物事の大きさが」
区長は一息に言い切った。あまりの剣幕にフランも思わずうなずいてしまった。
しかし、ノードはのんびりといつも通りの口調で疑問を口にする。
「あれ、区長のとこの息子さんってこの前彼女に振られたって言ってませんでしたっけ?」
盛大な舌打ちが響き渡り、区長は苛立たしそうにノードの足を踏んづけた。
「ちっ、黙っとけこの馬鹿が。こいつは阿呆だからこうしたお涙頂戴の話をしておけばうんと言うにきまってるのに何故ばらす」
「く、区長の嘘が分かりやすすぎるのが駄目なんすよ。何が孫っすか。子供嫌いを普段から公言しているくせに」
「こいつが覚えているわけないだろーが。こいつは会話把握していますーなんてすまし顔をしていながらその裏でその日の鍛錬の内容を考えているような馬鹿だぞ。いや、はっきり言おう。こいつはただの馬鹿だ。もう一度言おう。こいつはただの馬鹿だ。だから便利なんだぞ! 一度了承させちまえばくよくよ悩みつつもやるってわかってんだろお前も!」
「知りませんよ。ってか先輩が俺たち見捨てるわけないじゃないっすか。そんなかっかしないでほしいんすけど」
のんびり屋なノードを区長が怒る光景は懐かしいほどに見慣れた光景だった。三年というとそれなり長い年月な気もするが、人はそう簡単に変わったりはしないようだった。。
二人が言い合っているうちに席を立とうとしたフランの足に区長がしがみついた。。
「待て待て待て。見捨てる気かこのヌルハの民を見捨てるのかこの恩師を見捨てるのかこの可愛い後輩を!」
「区長、流石にみっともないっすよ。人として。恩師と言えるようなこと何もしてないと思うんす」
「だから黙っとけ! 俺は生き残るためならなんでもするぞ! 靴を舐めろと言われたら舐めるぞ! なあフラン。助けてくれよ。お前しかいないんだ。この国にはハユウと呼べる人間がまだいない。三年もたつのにまだいないんだ。俺には詳しい数値は分からんがお前強いだろ。頼む。こうしてかつての上司が地を這い頭を垂れて懇願しているんだ、何か思うところはないか?」
率直に言うと、フランは困っていた。どんな答えを返してもへばりついて離してくれ無さそうで困っていた。
ノードが区長を引きはがした。以前は強さでは区長にはかなわなかったはずだが、少しは強くなっているらしい。
「いい加減にしましょう、区長。あ、先輩、なんか引き留めてすみませんした」
「ああ、いや。別に気にしてない」
「マチクイ退治したら教えてくださいね。多分俺らケイ隊の下っ端には知らされないと思うんで。……いや、流石にマチクイの死骸を隠し通すのは無理か。あ、いや、やっぱいいっす。つーか彼女さん可愛いっすね。いいなー。俺も彼女欲しいなー」




