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三四話 眠り

 夕暮れにジルはとぼとぼと歩いて戻って来た。それをフランは家の前で待ち構えていた。

 ジルは険しい表情をしているフランに対して戸惑ったような表情で問いかけた。

「フラン、カナリア、どこ?」

「……ジル」

「発見、景色、良い。見せる」

「ジル、カナリアは」

「今日、暗い。また明日」

「カナリアは」

 フランは口内に溜まった唾液を飲みこんだ。それを口にすべきかいまだに迷っていた。だが、もううやむやにしておくことはできない。

「もういない。死んだ。カナリア姫は死んでいる」

 ジルの目つきが鋭くなり殺気を放ち始める。その殺気はこの三日間で何度も感じていたものと同質。不可解だったそれの根源を理解し、フランの胸の奥に黒いものが溜まっていく。

 手は腰に吊るした剣を握り、ジルは再度問いただす。

「フラン、カナリア、場所?」

「いないんだ。ジル。お前も知っているんだろう?」

「冗談、つまらない」

「ジル」

「フラン、退く」

 ジルはフランの横を通り、家に入ろうとする。それに対してフランは片手を挙げて行く手を遮る。

 二人は無言でにらみ合った。ジルの眼がどんどん鋭くなり、血走っていく。心覚などなくても分かるほどに、ジルの眼は怒りに満ちていた。

「フラン!」

 ジルが剣を抜き放ち、フランを斬りつけた。フランはそれの腹を手で弾き、ジルを押し返す。

 そこで漸く外の騒ぎに気付いたのか、女が家の中から飛び出してきた。

「ジル! フランさん! 一体何をしているんですか! ××××!」

 ジルは女を見ると一瞬顔を輝かせ、そして、直ぐに再び悪鬼のような表情になる。

「違う! ××××! フラン、隠す、カナリア! ××××! どこ、カナリア!」

 その声に女は怯み、泣きそうな顔をしてその場に棒立ちになった。

 ジルはもう何もしゃべる気はないようだった。フランに大して剣を向けにらみつけている、それは完全に己の邪魔をする敵を見る目であり、フランを斬ることに対して何の躊躇いも感じていないようだった。

 フランは落胆した。正直なところ、フランは女の話が嘘であることを願っていた。カナリア姫は目の前の女で、生きていて、互いに思いあっている恋人が一緒にいる。先ほどの話はほんの冗談で、ちょっとした仲違いに対してあまりにフランが深刻そうな顔をしていたのでからかってしまっただけ。そうであることを願っていた。しかし、本当だった。偽物だった。あの光景は偽物だった。二人の愛は偽物だった。だからこんなにもジルは怒っている。カナリアと名乗っていた女は何も言わない。

 ジルがフランに斬りかかった。フランはやはり手で弾くが、受け損なって少し手が切れた。

「ジル」

 続く言葉が出てこない。自分が何を伝えたいのか理解できていないのだから当然だ。フランの口を空気を求めて喘ぐ病人の様に、ぱくぱくとただ開閉する。

 ジルの斬撃はかつてないほど鋭かった。昨日の手合わせでは手を抜いていたのかと錯覚してしまほどに。しかしそうではないことはフランも分かっている。殺すべき敵と相対したときとそうでないときではやはり違うものなのだ。今は昨日とは状況が違うのだ。だからこんなにも鋭く、フランでさえも傷は避けられない攻撃になっている。

 何度も躱し、受け流す。その度に剣の切っ先がフランの皮膚を掠め、赤い雫がぱっと散る。

 フランは打ち返すことはせず、ただただ受け続けた。それで状況が好転しないことは理解しつつも、まだフランは何をすべきか判断できずにいた。

 弾く、弾く、躱す。

 躱す、弾く、弾く。

 流れるような連撃が止まり、ジルの全身に力が込められた。フランは不思議に思いながらも一歩引き、すぐにその場から全力で跳び退った。

 直後にフランがいた場所を強烈な広域干渉が襲う。コトキリの剣は広域干渉さえ可能にするのだ。それを寸前で思い出したフランは、表情を変えないながらも一筋の汗を流した。

 不意打ちが失敗したことを理解したジルは、もう出し惜しみはしなかった。広域干渉を巻き散らしながら、周囲のあらゆるものを寸断し始める。フランは立ち位置を調整し、女の方へ飛んでいく高域干渉だけ自身の広域干渉で撃ち落とす。

 まるで嵐のように広域干渉が吹き荒れ、周囲の景色が一瞬で変化していく。

 フランは全速で一歩近づき、剣を振るうジルの膊を抑える。しかし、ジルの手首から先はありえないほど柔らかくくるりと回り、斬られそうになったフランは慌てて手を離した。化性が高い。関節の可動域が通常ではあり得ないほどになっている。直接手を掴まないと止められそうにないが、それはいくらフランでも難しかった。

 続く一撃で眼の下が切られる。反応が遅れたら眼を抉られていた。視界には問題はない、フランは冷静に判断する。

 雷光の如く軌道を変える変幻自在の軌道。

 二本の剣によって繰り出されたのかと見紛うばかりの二連撃。

 虚実織り交ぜた鮮やかな剣技は、極みと言っても過言ではないほどの冴えを見せていた。

「××××!」

 ジルは陽気な男だったのだろう。踊っている時の楽しげな表情を見て居ればわかる。ジルは誠実な男だったのだろう。フランへの言動の節々から伝わってくる。ジルは一途な男だったのだろう。だからこそこんなにも怒り狂っている。

「××××!」

 女のあの献身は保身からくるものだったのか? そんなわけはないとフランは断ずる。我が身を犠牲にしても助けるという決意があった。自身をかえりみないほどの覚悟があった。生きていてほしいという願いが、相手の叶わぬ幸せを思う姿が、そこには確かにあったのだ。

「××××!」

 そんなふたりから慕われるカナリアどいう人物はどんな人だったのだろうか。優しかったのか、逞しかったのか。 愛らしかったのか、思慮深かったのか。気さくだったのか、淑やかだったのか。少しはわがままだったりしたのだろうか。しかし、もうフランには分らない。知る術はない。

「××××!」

 なぜ。

 言葉がフランの胸中に渦巻く。

 なぜ!

 言葉がフランの喉を衝く。

 なぜこうも世界は儘ならないのか!

 眼が焼かれる感覚がした。

 フランの視界がぼやけた。

 フランは混乱した。戦闘の最中に視界が塞がるなど、致命的にもほどがある。何の攻撃を受けたのか全く気付かなかった。どこから攻撃を受けたのか。

 手で触れて気づいた。それは涙だった。

 そこでようやく、フランは二人を守りたいと思っていたことに気付いた。美しい姫と、強い戦士が想いあい、助け合い、生きる。自分ができなかったことをしている二人が羨ましく、同時にそんな二人を守りたいと感じていたのだ。自分ができなかったからこそ、そんな未来もあるはずだったと思うために、二人の行く末を見守りたかった。フランの胸をずっと渦巻いていた感情の正体は、羨望にも似た一方的な親近感だった。

 そして、フランはもう一つの感情にも気付く。フランは二人のことが好きになっていたのだ。たった三日だというのに、二人のことが好きになっていた。だから守りたいと思ったのだ。自分はただの便利な隣人だとしても、幸せそうな二人の力になれることが嬉しかった。

 ただそれだけだったのだ。

 動きを止めてしまったフランの胸に深々と剣が突き刺さった。

 ジルのぼやけた顔が視界に広がる。

 フランは剣を突き出すジルの手を掴むと、そのまま頭突きをするほどに顔を近づけて言った。

「俺たちは失敗したんだ」

 ごほっと血の塊が喉に込み上げてくるが、フランはしゃべるのを止めなかった。

「けど、違う。お前は手にしたものを失った。俺はそもそも何も手にしていなかった。俺の方はどうしようもなく駄目だったってだけだけど、お前はもう後戻りもできないんだろ」

 憎んでわめいて投げ捨てて、清算することさえできない。そう言おうとして、せき込む。血が息腑に流れ込んだのだ。

「××××!」

 開いている手で喉を狙って突いてくるジルに対し、フランは口の端から血を零しながら瞼を閉じ。

 渾身の拳をジルの胸の中心に叩き込んだ。

 ジルの体が折れ曲がりながら吹き飛ぶ。立ち並ぶメンセンをへし折り、遥か彼方まで吹き飛んでいき、高台の岩壁にめり込むことでようやく止まった。

 フランは胸に刺さった剣を抜くこともせずに、ジルの方へ歩いた。その歩みは堂々としており、負傷など欠片も感じられないものだった。

 ジルはゆっくりと顔を上げ、きょとんとした顔で近づいてくるフランの方を見た。その表情は普段のジルと変わらず、穏やかで純朴そうな青年そのものだった。

「フラン……?」

 フランは口の血を拭いながら頷いた。

「ああ」

「怪我、深い」

 フランは苦笑いをする。

「大したことはない」

「何が、事件? ああ、××××、重たい、体、頭、眠たい」

「そうか」

 手を動かそうとしても動かせず、ジルはただ目を瞬かせた。そんなジルにフランは優しく微笑むと、ジルの正面に胡坐をかいて座った。

「疲れたんだろう。休むと良い」

「夕方、寝る、早い」

「本当に疲れてくなら休めばいい。別に明るくてもいい。人が決めるもんじゃない」

 優しい言葉に、ジルもふっと笑った。

「……感謝、自分、寝る」

「そうか」

 フランは柔らかな笑みを絶やさなかった。まるで子供を寝かしつける父親のような表情で、ゆっくりと目を閉じてゆくジルを見守った。

「フラン」

「なんだ」

「伝言、休む」

「……ああ、ジルは先に休んでると伝えておく」

 ジルは安心したように息を吐くと、ゆっくりと全身から力を抜いた。

 静寂に包まれる。

 ジルの寝顔は安らかだった。まるで本当に寝ているだけなのかと錯覚してしまいそうなほどに。胸にぽっかりと空いた穴さえなければ、フランでさえそう錯覚してしまっただろう。

 フランはじっとその場に佇んだ。

 フランはジルを羨ましいと思った。ジルがもう頑張らなくていいことが。誰かと一緒に居ようとか、誰かを守ろうとか、誰かを好きになろうとか考えなくていいことが。願いにも絶望にも期待にも恐怖にも駆り立てられることはもうないことが。身を焼かれ心を焦がされ掻きむしることがないことか。本当に羨ましいと思ってしまった。

 思ってしまうと、もう駄目だった。

 それは死だった。

 それが死だった。

 フランは死にたくなった。

 生まれて初めて心の底から生きていることが嫌になった。

「疲れたな」

 そんな言葉が自分の口から出たことにフランは驚く。しかし、続けて戦士が弱音を吐くなんて、と思い、気づいた。自分の姿があまりにも戦士からかけ離れていることに。心持も。意思も。何もかも戦士とは程遠い。

 剣が刺さったままの胸から血が流れていく。鬱陶しさから無造作に剣を引きぬいた。おびただしい量の血が流れ始める。このままだと死ぬだろう。分かっていても動くのは億劫だった。

「疲れた」

 その言葉は何よりもしっくりきた。

 そんなフランの背後から女の声がした。

「フラン、さん」

 一人で来たらしい。いくら大きな道ができているとはいえ、戦いの影響でメンセンの群れは目覚めている。横をすり抜け来るだけでも非常に危険な行為だった。

「ジルは」

「殺した。俺が殺した」

 女はつらそうな顔をしてその場に膝をついた。

 フランは女から目を逸らして立ち上がる。そして、ジルの死体へ歩み寄ると、その胸から血腑を抉りだし、女に向かって突き出した。

「食え」

 女は息をのみ、青ざめた顔をする。信じられないものを見るような顔をしている。そして、フランが本気で言っているのだと気づくと、ふるふると力なく首を横に振った。

 フランはジルの血腑を齧ると、女の唇に口移しでねじ込んだ。女が抵抗しても頭を押さえつけて離さず、血の塊のようなそれを下で押し込む。

 フランは女が肉を嚥下したことを確認すると唇を離した。

「吐くな。お前を守るものはもういない。自分で身を守れ」

 そのまま全力の広域干渉を放った。メンセンが吹き飛び、遥か彼方まで遮るもののない道ができる。

「真っすぐ行けばヌルハの国がある。それだけ流暢にヌルハ語をしゃべることができるなら何らかの仕事は得ることができるだろう。駄目ならエリィナという人物を尋ねろ。魔女と呼ばれている。俺の名前を出せば力を貸してくれる」

 言って、フランはエリィナの反応を想像し、悲しそうに笑った。

「いや、駄目かもな」

 フランは跳んだ。女の返事を待たず、振り返ることもなく。

 女は衝撃によろめき、反射的に目を瞑ってしまうが、再び目を見開いた時にはもう誰もいなかった。



 血がぱたぱたと霧となる。下方に犇めくメンセンが喜びに震える。

 フランが降り立ったのは、切り立った岩場の頂上だった。フランの着地の衝撃で砕けた石片が舞い散り、フランは着地の衝撃に耐えきれずによろめく。

 フランは砂利を祓い、その場に座った。先日カナリアと見た景色より、更に遠くが見えた。

 夕日に赤く照らされ、ひょうと鳴る風を受けながら、フランは呟く。

「疲れたな」

 とめどなく流れる血が溜まっていく。無駄に高い存在強度のせいで、まだすぐには死ねそうにはない。だが、確実に死ぬ。例え誰かがフランを治そうにも、ここには誰も来れない。この場所には一人だ。

 フランは横になる。夕日が眩しくて、目を閉じる。

 赤い闇に包まれる。

 ゆっくりと進む眠り。

 遠くから微かに声が聞こえたが、それは決して近づいてくることはなかった。

「ごめん――」

 フランは眠りに落下した。

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